[2-4]オルタンシア商会


 居合わせた通行人は不意に出現した大柄男性を見て驚いたようだが、険を帯びた表情はすぐにほころんだ。

 身なりの良い若者の右肩に胸を張って留まるラベンダー色の小鳥と、ぴったり寄り添う空色の小鳥。左の肩には薔薇ばら色の蝙蝠こうもりまでいる。奇妙な一行ではあるが、彼の目には微笑ましい光景として映ったようだ。

 だからといって話しかけてくるわけでもなく、足早に通り過ぎてゆくのは都会らしい。

 時刻は昼を少し過ぎた頃、通りを歩く人影はまばらだ。辺りを見回すヴェルクの耳元にシャイルが小声で耳打ちする。


「領主邸へは、表通りにある『オルタンシア商会』の案内を見て行けばいいよ」

「わかった。領主なのに、商会なのか」


 最初聞いた時には、シャイルも同じように思ったものだ。今の領主がどういった経緯で港湾こうわん都市を任されるようになったかは知らないが、彼は元々、商家の出だと聞いている。

 今はノーザン国の主要港として扱われる港湾都市ノスフェーラも、百年ほど以前は独立国家だったという。この地域に人間族フェルヴァー獣人族ナーウェアが多く住んでいるのも、アセーナ湾に鱗族シェルクの大きな集落があるのも、この地を任された領主が他種族を尊重する人物だからだ。しかしまさか、革命軍の協力者だとは。

 革命軍のリーダーであるヴェルクや翼族ザナリールの二人はともかく、ノーザン国王の弟たるシャイルが顔を合わせるのはどうなのか。あれこれ考えれば不安が募ってきて、シャイルは隠れるように襟の裏側へしがみついた。表通りに出たヴェルクは迷わず歩いている。時折りミスティアが、道を教えているようだ。


 森の清涼な湿度と違う、潮の香をはらんだぬるい風は、シャイルにとって懐かしくもある。長く住んでいたバルクスも海に面した交易都市だったので、朝方と夕方に海上からの強い風が独特な香りを運んできたものだ。

 もう帰ることはないと思えば、匂い一つにも郷愁を感じるものらしい。ヴェルクの肩で揺られながらつらつらと物思いにふけっていたのは、時間にして半刻ほど。前方に見慣れた建物が迫ってきた。

 オルタンシア商会は白煉瓦しろれんが造りの上品な商社で、ざっと見た印象では三階建てだろうか。深緑色アイヴィグリーンに塗られた大きな門扉の前に衛兵が屹立きつりつしていたが、門自体は開放されている。舗装された道が庭を横断し、建物の玄関まで続いていた。

 周囲に誰もいないのを確認し、シャイルは肩から降りて人型へと戻る。続いてミスティアが人型になるが、フェリアは小鳥のままシャイルの肩に飛び移ってきた。


「わたし、シャイルのポケットに入るの」

「そうなの? もう人に戻っても大丈夫だと思うよ」

「だめ?」

「駄目じゃないけど」


 少女がかたくななので、仕方ない。シャイルが肩の側へてのひらをかざすと、空色の小鳥がちょんと飛び乗った。なるべくゆっくり手を傾け胸ポケットへ滑らせれば、鳥姿の少女はポケットの奥へ潜り込んでゆく。領主にどう思われるか不安はあるが、本人が安心できる状態が一番だろう。

 心配そうに見上げてくるミスティアと難しい顔をしているヴェルクへ、シャイルは頷いてみせた。上衣はしっかりした仕立てでポケットも大きく、息苦しいことはないだろうが、できるだけ慎重に動かねばならない。

 互いに同じ思慮を確認してから、三人は領主に会うため衛兵に近づくことにした。





 港湾都市を訪れることがあるならと、前リーダーは紹介状を書き置いてくれたという。商社の受付窓口のような玄関で紹介状を見せれば、驚くほどスムースに応接室へと通され、紅茶と菓子を出された。領主に謁見するはずが商談でも始まりそうな雰囲気だ。

 緊張で乾く喉を温かな紅茶で潤し待っていると、扉が開き長身の人物が入って来た。急いで立ちあがり、姿勢を正す。示し合わせていたわけではないが、ヴェルクもミスティアも同じようにして領主を迎えた。


「おや、そんなかしこまらなくても、楽にしておいで」


 低く滑らかな、優しい声音が三人をいたわる。入ってきた領主は、ゆるく波うつ紺碧こんぺきの髪を薄紫ライラック色のリボンでまとめた、蒼天のような色の双眸そうぼうを持つ男性だった。どこか性別を超越した美貌は魔族ジェマらしいが、口元には柔和な微笑みをたたえている。外見での年齢はつかみがたく、ヴェルクより歳上のようにも、同じくらいにも思えた。

