第8話 宝石
大参事はまるで嵐のようであった。蟻たちは小屋と
その周囲の盗賊たちをほんの数分で駆逐し尽くすと、
一瞬にしてその姿をくらましたのである。
周囲には蟻たちが通ってきた数十の大きな穴と、
小屋や人間の残骸が残されていた。
僕が巻き起こしたこととはいえ、その効果の程には
心底驚いていた。盗賊たちへの罪悪感などは、
さすが駄目人間である僕だけあって、
まったく傷まないのであるが、
ただただ目の前の惨状には圧倒されるのであった。
さて、盗賊たちは全滅したのかもしれないが、
まだ残りがいる可能性は排除しきれなかった。
これ以上、何よりも大事な自分の命を天秤に
かけることは許されない。
できるだけ速やかに、もらうものはもらって、
この場去る必要があると思った。
時刻ももう既に夜にさしかかろうとしており、
視界も怪しくなってきていて、急いで町へ戻らなければならないし、
一度町に戻ればこの場所へは二度と近づかないほうがいいだろう。
この件に自分がかかわったということが露見するような行為は
できる限り控えるべきだろうと思った。
何せ盗賊であろうと人の命を奪ったのだ。
もちろん僕がそのことに罪の意識を感じているかと言えば皆無だ。
だが、僕がその命の軽重をどう見ようとも、
他人にとってその命が軽かったかと問われればそれは別問題だ。
恨みを買う可能性はある、とみるべきだろう。
そう、それくらい、命というのは大事なものなのだ。
さて、ともかく急いでかさばらないお金になりそうなものを
かっさらい、モンスターに見つからないよう気を付けながら、
駆け足で町まで戻るとしよう。
僕は小屋のあったところまで駆けよると、
1、2、3と秒数をつぶやきながら物色をしはじめた。
30秒。
それが、僕がこの場所に留まることを自分に許した時間であった。
宝石は換金しなければならない。壺や武器はかさばる。
本の価値は読まないと分からない。だからできるだけ
金貨が入った袋を回収して回った。
町の入り口で不審がられてもよくない。
何せここにあるお金は、ミトの町の侯爵家で
盗んだものである可能性が高い。
だとすれば、あまりよくばって嵩張り、
目立ってしまってはいけない。
ばれれば返還を求められるかもしれない。
ポケットや服の中、砥石や持ち金を入れていた布の袋に
うまく隠せる範囲にしておくべきだ。
それでもなかなかの大金になる。それでいい。
欲張って無理をしてはいけない。無理をするのは性に合わないし、
性に合わないことはしたら疲れてしまう。自然にできる範囲で
無理なくやっていくのだ。不思議なことに、そうしたほうが
長期的にうまくいくことが多い。
さあ、もうすぐ30秒だ。
収穫は十分。このお金をもとに護衛を雇い、旅に出ることも
できるだろう。ただ、今回は少し頑張りすぎた。半月くらいは
引きこもってゆっくりとしたいものだ。
そう思い、この場所から離脱しようとした時であった。
横倒しになり蓋が外れ、
中に納められていたものが零れ落ちてしまった黒い棺が目に入った。
金貨以外は目にいれなかった自分だが、他の木箱などとは
違った立派な棺に納められた中身がなんなのかは少しだけ気になった。
余計なことに時間を食う訳にはいかない。
ただ好奇心というのは厄介だ。それが何なのか見てみたい、
という欲求はなかなかに抗いがたかった。
僕はその棺へと近づいた。
中のものは大きな白い布にくるまれて見えない。
もちろん、持って帰るつもりはない。
ただ一目見ればそれで欲求は解消するのだ。
だから、急ぎ済まさなくてはならない。
いつまた盗賊の残りがやってくるかもしれないのだ。
僕は白い布を剥ぎ取ると、中のものをまじまじと見つめた。
「なんだこりゃ。女の人形か?」
それは裸の女性の人形だった。
とはいって本当の女性とは程遠い。
顔については恰も人間の様に精密につくられている。
目はぽっかりと開いていて、朱い瞳を曝け出しており、
長い髪を持ち、丸で美しい少女と見紛うばかりだ。
しかし首から下がまさに球体関節人形の如きであった。
腕や脚などの付け根は節くれだち、人形に柔軟な動きを保障している。
胸は膨らみ、臀部は大きく、女性らしい体型をしているが、
何の素材でできているのか、人とは違う固い肌の質感をしていて、
それを人形だと伝えている。
売れば良い値になるのであろう精巧な作りだと思うが、
このような嵩張るものを町に持ち帰ることはもちろんできない。
出所を問われ、今回の出来事に辿り着かれてしまうかもしれない。
まさに今の自分にとっては無用の長物だ。
すぐにそう判断すると僕はその人形から離れようとする。
「おや」
黒い棺から零れ落ちたものは、どうやら人形だけではなかったようだ。
間もなく日が暮れようとする薄暗闇の中で少女の瞳と同じ、
朱く輝く宝石が目に入った。
それは指輪のようであった。
僕のような人間には、その指輪に嵌る宝石の値段は分からないが、
大きなそれが相当の値打ちになるであろうことは容易に了解できた。
一度それを手に取る。
だが、持って帰りたいという欲求は全く湧かなかった。
換金が必要となれば、この宝石をどこで手に入れたのか、
勘ぐられる恐れがある、ということももちろんあった。
だが、何よりも、換金などという作業をすることが面倒であった。
もちろんベッドに寝ながら換金できるのであればよい。
だが無論、換金という行為は、しかるべき場所に自分が赴き、
その担当者と話をしなければならない。
しかも宝石と来れば、モンスターのドロップアイテムとは異なり、
