〈幕間〉水晶竜
大きな窓を半分覆う
弾力のある三人掛ソファの上で、彼は覚醒したての頭をぼんやりと巡らせる。いつも昼前に乱入してくる
薄織りの隙間からこぼれ落ちる陽光は繊細な水晶片のようで、部屋に舞う埃さえも美しくきらめかせる。生暖かい空気が気怠げな安閑を呼び起こし、部屋には慎ましやかな静寂が満ちていた。理性よりも、空腹感よりも、眠気が強く心を
もうひと眠りしようかな――という怠惰な欲求に身を任せ、ソファに顔を埋めたところで、バンッと景気良い音が響いた。
「サイヴァっ、ちょっとアンタいつまで寝てるの! ゼレスもユーもシェルシャもいなくて人手不足
軽く強い足音が近づいてきて、すぐ前で止まる。ゆるゆる見あげれば、
綺麗につった両目は湖面を想起させる
「ビシッ、てやられたら痛そう」
「なに寝ぼけてるの。起きて、顔洗って、執務室に来て」
「うん、わかった。なるはやで……ぐぅ」
「寝たふりするんじゃないの!」
鈴のような声に一喝され、サイヴァは渋々身体を起こすと、両手をぐっと上げて思いきり伸びをした。弾みで胃の虫がギュンと鳴き、一気に空腹感が押し寄せる。
「わかった起きるよー。でも、このままじゃ腹減りすぎて仕事なんかできないし、ご飯食べてから行く」
「もうっ、普通はお腹すいたら目が覚めない? 寝てられなくない? アンタの身体ってどうなってるの」
「わかんないよ。
「何でもいいから早く食べて手伝って」
話を振っておきながら心底どうでも良さそうに応じると、ラナーユは
特殊な能力を持つ
サイヴァの所有者はカミル国王だ。囚われていた彼を買い取ったのか、奪い取ったのかは知らないが、自分では助けられたと自覚している。
狭い
よろよろと食堂へ行き余っていたスープとパンを食べ、ふらふらと執務室へ向かう。重い扉を開けて中に入ると、王の
「何をしにきた?」
王の第一声が
「んと、……ラナが、起こしに来て、執務室行けって、人手不足だから手伝えって」
「そうか。ならば、それを片づけなさい」
「はーい」
王とラナーユで執務をこなしているのかと思いきや、
「そういえば、カミル様。
「来ないな。そろそろ、たどり着く頃合いだと思っているのだが」
「実は僕も気になってまして、昨日、例の村に行ってみたんですよ。そうしたら、驚いたことに、あの村……全く燃えてなくってですね!」
狐は何を言いたいのだろうと思いながら、サイヴァは顔を上げてカミルの様子をうかがい見た。白き王は表情を変えず、しかし
「ならば、シャイルは
「それがまさかの、ですよ?
休みなく羽根ペンを動かしていたカミルの手が、不意に止まる。一瞬ののち、彼の細い指の中でペン軸がかすかな破裂音と共に折れた。部屋の室温が一気に上がり、サイヴァは内心で縮みあがる。
話の流れはよくわからないが、サガミのもたらした情報は王の不快を
「残党の拠点はまだ見つからないのか。そこに、シャイルは連れ去られた、ということだろう?」
「ダグラ迷い森のどこかにあるのは確実なんですよ。でも僕は魔法が不得手ですので……。カミル様なら、森を
「あの森は
不穏な会話の行き先が見えず、サイヴァは眉間に力を込めて手元の書類を見つめる。
普段、サガミを執務室で見かけることはほとんどない。駆け引きが苦手なサイヴァにも、彼が
ここにゼレスがいれば上手に軌道修正するのだろうが、サイヴァには難しい。それでも一応は覚えておこうと意識を集中する。
「そうですよねぇ。では……餌を吊って誘きだし、弱そうな者を捕まえて吐かせるとかどうでしょう。あいつらの背景情報を調べあげますので、今しばらくお待ちくだされば!」
「何か算段があるのか」
「勿論です、お任せください! そうして上手く残党どもの拠点を特定できた暁には」
疑い半分、期待半分、といったふうに眉を寄せ答えを待つ王へ、サガミは甘えるような目を向け、赤い舌先で自分の唇を舐めた。
「あの村にいた、今は残党たちに加わっている綺麗な鳥の兄妹を……褒美として僕にくださいませんか?」
狂気の狐が口にしたわかりやすい魂胆に、サイヴァはつい眉をしかめる。同じ
ください、の裏に
「そうだな。……考えておこう」
「ありがとうございます! このサガミ、誠心誠意を尽くしカミル様の期待に
意外にも即断即決には至らなかった。噂の革命軍についてサイヴァはほとんど情報を持たないが、王はサガミの言動に何か思ったのかもしれない。あるいは、
政務ではない何かの作業に没頭するサガミと、新しい羽根ペンを取りだし無言で書類処理に取り掛かるカミルを、そっと観察してみたものの。元より腹芸とは縁のないサイヴァに、二人が何を考えているか読めるはずもなかった。
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