[2-13]淡い想いに色づく


 照明の抑えられた廊下の先に、暖色こぼれる入り口が見えた。緊張と期待に胸が震え、歩みが鈍る。前ゆくミスティアが振り向いて微笑み、腕を伸ばしてフェリアの手を取った。


「大丈夫、フェリアはすごく素敵だから!」


 緊張で冷えた指先に熱がしみてゆく。頷き、震える爪先に力を込めて踏みだす。きらめきがあふれた会場には幾つもテーブルが設置してあり、色とりどりの料理が乗せられていた。思ったほど眩しさはなく、ぬくもりを感じるやわらかな照明が広いホール全体を浮き立たせている。

 厚い遮光カーテンが引かれた窓の側でヴェルクと領主が談笑していた。二人はこちらに気づいたようで、視線が向く。領主に微笑みを向けられて、フェリアは思わずミスティアの後ろに隠れた。そしてすぐ失礼だったかと反省する。


「フェリア! 嬉しいな、そのドレス着てくれたんだね」


 弾んだ声と近づく足音。ミスティアの翼がふわっと浮いて軽やかに動き、視界が開けた。黒い正装を着こなしたシャイルがすぐ目の前にいて、フェリアの翼は緊張からぶわりと膨らむ。


「シャイル見て、フェリアすごく可愛いから!」

「うん、その髪型もいいよ。それに、ちょっとお化粧してるよね? いつもと違った雰囲気だしドレスも似合ってて、素敵だと思う」

「でしょでしょ!」


 目の前で二人にてらいなくめられれば、耳と翼の羽毛が一本残らず立ってしまいそうになる。顔が熱くて目がちかちかした。今すぐミスティアの後ろに隠れてしまいたいのに、もっとシャイルに見てもらいたいとも思う。

 内側に湧き起こった我侭わがままな感情に戸惑いつつ、フェリアは「あのっ」と二人の会話に口を挟んだ。


「お姉ちゃんが、髪を編んでお化粧をしてくれたの! ドレスだって、シャイルが選んでくれたのよ……。わたしは、何もできなくって」

「ドレスを選んだのはフェリアだったよ。素敵なセンスだと思う、自信持って」


 優しい声が揺らぐ自信を引きあげる。鼓動が速さを増し、眩しくもないのに顔を上げることができない。ミスティアに、つなぎっ放しだった手をそっと引かれて背中を押された。やわらかなぬくもりがほどけて離れてゆく。


「シャイル、フェリアをお願い。ぼくは、領主様に挨拶してくる」

「うん、任せて」

「フェリアはお食事パーティーに慣れていないんだって。だからフォローもよろしくね」

「わかった」


 フェリアがうつむいている間に二人の間で話がまとまり、ミスティアは一瞬屈んでフェリアに視線を合わせ片目をつむってから、飛ぶように窓際へと去っていった。寂しくなった手をきゅっと握り合わせていると、シャイルの指がそっと肩に触れる。


「フェリア、ありがとう」

「お礼を言われることなんて、何もできてないわ」


 衣装を用意してくれたのはシャイルで、綺麗にしてくれたのはミスティアだ。本当は挨拶だって一緒に行くべきところを、二人はフェリアが怯えていると考えて無理強いせずにいてくれるのだ。

 勇気を出すと決めたばかりなのに、いつも肝心のところで動けなくなる自分にがっかりする。それでも、褒められるのは素直に嬉しくて。

 ねた物言いに聞こえたのだろうか、シャイルがくすりと笑みをこぼした。


「ううん。フェリア、すごく頑張ってお洒落したんだよね。大好きな子の素敵な姿を見れるのは幸せだなって。だから、ありがとう」


 思わぬ直球にどくんと胸が高鳴った。おずおずと視線を上げれば、優しく細められた薄灰の双眸そうぼうと視線がかち合う。シャイルの言葉に嘘偽りなどなく、彼は本当に嬉しそうに幸せそうに微笑んで、フェリアをまっすぐ見ていた。


「……あの。シャイル、わたし、――」

「うん、なに?」


 心の奥が熱くなり、想いがりあがる。なのに本当の願いはどうしても口にできず、首を傾げ言葉を待つ彼にフェリアは吐息のような囁きを返す。


「あのね、わたし、おなかがすいてしまったわ」

「僕もだよ。それじゃ一緒に、食事をいただくとしようか」


 おどけたように肩をすくめ、表情をほころばせて、シャイルがテーブルのほうへといざなう。その姿に、フェリアは両手を握り合わせたまま微笑みを返した。

 

