第4話 鷲鼻

ギルドから出ると快晴の空が目を射った。

斜向かいに目をやると、盾に剣が交差した模様を看板に

掲げたお店が見えた。こんな時間ということもあって

人はまばらだ。屈強な人たちに混じって武器を選ぶ、

というのは、僕にとってはハードルが高すぎるが、

今ならば大丈夫だろうか。


それにしても、こうやって人目を避けてての行動というのは

本当のところ吉と出ているのか凶と出ているのか、

よくわからないところだな、と思う。


色々な人たちと出会うための数々のきっかけを喪失させて

いることは間違いない。人はネットワークの中で生きるものだから、

やや致命的な部分であるようにも思う。


しかし、人と積極的に関わりあいになりながら生きていくなんて、

考えるだに、考えるのをやめてしまうくらい、億劫だった。

ストレスで死んでしまっても不思議ではない。


益体もない思考を弄びながら、ドワーフのお店の扉を潜った。


中は思ったとおり、期待していた通り、ひっそりとしていた。

思ったよりも広い。広々とまでは言えないが、なかなか奥行がある。

一番奥に幅の小さなカウンターがあり、そこにむっつりとした

小柄な男が座っている。鷲鼻の、硬い髭を蓄えた、目つきの悪い、

がっしりとした体型の、4、50くらいに見える男だ。


いかにもドワーフらしくて、予定調和を満たした安心感がある。

異世界だというのに、予定調和もないだろうに。


そんな思いはおくびにも出さずに、合った目をすぐに逸らして

両脇に並ぶ棚へと視線を移した。なるほど、小ぶりなものから、

槍や斧、長剣のような大きな物まで、一通り揃っているようだ。


触ってみてもいいのだろうか?


