[2-12]翼の面影


 砦に来る以前、フェリアは山岳地域の小さな村に両親と弟の四人家族で暮らしていた。

 大都市から離れた田舎は他種族民との交流もほとんどなく、大きな催事イベントといえば季節ごとの祭りか結婚、葬儀くらいのものだ。父は村長むらおさだったが生活は慎ましく、特別な衣装などは母が仕立てていた。

 物流が限られた翼族ザナリールの村では、衣服そのものより花飾りやリボンで特別感を付すのが平常である。だから、メイドから夕飯は立食パーティーの形式で供されると聞いたとき、フェリアは途方に暮れた。


「このドレスを着ていけばいいよ。大丈夫! ぼくがフェリアを可愛くしてあげる」


 帰ってきたミスティアは様子がおかしく心配だったのだが、シャイルに服を贈られた話をした途端に目を輝かせ、俄然やる気を出して部屋を飛び出していった。自分の部屋からメイク道具を取ってくるらしい。

 食事の席に正装で臨むというのは、フェリアにとって馴染みのない感覚だ。似たシチュエーションを考えても、結婚式の披露宴くらいしか思い浮かばない。シャイルがプレゼントしてくれた綺麗なドレスに食べこぼしてしまったら……と思うと、気が重くなって泣きそうになる。


「お待たせ! あれ、フェリア、着替えないの?」

「お食事にいくのでしょう? わたしはパーティーなんて不慣れだから、こぼしてもいいように、普段着でいこうと思うの」

「大丈夫だよ。領主様の館なんだから、衣料品専門の洗濯係がいるはずだよ。ぼくも、そのドレスを着たフェリアを見てみたいな!」


 ミスティアは瑠璃色るりのドレスはそのままに、中のブラウスを着替えてきたらしい。シャイルもヴェルクもお洒落な姿で食事に出るのだろう。であればやはり、フェリア一人が普段着なのは許されないことだ。

 それに、贈られた服に着替えていけばシャイルが喜んでくれるかもしれない。何なら飲み食いはせずじっとしていれば、服を汚すことも避けられるだろう――、と思考を一巡りさせたフェリアは意を決して、金糸雀カナリア色のドレスに着替えることにした。

 とはいえ、慣れない服に戸惑いながらの着替えは覚束おぼつかない。背中のスリットに翼を通そうと四苦八苦していたら、ポーチの中身をテーブルに並べ終えたミスティアが手伝ってくれた。広げられているのは髪用と翼用のくしが二種類、白粉おしろいらしきもの、用途のわからない小瓶やブラシやパレットや――。


「フェリアは肌が綺麗で日焼けもしてないから、ルースパウダーで十分だと思うな。髪型はちょっと変えようよ。ぼくが編んであげる!」

「え、ルース……白粉おしろいのこと? お姉ちゃんのお化粧道具でしょう? わたしはこのままでも」

「大丈夫! ぼくに任せて。ぜったい可愛く仕上げてみせるから!」


 薄々わかってきたが、ミスティアは意識的に自分に構おうとしている。どうにも、目を逸らしたい何かがあるようなのだ。

 椅子に座ったフェリアの後ろで丁寧に髪を義姉あねの指先を感じながら、気にかかっていたことをそっと尋ねてみる。


「お姉ちゃん、ヴェルクと何かあったの?」

「なっ、何もないよ!? 無事にいい感じの通信珠つうしんじゅも買えたし、トラブルも起きなかったし!」


 言葉とは逆に裏返った声が、何かがあったことを証していた。思わず、眉をひそめる。


「ヴェルクに、何かされたの?」

「違うよ! ヴェルクは悪くないの! 大丈夫!」


 同意したくはなかったが、出発前にヴェルクが言った「ミスティアの大丈夫は信用ならない」の言葉が真実味を帯びてきた。とはいえ、彼がミスティアに酷いことをするとは思えないので、おそらく心配のいらないたぐいの揉めごとか騒動があったのだろう。二人とも相手に対しよそよそしいので、恥ずかしいハプニングとか。

