〈幕間〉水晶竜


 大きな窓を半分覆うしゃのカーテンが午後の陽射しを希釈し、織り込まれた花模様の影を床に落としていた。

 弾力のある三人掛ソファの上で、彼は覚醒したての頭をぼんやりと巡らせる。いつも昼前に乱入してくる同僚ゼレスが昨日から出張でいないため、誰にも起こされずに今の時間まで眠りこけ、昼食を食べ損なったのだと思い至った。


 薄織りの隙間からこぼれ落ちる陽光は繊細な水晶片のようで、部屋に舞う埃さえも美しくきらめかせる。生暖かい空気が気怠げな安閑を呼び起こし、部屋には慎ましやかな静寂が満ちていた。理性よりも、空腹感よりも、眠気が強く心をいざなう。

 もうひと眠りしようかな――という怠惰な欲求に身を任せ、ソファに顔を埋めたところで、バンッと景気良い音が響いた。


「サイヴァっ、ちょっとアンタいつまで寝てるの! ゼレスもユーもシェルシャもいなくて人手不足はなはだしいんだから、早く手伝ってよっ!」


 軽く強い足音が近づいてきて、すぐ前で止まる。ゆるゆる見あげれば、揺蕩たゆたいきらめく陽光をまとっていかれる女子が立っていた。彼女の名はラナーユ、医師見習いで一角獣ユニコーン獣人娘ナーウェアだ。といっても今のは蹄の音ではなく、ヒールの音だろうけれど。

 綺麗につった両目は湖面を想起させる水珠色アクアマリン。頭の両サイドで高く結われた長く滑らかな蒼髪は、まさに馬の尻尾テールのよう。などと言ったら蹴飛ばされそうだが。二本の尻尾ツインテールとはなかなか意味深い名称だな、と誰ともわからぬ名付け主のセンスに感心する。


「ビシッ、てやられたら痛そう」

「なに寝ぼけてるの。起きて、顔洗って、執務室に来て」

「うん、わかった。なるはやで……ぐぅ」

「寝たふりするんじゃないの!」


 鈴のような声に一喝され、サイヴァは渋々身体を起こすと、両手をぐっと上げて思いきり伸びをした。弾みで胃の虫がギュンと鳴き、一気に空腹感が押し寄せる。


「わかった起きるよー。でも、このままじゃ腹減りすぎて仕事なんかできないし、ご飯食べてから行く」

「もうっ、普通はお腹すいたら目が覚めない? 寝てられなくない? アンタの身体ってどうなってるの」

「わかんないよ。水晶竜クリスタルワームって眠りの部族だし」

「何でもいいから早く食べて手伝って」


 話を振っておきながら心底どうでも良さそうに応じると、ラナーユは二本の尻尾ツインテールを軽やかにひるがえして去っていった。場の緊張感が失せたと同時に眠気が襲いくるも、何とか踏みとどまって立ちあがる。空腹すぎて若干ふらつく気がした。

 魔族ジェマ水晶竜クリスタルワームは、世界中に数えるほどしかいない稀少部族らしい。世界に混乱が満ちた時代、彼らの部族は散り散りになりコミュニティは破壊された。実際サイヴァも、自分の両親は愚か同胞さえ見たことがない。

 特殊な能力を持つ水晶竜クリスタルワームの部族は、魔族ジェマでありながら囚われ、売り買いされ、現代では人権など奪われた有様で誰かに所有されているのがほとんどだという。


 サイヴァの所有者はカミル国王だ。囚われていた彼を買い取ったのか、奪い取ったのかは知らないが、自分では助けられたと自覚している。

 狭いおりため栄養状態も身体の発育も悪く、魔法以外に取り柄はないが、城に来てからは自由で穏やかな日々を過ごせており、食事も十分に与えられている。それでも体力のなさゆえすぐ寝てしまうのは、仕方のないことなのだ。

 よろよろと食堂へ行き余っていたスープとパンを食べ、ふらふらと執務室へ向かう。重い扉を開けて中に入ると、王のあかい目と狐の紺青こんじょうの目が同時にサイヴァを見た。