ちらりと店主の方を向いたが、微動だにしない。逆に怖いのだが、

ゆっくりと武器に手を近づけてみた。特に反応はない。大丈夫そうだ。

触れてみた。触れてみたのは槍だ。柄は金属のひんやりとした感触を

伝えてくる。


調べる、と念じてみたが、やはり何も起こらなかった。

調べる説、は破棄するよりほかになかった。

そんな説があったかどうかも定かではないが、次の品に目を移した。


武器の前には数字の書いたプレートが置かれていたり、

結び付けられている。高いものは100万マグラを超えるようだ。

それはそうだろうな。日本で購入してもそれくらいはするだろう。


逆に、安いものは安い。果物ナイフ程度のものであれば、

500マグラとある。これならば買える。買えるが、世の中には

諺がある。安物買いの銭失いだ。しばらく使用することを考えると

頑丈なものがいい。手入れの仕方もよくわからないから、

砥石のようなものもセットで購入したほうがいいのだろうか。

そういうものはあるのだろうか。


「すいません、砥石はありますでしょうか」


「ああ、あるよ。買うのかい。最近の冒険者にしては殊勝なもんだね。

 ちなみにうちでも研磨や修繕はやってるから、それを利用して

 もらっても構わないが」


そうか、そういうのもあるのか。確かに全部自分でやるのは

現実的じゃあないだろう。


ただ、それはそれとして砥石は持っておこうかな、と思った。

理由は特にないのだけれど、砥石で武器を研ぎながら時間を

潰すのも悪くないな、と思っただけだ。


常に興味を唆る時間つぶしを探して生きているようなものだ。自分は。


「砥石は、そうだな。余ってるってこともある。1000マグラでいいが

 どうするね」


1000か。ま、それくらいはするか。あとは武器の値段次第ってところ

なんだけれども、最初から知っていたとおり、武器の目利きができる

わけはない。店主に予算の範囲で整えてもらうのが良さそうだ。

この店主さんは良心的な感じがすると、自分の直感も告げているし。


店主に3000マグラの予算を告げると、ううん、と顎鬚をしごきはじめた。


「冒険者は金のないやつが多いが、3000しかないってのも珍しい。

 そうだな、それくらいになるとナイフくらいしかないだろう。

 ほれ、こっちのやつ」


店主がカウンターから立ち上がって武器の棚の前に歩いてくる。

店主が指さしたのは、一番最初に自分が果物ナイフと称した

500マグラのものだ。


「やっぱりそれしかないですか」


「そうだなあ。すぐに潰れちまうかもしれないが、しょうがないわな」


「薬草採取に行こうと思っているんですが、どんなものですかね」


「薬草を切る分にはもちろん持つが、いざモンスターと戦うなら

 何十回とは持たないわな。一回ごとに切れ味は悪くなる。

 無理はしないようにして、砥石で丁寧に磨いてやることだ。

 うまくすれば1年くらいは持つだろうさ」


そんなもんか。そんなもんなんだろうな。


それ以上は粘ることもなく、あっさりと砥石1000とナイフ500を購入し、

計1500マグラを支払ってお店を出た。


まあこんなもんだろう。それにしても店主さんが良さそうな人なのが

よかった。気難しい相手だと、人見知りの自分には敷居が高くなるのだ。


しかし、何にしてもかなり疲れた。冒険者ギルドで依頼を受注し、

初対面のドワーフの店主と色々とやりとりしたのだ。

それだけなのだが、人見知りの自分にしてはけっこう頑張った部類になる。

まだ冒険にすら出ていないが、休憩の必要を感じた。

このまま薬草採取などに向かえば疲労感で倒れてしまう。

何かしらミスをすること請け合いだ。

こういう心労はコントロールしないといけない。


気持ちの良い天気の下を、噴水まで歩いて行った。

ごくごくと水を嚥下してから、リラックスするために

異世界三日目と書かれたメモに目を落とす。


・大蟻とは?

・安定的に住む場所の確保

・安定的なお金の確保

・冒険者用依頼の受注

・ギルドの情報整理

・ステータスの鑑定屋

・職業とは?

・職業に就く方法は?


ええっと、まずは。

そうつぶやいて、冒険者用依頼の受注に斜線を引っ張った。

それから、ステータスの鑑定屋に斜線を引いて、次のページへと

書き写した。

また、研ぐ、と加筆しておいた。あと、薬草採取!、と書く。


そうだ、そうだ。と重要なことに気がついて、ペンを走らせる。

残金確認、それからお金(ピンチ)、と書いた。


・大蟻とは?

・安定的に住む場所の確保

・安定的なお金の確保

・ギルドの情報整理

・職業とは?

・職業に就く方法は?

・研ぐ

・薬草採取!

・残金確認

・お金(ピンチ)


