第11話 機関

「さてとここからが正念場の時間だぞ」


こういう準備の時間こそが、今後の展開の成否を決める。

つまり、本番よりも随分前に正念場はやってくるのだ。


僕は唇を舐めながら、こつこつと異世界五日目のページに

ペン先を当てる。やはり自分はこうやって、すべき課題を

整理している時間が結構好きである。


知らぬ間に鼻歌などを歌いながら目をつむり、

浮かんでくる断片的な思考の切れ端が、

ある程度の輪郭を持ち始めるのを慌てずに待った。


先程、これまでの課題項目をすべて削除したのには訳がある。


盗賊団から大量の金貨を獲得し、加えて淡雪という自動人形が

登場したことで、僕を巡る異世界での環境は大きく変化していた。


飛ばされてきた当初の頃とは随分と違う。


こうした場合、ビジネスでも同じだが、

プロジェクトが進むと自分が担うべき課題も大きく様変わりする。

旧来の課題ややり方に固執するのはあまり賢い態度ではない。


そんなわけで、僕は今まで蓄積してきた課題を一旦すべて忘れ、

一から項目を立て直す必要があると考えたのだ。


そして僕はもっとも喫緊で重要な課題として、

まず最初に「和服調達」という項目を立てたのだった。


「間違いなく、これはとても重要なことだ」


力強い筆跡で書き切ると、僕は常ならぬ真剣な眼差しで

その課題を見つめた。


すぐ近くで端坐したまま静止する美しい黒髪のオートマターは、

恰も日本人形のようで、なんとしてでも和服を入手したいと、

僕に思わせるのであった。


「できれば黒か赤地の服が良いだろうか。異世界では難しい

 ミッションになるだろうか」


和雪に似合う着物を想像し、そこに立ちふさがる困難に

武者震いしつつ、あれこれと妄想に巡らせた。


暫くしてそうした後、僕は気を取り直し、

次に、金貨の使い方、とペンを走らせる。


盗賊団からうまい具合に612枚の金貨を奪ったが、

足が付くのを恐れて未だに使えずにおり

些か不便であった。これを何とかしたかった。


そのような調子で次々に列挙していく。


・和服調達

・金貨の使い方

・宿

・淡雪の素性

・淡雪が外に出られる服の調達

・この町にいることの危険性の検証

・旅に出られるかの検討

・自分の着替えの調達

・職業とは?

