第14話 結婚

酒宴は3日目に突入していた。


何もしない日々が続いており、いやまったくもって、

このままではいけないという自覚はあるのだが、

頑張りすぎた反動であろうか、何もする気にならないのだ。


大金を得た人間というのは得てしてこういうものなのだろうか。

お金が人を駄目にするというのは聞き飽きた一般論だが、

まさかこうして自分がその魅力的な腕(かいな)に抱(だ)かれる日が

来るとは夢にも思っていなかった。


「いや、前の世界でもお金は沢山余ってはいたか」


だが、使う暇もなかったし、何よりも使いたい対象などなかった。


結婚など勿論考えられもしなかったし、

車も、家も、特段必要とする理由はなかった。


貯まっていく預金通帳の残高には満足を覚えていたが、

それは自分が恰(あたか)もしかるべく生きているという錯覚を覚える為の

作為のようなものであった。


意味のない貯蓄。意味のない労働。意味のない人生、とまでは言わない。

誰の人生にだって意味は無いのだ。


と、こうしたとりとめのない思考を弄(もてあそ)ぶ余裕というのは、

まさにアルコールの力であると言えるだろう。


こうしたエールによるうわばみの宴も3日目におよび、

そろそろいい加減にしなければならないと思う。


日本にいた頃の様に世間から何かを言われる筋合いもない。

親もいなければ、会社もない。友人もいない。

日本には世間体があり、親族がおり、会社の優秀な同僚たちがいた。


いずれも尊敬できる人たちだった。

異質だったのは自分であった。

それでも、その中に混じり合えるように努力はしてきた。

そしてそれは誰にも知られることのないまま、

あまりにも上手く行き過ぎたのであった。


だから自分はこうして酒杯を呷っているのだろうか。


転がった肉とフォーク。こぼれた果実酒にスプーン。

侍(はべ)るのは機械じみたオートマトンで、

硝子玉の鈍い光沢を湛えながら僕の暴飲を止めようともしない。


人間には肝臓というアルコールを分解する機能を持つ臓器があって、

しかし、その限界を超えた分は内臓に蓄積されて重篤な症状を起こす。

だから止(と)めた方がいいんだぞ、ということを思いつつも、

何も言わない機械人形の無機質さを良い事に好きなだけ放蕩(ほうとう)に耽(ふけ)る。


料理も酒も、宿が用意してくれる。

いつもより10倍程、多めのお金を差し出せばこの通りだ。


言えば言った通りの料理が並ぶ。

王侯貴族であってもこうは行くまい。


「この世界は何だろうな。淡雪、信じられないかもしれないが、

 僕は異世界から来た。前の仕事はしがないサラリーマンさ。

 いわゆる勤め人。楽しい仕事だった。やりがいもあった。

 同僚も良い人たちばかりだったよ」


そう言って、馬肉らしき切れ端を口に放り込むと、

僕は続けて口を開いた。


「だけどどうにも駄目なんだな。駄目なのは一方的に僕なんだが、

 どうしても馴染み切ることができない。いかんともしがたい距離がある。

 相手の心を疑ってしまうし、うまく自分の気持ちを表現することも

 できない。それでいいと随分前に割り切った。

 今更違う人間になれないということも了解したもんだ」


そうですか、と淡雪がいつもの冷えた鉄のような声で相槌を打った。


熱で浮かされた頭には丁度良い温度だ。


「理解してしまえば生きやすい世界だった。この異世界だってそうだ。

 何でもないさ。せいぜい100年の人生だ。苦しいことも何もない。

 苦しい事は最初の20年で済ませてしまった。

 あとは似たような時間の連続だ、という気がする。

 つまり何が言いたいのかというと」


僕は新たに注がれたエールをぐいぐいと飲むと、

酔った勢いで淡雪の黒髪の中に顔を埋(うず)めてしまう。

シャンプーも何もしていない髪は良い匂いなど何もしなかったが、

鉄錆のような匂いは淡雪らしいと思った。


「僕は誰も恨んじゃないってことだよ、淡雪。