残金だが、3000マグラから1500マグラを差し引いて1500マグラに

相成った。宿泊料は4000だから、今日中に2500は最低でも稼がないと

いけない。だが、薬草採取は、葉っぱ一枚で10マグラである。

群生していればいいが、そう都合よくゆくとは限らない。

というか、そうなっていないと考える方が適当なように思われた。

250枚を今日中に稼げるだろうか。稼げなければあまり歓迎したくない

方法を選択しなければならない。一つはもちろん野宿である。

一晩くらいなら大丈夫な気もするが、この大丈夫が命取りになるような

気がしてならない。生来の警戒心が警報を鳴らすのだ。最後の最後の

最後あたりの手段と考えるべきだと思った。


もう一つは大部屋、に宿泊することであった。今は個室に宿泊して

いるために4000マグラ支払っているが、大部屋であればもっと安い

だろう。日本の感覚で言えば、多分1000マグラ以内で泊まれるのでは

ないか。食事もどこかの露天で買って食べればそれこそ1500マグラ

以内で落ち着くだろう。


つまり、なんとか一晩くらいならばしのげる。


ふむ、とそこまで考えを進めて頷いた。いちおう楽観しても良いようだ。

だが、大部屋ということは色々な人と一緒に寝室を同じにするという

ことだ。やはり憚られるなぁと思った。人見知りの自分にはきつい。

これも最後の手段ということなのだろう。


そして、これ以外の手段は特に思いつかないのだった。

いや、もう一つあるか。

薬草採取はもう受けてしまった。

だが、達成期限は、実は明日以降でも良い、という気がする。

明日以降でいいのであれば、今日もご多分にもれず、

日雇い労働を受注すればとりあえず凌げるのだ。

けれど、もしそうするのであれば、一旦ギルドに引き返して、

明日以降の達成でもいいかを受付に確認しなければならない。

それはそれでまどろっこしかった。

せっかく受注する、というミッションをクリアしたのだ。

しかも一番簡単な依頼である。これを達成しなければ、

次の依頼を、という気にならない。明日も、今日やった工程をもう一度

繰り返すことになるのだ。それは億劫だった。自分は面倒くさがりだが、

退屈なのも面倒なのだ。とりあえず物事は前に進んでいてくれないと

いけない。


「結局行くしかないんだよな。行ってから考えよう。どうなるか知らんが」


考えるのがいい加減面倒くさくなって、

思考を豪快に投げ捨ててしまった。


購入したナイフをポケットにしのばせて、一路、町の外へと向かうのだった。


・・・

・・


門に立っていた見張りの人に、「薬草採取に」とだけ言って外に出た。


見張りの人は、じろりとこちらを見て、少し頷くだけで

特に何も言わなかった。

どこかおすすめの場所などを聞いても良かったのかもしれない。

ただ、喋らなくて済むのであればそれに越したことはない。

とりあえず行ってみよう。モンスターが出たらすぐに逃げ込める

場所がいいだろう。

そうか、モンスターが出ないで、いざ出ても町に逃げ込める、

いい感じの場所、について聞いてもよかったかもしれない。


だが、既に門からは少し離れてしまった。

今から取って返して聞きに行くのは気後れしてしまった。

何しろコミュニケーション障害に片足を突っ込んでいる。

無理なことは諦めて潔く町の周囲を囲む兵の周りをうろうろと

地面を見ながら進んだ。

異世界に来た初日に見たように、背の低い下草たちが

ところどころに生えている。

むき出しの土くれや、人の頭ほどの岩がごろごろとしている。

外周はなかなか長い。2、3kmありそうだ。


それから、歩いていると遠くに森林が見えてきた。

少し思い出した。冒険者登録をする際に、エルフ大森林、

という言葉が出てきた。昨日の情報だというのに既に記憶が

薄れてきていることに気づく。さっさとメモをつくったほうが

良さそうだ。


エルフ大森林は、たしか東、と言っていたように思う。

この方向がだいたい東、ということか。昼も過ぎて、

太陽が傾き始めている。自分の影を見る。どうやら地球の

方向とだいたい同じと考えて良さそうだ。

つまり、森のある方向が東だとすれば、

太陽が傾き始めている方向は西に当たる。


さて、そんな風に景色を眺め、地面に薬草が生えていないかを

確認し、モンスターの出現に戦々恐々としつつ歩いていた。


薬草についてはちらほらと見かけて、その都度刈り取った。

モンスターについては出現しない。


1時間ほどして採取できた枚数は10枚程度。100マグラだ。

