第10話 金貨

起床すると背中が酷く痛かった。

それはそうだ。昨日はごつごつとした壁を背に、座ったまま眠ったのだ。

しかも重い金貨を抱えての睡眠であったから、快眠と行くはずがなかった。


だが、気分は切り替わっており、体力も復調している。


大きく欠伸(あくび)をすると、壁の隅に微動だにせず座っている

オートマターの淡雪が目に入った。


こちらの指示通り、待機しているのだろう。

昨日は薄暗闇でよく見えなかった彼女の美しい顔(かんばせ)や

継ぎ接ぎがありながらも滑らかな肢体が、

朝日を浴びてその全容を惜しむことなく曝け出していた。


そのことで、いかに機械人形とはいえ、

服くらいは着せてやらないといけない、ということを痛感した。

何せ裸である上に、かなり精巧に造られているから目のやり場に困るのだ。


これは今日のやるべき仕事の中でも、急ぎの一つになるだろう。


それからもう一つ急ぎなのは飯だ。


今は起床したてであるからそれほどでもないが、

昨日の朝から一食も口にしていない、という事実がある。

喉もからからだ。


本格的に動けなくなる前に、何か口に入れなくてはいけないだろう。


そして、この2つはともかく喫緊の課題なんじゃないか、

ということに、ふと気が付いた。


なぜならば、僕がもしも空腹で動けないようになれば、

淡雪に頼んで食料を買ってきてもらうしかなくなるのだが、

その淡雪は裸なのである。

つまりその場合、いわゆるデッドロック状態になり、

軽く詰んでしまうような状況になってしまうのだ。

勿論、裸の淡雪に食事の調達を強いて頼むのであれば別だが、

それはあまりに倫理に悖(もと)る行為であろう。


僕は基本的に順法意識が強く、倫理観の高い男なのである。


まあとにかく飯が先だ。


その様なわけで、今朝は珍しくメモ帳も開かないことにする。

いや、小心な僕にはメモ帳を開いている余裕などない、というのが正解だ。


僕はメモ帳に書かれたことを機械的にこなして行くことに

喜びを覚える男であるが、緊急、という言葉の意味くらいは

知っているつもりだ。のんびりしていれば詰んでしまうような状況で、

趣味嗜好を貫徹するような勇気はなかった。


そんなわけで僕は外に行く準備をし始める。

金貨のうちの半分を出来るだけ目立たないように道具袋や衣服の中に隠し、

残りの半分はこの場に置いたままとする。


なぜ半分なのかと言えば、これは保険なのだった。


有り金をすべて持ち歩く、というのはさすがに危険だと思った。

だから半分を淡雪に任せようと思ったのだ。

もちろん、昨日突如現れた淡雪を信頼したわけではない。

だが、僕がこの後、外出した際に強盗にあったとしても、

機械人形さえ裏切らなければ、ここに置いていった半分は残ることになる。


一方で、もし万が一、この機会人形が金貨を持ち逃げしたとしても、

強盗にさえあわなければ、僕が持つ半分は残ることになる。


両方のアクシデントが同時に起こる可能性はあるまい。

金貨300枚が手元に残れば僕ごときには十分だ。

そんなことを考えての行動であった。


警戒心が高いのに、消極的という自分らしい妙な作戦だと思った。


「そもそも大金を持ち歩くのは気が乗らないんだがなあ」


早くお金を預けるところを探さないといけない。

そう心に刻みながらも出発の準備を整えた。


さて、太陽の角度や外の喧騒具合から言って、

時刻は既に9時くらいだろうか。

早いお店であれば、もう開いてる頃だ。


僕は入って来た窓から顔を覗かせ通行人がいないことを見て取った。


大丈夫そうだ。そう確信し勢いよく窓枠に足を掛ける。


だが、予想していなかった方向から声が掛かった。


「貴方様。お出かけになるのですか」


真後ろから突然声が掛かったので、僕は思わず心臓を跳ねさせて、

窓枠に掛けていた足をずり落としてしまった。


