Mission2〈アセーナ湾海賊討伐作戦〉
[2-1]医師の依頼と少女の願い
温暖湿潤なダグラ森にはよく雨が降る。昨夜から続く
砦の偵察隊によって保護された
小雨と霧が立ち込める中で何とか火葬を行ない、砦近くの共同墓地に埋葬したのが今朝早く。全滅した集落は山間の湖底にあったというが、ノーザン国内なので確かめに行くのは難しい。ルエル村のように助けになりたくとも、望みの薄い現場へ誰かを派遣できるほどには人員も戦力もないのが現状だった。
「ヴェルクは、アセーナ湾の
珍しく食堂でリーファスと遭遇したので、一緒のテーブルについた。朝から真っ赤なスープが出てきてびっくりしたが――
温かい物で喉が潤ったので、詰まっていた声も溶けだした。わずかに
「襲われたのは内陸の集落じゃなかったっけ?」
「ノーザン国内にある
穏健派、つまり、人
「陸上からの手が及ばない場所、外海とかに、移住することはできないのかな」
「
「そっか、……そうだよね」
リーファスの指摘に改めて、生存できることと生活できることとは同じでない、と気づかされる。確かに地上のどこにでも空気と水はあるが、快適な生活にはもっとずっと多くのものが必要なのだ。
シャイルも以前は都会に住んでいた。家を追われてからが慌ただしすぎて、砦の生活を不便だと思う余裕もなかったが、ここに集った者たちは街での快適な生活を捨ててまで、戦いに身を置いているのだと実感する。
「詳しい話を聞ければ良かったけど、俺が
赤紫色の汁を最後の一滴まで飲み干してから、リーファスはそう言って微笑んだ。
「ヴェルクが、アセーナ湾に行きたがっているの?」
「うん。本人は、絶対に言わないけど。シャイルはアセーナ湾か漁港、もしくは港湾都市ノスフェーラに行ったことはあるのかな?」
「ノスフェーラなら、エレーオル国に住んでいた時に仕事で立ち寄ったけど……。育った施設で貰った身分証は襲撃で焼けちゃったから、国境の検問を抜けられるかわからないよ」
アセーナ湾の
以前仕事のため訪れた時には、エレーオル国民としての身分証を提示し滞在を許可してもらったのだが、今のシャイルは身分証どころか私物の一切を失っている。身元が保証されない
だが、リーファスはシャイルの答えに満足したようだった。にこにこと笑顔で席を立ち、シャイルの隣に来て顔を寄せる。そして、声をひそめるように耳元で囁いた。
「ノスフェーラの領主は
「えっ、ああ、そういうことか」
砦からアセーナ湾までは山岳地帯の
リーファスは頷き、双眸を細めて言い加えた。
「砦の留守はガフティと俺が預かるから、ヴェルクを港湾都市へ連れていってくれないかな。アセーナ湾に住む
「わかった。食事のあとヴェルクと話してみるよ」
不謹慎ながら、彼の過去につながる話に興味を覚えたのもあり。しかしやはり一番の動機は、ヴェルクの役に立ちたいということだ。二つ返事で引き受けたシャイルは、深皿に残っていた赤紫色のスープを急いで喉の奥に流し込んだ。
食堂を出て、二階にある事務室へ向かおうとしたところで呼び止められる。聞き違えようもない可憐な声は、朝から厨房にこもっていたはずのフェリアだ。急いで追ってきたのか、呼吸に合わせて肩と翼が大きく上下している。
「どうしたの、フェリア」
「あの、シャイル、さっきリーフと……アセーナ湾に行くお話をしていたでしょう?」
「そうだけど、まだ行くとは決まってないよ」
少女はゆっくり息を整えてから、胸の前で両手をぎゅっと握り合わせ、
秋風のような不安がシャイルの心をざわつかせる。フェリアは何度か息を飲んでから、思い切るように強く、訴えた。
「わたしも連れていってほしいの。
「ちょっと、待って。フェリア、まだ行くと決まったわけではないよ?」
いつもにこにこふわふわしている彼女の、意外な一面だった。見るべきでないものを見てしまったような動揺に波立つ心を抑えつつ、シャイルが
「ええ、わかってるわ。今からヴェルクにお話にいくのでしょ? わたしも一緒に行くわ」
「それは……うん、僕が判断できることではないし、ヴェルクに直接話すのがいいとは思うけど」
どうしたの、という意味を込めてシャイルは一歩踏みだし、彼女の両手を自分の手でそっと包み込む。フェリアは大きな空色の両目を一瞬潤ませ、瞬かせた。蒼天に似た透明感ある瞳に映る自分がはっきり見えるほどに、シャイルと彼女の距離は近い。
少女が何を思い詰めているのかわからなくても、力になりたいと思う。シャイルにとってフェリアの存在は特別なものになりつつあったから。
「シャイル、あのね。わたし……歌いびとの聖域に、祈りを捧げたくって」
「歌いびとの、聖域?」
耳慣れない名称に思わず
「魔法の歌を人に与えた
それはフェリアの口から初めて語られた、彼女の過去にまつわる話だった。胸をつかれ、次いで愛おしさがあふれて、シャイルは頷く。
「うん、わかった。フェリアも一緒に行けるよう、僕からもヴェルクに話してみるよ」
「本当! 嬉しいわ、ありがとうシャイル!」
翼の少女が嬉しそうにはにかみ笑ったので、シャイルの胸にも温かな感情が広がる。
しかしこの時のシャイルは、彼女の過去が自分自身の運命とどれだけ複雑に絡み合っているかを、十分には知らなかったのだ。
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