日本円換算でだいたい100円、ということだ。


「これはまずいな」


やはり、事前に良さそうな場所を聞いておくべきだったか。

だが、聞いたからといって、うまくいったとは限らない。

後悔は早々にやめて、どうしたものかと唸り始めた。


お金があればこの採取の結果でも十分なのだが。はじめての

依頼なわけであるから、中途半端であっても無事に依頼を

達成できれば自分としては満足だ。


だが、今はお金がない。つまり雑魚寝の未来が待っている。

それは嫌だった。嫌であったが、


「まあ、しょうがないのかなあ」


早々に諦めた。そうすると心が軽くなった。嫌ではあるが

我慢できないほどではない。盗難などが怖いが、盗難に

あうようなものもない。服までむしられたりはしないだろう。

宿の中である。ただ、厄介な人間はいるかもしれない。

その場合はなんとか目をつけられないようにして、最悪

逃げ出そう。そうしよう。


そこまで考えてしまうと、違う悩みが頭をもたげてきた。

いや、これは病気だな、という自覚がある。


もう少し、遠くまで、足を伸ばしたい、という欲求である。


要するに旅がしたくなってきたのだ。


つまり、ここから見える大森林、遠くまで続く草原の向こう側、

うっすらと影のように見える山々。見知らぬ世界。異世界。

日本とは違う風景。異なる空気。見たことのない遺跡、建物。


異世界での生活も三日目となり、少し慣れてきたこともあるのだろう。

持病の旅好きが疼きだしたのだ。


もちろん、いきなりそのような遠方まで行けなくてもいい。

むしろ行ってはいけない。

病気は病気でもコントロールできる病気だ。

今はそう、ともかく、この世界を少しでも歩いてみたいのである。


「とりあえず、壁から少し離れて歩いてみたい。

 ほんのちょっと。せめて100メートルだけでも」


誰に対する言い訳なのか。

まずいことしているな。警戒心が足りなさすぎるな。

という自覚と警戒音が頭に何度も去来するが、

もう止められない。この衝動にはどうせあらがうことはできない。


壁から10mは離れずに歩いていた僕であったが、

まずは20m、そして50、80と幅を広げていく。


そしてとうとう100mほど離れた。


壁は遠方に見えるが、すぐに戻れるような距離ではない。

怖いし危ないように思った。そして爽快だった。

360度ぐるりと一回転してみた。周囲は見たこともないほど

広々とした光景を自分に見せてくれた。


東のエルフ大森林はつやつやとした緑を遠くからでも見せる。

中に分け行って見たいものだ。やはりエルフがいるのだろうか。

しかしモンスターもいそうだ。行ってみたいが行くことは

難しそうだ。四方には広大な山脈が影をうっすらと続く。

北の山にはレッドドラゴンがいるとのことだった。

見にゆきたいものだ。そして、できるならドラゴンの肉、

というのも賞味してみたいものだ。牛肉に近い味だったり

するんだろうか。トカゲだろうか。トカゲは食べたことがない。

つまり未知だ。わくわくとした。南は砂漠があると聞く。

暑そうだ。ターバンを巻いてらくだに乗って進むのだろうか。

らくだはいないように思うが、違う乗り物があるのだろうか。

魔法だろうか。あまり見るものはなさそうだが一度くらいは

行ってみたいものだ。西には洞窟があるらしい。洞窟は

それほど行きたいとは思わない。怖いものみたさに覗いてみたい

気もするが。いや、案外、一般の洞窟のような感じではない

のかもしれない。だとすれば、やはり一度は行ってみたい。


周囲を恍惚とした感想を浮かべながら眺めていた。

すると、ついつい浮かれていたのか、足がもつれてしまう。


おっとっと、などと言いつつたたらを踏むと、

今まで自分が立っていたところを、

何かがすごい速さで過ぎ去るのを感じた。


僕は考えるよりも早く、町の方向へと走り出していた。

なんなのか分かったわけではなかった。

ただ、判断は迅速だった。意外と動ける男だ。

内心はばくばくとして、心臓は早鐘をうつが、

腰が抜けて動かないようなことはなかった。


全力疾走である。全力で逃げ去りながらも、後ろを振り向いた。

追ってきていた。追ってきていたのは、一匹の子鬼のような

生物であった。腰の部分を布切れ一枚で隠し、手には小さ目の

汚れた剣を持っている。


それが人語ではない奇声を発し、獲物と見定めた自分を

全力で追ってきていたのである。腰が抜けそうであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る