 三人三様の緊張が部屋に張り詰める。薄灰紫ヒースグレイと黒の長衣を纏った領主は、黒い手袋をはめた手を胸元へ優雅に添え、笑みを深めて言った。


「はじめまして。私はカーティス=オルタンシア。ここオルタンシア商会の社長であり、港湾都市ノスフェーラの領主でもあるよ。ようこそ、ヴェルク、直に会えて光栄だ」

「こちらこそ、謁見を今まで先延ばしにして申し訳なかった。改めまして。俺はヴェルク=ザレイア。ティトゥス=ザレイアの血を継ぐ者で、ローゼイン国王家最後の後胤こういんでもある。こちらの二人は――」

「シャイル、と申します。魔族ジェマですが、今はヴェルクの世話になっています」

「ぼくはミスティア=ローライド、ローウェルの妹です。兄がいつもお世話になっています」


 ヴェルクに促され、シャイルとミスティアも自己紹介を重ねる。領主は目元をなごませてシャイルを見、それから相好そうごうを崩してミスティアのほうへと歩み寄った。流れるような仕草で手袋に包まれた手を延べ、彼女の白い手を取る。


「君のことはローウェルからよく聞いているよ。聡明そうめいで身軽で、狩りの得意な妹だとね。ようこそ、ミスティア。私のことはもう一人の兄か、いっそ父親とでも――」

「おいっ」


 きょとんと見返すミスティアとぐいぐい距離を詰める領主、両者の間にヴェルクが割り込んだ。大きな体で領主を押し戻すと、驚いているミスティアを背にかばう。前髪の間から覗く紫色の目には剣呑な光が揺れていた。

 そこそこ失礼なヴェルクの態度に気分を害した様子はなく、カーティス=オルタンシアは楽しげに笑う。


「ふふ、そんな警戒しないでおくれよ。私はこの通り、子供を持てない体質でね。元は翼族ザナリールで、当時の記憶も残っていたりするから、翼族ザナリールの子たちを見ると懐かしくなって構いたくなるんだ」

「あんた、……吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマなのか。しかも、覚えてるほうの」

「そうだよ。まぁでも、大丈夫だ。私自身は強制的にわされることもなく、むしろ魔族ジェマの優位性を利用してここまで上り詰めた口だからね。兄や父は冗談としても、この立場を利用して君たちを援護する心算はあるよ」


 なまめかしくもやわらかい、心をとろかす笑みをいて、カーティスは右の手袋を外し手を見せた。指先に鋭く光る爪は、彼がシャイルと同じ吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマであることを示している。しかし、そうだとしたら、彼の発言には気になる点が多すぎた。


「子供を持てない、って……? 元は、って、どういうことですか」

「どういうことって、そのままの意味だけれど。ああ、君はほうか」


 思わずシャイルの口をついた言葉に、ヴェルクがしまったというふうに眉を寄せた。カーティスは察したような表情で手袋をはめ直し、手でソファに座るよう促す。

 心配そうに覗き込んでくるミスティアを見れば、隠れているフェリアを思いだした。声を荒げたりひどく動揺したりすれば、臆病な彼女はもう二度とポケットに入ってくれないかもしれない。それは、何となく、嫌だなと思う。

 今の流れでおおよその推察はできた。そう考えれば、拾われたときにリーファスやフェリアがひどく同情的だったのも、ガフティ隊長が気に掛けてくれた理由も、納得できるというものだ。あるいはあの幼い記憶すら、真実である可能性も――。

 心を落ち着けてソファに座る。隣にヴェルクが、彼の隣にミスティアが座った。胸ポケットの中にモゾモゾと動くぬくもりを感じ、心臓が焦ったように高鳴る。大丈夫、今なら大丈夫だと、自分に言い聞かせた。


「申し訳ありません、取り乱しました。実は僕、幼少時はエレーオル国の施設で育ちまして。いま話題に上った情報を、知らずに来たものですから」

「シャイル、無理に聞かなくてもいいんだぜ」


 気遣うように隣で尋ねるヴェルクへ、シャイルは笑顔を向ける。覚悟はできたのだ、と伝えるために。


「大丈夫、僕は。でも、フェリアがつらいなら、今ここでこの話はやめようと思うけど」

「わたしは平気よ。シャイル、あなたが良いようにして」


 囁くようなフェリアの声はカーティスにも届いただろうが、彼はそこには言及しないでくれた。向かい側のソファに腰を下ろした彼がまっすぐこちらへ視線を向ける。群青色の双眸からは吸血鬼ヴァンパイア特有の魔力を感じたが、瞳は澄み切っていた。彼自身が言うとおり人をべてはいないのだろう。

 言葉を選ぶように紅茶を一口含んでから、カーティスは静かな声音で事実を告げた。


魔族ジェマの、吸血鬼ヴァンパイアの部族は、性行為によって子をなすことができないんだよ。代わりに、らった相手を吸血鬼ヴァンパイアに変える能力を持つ。そして幼少期に子供は多くの場合、以前の記憶を失うとされている。シャイル、君はおそらく子供の頃、誰かによってのだろうね」




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