[NC-2]ノーザン国王城にて
城へ戻るなり研究室にこもった主君の行動に、留守を預かっていた金狼のゼレスは途方に暮れたのだろう。
国王に言いつかって衣服を取りに行く途中、シェルシャは彼に呼びとめられた。
「シェルシャ、大将はどうしたんだよ。これ以上は俺の権限で処理できねぇんだけど」
「カミル様は
カミルの見立てをそのまま伝えれば、金狼は絶句した後、眉間に皺を刻み込んで溜息をついた。
「なら、狐の野郎は?」
「制裁という名の狩り……? カミル様が、後は好きにしろって言ったから」
「マジかよ。わかった、嫌なこと思い出させて悪かったな」
別に、そう思ったが、口にはしない。ゼレスは
シェルシャにも、彼がこれからしようとしていることはわかった。狐の登城を待ち、問い質して状況を確かめてから、自分の部下を連れて後始末にゆくのだ。遺体を集め、火葬をし、埋葬をする。名も知らぬ他人の葬送など作業に過ぎないだろうに、彼はいつも最後まで手を抜かないのだった。
そもそも身内以外の運命に無関心なカミル、他種族を獲物か玩具としか見ないサガミ、主にこの二人が成す
とそこまで考えて、大事なことを思いだす。
「ゼレス、僕は彼に着せる寝間着を取りに行くから、研究室に行ってくれる?」
「研究室? 俺は医療技術なんて持ってねぇから大将の手伝いもできねぇぞ?」
「ううん。彼、本当に身一つで、服もないから……調達してあげないと、困るんじゃないかって」
「……ああ、なるほど。サイズ確認か」
しかし、彼を引き渡した者たちは彼の持ち物を何一つ持ってこなかった。自分たちはきちんとした服を着ていたのに、である。
立ち去ろうとしていたゼレスが方向を変え王の研究室へ向かうのを確認してから、シェルシャも自分の用事を果たすために使用人室へと向かう。
前開きのゆったりした寝間着上下と薄手のガウンを女官から受けとるのに、思ったより手間取ってしまい、シェルシャが戻った頃はもうゼレスは部屋にいなかった。行動の早い彼のことだから、今日中に衣服を一揃いと身の回りの品を調達し、彼が目覚めても不自由ないようにするだろう。
「シェルシャ? もう終わったから、入っていいよ」
相変わらずの神速である。そっと覗き見れば、
水中で暮らす
どうしたものかとカミルに視線を向ければ、ベッド脇の椅子に深く座していた白衣の王はこちらを
「着替えはそこに置いておけ。ユーリスに暗示を掛けて、人の姿にならせた。体内の精霊力が安定するまでは動かさないほうがいい」
「はい」
「私は疲れた。少し寝る。万が一、目を覚ますことがあれば、起こせ」
「ちょっと、カミル様! 寝る前に何か食べたほうがいいと思うの! シェルシャ、ゼレスもすぐ戻ると思うから少し様子見てて」
立ち上がって去ろうとする王に、少女が追いすがる。
王も異議は唱えず、しかし白衣の袖を引く少女に面倒くさそうな目を向けた。
「食事など要らぬ。私は寝る」
「駄目ですっ」
おまえは私を誰だと思っている、とか何とか言い合いながら押されていく主君を見送り、シェルシャは先ほどカミルが座っていた椅子に腰を掛けて、両腕で膝を抱える。
眠る
すぅと息を吸い、目を閉じて、囁くように子守唄を口にする。魔力を乗せた歌を紡ぐのは実に久しぶりだったが、案外すんなりと声が出るものだ。薄目を開けて確認すると、ユーリスの表情は少し和らいでいるように見えた。
――あなたの声って、
空色の目を輝かせて微笑む姿を、シェルシャは今も忘れていない。彼女が自分の歌を愛してくれたから、彼は歌で生きると決めたのだった。疲弊した心を癒し、悲しみに寄り添い、悪夢からすくい上げる。シェルシャの声にそういう力があると彼女は信じていたし、シェルシャ自身もそうだと思っている。
ユーリスが辿ってきた半生は知らないが、迫害されてきたのは間違いない。この城で、カミルの下で暮らすことでましになるとは言い切れないが、どのみち彼にはもう帰る場所がないのだ。せめて眠る間だけでも心を安らげるようにと祈りながら、シェルシャは金狼が戻って来るまでしばらくの間、魔力を乗せて歌い続けた。
しばらくして戻ってきたゼレスが、裸の彼に服を着せ、ベッドに横たえて保温をし直してくれたのだった。
彼が目覚めたのはカミルが診察していた時だった。体内の血量も回復し、乱れていた精霊力も正常になって、体内外の傷もすっかりふさがりはしたが、それでも意識が戻らず死亡する者は少なくない。魂が負った傷に対し人ができることには限りがあるのだ。
瞼を上げたユーリスを見てカミルは安堵しただろうに、口から出る言葉は相変わらず素っ気ないもので。
「痛みはあるか」
起きたばかりで状況も把握できていないだろう彼は、
「痛みはあるか、と聞いている」
「……いえ。今はもう全然!」
「そうか。ならば問題ないな」
ユーリスの表情に見られるのは困惑と混乱であり、怯えや憎悪の感情を抱いていないことにシェルシャは少しだけ安心する。
狩られる側である他種族が
「カミル国王様……ですよね?」
自分が丁寧に治療されていることに気づき、ユーリスの混乱も徐々に収まってきたのだろう。臆せず話しかける姿勢は、王が好むものだ。案の定、カミルの横顔はいつになく穏やかだった。
「そうだが。ああ、疑問は
「えっ、……なんで?」
「覚えていないのか。……まあ、いい。おまえが、私に助けを哀願したのだ」
何を言われたかわからない、というふうに、青年は言葉を失った。
ややあって、彼の
泣いた者を慰める方法など、この白き魔王が知ってるはずもない。戸惑うように沈黙したまま、王は彼が泣き疲れて眠るまで隣に付き添っていた。
† † †
数日後、城に届けられた報せを聞いてゼレスは、頭を抱え執務机に突っ伏した。
ノーザン国の主要港に海賊たちが居座ったのだという。有人無人大小様々な群島を
国家として、港の主導権を狼藉者に奪われたままにするわけにもいかず、早急な解決が必要だった。
いくら魔法の才能や技量に優れていても、人は自分の反属性となる魔法は使えない。カミルの属性は炎であり、水系統は反属性となってしまう。つまり湾内では王の魔法に頼ることができず、先日の一件があるため
ゼレスが出向くのは確定として、誰をともなうか。
執務室で悩む金狼の元を訪れたのは、ようやく回復したばかりの
俺がいきます。連れて行ってください。――と。
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