第7話 籠城
盗賊団のアジトは、しばらく尾行すると到着した。
僕はかなりの距離をとって追跡していたから見付かることはない。
見付かる可能性があるような距離で追跡はしなかった。
なぜなら、収穫がない、という失敗なら別に構わない、
と思っていたからである。
今回、盗賊から盗品をちょろます、というのも、
うまくいけばめっけもん、という域を出ない。
むしろ、見付かるくらいなら、見失うほうを選択するべきだと
確信していたので、実際に途中何度か本当に見失ったくらいだ。
自分の命と安全ほど、大事なものはない。
それに今回、別になんの作戦もないのだ。
凡人であるところの僕が、降ってわいたような今回の出来事に対して、
一瞬で何かを思いつき、計画的に実行する、
などといった英雄のような真似ができるはずがなかった。
そんなことができるのは、既に一般人ではないと思う。
ならばなぜ、尾行しているのか。
それはひたすら盗賊の傍でチャンスを待つためである。
そう、確かに自分であるところの凡人に、
優れた作戦や能力があるわけはなく、
ひいては成功の目途があるわけではない。
だが、時間の流れとは面白く、待っていれば、
狙い目のタイミングが不思議と立ち現れる時があるのだ。
「周りの環境を変えることは出来ない。だから自分を変えろ」
という誰かが言った格言があるが、自分を変えるなぞというのは
実に優秀な人々にしかできない革命的な偉業であろうと思う。
そんなことが万人にできれば、人間という種は、
なんというか、本当に偉い、と思う。
だが、ぼんくらであるところの多数の人間はそうではない。
無理に自分を変えようとしても痛々しい徒労で終わるだけである。
そのことを、ぼんくらのうちの幾人かは、よく知悉しているのだ。
「変わる」のは時間とともに変化する世間や周囲の人々という環境である。
自分という人間はその潮目を読み誤らないことこそ、
世間に適応し、社会と切り結び、ぼんくらであるところの無能でもって、
人生を生き抜く唯一の方策であると理解している。
と、そのような世界観を持っているので、僕は盗賊団のアジトを
遠目にしながら時宜をうかがうことにした。
アジトは草原の中に現れた森林を少し入ったところにあり、
うまく繁みに隠された粗末な小屋であった。
ドアの前には見張りが一人立っていて、
先程の盗賊5人組が姿を現すと頭を下げてドアを開けた。
窓は一つもない。
遠すぎて盗賊たちの顔は良く見えず、また中の様子までは分からない。
中に誰かいるのだろうか。
大きくない掘立小屋であるから、いたとしても数人だろう。
あの中に盗品があるのだとすれば、やはり何十人もの人間が
いられるようなスペースはあるまい。
僕は見張りから死角になる位置に陣取ると、上から枯葉を被り、
万が一にも見つからないように偽装した。ナイフは抜身のまま、
傍らに置く。首を少し動かせば、アジトの様子が見えるような位置取りだ。
向こうからは木々が邪魔でこちらのことは見えないはず。
さて、まあ見付かるようなへまをしない限りは、
べつに収穫がなくても構わないのだ。恐くなったら一切顔を出さず、
このまま隠れ続けてもいい。ともかく、のんびりと過ごすことにしよう。
僕は長期戦を覚悟して、一度目を閉じた。
・・・
・・
・
盗賊団は、明日にはミトの町を発つ、と言っていた。
そう言っていた通り、先ほどアジトに入った5人組が出ていくのと
入れ替わりに、別の男が数人やってきた。
しばらくすると出て行ったが、入っていくときに持っていた
背嚢がなくなっていた。中に宝石でもつまっていたのだろうか。
そうやって盗賊たちは入れ替わり立ち代わり、
町に隠しておいたのだろう今回の収穫物を小屋に集めているようだった。
ちゃくちゃくと引き上げる用意が進んでいるのだろう。
僕はというと、とりあえずやれることもないので、どれくらいの規模の
盗賊団かを把握するために、出入りする男たちの数を数えていた。
「腹が随分減ったと思ったらもう夕方か。ここまでで28人か」
ただこの数にあまり根拠はない。
出入りする人間を数えただけで、
他に潜んでいる者がいないとは限らないのだし、
顔が良く見えないこともあって重複している者もいそうだ。
僕の勘は30人前後のグループ、と告げてくるが、
