[2-7]金糸雀色と小さな出逢い


 昼過ぎに到着した時より潮風が強まってきたようだ。磯の香り混じる湿っぽい風が吹きつけて、フェリアの髪と翼をき乱そうとする。短いワンピースの下にショートパンツを履いていても、裾がひるがえるのは恥ずかしいものだ。

 片手でスカートを押さえようと四苦八苦していたら、くんっと軽く手を引かれた。長い前髪を同じく風に煽られているシャイルが、優しい笑顔で傍らへ引き寄せてくれる。


「衣料品店に入ろうか。ぬるい風でも、ずっと当たっていると冷えちゃうから」


 色味を宿さぬ薄灰ライトグレーの目は、フェリアを見る時いつもあたたかな感情いろを湛えている。思わず想起した深紅を胸の奥に押し込んでから、少女は頷き笑顔を返した。今でさえ過去と血縁に翻弄されて苦しんでいる彼を、これ以上悩ませたくはない。フェリア自身もまだ、伝えるべき言葉が熟していなかった。

 二人で寄り添うように移動し、大きい店を選んで中へ。軽やかなドアベルの音と共に扉が閉まると、風の圧が一気に消えて安堵した。暖かくゆったりとした店内の空気と、やわらかく穏やかなオルゴールの音色が、張り詰めていた心を溶かしてゆく。

 改めて思えば、フェリアにとってはじめての都会である。天井が高く照明の明るい店内も、壁際にびっしりと並べられた大きな棚も、パイプハンガーに吊り下げられた色とりどりの衣服も、これまで見たことがない光景だ。


「すごく綺麗ね……! 服って、職人さんに注文して仕立ててもらうんじゃないのね」


 感動をそのまま言葉にすると、シャイルは目を丸くし、それからふふっと笑った。


「ヴェルクは体格がいいから、そうかもね。ミスティアのも特注品フルオーダーっぽい。僕のは、あらかじめ決まっているデザインを組み合わせて体型補正をしてもらったんだよ」

「そうなの。じゃあここに並んでいる服も、選んだあとに補正をしてもらうの?」

「これはもうこの形で完成されているね。同じように見えるけど、サイズがいくつかあって、身体に合ったものを選べるんだ。フェリアはどんなデザインが好きかな?」


 シャイルは優しい声で丁寧に説明してくれる。都会の凄さに圧倒され、ふいに心許なくなって、フェリアは思わず彼の袖を掴んだ。村にいた頃は母が家族の衣服を仕立てていたし、砦に来てからはリーファスに頼りきりだった。自分で服を選ぶなど考えたこともなく、どのサイズが身体に合うのかもわからない。

 この色彩の海からシャイルやミスティアは好みの衣服を探しだし、身体に合うサイズを選び購入しているのだ。

 フェリアが途方もないと思う一連を何なくこなす二人は、なんて大人なのだろう。


「……ごめんなさい、シャイル。わたしにはよくわからないわ。シャイルは構わず、自分の服を買ってね」


 自分の不明をどんな言葉で伝えれば良いかわからず、羞恥に顔が熱くなってうつむいた。ヴェルクも、シャイルも、ミスティアも、領主に会うため相応ふさわしい装いを自分で選んだのに。一人だけ正装ではない姿で謁見したら、三人に恥をかかせてしまうかもしれない。領主のカーティスは、フェリアから見ても大層お洒落な人物だったので、なおさら。