ややこしい交渉をしなければならない可能性が高い。
つまり、人と込み入った会話をしなければならないのだ。
それは、考えるだに、げんなりとすることだった。
そんなことをしてまで大金を手に入れるのであれば、
自分はこんな指輪はいらない、と素直に思うのであった。
とはいえ、美しい指輪だ。投げ捨てるのも何だったので、
僕はその指輪を、おそらくそのために同封されていたのであろう、
人形の指に適当に嵌めると、今度こそ急いでその場を離れるのであった。
そうして完全に日が暮れてしまう前に、
なんとか町へと戻ってくることができた。
・・・
・・
・
さて、僕というの人間は警戒心がとても強い。
人間不信であると言っても良い。
どんな人間であっても裏切るときは裏切る、
決して心を許して良い存在ではない、と思っているのだ。
そのようなわけなので、今日手に入れた金貨を
いきなり使用しようとは思わなかった。
「こんな大金をどうしたのか」
などと言われて、それをもとに何かを勘ぐられてはかなわない。
はっきり言って一般に普及している金貨なのだし、
それを使ったからと言って、そこから足が付く、
というのは考えすぎな側面もあるのだろうと、
内心は理解していたが、何分警戒心の塊のような男である。
今日の時点で金貨を使う、という判断は出来かねた。
だとすれば、既に所有していた残金の中で、
なんとか今日の宿代や食事代を捻出する必要があった。
残金は1700マグラ。ゴブリンの討伐依頼の達成と、
ゴブリンの角というドロップアイテムの売却で
合計520マグラとなり、これを足せば2220マグラになる。
だが、気分的に今日はこれ以上、何かをする気には
なれなかった。特に人と会うのがいやであった。
いろいろあって疲れていたから、一番疲れることを
回避しようとするのは当然だった。
やはり今日も大部屋での雑魚寝だろうか。
いや、こういった大金を持っている状態で、
見も知らぬ人間たちと同室で寝泊まりするなどといったことは
小心な僕にはどうしてもできなかった。
大金を持っていることがばれて、
恐喝されてお金を巻き上げられる自分が
あまりにもリアリティーをもって想像されるのだ。
まさに人間不信の極致だなあ、と自分に呆れる。
だがそれを直そうとは思わない。
無駄な努力はするだけ徒労なことは、
長い人生の中で大いに学習を済ませている。
だが、ならばどういった方法があるだろうか。
時刻はもう夜で、個室に泊まろうにもお金が足りない。
大部屋は論外といったところだ。
無論、路上で寝泊まり、というのもありえるのだろうが、
それならば大部屋の方が安全面としてはましだろう。
「どうにかうまい方法はないものか」
そう思って頭を悩ませながら通りを歩いていると
横道の奥のほうにぼろぼろの一軒家が目に入った。
しかもうまい具合に窓硝子が割れているのが目に入る。
「完全に不法侵入だが」
しかし、背に腹は代えられない。
先客がいないようなら、使わせてもらおう。
そう決意すると、僕は怪しまれない程度に周囲を確認しながら
その横道に足を向ける。
その一軒家はずいぶんと放っておかれたようで、
風雨に耐え兼ね、ぼろぼろの風情であった。
庭の草もぼうぼうである。
だが、そんな不気味な家屋であるからこそ、
周囲に人は寄り付かない。
両隣にも民家はある。だが、今は消灯されており、
今ならば見つかる恐れもないだろう。
僕は家屋へ近づくと、周りにさっと視線を巡らせる。
人影がないことを認めてから雑草の中を掻き分けて進んだ。
そして、割れた窓硝子の内側に手を突っ込むと鍵を開け、
音を立てないように素早く中へと忍び込んだ。
誰かに尾けられていなかったか、警戒心の塊である僕は、
内側から窓の外に首を伸ばして周辺を眺めたが、
幸いにして自分を尾けてくるような人影は見当たらないようだった。
10分はそうした後、どうやら大丈夫そうだと肩の力を抜く。
そうして僕は人心地吐くと、始めて自分のいる場所を見回した。
実に劣悪な状態の部屋がそこにはあった。
椅子も机もベッドもない。それどころか、家具という家具
は全て持ち出されたのか、一切合切何もなかった。
壁紙もはがされ、むき出しの土壁が、正に寿命を迎えた家の
うらぶれた雰囲気を作り出している。
鼻をつくすえた匂いは、この家の淀んだ空気や、
庭にたまった腐った水などから発せられる腐敗臭であろうか。
だが、僕が建築に求める第一の仕様とは、
僕が安心して一人でいられるということであった。
内装がいかに立派でも、そうした僕の需要を満たせない建築は
この薄汚れ、放逐された家に劣った。
なので僕はこの場所をまあまあ気に入ると、
薄暗闇の中、本日の収穫を計算しようと、
手持ちの金貨を手元に並べ始めた。
僕にしては珍しく、今日の冒険とその莫大な収穫にわくわくとしながら、
目の前に広げられる金貨の枚数を数えて行った。
そう、この時、僕は確かに油断してしまったのかもしれない。
確かに出来るだけ警戒し、尾行にも注意し、
安全な方策を選択し続けてきたつもりであった。
だが、そんな努力をあざ笑うかのように、運命はときに残酷なのだ。
いつの間にか天井に張り付いていた、その慮外の生き物は、
金貨に夢中になる僕の意識の外から、
理解できないほどの速さで一瞬にして目の前に降り立つと、
長い髪を振り乱しながら、襲い掛かって来たのだ。
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