あまり信用しないでおく。間違っていた場合に、
それが大きな失敗のにつながることもあるだろう。
完璧な安全を確保したい小心な僕としては、
死命を分けるこんな状況で、
あやふやな情報をうのみにするわけにはいかなかった。
いずれにしても、まだ時宜は訪れない。
これだけ人間が入れ替わり立ち代わり出入りするアジトに、
何かしらのアプローチを掛けることは難しいだろう。
だが、日は沈み始めており、もう夜になる。
アジトの中にちらりとランプの燈が灯されているのが見えた。
どうやら今回の目論見は無駄骨に終わりそうだ。
さてどうしたものだろうか。
おとなしく今のうちに町に戻ろうか悩む。
だが、帰ったところでお金はなく宿に泊まってもどうせ雑魚寝だ。
ならば諦めて最後まで地中のさなぎのように
おとなしくしていようと考える。
そうして、また退屈な監視活動に戻ろうとしたときだった。
がさり、という音が自分が隠れているすぐ右隣から聞こえた。
心臓が飛び上がるほど跳ね、口からは悲鳴が迸りそうであったが、
なんとかその衝動を堪え、氷のように固まりながら目線だけを
そちらに向ける。
そこにいたのは3匹のゴブリンたちであった。
幸いながらこちらには気付いていない。
枯葉による隠ぺいがうまくいっているのだ。
なるほど、もちろん町の外なわけであるから、モンスターは当然いる。
しかも、森の中など、平原よりもモンスターが生息していそうな雰囲気だ。
とはいえ平原にアジトを作るわけにもいかなかったのだろう。
なにせ人目につきやすい。だから森の浅い場所につくったのだ。
だが、一方でモンスターの目にはとまってしまったらしい。
3匹のゴブリンたちは手にナイフや棍棒といった凶器を光らせながら、
小屋を襲撃するタイミングを計っているようだ。
グゲ、グゲゲと、人間には理解しようもない言語で
コミュニケーションを図ると、見張りの死角となる後ろへと
大きく迂回しながらゆっくりと回り込んでいった。
「小屋の中には今、恐らく3人、見張りは1人。人間の方が多い。
それに、町の方からいつまた他のメンバーが戻ってくるかもわからない」
ゴブリンというモンスターの強さは一度戦った限りだが、
自分と同じくらいだと思われた。
盗賊といえば、少なくとも自分よりは戦い慣れしているだろう。
だとすれば、ゴブリンの襲撃が成功する見込みは少ない。
だが、僕はゴブリンが自分から大きく離れるのを微動だにせず
目だけで確認してから、ゆっくりと被っていた枯葉を押しのけて
起き上がった。
ナイフを鞘にしまい、中腰のまま、ゴブリンたちに付いて行く。
そうして、遠目にゴブリンたちが小屋の裏手に周り、
見張りに気付かれないように近づいて行くのを眺めた。
3匹が目線で互いにコンタクトをとると、
見張りの後ろから一斉に切りかかった。
「ぎゃっ」
という裂帛の如き悲鳴が轟くと、首筋から噴水のように血しぶきをあげて、
見張りが崩れ落ちた。
小屋の中が騒がしくなる。
なんだ、どうした、という怒鳴り声とともに、やはり数えていた通り、
3人の男たちが武装して飛び出してくる。
ゴブリンたちは中に盗賊たちがいることも予想していたのか、
間を置かずに切りかかった。
それは奇襲になったようで、頭にナイフを受けた盗賊の一人は
悲鳴を上げて地面に崩れ落ちた。だが、そのナイフは頭蓋骨にまで
達してしまったようで、ゴブリンの手からナイフを奪うことになる。
ゴブリンも引き抜こうとするのだが、深々と刺さったナイフは
取れないようだ。
仲間をやられた盗賊は激怒して、そのゴブリンへと襲い掛かる。
だが、それを、別のゴブリンが小剣で防いだ。
2対3でゴブリンの方が数で優勢な状況だ。
盗賊たちは後退しながら防戦を繰り広げる。
「おっと、こっちにくるぞ」
森の中に潜んでいた僕は、早々にその場所を離れると、
見付からないように気を付けながらぐるりと戦いを避けるように
反対側へと回り込んだ。
そうして、盗賊やゴブリンたちが十分に離れたことを確認してから、
小屋の中へとこっそりと忍び込んだ。
中にはランプに照らされて様々な盗品が並んでいた。
宝石や金貨、壺や絵画、骨董品、武器、防具、よくわからない書物、
幾つもの木箱や、黒い棺のようなものも所せましと並んでいる。
僕は手前に転がされていた金貨を入れた袋を一つだけ