・ステータス鑑定


「こんなところだろうか」


呟いてから、ペンを置いた。


職業とは?と、ステータス鑑定は、一度削除したが復活させたものだ。

理由はこの世界の根本に迫る重要な項目だと思ったからだ。

面倒ではあるがどこかのタイミングで確認をしてみなければと考えた。


さて、どれからこなしていこうか。

僕はまた鼻歌を口ずさみながら、じろじろとリストを眺めた。


まず目についたのは、旅に出られるかの検討、であった。

とりあえず金貨を大量に入手したことから、護衛を雇う余裕は出来たと言える。

ただ、信頼のできる護衛が雇えるのかどうかが不安だ。

その護衛が旅先で強盗に変わり、金品どころから命まで奪われるかもしれない。

そういう意味では信頼のできる護衛をいかにして探すか、

ということが新しい課題になってくると思った。


「具体的には、ギルドが保証する冒険者を雇うといったところか」


とはいえ、ギルドの規約にもあった通り、

ギルドとは「冒険者の行動に対して何ら責任を負わない仲介機関」

に過ぎない。責任も負わない機関の保証がどこまで信用できるのかは

微妙なところであった。


特に僕のような人間不信に片足を突っ込んでいる者としては、

そもそも他人を信用するということが難しいのであった。


「お金は手に入ったっていうのに、敷居はまだまだ高いな」


溜め息をつきながら、この項目に斜線を引いた。


とりあえず、旅に出る為に護衛を雇うのはリスクもあって難しそうだ、

というところまで検証が進んだのは大きな成果だ。続きはまた明日、

継続して検討することとしよう。


僕は次のページの頭に異世界六日目と書き、

その下に、旅に出られるかの検討、の項目を改めて記載した。


「さてそれから、これと、これと、これは明日でもいいな。

 今日はどうにもやる気にならない」


そう言って削除したのは、和服調達、職業とは?、ステータス鑑定、

の3つであった。


和服調達はいきなり実現するのが難しく、中期的にじっくりと

取り組むべき課題であり、職業とは?とステータス鑑定、

については、今日必ずしなくてはならない課題ではなかった。


急ぎではない項目であれば、明日に先送りしても構わない、

というのが僕の仕事上のポリシーである。

あまり頑張っては息切れしてしまうからだ。


そんなわけで僕は異世界六日目のページにその3つを移す。

残りの課題は、6個となった。


・金貨の使い方

・宿

・淡雪の素性

・淡雪が外に出られる服の調達

・この町にいることの危険性の検証

・自分の着替えの調達


ううん、そうだな。


暫く項目の上を視線でなぞっていたが、

ひとつ決心して静止する機械人形に話しかけた。


「淡雪、相談があるんだが」


そう呼びかけるとすぐに反応が返ってきた。


「なんでしょうか。貴方様」


「盗賊団から奪った金貨なんだが、まだ使わないようにしている。

 用心しすぎているかもしれないが、盗賊団とかかわったことが

 露見しないよう、万が一にでも足がつかないようにするためだ。

 この金貨自体は侯爵家から奪ったものらしいから、露見すれば

 返還を要求されるかもしれない。だが、俺としてはなんとか

 この金貨を返さずに済ませたいと考えているんだ」


そこまで言うと、人形は察し良く答えた。


「貴方様の仰っている通り、念入りに証拠は残さない方が良いでしょう。

 まだ起動したてですので、現在の環境情報は十分ではございませんが、

 金貨を使う人間というのは限られている可能性がございます。

 ちょっとしたことから噂が広がるかもしれません。金貨の返還は勿論、

 討伐された盗賊団の関係者が残っていれば報復もありえます。

 できるならばこの町を出て、別の町で金貨を使用するのが最も安全でしょう」


僕はあまりにも正確な返事が返ってきたことに驚きながらも、

そうだな、と頷く。


「ただ、この町を出る算段がつかない。護衛を雇おうかとも考えていたが、

 信頼できる護衛というのに心当たりがないんだ」


機械人形は僕の発言に、つなぎ目を駆動させ、

ぎこちない仕草で首を傾げると、


「微力ながら私も盾程度にはなれるかと存じます。

 地獄にでも行かない限り、わざわざ護衛などお雇いに

 なられなくても良いでしょう」


どうやら機械だけあって、献身には躊躇いはないようだ。

だが、それはあまり良い案ではないだろう。


「ありがとう。ただ、どこか気後れするな。

 淡雪は機械とはいえ、女性の容姿をしているし、

 それを盾にするというのは何だかな。

 まあいいさ、何かほかの方法を考えよう」


そう言うと、機械人形は硝子のような表情を映さぬ瞳で

しばらく僕の事を見つめていたが、

そうですか、とだけ呟いて視線を外した。


いずれにしても、淡雪の意見は僕の懸念と合致していた。

つまり、この町にいた場合、金貨を使うことは難しく、

そこから足がつくと身の危険があるということだ。

