〈番外編〉水底から、すくわれて。

※KAC2022で書いたユーリス視点の掌編です。内容に変更はありませんので、既読の方は読み飛ばしても大丈夫です。未読の方は背景情報としてお楽しみください。


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 今日は母の命日だった。


 集落の共同墓地に入れてもらえなかった母の墓は、集落の敷地を外れた森にある。ずっと前に亡くなった父の墓と寄り添うようにして、白木の墓標が立てられていた。

 携えてきた花を置き、無言で祈りを捧げる。父が亡くなったのはもうずっと昔のことで、当時まだ幼子だった俺にはぼんやりした思い出しか残っていない。


 優しい人だったと、母は常々言っていた。

 母の両親も、村の同胞たちも、誰ひとり賛成しない結婚だったのだという。むしろ反対され、結婚した後でさえあの手この手で連れ戻そうと干渉されたそうだ。結果は……言うまでもないだろう。

 物心がついた頃には父はすでに亡く、母は連れ戻された故郷の村で片隅に住まわせられ、女手一つで俺を育てた。何度も、俺を捨てろと圧力を掛けられたという。再婚を勧める者もいた――俺でも覚えているくらい、村の人たちの圧力はあからさまだった。


 母は、最期までめげなかった。

 親戚も同郷の者たちもうとんだ俺を母は愛していた。亡くなった父以外の誰とも結婚はしないと決意して、最期まで貫いた。不遇な扱いを耐えて俺を育て、過労で弱ったところに病を得て、誰にも顧みられず亡くなるまでずっと。


 鱗族シェルクの集落は水底にあるけれど、葬儀は地上で行なう。死した魂が正しく転生するために、身体が残っていてはいけないからだ。儀式めいた火葬ののち、遺骨と遺灰は地上に埋葬される。そうして魂は迷わず、地奥にすまう大地の精霊王の元へゆけるのだ。

 さすがに葬儀まで放棄する気にはならなかったか、それとも病の伝染を恐れたのか。親戚たちは形式上は正しく、母を送ってくれた。けれど集落の共同墓地に入れることは許されなかった。まあ、期待もしていなかったけど。


 母と一緒によく来ていたから、父の墓地がある場所はよく知っている。

 母だって、自分と愛する人をみ続けた同郷の者たちより、愛した父と一緒に眠るほうがいいに決まってる。親戚たちは俺が頭を下げて頼み込むことを期待していたんだろうけど、俺としても大切な両親を嫌いな奴らに預けるつもりなんてなかった。

 水底に住む鱗族シェルクたちにとって、森は未知だ。野獣もいるし魔物も出るし、そうでなくとも森の道は迷いやすい。でも、俺にとって森は親しみを感じる場所だった。骨と灰だけになってしまった母を埋葬するのに、それほど労力は必要ない。


 父に寄り添うよう墓標を立てて務めを果たしたら、一気に悲しみが込み上げてきた。しばらく俺はその場で、声を上げて泣いたと思う。泣きながら先のことを考えたけれど、結論は出なかった。

 俺にとって集落は故郷でも何でもなく、だから出て行くことに躊躇ためらいもなかったけれど、排斥され続けてきた母や俺には路銀にできる蓄えもなかった。森で暮らすほどの技能はなく、頼れる場所もなく。集落を出たら、両親の墓を顧みる者もいなくなってしまう。

 選択肢のない閉塞へいそくした状況の中、俺は迷いながらもずっと、ひっそりと、集落の片隅に住み続けていたのだった。


 俺が押し出されるように運命の岐路きろへ足を踏み入れたのが、母の命日だったこと。

 それは、両親ののこした想いに導かれた精霊の奇跡だったのかもしれない。





 家に戻ると、いつも閑散としている自宅の周りに人が集っていた。不審に思うも、他に行く場所もない。

 俺が帰ってきたのに気づいた村人たちが寄ってきて、俺を取り囲む。にやにや笑いを浮かべながら進み出たのは、おさの息子だった。


「待ってたぜ、ユーリス。おまえ、その汚らわしい身体を村のために役立てろ」


 俺の身体は鱗族シェルクだけれど、俺は半分混ざりものだ……と村人たちは思っている。

 世界のことわりにより異種族婚であっても混血は産まれないというのに、俺の父が魔族ジェマだったから半分は魔族ジェマの血だと奴らは本気で信じているらしい。

 こんな狭い湖の底に住み、地上を恐れて出て行こうともしない彼らは、無知で蒙昧もうまいだ。魔族ジェマだろうと鱗族シェルクだろうと、善良な者も悪辣あくらつな者もいるというのに。そう、今俺の前でほくそ笑んでいるこいつらのように。


「何のつもりか知らないけど、断る。俺に構うな」

「おまえ、そんなことが言える立場か? 半分しかない集落ウチとの縁で情けをかけられて、置いてもらっているくせに」

「……煩いな。じゃ、聞くけど、俺に何させようっていうわけ?」


 言い返そうと、何を見せようと、今さら奴らの俺に対する認識はくつがえらない。非難も嫌悪も慣れたものだ。それより、彼らが何を考えているかのほうが重要だった。

 殊勝になったと見えたのか、単に急いでいただけか。

 おさの息子は勿体もったいぶるようなことはしなかった。得意げなにやにや笑いが、侮蔑ぶべつの笑みに変わってゆく。


「おまえは、にえに選ばれたんだよ。父さんが魔王と交渉して、集落から一人を差し出すなら、向こう三年は手を出さないって契約を取りつけてきたんだ。おまえが魔王の元に行けば、集落の全員が安全に暮らせるんだぜ!」