 本当は彼が気にしていることに気づいている。

 フェリアを気遣いながらも触れることに遠慮がちなのは、吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマが指先に鋭い爪を持つからなのだ。領主のカーティスが手袋をしているのもそれが理由だろうし、シャイルも大抵は肩に触れることが多い。


 昼に何度か触れ合った指の感触を恋しく思う。それでも自分から手を伸ばすことはできず、フェリアはシャイルにエスコートされながら食卓へと向かった。





 並べられた皿はどれも綺麗に飾り立てられており見たことのない料理に思えたが、よく観察すればフェリアにとって馴染み深いものが多かった。

 たっぷりのチーズを使ったフォンデュやラクレット、仔牛肉の煮込みに、淡水魚のムニエル。焼きたての小麦パンや芋のパンケーキ。フェリアが大好きな林檎りんごのタルトもある。他に見知らぬ料理も多くあったが、領主が元翼族ザナリールという話に信憑しんぴょう性が添えられたようで、不安がゆっくりほどけてゆく。


「シャイル、これはね、温めたチーズに好きなものを浸して食べるの。揚げた野菜とも、パンともよく合うのよ」

「へぇ、面白い料理だね。……うん、美味しい! いろんな具材を試したくなっちゃうな」

「わたしは焼いた林檎が好きだけれど、お芋や白身のお魚とかも合うわ」

「お魚、いいね。ありがとう」


 テーブルマナーを知らなくとも、フォンデュの食べ方やお勧め具材ならフェリアが教えてあげられる。隙などないように見える彼が山岳料理に驚く様子も嬉しく、食事の時間はあっという間に過ぎていった。

 最初の不安が嘘のようにシャイルとの食卓巡りは楽しくて、気づけばミスティアの姿をまったく探していなかった自分に驚く。今さらながら会場を見回せば、ヴェルクと微妙な距離を保ちつつ食事をしている姉の姿が目に留まった。やはり、傍目からでもわかるほど二人は互いを意識している。魚好きのヴェルクに魚料理を勧めている様子は、多少のぎこちなさがあるせいか新婚夫婦のようにも見えた。

 離れて眺めれば、二人はフェリアから見てお似合いだと言えなくもない。きっとあのまま仲を深めて、いずれは一緒の人生を歩むのだろう……と想像し、わずかな寂しさが心に差し込む気がした。――と、視界が不意に黒色にさえぎられる。


「フェリア、そろそろデザートに行くのはどう? 林檎のタルトもアップルパイも、ゼリー寄せなんかもあるみたいだよ」


 見あげた視界に一瞬だけ、悪戯いたずらっ子の笑顔が見えた。即座に取り澄ました紳士の顔へ変貌へんぼうを遂げたが、今のはわざとだ。

 彼の意図がデザートを食べたいからなのか、あるいはもしかしてフェリアの視線を独占したかったからなのかわからず、胸がそわそわする。


「そうね。わたし、林檎タルトがいいの」

「僕も同じにしようかな」


 シャイルの手が伸び、遠慮がちな仕草で指を握られた。心臓がどくんと跳ね、冷たかった指先に熱が集まってゆく。心のどこかで望んでいたふれあいに意識を持って行かれれば、もう他のことなど考えられそうになかった。

 それでも、楽しみにしていた林檎のタルトはとても美味しくて。

 目の前で嬉しそうにタルトを頬張るシャイルを眺めながら、フェリアは自分の中に渦巻く感情に戸惑いつつも幸せな気分に満たされていた。――その時。


「えぇっ、領主様の知り合いだったの!?」


 ふいにミスティアの頓狂とんきょうな声が響き、穏やかで慎ましかった空気が一変する。つられて声のほうを見たフェリアは、視界に飛び込んできた光景に驚いて思考が停止した。

 白と水色のシフォンドレスをまとった美少女がミスティアに抱きついている。眉を下げて笑っている領主と、焦った様子で狼狽うろたえているヴェルク。


 親密さを感じる美少女の所作からして、初対面ではないのだろう。ではあれは一体どんな修羅場なのか。

 どう理解すればいいか、何をすべきかもわからず隣のシャイルを見あげれば、彼もまた困惑げな表情でフェリアを見返し、苦笑したのだった。



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