 そっと肩に触れられた。うかがうように顔を挙げれば、シャイルは気分を害することもなく笑顔で答える。


「それじゃ、僕がフェリアに似合いそうなものを選んでもいい? この店、翼族ザナリール用にカスタマイズされた衣料品も置いてるようだから」

「でも、わたし、あまりお金を持ってないわ」

「僕が出すよ。特注品フルオーダーを頼めるほどお金持ちじゃないけど、ミスティアが着ていたような簡略カジュアルドレスはどうかな」


 思いがけない申し出に一瞬、思考が止まった。一瞥いちべつしただけでも高いものばかり、フェリアの手持ちでは何一つ買えそうにない。それを、シャイルに払わせるだなんて。


「そんなの悪いわ。シャイルはまだまだ必要なものもあるでしょう? 私のことは気にしないで」

「今はちゃんと給金を貰っているから大丈夫。というか、プレゼントさせて?」


 そう言われれば、断るのも悪い気がした。答えにきゅうして見あげると、シャイルは一つ頷いてからフェリアの手を引く。棚に翼のマークが掲げられた一画は翼族ザナリール専用の衣料品が置いてあるらしい。数ある衣類と棚の間をすり抜けシャイルに導かれたフェリアは、開けた視界に感嘆の声を漏らした。

 白に近いパステルカラーから、黒に近い濃色まで。吊り下げられた様々な色とデザインのワンピースは、フェリアが普段着ているものより丈が長く布地もたっぷりしている。シャイルの説明によれば、簡略カジュアルドレスというらしい。

 どうしていいか分からずシャイルに目を向ければ、彼はパイプハンガーから薄紅色のものを一つ取って、フェリアの横に掲げてくれた。


「フェリアが普段着ているのに近い色は、これかな? でもせっかく新調するなら、違った色もいいと思う。ざっと見て気になる色はあった?」


 薄紅色のドレスは赤と紫で花柄がプリントされており、美しくも上品な印象だった。けれど普段使いと同じ色に思ったほど心が惹かれず、フェリアはシャイルに促されるまま並べられた品々に目を向ける。

 青や紫、孔雀色。光沢ある大人びた色は美しかったが、着こなせる自信がない。美しく聡明なミスティアなら、ああいった色合いも似合うのだろうけれど――。


 鮮やかな色彩にまどう気分でさまよわせていた視線が、ふと縫いとめられる。パステルカラーに埋もれてひっそりと存在を主張しているクリームイエロー。もしくは金糸雀カナリア色、と呼ぶのだったか。

 青みがかったスパンコールが肩周りと裾に散りばめられ、控えめな光沢とゆったりしたドレープが美しい、フェリアから見て大人向けに見えるドレス。似合うかどうか自信はなかったが、気になる色ではあった。でもそれをどう口に出したらよいか思いつかない。

 ふいに、傍らのシャイルが動いた。手にしていた薄紅色を戻し、視線の先から金糸雀カナリア色を取る。


「フェリア、これが、気になる?」

「……すごい! シャイル、どうしてわかったの!?」

「うんー、何となく? この色、フェリアに似合うと思うよ。試着してみたら?」


 真横に掲げられ、試着の意味もわからないままこくこくと頷いた。

 楽しげなシャイルに導かれ、カーテンの下げられた小部屋へと案内される。履いていたブーツを脱いで中に入るとドレスを手渡され、カーテンがゆっくり閉められた。


「リーフに聞いたサイズだから大丈夫だと思うけど、一応、着て、確かめてみようか。僕は外で待ってるから、焦らずどうぞ」


 衣服は買う前に、試し着できるようだ。高鳴る胸を押さえつつ、ドレスの布地に指を滑らせてみる。やわらかく、すべすべしていて、しっとりと重い。ミスティアが着ていた瑠璃色のドレスに似た質感にも思える。

 うっかり破いてしまわないようにと厳粛な気持ちになりながら、フェリアはドレスの試着というものに初挑戦したのだった。




 慣れない試着は思った以上に時間が掛かり、全部が一段落した頃には外の風もだいぶ治まっていた。軽くだが身体に合わせて調整してもらい、今はシャイルが支払いをしている。入り口近くのソファで待っていたフェリアは、大きな硝子ガラス窓の向こうに気になるものを見て身を乗りだした。