 言葉の内容を理解するまで、俺ですら時間を要した。魔王というのは、ここの湖を含めた国土を治めるノーザンの国王のことだろう。人いの魔族ジェマで、吸血鬼ヴァンパイア。冷酷無慈悲で非常に強いという噂の。

 魔族ジェマは他種族をらって力を得るらしい。差し出すというのはつまり、べられるために連れてゆかれるということだ。

 どんな目に遭わされるかは想像も及ばないけれど、間違いなく殺される。冗談じゃない。

 同意した覚えもないのに、勝手に命の行方を決められるなんて、真っ平だ。


「ふざけんな! なんで俺が、母さんを苦しめて見捨てたおまえらのためにえにならなきゃいけないんだよ!」

「何だと! 魔族ジェマに囚われてたおまえたちを連れ戻して世話してやった恩を忘れたってのか!」

「誰が頼んだよ!? おまえらの偽善を押しつけておいて、今度はおまえらのために死ねって? 絶対に嫌だ!」


 取り押さえようと囲みを狭める奴らに氷の魔法をぶつけて、逃れようとした。

 どんなに理不尽な扱いをされようと我慢してきたのは、生きのびるためだ。狩人の腕と魔法の技術を今より磨けば、ここを出たって生きていけるから。

 魔族ジェマに売られて、殺されて、われるためじゃない。


 水底から出ず安穏と暮らしていた奴らに、負ける気はしなかった。魔法を乱打し絡みつく手を振り切って、俺は地上を目指そうと、――不意に背中から鋭い衝撃が突き抜けた。

 何かが胃から喉にせり上がり、口からあふれる。眼前の水が不透明に赤く染まってゆく。視線を落とし、俺は信じられない光景に言葉を失って、絶望した。


 鳩尾から突き出しているのは鋭いやじりだった。魚を獲るときに使われる細く鋭いもりが、俺の背中から胴を貫通している。

 信じられない。

 貢ぐつもりのにえを傷物にするなんて、普通、あり得ないだろ…………。


 傷口から水中にあふれて溶けこむ血液とともに、俺の体温も意識もあっという間に低下して。そのまま、全部が、暗転した。





 どこかから、声が聞こえる。一瞬、母さんが歌ってるのかと思ったけど、そんなはずはない。無意識に瞬いて、その感覚にまだ身体があると気づく。

 痛みも、息苦しさもなく、俺は白くて清潔なシーツと柔らかな枕に埋もれていた。


「痛みはあるか」


 無表情な声に問われ、思わず首を動かして出所を探す。ゆっくり視界を巡らせて、目に入った人物に息を飲んだ。

 長く伸ばした白髪はくはつ、血色の双眸そうぼう。初対面でも知っている。集落の者たちが魔王と呼んでいたノーザン国王、カミル=シャドールその人だ。つまり自分は意識のない間に引き渡されたのだろう。でも、なぜ。


 痛みはこれっぽっちも残っていないのに何と口をきいたものか思いつかなくて、じっと固まっていると、国王は眉間に浅いしわを刻み、首を傾げた。

 簡素なシャツに白衣を羽織り、ペンを手にしている。これでは、魔王というより――、


「痛みはあるか、と聞いている」

「……っあ、いえ。今はもう全然!」

「そうか。ならば問題ないな」


 バインダーに挟んだ紙へ何かを書きつけている様子は、魔王というより国王というより、地上でよく見た街医者のようだった。

 それで、気づく。串刺しされたはずの腹に傷跡すら残っていない、ということを。


「あ、あのっ! カミル国王様……ですよね?」

「そうだが。ああ、疑問は把握している。おまえはべずに、そばに置くことにした」

「えっ、……なんで?」


 何を言われたのだろう。もっと健康にしてから食べるとか、そういうことだろうか。

 大量の血を失ったせいで、痛みはなくても思考がふわふわしていて、定まらない。だからなのか口をついて出た言葉は端的で。

 医者のような魔王様はにこりとも笑わず、俺を一瞥いちべつし小さくため息をついたようだった。


「覚えていないのか。……まあ、いい。おまえが、私に助けを哀願したのだ」


 かすかに覚えているような気もするし、夢だったようにも思える。それでも確かなことがあった。

 この人は、同胞と呼ばれる者たちが疎んで摘み取ろうとした俺の命を、惜しんでくれた。生きたいという願いを、聞き入れてくれたのだ。

 自覚が胸を震わせ、喉が詰まって涙があふれる。


 医者みたいな魔王様は、優しい言葉などくれなかった。俺の涙を拭うことも、ハンカチを差し出すこともしなかった。

 けれど、俺が泣きつかれて寝落ちるまでずっと、隣にいてくれた。





 俺が、あの集落が滅ぼされたという事実を聞いたのは、ずいぶん後になってからだ。

 世間では、ノーザン国王の狂気的な殺戮さつりくの一例として知られているらしい。事実、そのさまは筆舌に尽くし難いほどむごいものだったとか。

 それでも俺は、俺だけは、あの集落で何が起きたかを知っている。


 俺を救ったのは人間族フェルヴァーの革命軍でも、同胞と言われる鱗族シェルクたちでもなかった。

 カミル様が俺にとっての、俺だけの救世主ヒーローなんだ。


 誰ひとりとして、世界中のすべてが認めようとしないとしても。

 俺は一生涯、この想いをひるがえしはしない。


 


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