[NC-2]ノーザン国王城にて


 城へ戻るなり研究室にこもった主君の行動に、留守を預かっていた金狼のゼレスは途方に暮れたのだろう。

 国王に言いつかって衣服を取りに行く途中、シェルシャは彼に呼びとめられた。精悍せいかんながらも野趣やしゅのある顔に困惑の表情いろを貼りつけて、金狼は問う。


「シェルシャ、大将はどうしたんだよ。これ以上は俺の権限で処理できねぇんだけど」

「カミル様は鱗族シェルクのひとを手術してる。漁用のもりで鳩尾を刺されたあと、手当てもなく治癒魔法をかけられたみたいだよ」


 カミルの見立てをそのまま伝えれば、金狼は絶句した後、眉間に皺を刻み込んで溜息をついた。


「なら、狐の野郎は?」

「制裁という名の狩り……? カミル様が、後は好きにしろって言ったから」

「マジかよ。わかった、嫌なこと思い出させて悪かったな」


 別に、そう思ったが、口にはしない。ゼレスは大凡おおよその状況を察したようだった。痛ましそうに表情を歪めたまま、それ以上は聞かずにきびすを返す。

 シェルシャにも、彼がこれからしようとしていることはわかった。狐の登城を待ち、問い質して状況を確かめてから、自分の部下を連れて後始末にゆくのだ。遺体を集め、火葬をし、埋葬をする。名も知らぬ他人の葬送など作業に過ぎないだろうに、彼はいつも最後まで手を抜かないのだった。

 そもそも身内以外の運命に無関心なカミル、他種族を獲物か玩具としか見ないサガミ、主にこの二人が成す殺戮さつりくの跡を、文句を言いつつも始末するのはいつも彼だ。彼自身も人いの魔族ジェマだろうに――その心理は、翼族ザナリールであるシェルシャにうかがい知ることはできない。

 とそこまで考えて、大事なことを思いだす。


「ゼレス、僕は彼に着せる寝間着を取りに行くから、研究室に行ってくれる?」

「研究室? 俺は医療技術なんて持ってねぇから大将の手伝いもできねぇぞ?」

「ううん。彼、本当に身一つで、服もないから……調達してあげないと、困るんじゃないかって」

「……ああ、なるほど。サイズ確認か」


 鱗族シェルクには服を着る習慣がない。とはいえ、それは水中でのことだ。彼らは制限なく尾を二本の脚に変化できるし、地上で衣服が必要になることも知っている。地上に出る時のため、少なくとも一揃いは服を持っているはずなのだ。

 しかし、彼を引き渡した者たちは彼の持ち物を何一つ持ってこなかった。自分たちはきちんとした服を着ていたのに、である。べさせる前提で引き渡したとすれば、それは明らかな暴力だ。――カミルはそれを察し、いきどおったのだろう。

 立ち去ろうとしていたゼレスが方向を変え王の研究室へ向かうのを確認してから、シェルシャも自分の用事を果たすために使用人室へと向かう。


 前開きのゆったりした寝間着上下と薄手のガウンを女官から受けとるのに、思ったより手間取ってしまい、シェルシャが戻った頃はもうゼレスは部屋にいなかった。行動の早い彼のことだから、今日中に衣服を一揃いと身の回りの品を調達し、彼が目覚めても不自由ないようにするだろう。

 衝立ついたての向こうをうかがい見れば、白衣の王ともう一人、小柄な姿が見える。あお色の髪がちらりと見えたので、彼女は一角獣ユニコーン獣人族ナーウェア、ラナーユだろう。まだ年若いがしっかりした、医者見習いの少女だ。の葉に似た蒼色の獣耳が音を聞きつけてぱたりと動く。


「シェルシャ? もう終わったから、入っていいよ」


 相変わらずの神速である。そっと覗き見れば、鱗族シェルクの青年は手術台からベッドへと移されていた。痩身だとはいえ、カミルとラナーユに大人の男性を動かす腕力があるとは思えないので、ゼレスが移動させたのかもしれない。

 水中で暮らす鱗族シェルクは、他の種族に比べ基礎体温が低めだという。それでも失血により生命力が弱っている状態では当然保温が必要だ。今は薄手の毛布に包まれ眠っているが、意識のない者に服を着せるのが案外と難しいのはシェルシャも知っている。

 どうしたものかとカミルに視線を向ければ、ベッド脇の椅子に深く座していた白衣の王はこちらを一瞥いちべつし、重い溜息をついた。


「着替えはそこに置いておけ。ユーリスに暗示を掛けて、人の姿にならせた。体内の精霊力が安定するまでは動かさないほうがいい」

「はい」

「私は疲れた。少し寝る。万が一、目を覚ますことがあれば、起こせ」

「ちょっと、カミル様! 寝る前に何か食べたほうがいいと思うの! シェルシャ、ゼレスもすぐ戻ると思うから少し様子見てて」


 立ち上がって去ろうとする王に、少女が追いすがる。水珠色アクアマリンの目に訴えかけられ、シェルシャは頷いた。危険な狐はしばらく戻ってこないだろう。王の研究室に無断で入る者もいないだろうが、魔族だれかが血の匂いを嗅ぎつけて引き寄せられる可能性もある。