 真っ先に目についたのは、深く濃い蒼髪と空色の上着パーカー。くるんと巻いたショートボブの間に魚のひれに似た耳が見え、その青年が鱗族シェルクだと気づく。背丈はシャイルと同じくらいだろうか、片手に紙の束を掴んで高い街路樹を見あげていた。

 彼の視線を追ってフェリアは気がついた。彼が手に持っているのと同じ紙が、上方の枝に引っ掛かっている。さっきの強い風にさらわれ飛ばされてしまったのだろう。

 思わず立ちあがり、軽いドアベルの音色を後に外へ出た。思いきって声をかける。


「あの、……大丈夫?」


 それほど大声ではないつもりだったが、彼はびくりと身を震わせてフェリアを振り返った。警戒色強く見開かれた目が、安堵したようになごむ。

 右腕にみどり色の腕章をつけているので、警備か軍務に就いているのかもしれない。


「さっきの風で飛ばされたんだ。残りは回収したんだけど、アイツだけ、どうしても届かなくて……もういっそ打ち落としてやろうかと思ってたとこ」

「でも、破いちゃったら大変でしょう?」

「まぁ……。コイツが街路樹じゃなきゃ、登って取るんだけど」


 街中の樹は森に比べ貧弱で、枝も払われており登るのは難しい。彼が腰ベルトに着けているのはブーメランだろうか。投げて戻る性質を利用すれば運良く成功するかもしれないが、紙が千切れる可能性のほうが高そうに思える。

 見たところ複雑に絡まっているわけでもないので、小鳥姿なら取って来れそうだ。


「わたしが、外してくるわ」


 返事を待たず、フェリアは小鳥姿に身を変じて街路樹の枝へと飛びたった。小さな足で留まるには少し太い枝だが、爪を立てて踏ん張りつつ、くちばしで書類を挟む。厚みのある材質だったので一瞬よろけたものの、何とか破かず持ち帰るのに成功した。

 人型へと戻り、茫然ぼうぜんと見ている青年へ紙を手渡す。彼は勿忘草わすれなぐさ色の目を二、三度瞬かせてから、唐突に頬を染めた。


「あぁぁありがとう! まじ助かった……! 君は――」

「フェリア!?」


 賑やかなドアベルの音が青年の台詞を掻き消し、フェリアは思わず振り返る。元から色白のシャイルがいっそう顔色を失くし、駆け寄ってくるところだった。

 鱗族シェルクの人なら大丈夫だと思ったが、どうやら心配をかけてしまったらしい。


「ごめんなさい、シャイル。この人が困っていたふうだったから、気になってしまって」


 腕章をつけているのよ、と続けようとして、青年の姿がないと気づく。辺りを見回せば、後ろ姿はもう声が届かないほど離れた場所だった。何かの仕事中で時間が押していたのかもしれない。

 首を傾げた途端、肩を抱き寄せられた。焦燥と不安と困惑がない混ぜになった瞳が、至近に迫る。


「お願いだよ、一人にならないで。人助けが駄目だとは言わないから、せめて僕を待って」

「うん、次からはそうするわ。……心配かけちゃって、本当にごめんなさい」


 不安に揺らぐ彼を支えるつもりだったのに、すっかり浮ついていた自分をフェリアは反省する。彼にこんな顔をさせたい訳ではなかったのだ。砦の外は、フェリア自身が想像するより危険が多いのかもしれない。

 シャイルは深く安堵の息を吐きだしてから、いつものように優しく微笑んでくれた。細いけれど骨張った指がそっとフェリアの手を握る。


「君は本当に優しくて、僕はそういうフェリアが好きだから。謝らなくてもいいんだ。ただ、僕に君を守らせて」

「……ありがとう」


 慰め支えるつもりが、どこかで逆転してしまった。それでも、しぼみかけていた心と翼にふわりと温かな風が吹き込まれたようで、鼓動が熱を帯びてゆく。

 彼は記憶を取り戻しても離れていったりしないと、今なら信じられる気がした。




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