たたらを踏みながら後ろを振り返ると、淡雪が端坐した姿勢で、

やはり無表情のまま顔だけをこちらに向けていた。


いや、どこか不安そうな表情にも見える。


勿論、それは彼女の顔に落ちた陰影が起こした妙であり、

つまり気のせいなのであろうが、

確かに昨日、自分を追ってきたと言っていた経緯からしても、

また何処かに行ってしまうと警戒しているのかもしれなかった。


晒された肢体や乳房が、陽光に照らされて艶めかしく輝き、

その一方で四肢の関節の継ぎ目があらわとなって、

そのコントラストがグロテスクな光景として僕の目に映った。


その存在の奇抜さに目を奪われながらも、

できるだけ平静を装い返事をする。


「少し食事を買って来るだけだ。淡雪は何か食べるか。

 あと、君の服も買ってこよう。

 さすがにその恰好では外に出られないからな」


人形は首の継ぎ目をぎこちなく動かして頷くと、


「お気を使って頂き恐縮です。本来であれば私が食事の

 ご用意をするところにも関わらず、兔塔(うさぎとう)本社からの

 初期付帯品が喪失しており、貴行様に御迷惑をおかけいたします。

 それから、私には食事は必要ありません。空中の魔素を取り込み、

 原動力にしておりますので。ただ、食事の機能自体は持っておりますが」


そう一息に話すと、人形はそれで電池が切れたように沈黙した。


本当に機械のような無機的な挙動だ。

僕はそのことにどこか安心すると、「了解」とだけ告げて、

今度こそ窓枠を踏みしめ外へと繰り出すのであった。


・・・

・・


目抜き通りへ出ると、すぐに食べ物の露店を見付けることができた。

パンに野菜や肉を挟んだホットドックのような食べ物だ。

生地がぱさついていて不味いが、空腹が最大の調味料である。

一つ食べてから思わずもう一つ買い、

水をサービスしてもらって600マグラを支払った。


腹を満たしながら噴水の近くまで来て、

女ものの服をどうやって調達しようかと、縁に座って考えた。


日本であれば通販や、そこいらの服屋で適当に見繕うのであるが、

この世界がそんな文明レベルにあるとは無論思えない。


とはいえ、衣服というのは生活に必須のものだ。

中古品がきっとあるだろう、と思い付く。


長居は無用だ。


すぐに立ち上がり、目抜き通りを北へ北へと歩いていった。


北へ行くほど家並は立派なものになってくる。

南の方の露天や商家が立ち並ぶ数は少なめになり、

煉瓦や大理石で造られた高級住宅街といった風情である。


これは少し場違いだったか、と思い始めていると、

突然、倒壊した建築物に差し掛かった。

再建中らしく、木枠による囲いが作られているが、

簡単に中を覗くことができる。


その風景に思い当たることがあり、暫く眺めていると、

近所の住人らしき散歩中のお爺さんが話しかけてきた。


「酷いもんじゃろ。大蟻が出たんだ。幸い住んでいた家族には

 被害はなかったらしいが、家もなくなって、これからどうするのか、

 かわいそうなことだ。それに、自警団の話だと、なんでも盗賊団が

 関係しているっていう噂まである。どうも、大蟻が出た際に、

 手薄になった侯爵様の家に盗みに入ったらしい。恐ろしい世の中じゃよ」


僕は神妙に聞き入るふりをすると、差しさわりの無い反応を返しておく。


「そうなんですか。盗賊団とは物騒ですね。早く捕まってほしいものです」


お爺さんは如何にも「その通り」とでも言うように何度も頷いている。


「そうじゃな。わしの家の隣に住むエルフ一家も

 妙な奇病にかかっているというし、

 モンスターの動きが活性化している大洞穴に向かった

 A級パーティーもまだ帰って来ておらんようだ。

 なんだか悪いことが続くようで不安じゃよ」


そうぼやくと、お爺さんは行ってしまった。


後半の愚痴は適当に聞き流したが、

どうやら盗賊団のアジトはまだ発見されていないようだ。