 王も異議は唱えず、しかし白衣の袖を引く少女に面倒くさそうな目を向けた。


「食事など要らぬ。私は寝る」

「駄目ですっ」


 おまえは私を誰だと思っている、とか何とか言い合いながら押されていく主君を見送り、シェルシャは先ほどカミルが座っていた椅子に腰を掛けて、両腕で膝を抱える。

 眠る鱗族シェルク――王がユーリスと呼んでいた青年は全身の血を抜かれたかのように蒼白で、苦しげに眉を寄せていた。カミルは鱗族シェルクの血はべないのだが、何も知らない彼は王にわれる夢を見ているのかもしれない。

 すぅと息を吸い、目を閉じて、囁くように子守唄を口にする。魔力を乗せた歌を紡ぐのは実に久しぶりだったが、案外すんなりと声が出るものだ。薄目を開けて確認すると、ユーリスの表情は少し和らいでいるように見えた。


 ――あなたの声って、金糸雀カナリアみたいに綺麗ね。


 空色の目を輝かせて微笑む姿を、シェルシャは今も忘れていない。彼女が自分の歌を愛してくれたから、彼は歌で生きると決めたのだった。疲弊した心を癒し、悲しみに寄り添い、悪夢からすくい上げる。シェルシャの声にそういう力があると彼女は信じていたし、シェルシャ自身もそうだと思っている。

 ユーリスが辿ってきた半生は知らないが、迫害されてきたのは間違いない。この城で、カミルの下で暮らすことでましになるとは言い切れないが、どのみち彼にはもう帰る場所がないのだ。せめて眠る間だけでも心を安らげるようにと祈りながら、シェルシャは金狼が戻って来るまでしばらくの間、魔力を乗せて歌い続けた。

 しばらくして戻ってきたゼレスが、裸の彼に服を着せ、ベッドに横たえて保温をし直してくれたのだった。




 鱗族シェルクのユーリスはそれから丸二日ほど眠り続けた。王も食事と睡眠をおろそかにしつつ目覚めるまで付き添っていたので、滞りがちな政務をさばくのと、狐が潰した集落の後始末とで、ゼレスは気が狂わんばかりに忙しかったらしい。

 彼が目覚めたのはカミルが診察していた時だった。体内の血量も回復し、乱れていた精霊力も正常になって、体内外の傷もすっかりふさがりはしたが、それでも意識が戻らず死亡する者は少なくない。魂が負った傷に対し人ができることには限りがあるのだ。

 瞼を上げたユーリスを見てカミルは安堵しただろうに、口から出る言葉は相変わらず素っ気ないもので。


「痛みはあるか」


 起きたばかりで状況も把握できていないだろう彼は、茫然ぼうぜんと見返すのみ。気の短いカミルが、問いを畳み掛ける。


「痛みはあるか、と聞いている」

「……いえ。今はもう全然!」

「そうか。ならば問題ないな」


 ユーリスの表情に見られるのは困惑と混乱であり、怯えや憎悪の感情を抱いていないことにシェルシャは少しだけ安心する。

 狩られる側である他種族が魔族ジェマを嫌悪するのは当然だが、カミルは殊更そういう感情に敏感だ。逆に、素直な好意に対しては寵愛を返すことが多い。問題ばかり起こすサガミを王が可愛がっているのも、そういう理由なのだ。


「カミル国王様……ですよね?」


 自分が丁寧に治療されていることに気づき、ユーリスの混乱も徐々に収まってきたのだろう。臆せず話しかける姿勢は、王が好むものだ。案の定、カミルの横顔はいつになく穏やかだった。


「そうだが。ああ、疑問は把握はあくしている。おまえはべずに、そばに置くことにした」

「えっ、……なんで?」

「覚えていないのか。……まあ、いい。おまえが、私に助けを哀願したのだ」


 何を言われたかわからない、というふうに、青年は言葉を失った。

 ややあって、彼の勿忘草わすれなぐさ色の目に涙の雫が盛り上がる。空気に触れると真珠化する鱗族シェルクの涙が、枕にこぼれ、ベッドに落ちて、かすかな音を立てていた。

 泣いた者を慰める方法など、この白き魔王が知ってるはずもない。戸惑うように沈黙したまま、王は彼が泣き疲れて眠るまで隣に付き添っていた。



 † † †



 数日後、城に届けられた報せを聞いてゼレスは、頭を抱え執務机に突っ伏した。

 ノーザン国の主要港に海賊たちが居座ったのだという。有人無人大小様々な群島をようし、四方を陸に囲まれたアセーナ湾の水底には、鱗族シェルクたちの大きな国がある。海賊が湾内の島を幾つか占拠して拠点とし商船や港町を襲い始めたことで、湾内の鱗族シェルクたちと小競り合いが生じているらしい。

 国家として、港の主導権を狼藉者に奪われたままにするわけにもいかず、早急な解決が必要だった。


 いくら魔法の才能や技量に優れていても、人は自分の反属性となる魔法は使えない。カミルの属性は炎であり、水系統は反属性となってしまう。つまり湾内では王の魔法に頼ることができず、先日の一件があるため鱗族シェルクたちとの対立も予想されるという、ややこしい事態である。

 ゼレスが出向くのは確定として、誰をともなうか。

 執務室で悩む金狼の元を訪れたのは、ようやく回復したばかりの鱗族シェルクの青年だった。ゼレスが買い与えたカジュアルなシャツとパーカー、カーゴパンツを着て、小型の弓とを携えたユーリスは、決意を込めた目で王と金狼を見つめて言ったのだ。


 俺がいきます。連れて行ってください。――と。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る