 誰かを恨むなんて本当に筋違いだと思ってるんだ。

 僕には何もない。本当に満足できるものは何もないんだ。

 けれども、自分と言うだけで僕は満足だ。

 思い通りにならない自分に満足するしかない。

 人間というのは、そういう生き物だ。分かるかな」


淡雪は深酒をした僕の支離滅裂な言葉にも間髪を置かずに答えた。


「機械の私には分かりかねる高次な思椎(しゆい)ですが、

 人とは結句のところ、一人では生きられないものだと、

 初期知識としては教えられておられます。

 私も所詮は人形でございます。何かを感じる心はありません。

 他(た)を愛おしく思う心も御座いません。

 独りでも寂しくとも何ともないのです。

 ただ、不思議なのは、このような人形ごときが、

 貴方様だけにはどうしようもないほど執心を覚えるということなのです」


そう言うと、淡雪は酒を呷(あお)っている最中の僕の状況には一切頓着せずに、

ぐい、と僕の座っている椅子ごと押し倒してきた。


僕は酔っぱらっていたから反応できず、しこたま頭を床の木板に打ち付ける。


「いたた。淡雪、お前ご主人様にむかってなんてことをするんだ。

 すごく痛かったぞ。あーあ、っと」


吃驚(びっくり)して、そのうえ痛かったものの、酔いの回った僕は

笑ったまま淡雪に覆いかぶさられたまま地面に寝転んでいた。


「私にとっては、ここが貴方様のおっしゃる異世界であろうと

 何であろうと関係がないのですよ。淡雪にとってはどこであろうと

 異世界でございます。しょせんは兔塔(うさぎとう)に作られた

 オートマトンです。身の置き所などないも同じです。

 けれど、赤坂様。赤坂慎太様。貴方様がいらっしゃるのでしたら、

 淡雪はそこにいても良いと思います。

 ここが異世界でないと思えるのですよ」


常ならぬ饒舌な機械人形の言葉は、酔った頭には半分も入って来ず、

しかし、それでも無表情の美しいオートマトンが晒す、

塵ほどの光も映さぬ硝子細工の瞳は何かを訴えかけるようであった。


その表情を見ていると僕は何かを思い出しそうになる。


近づいて来る唇は、常ならぬ艶冶(えんや)を感じさせるものであった。


この状況は以前にも何処かで経験したことがあった。

ああ、一体どこであっただろうか。


酩酊(めいてい)している僕は夢心地でその思い出の源流を追想した。

いつもの僕であれば、人形であろうと何であろうと、

このような美しい女性に迫られれば冷静ではいられなかったであろうが、

紛うことなく今の僕は酔っ払いであり、目の前が見えていなかった。


「ああ、そうだっ。思い出したぞ」


そう言って唐突に起き上がった僕に、淡雪は驚いて身を引いた。

そしていつもの如き氷の声音(こわね)で問い掛けた。


「一体、どうされたというのですか、貴方様。

 何を思い出されたのでしょうか」


いつの間にか椅子に座り何事もなかったと澄ます淡雪に対して、

僕の方は反対に気持ちを昂ぶらせながら言った。


「淡雪、少し僕は酔いすぎたみたいだ。

 どうだ、町の外に出てデートでもしようか」


・・・

・・


「貴方様、あまり遅くなってはモンスターに襲われる可能性が高くなります」


止める淡雪に無理を言って、町の外まで出て来た。


装備もろくにない。ほぼ丸腰で、持っているのは淡雪に昨日、

買いに行かせた「火炎弾」だけだ。


火炎弾は駆け出しの冒険者が持ち歩く攻撃用のアイテムのひとつで、

敵に投げつけると爆発してダメージを与える初歩的な道具だ。

威力はそれほど強くないが、ゴブリン程度ならうまく当てれば

一撃で倒すことができる。


その割に高い。一つ5000マグラもするのだ。それを14個も買ってこさせた。


「まあ、まあ、いいじゃないか、淡雪。いざとなったらこの火炎弾もある。

 ゴブリン程度なら僕がやっつけてやるよ」


はあ、と諦めたような返事をしつつ、