僕に金貨を手放すつもりはないから、この町にいるかぎり、

潜在的リスクとしてそれはずっと続くことになる。


やはりこの町を出るしかなく、早く旅の算段をつけなければならない、

ということを痛感する。加えてこのことは、旅に出たいという

自分の意向とも合致するものであった。


「それにしてもこれは望外のものが手に入ったもんだ」


そしてまた、僕は別の点において望外の喜びに打ち震えていた。


今のやりとりにおける淡雪の的確な助言は、

彼女が相談をするにふさわしい相手であることを

示唆していたからである。


そう、彼女はもしかすると僕の「相談相手」

になれるかもしれない存在だと気が付いたのだ。


何をたかだか相談相手くらいで、と思う者もいるかもしれないが、

それはあまりに人生経験が乏しい。


コミュニケーション障害であり、人が苦手な僕ですらも

明確に理解している事実があるのだ。


それは、人間は一人ではあまりに非力だ、ということである。


知識もそうだが、なによりも考え方の幅や工夫の広がり、

意見の豊富さなどが、人一人では余りにも狭く、

何よりも、自分で解決できない問題に直面した際に、

それが本当に「解決できない」問題のまま終わってしまうのだ。


自分の限界が、そのまま自分の課題解決能力の天井になってしまう。


そのことはつまり、元いた世界にいた時よりも余程死が身近にある

この異世界において、生死を分けるような状況に陥った際、

打破できずに呆気無く最期を迎える可能性があるということなのだ。


だが、他人が1人いれば全然違う。


その相手と相談することで、異なった考え方、別の視点からの意見、

思ってもみなかったアイデアを貰うことができ、そのことは、

自分一人では解決できなかった困難を解決する糸口になる。


僕は人との付き合いを極力避けてはいたが、

他人の存在がきわめて重要であることは

サラリーマンであったことからよく知っていた。


まあ、それでも。それでもである。

僕はそのことを犠牲にしてでも、一人でいることを選んだ

筋金入りの駄目人間ではあるのだけれども。


しかしながら、淡雪は人間ではなかった。機械人形であり、物であった。

彼女の動作はぎこちなく、話す声音は冷えた鉄のようであり、

とても人間ではありえなかった。


そのいった人間でない存在が相談役を担ってくれるというのは、

僕のような者にとっては計り知れない幸運に違いなかった。


僕はそんな自分にとって都合の良い人形を見つめる。

その左手には見覚えのある朱色に光る指輪が嵌っている。


「盗賊団を大蟻に襲わせた際に、黒い棺があった。

 そこから零れ落ちていた人形に、僕は朱色の指輪を嵌めた。

 それが君の起動スイッチだったのだろうか」


淡雪は俯いた姿勢のまま小さく頷いた。


「正確には指輪をはめる指によって、その機能が選択できます。

 これは一度だけの選択で、起動後の再設定はライセンスを

 再取得しない限りはできません」


「なるほど。ちなみにどういった機能が選択されたのか分かるか」


人形は首を横に振ると、


「いいえ、人形自身にはどういった機能が選択肢があり、

 何の機能が選ばれたのかは認識できないようになっています」


「そうか。淡雪はどこで生まれて、なぜあんな場所にいた。

 盗賊たちは君を高値で売り払おうとしていたようだが」


「分かりません。起動前の記憶はありませんのでその事実についても

 認識が及んでおりません。基本的な常識や行動様式はセッティング

 されていますが、初期情報はほとんど与えられていません。

 兎塔への行き方くらいはわかるのですが。

 存じておりますのは、私が起動したとき目にした、

 倒れ伏した盗賊たちと足早に立ち去られる貴方様だけでございます。

 イニシャライズが終わるまで声も出せず動くこともままならず、

 貴方様を見失った私は、動けるようになってから急いで貴方様を探したのです」


なるほど。それであんな襲撃のような形になってしまったわけか。


「了解した。ところで淡雪。君を見ている内に、

 僕は資金洗浄のやり方を思いつくことができたんだが、

 手伝ってくれるだろうか。君が外へ出歩けるような服も、

 僕の替えの服も、結局のところこの金貨が使えるかどうかにかかっている。

 今日の宿もだ。本当はこんな努力はしたくないんだが、

 しなければ早晩詰んでしまうような状況だ。背に腹は代えられない」


淡雪は可動部分をぎこちなく動かして顔を上げると、

口の端を歪めて作り物めいた笑顔を作った。


「是非ともお手伝いさせて頂きますように。

 私はそのために存在するのですから」


日本人形のような容姿に浮かぶ奇異な表情を眺めながら、

やはりこの人形に何とか和服を着せたいものだと、

そんなことを想いながら僕は今後の計画を説明し始めるのであった。

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