「何をしにきた?」


 王の第一声がいぶかしげな問いだったのは、いささせない。にやにや笑いを浮かべるサガミを不気味に思いつつ、サイヴァは口の中でこもごも返答した。


「んと、……ラナが、起こしに来て、執務室行けって、人手不足だから手伝えって」

「そうか。ならば、それを片づけなさい」

「はーい」


 王とラナーユで執務をこなしているのかと思いきや、性悪狐サガミが執務室に居座っているなら彼女は医務室だろう。サイヴァとしてもあまり近づきたくない狐だが、仕事ならば仕方ない。距離を取りつつ事務机に向かい、書類の仕分けを始める。


「そういえば、カミル様。弟君おとうとぎみは来ませんねぇ」

「来ないな。そろそろ、たどり着く頃合いだと思っているのだが」

「実は僕も気になってまして、昨日、例の村に行ってみたんですよ。そうしたら、驚いたことに、あの村……全く燃えてなくってですね!」


 狐は何を言いたいのだろうと思いながら、サイヴァは顔を上げてカミルの様子をうかがい見た。白き王は表情を変えず、しかし双眸そうぼうを鋭く細め、聞き返す。


「ならば、シャイルは翼族ザナリールの村にいるのか」

「それがまさかの、ですよ? 弟君おとうとぎみが旧ローゼインの残党と行動を共にしているのを、僕の諜報員が度々目撃しているんです! どういうことでしょうね?」


 休みなく羽根ペンを動かしていたカミルの手が、不意に止まる。一瞬ののち、彼の細い指の中でペン軸がかすかな破裂音と共に折れた。部屋の室温が一気に上がり、サイヴァは内心で縮みあがる。

 話の流れはよくわからないが、サガミのもたらした情報は王の不快をあおるものだったようだ。何かを期待するようにぎらぎらと目を輝かせる狐に、白き王は低めた声で告げた。


「残党の拠点はまだ見つからないのか。そこに、シャイルは連れ去られた、ということだろう?」

「ダグラ迷い森のどこかにあるのは確実なんですよ。でも僕は魔法が不得手ですので……。カミル様なら、森をあぶるなり精霊を絞めあげるなりして特定できないですかね? 場所さえわかれば、僕の変化へんげで内から撹乱かくらんしてやりますものを」

「あの森は妖精族セイエスたちが管理している。魔法で探れないからこそ、おまえに任せたはずだが?」


 不穏な会話の行き先が見えず、サイヴァは眉間に力を込めて手元の書類を見つめる。

 普段、サガミを執務室で見かけることはほとんどない。駆け引きが苦手なサイヴァにも、彼が天敵ゼレスのいない隙を狙い、王に何かを願い求めようとしているのはわかった。そしてそれがろくなことではないというのも。

 ここにゼレスがいれば上手に軌道修正するのだろうが、サイヴァには難しい。それでも一応は覚えておこうと意識を集中する。


「そうですよねぇ。では……餌を吊って誘きだし、弱そうな者を捕まえて吐かせるとかどうでしょう。あいつらの背景情報を調べあげますので、今しばらくお待ちくだされば!」

「何か算段があるのか」

「勿論です、お任せください! そうして上手く残党どもの拠点を特定できた暁には」


 疑い半分、期待半分、といったふうに眉を寄せ答えを待つ王へ、サガミは甘えるような目を向け、赤い舌先で自分の唇を舐めた。


「あの村にいた、今は残党たちに加わっている綺麗な鳥の兄妹を……褒美として僕にくださいませんか?」


 狂気の狐が口にしたわかりやすい魂胆に、サイヴァはつい眉をしかめる。同じ魔族ジェマといえど、彼が好む食人の習慣には馴染めない。

 ください、の裏ににじ嗜虐しぎゃく的な願望に、王は気づいただろうか。しばし黙考してから低い声で言った。


「そうだな。……考えておこう」

「ありがとうございます! このサガミ、誠心誠意を尽くしカミル様の期待にこたえて見せますので、どうぞ前向きに検討ください! ね!」


 意外にも即断即決には至らなかった。噂の革命軍についてサイヴァはほとんど情報を持たないが、王はサガミの言動に何か思ったのかもしれない。あるいは、金狼ゼレスが釘を刺していったのか……?

 政務ではない何かの作業に没頭するサガミと、新しい羽根ペンを取りだし無言で書類処理に取り掛かるカミルを、そっと観察してみたものの。元より腹芸とは縁のないサイヴァに、二人が何を考えているか読めるはずもなかった。

 



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