だが何の表情も顕さない表情のまま、淡雪は僕の後ろを付いて来た。


時刻はもう夕方ごろだ。


太陽は沈みつつあり、世界を橙色(だいだいいろ)の夕闇に覆わんとしている。

風が強くなり、機械人形の黒髪を容赦なく打った。


「静かなるこの黄昏に、軟らかい芝生を求め来て座せば、

 薄青くかがやいた宏大な、森閑(しん)とした、

 玻璃(がらす)の部屋にいるようだ」


機械人形は首を傾げながら問うてくる。


「なんでしょうかそれは」


「たまたま覚えていた元の世界の詩(うた)さ。

 誰が作ったのかも忘れてしまったよ。

 地球という星の、日本という国にいたときに、

 明治という古い時代の作品というだけで、

 気まぐれに、いい加減に覚えてしまっただけのものだ。

 だから韻も何もかもめちゃくちゃだろう」


そう言って酔っぱらいの常か、僕が僕人身、

何が面白いのか訳も分からず大笑いすると、

機械人形は無表情のまま追いついて隣に並んだ。


彼女はいつも通りの何の表情も浮かべてはいないが、

どこか困っているように思われた。


「なあ、淡雪」


僕は機械人形の手を取ると近くに引き寄せた。


「ゴブリンはこの近くにいるかな」


その言葉に、淡雪はぎこちなく首の可動部を傾けたが、

すぐに何を言ったのかを察して、「こちらです」と、

僕の手を引いて草原の中を練り歩いて行った。


連れて行かれる間、モンスターには一度として会わない。


その代り、繁みの中に潜んだり、岩の影に数秒だけ留まったりした。

森の中にも出たり入ったりする。


そんな感じでしばらく行くと、僕がリクエストした通り、

ゴブリンが一匹、こちらに背を向ける形で佇んでいた。


僕らは岩陰に潜む様な形になっており、10メートルほどの距離である。


「よし、よく見ておけよ」


酔っぱらった勢いで、手に持った、

丸で使ったこともない火炎弾を

無造作にゴブリンへと投げつけた。


内心では、「まったくもって度し難い」と感じながらだ。


いつもの自分であれば、命を預ける道具なのだから、

幾度でも、飽きるくらいに慎重を期し訓練を施すというのに、

今回の所業は何という奔放(ほんぽう)さであろうか。


投擲した瞬間、そのような激しい後悔と、

なるようになるさ、という開放感が頭をよぎった。


そんなアンビバレントな心理を自覚している内に、

思った以上に完璧な放物線を描いて、

火炎弾はゴブリンの足元で爆発する。


爆音が弾けるとともに、激しく砂礫(されき)が飛び散った。


なるほど、威力はさほどでもない、

と淡雪は店員から言われたらしいが、

実際はこれほどの爆発が発生するのだ。


僕は岩陰でその衝撃を遣り過ごしながら

そんな呑気な感想を浮かべていた。


そして、数十秒が過ぎて砂埃が収まると、

目の前には体中を焼けこげさせたゴブリンが倒れ伏していた。


「ふう、うまくいったか」


嘆息していると、


「貴方様、今の音で周囲のモンスターの注意を引いた恐れがあります。

 早くこの場所を離れませんと」


機械人形が僕の腕を引いて

この場所を一刻でも早く離れようとしていた。


僕は抵抗をする訳でもなく、やはりここに来た時と同様、岩陰や繁みの奥、

林立する木々の合間を、淡雪に連れられて縫う様に移動する。


予想した通り、モンスターとは一匹として出会わない。


ああ、やはりおかしいのだ。


そんなわけがない。


「なあ、淡雪。少し聞きたいんだが」


熱風で乾いた唇をなめてから言葉を発した。


「僕らの周りには一体何匹のモンスターがいるんだい」


そんな奇異な質問に対して、淡雪はやはり表情を変えずに

淡々と答えるのであった。


「239匹ですが、それがどうかされましたでしょうか」


その瞳は何も映さぬ、人でない何かであった。

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