 フェリアにとってのヴェルクは父親に近い存在だが、成人しているミスティアにとっては恋愛対象……なのだろうし。

 胸の奥が少しもやもやしている。ヴェルクは恩人のような存在で、尊敬しているし嫌いではない。ミスティアの恋を応援したい気持ちも、もちろんある。二人の出会いはルエル村なので、誤差程度とはいえヴェルクはフェリアよりミスティアとの付き合いが長いのだ。お姉ちゃんを取らないで、なんて口出しできる立場ではないのも承知しているけれど。


「ヴェルクには、お姉ちゃんをいじめないでって言わなきゃ」

「虐められてはいないよ!? ぼくがちょっと勘違いしちゃっただけなの。それより見て見て! フェリアはおさげもよく似合ってるから!」


 わかりやすく話を逸らされた。が、鏡に映る自分の姿を見た途端、もやもやも吹き飛ぶときめきに、フェリアは息を飲む。


 普段は櫛を通して流すだけの空色の髪は二つに分けられゆるく編まれ、薄桃色のリボンで留められていた。粉白粉ルースパウダーで整えられた肌に淡い頬紅チークがのせられて、普段より大人びた雰囲気をかもしている。

 頭には薄桃色の花飾りが添えられ、化粧でいや増す色香を絶妙に希釈していた。

 シャイルと選んだ金糸雀カナリア色の簡易カジュアルドレスは、肩を覆う広めの襟と胸元のシンプルなリボン、たっぷりドレープのある長めのスカートが特徴だ。大人向けのデザインが控えめな化粧と相まって、違和感など全くなかった。


 本当のことを言えば、フェリアは自分の外見が好きではない。実年齢不相応の幼い姿は、甘え心の発露だから。

 砦に集う皆が命を賭けてと闘っているのに、同じ翼族ザナリールであるローウェルとミスティアだって、砦に来たのは闘うためなのに。自分はひとり過去に囚われ、皆と同じ戦場へ踏み出すことができずにいる。

 このままではいけないと思う日々は焦燥を生み、悪夢を乗り越えられない自分にがっかりすることもしばしばで。成長の可能性など今まで考えることができずにいた。けれど。


「フェリア、どうしたの? あまり好きじゃなかった?」

「――ぇ、え、あっ、ごめんなさい! そうじゃないの、逆なの!」

「そう? フェリアの好きに合わせるから、遠慮なく言うんだよ?」


 鏡の中にいた翼の淑女レディに母の面影を見て、後戻りするだけで進めなかった時間でも、わずかながら成長できていたかもしれない、と思えたのだ。

 弟の強さを尊敬している。でも、自分だって勇敢だった両親の娘なのだから。勇気を出して大人になることだって――できるのではないか、と。

 あの日から、泣かないと決めたのだ。眼裏を通り過ぎる悪夢に蓋をし波立つ心を落ち着けてから、フェリアはまっすぐ顔を上げ目を開いた。心配そうに眉を下げて覗き込むミスティアに「ありがとう」と微笑みかける。


「これがいいわ。お姉ちゃんがあまりに上手だから、びっくりしちゃったの」

「そっか……それならいいけど。大丈夫? ホールに行ける?」

「ええ、大丈夫。それに、わたしが遅くなっちゃったせいで二人がお腹をすかせているかもしれないもの、これ以上待たせるのは悪いわ!」

「そうだな。ヴェルクは何も食べてなかったからそうかも! じゃ、一緒に行こう」


 途端ミスティアの相貌そうぼうに浮かんだ喜色が誰を想ってのものなのか、問い質すまでもなくわかってしまう。素直でまっすぐで愛らしい彼女の言動が微笑ましくて、胸に湧きあがりかけたもやもやはすぐに縮んで散っていった。

 シャイルがドレスを贈ってくれて、ミスティアが綺麗に仕上げてくれた。社交の場というものは未知で不安で怖いけれど、二人の期待に応えるためと思えば頑張れる気がする。

 領主様も元翼族ザナリールで怖い人ではないようだし、大丈夫、と自分自身に言い聞かせる。高鳴る胸に大きな決意を押し込めて、フェリアは勇気を出し、ミスティアの後を追って部屋の外へと踏みだした。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る