乱暴に掴むとポケットへねじ込んだ。
そして、ある物を探す。
それをあっさりと見付けると、僕は出来るだけ速やかに
それを破壊して、次にランプを探すのであった。
・・・
・・
・
僕は小屋に入ってから数十秒ほどで、すぐに外に出た。
これでやるべきことはやった。
あとはどうなっても特に未練はない。
失敗することだってあるかもしれないが、ともかく自分は
怠惰なわりによくやった。それで十分だった。
僕は成否を評価しないのだ。
精神衛生上、とりあえずやるべきことをやっていれば、
それで成功とし、評価する。
さて、あとは一刻も早く自分の命と安全を確保するために
奔走するだけだ。
そう認識して一目散にその場所から離れ、改めて森の中に潜んだ。
先程よりもずっと遠く。小屋はぎりぎり見えるものの、
豆粒よりも小さい。様子が多少わかるくらいだ。
そこで僕は改めて葉っぱを被る。念入りに念入りに隠ぺいし、
遠くから動向を見守った。
すると、僕が小屋を出て森に潜んで直ぐに、
先ほどの盗賊たち3人とは違う、別の男たちが小屋にやってきた。
すごい人数だ。20名はいる。
おそらく盗賊団の残りのメンバーではなかろうか。
明日の出立のために集まってきたのか。
あれに見付かっていれば僕の命は風前の灯だっただろう。
本当にぎりぎりじゃないか、と自分の命をまたしても
天秤にかけてしまっていたことに、改めて呆れる。
彼らはドアの前で何かを怒鳴っている。
どうやら見張りが倒れていることに気付いて慌てているらしい。
するとそこへ、ゴブリンたちと戦っていた盗賊たちが戻って来た。
なるほど、防戦に徹していたのは、仲間がじきに戻って来ることを
知っていたからだろう。
今度はゴブリンたちが防戦に回るほうだ。
いや、防戦に回る程の暇もないようだった。
23対3である。勝敗は火を見るよりも明らかだった。
一瞬で盗賊たちはゴブリンたちを切り伏せると、
その死骸に向かって何かを言いながら小屋へと戻ろうとした。
だが、その小屋の様子がおかしかった。
まるで地震のように小屋ががくがくと震えているのである。
いや、その周辺の大地も、小刻みに揺れていた。
盗賊たちが異変に気付くと、慌てた様子で小屋へと駆けこむ。
その男たちの叫び声は遠くにいる自分にもしっかりと聞こえた。
「蟻が来るぞ」
その声にはどこ聞き覚えがあった。
多分、最初に見た盗賊5人組のリーダー格のものだ。
だが、その警告は既に遅かったらしい。
地面から隆起するように白銀の鋭い針の如きものが突き出して、
警告を発した男を刺し貫いたのだ。
そのような光景が幾つも、小屋の周辺で巻き起こる。
小屋に逃げ込もうとした盗賊もいた。
だが、小屋の寿命はもっと儚かった。
むしろその針の目的は小屋であったのだから。
割られた壺からまき散らされたキマアカ香には、
ランプの火が移されて燃え広がっていた。
周囲には大蟻が好む匂いが充満し、
蟻たちは一斉にこの小屋を目指したのだ。
籠城しようとした盗賊たちは、匂いに惹かれてやってきた
数十の大蟻に対抗することができず、
蟻の口元に生えた鋭い針に突かれて命を落としていった。
ある者は逃げ出そうと試みたが、小屋の周囲に漂う
キマアカ草の匂いが、その者に染みついていたのだろうか。
それとも逃げる対象を追うような性質でもあるのか。
大蟻たちは執拗にその場にいた人間たちを追いつめ、
一人一人をその白銀の針で貫いていったのだった。
僕はというと、ともかく怖くて震えているだけで精いっぱいであった。
さすがに駄目人間であるだけあって、罪悪感は一切抱かなかったが、
自分が襲われる可能性があるのではないかと思って戦々恐々とした
心持になっていたのである。
まさかあれほどの大参事になるとは思っていなかったのだ。
もちろん、盗賊が襲われる分には何ら良心を痛めているわけではない。
ただただ、自分の命が危ないのではないかと懸念していただけである。
なので僕は、盗賊たちが阿鼻叫喚の坩堝に陥っているにも
関らず、ともかく微動だにしないことに腐心した。
自分さえ助かればいいのだ。
見付からないように見付からないように、
石にでもなったつもりで、自分の安全を神に願ったのである。
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