僕の方も再び北へと歩き出す。


だが、やはりどんどん露店は少なくなるようで、

いい加減そろそろ引き返そうか、とそう思った時であった。

運よく踵を返す前に、衣服を取り扱っているお店を発見することが出来た。


木箱に使い古した衣服が乱雑に放り込まれており、

値札が其々に付いている。男物も女物も皆ごちゃまぜである。


さて、所持金の1100マグラでどこまで買えるだろうか。

金貨は用心し、まだ使わないことにしている。

安価で、体全体を覆うワンピースのような服があるといいのだが。


そう思って品物を物色した。


「ああ、これなんかいいかもしれないな」


僕は粗末な白地の貫頭衣と青い帯を見付けて値札を確認する。

こんなものでも1000マグラはするようだ。


靴下も買えればと思って漁ってみるが、300マグラが下限のようだ。


一瞬、ゴブリンの角を売却し、合わせて依頼達成を申請して、

ギルドから520マグラをもらい、靴下を購入することも思いついたが、

昨日のハードな冒険でメンタルが疲弊気味な僕としては、

とてもギルドの人ごみの中に入って行く気にはなれなかった。


僕は服売り場から退散するとそそくさとした足取りで

荒れ果てた家屋へと舞い戻った。


窓から再び侵入すると、淡雪は出て行った時のままの姿勢で静止しており、

やはり美しく、そして関節部が節くれだった奇異な造形を晒していた。


僕は無事に帰って来れたことに人心地つくと

早速淡雪に買ってきた貫頭衣を着るように言った。


「安物だが我慢して欲しい。恰好については追々考えるつもりだ」


淡雪は僕から衣服を受け取ると、ゆっくりと胸に掻き抱いた。


「袖を通すのがもったいないくらいです。貴方様からの

 はじめての贈り物。ずっと大切に致します」


無表情な上に平板な声だが、衣服を胸に抱き、感謝を伝えてくれる。


僕はその仕草に「よくできてるなぁ」と感心する。


それに、それがたとえ機械であったとしても、

こうしてちゃんと気持ちを告げられると正直うれしいものだ。

たとえそこに感情がなくて、

その行動がプログラムされたものであったとしても。


「いや、むしろ別に感情なんて無くていいんだよな」


はっきり言って僕のように、

どこか欠落してしまっている人間にとっては、

本当の感情の有無など、どうでも良いことであった。


要は僕にとって都合の良い、

気に入るような反応をしてくれるかどうかだけが問題であり、

それが機械人形であろうとも、特段構わないのであった。


本当にどうしようもない思考だという自覚はある。


さて、そんなことはともかくとして、淡雪には袖を通して貰う。


さすが元が良いだけあって、粗末な貫頭衣であってもよく似合うが、

首元や腕の関節部の継ぎ目は露出しており、明るい内はこの格好で

表を出歩くのはまずいかろうと思われた。


いずれにしても、これにて緊急課題についてはクリアだ。


僕はメモ帳を取り出すと、異世界五日目と書かれたページをひろげた。

既に、労働の種類と報酬、手軽なゲーム的要素確認手段、研ぐ、

という3つの項目の記載があった。


一ページ前の、異世界四日目のページに戻り、

そこに記載されていた項目を、とりあえず五日目のページへと移してみる。


・労働の種類と報酬

・手軽なゲーム的要素確認手段

・研ぐ

・職業とは?

・職業に就く方法は?

・ステータス

・旅に出る方法を考える

・ゴブリンの角

・ゴブリン討伐報酬

・日雇い労働


ふむ、と僕は軽く全体を一読すると、全ての項目に対し、

乱暴と言えるほどの勢いで斜線を引く。


そして、項目を一度すべて0にすると、改めて項目を立て始めた。


僕はまず最初の項目に、和服、と力強く記載したのである。

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