第10話 愛の形
眩い照明がダリアを照らした。主役の登場に、客席の視線は一瞬にしてダリアに集まり、彼女はその熱気に息を飲んだ。
……皆が私を見ている。どうしよう。足が震えてる。落ち着いて。練習では上手くいったんだから……。
ゆっくりと舞台の中心へ歩みながら、ダリアはそう自分に言い聞かせた。
息を整えて、正面を見た。目の前には知らない人々の顔がずらりと並んでいる。舞台上から見える客席は果てしなく広く感じた。
しかし客席の奥まで目をやると、肩に入っていた無駄な力が抜けていった。そこにはロイの姿があったのだ。
彼は壁にもたれかかってこちらを見ていた。ダリアはその姿を目にすると、すっと心が軽くなり、落ち着きを取り戻した。
きっと大丈夫。
ダリアはロイと過ごした日々を思い出し、そう思った。
オーケストラが演奏を始め、ダリアは歌い始めた。
すべてを包み込むようなダリアの美しい歌声は、観客を一瞬にして魅了した。
一方ロイは、ダリアと初めて出会った日のことを思い出していた。川原で聞いた春風のように澄んだ美しい声。あの時から、彼女の声がこの世の何よりも心地良かった。
舞台で歌うダリアを遠くから見つめていると、なぜだか胸が締め付けられる。
そして、漠然とこう感じた。
もう自分は一生ダリアの魂を奪えない、と。
ついに、ロイは自覚してしまったのである。
今の自分が欲しているのは彼女の魂ではなく、彼女の未来なのだと。
そして願わくば、この先も生きた彼女の隣にいたい。彼女の瞳に映っていたいと。それは死神が人間に最も感じてはいけない感情だった。
ロイはついに自覚してしまった。ダリアを愛してしまったのだと。
曲が終わると観客は総立ちで拍手を送った。人々は感動と興奮を分かち合うようにダリアを絶賛した。
そんな中、ロイだけは暗い表情でただ立ち尽くしていた。
「ロイ! どこに行ってたの。探したよ!」
終演後、ロイを探して走り回っていたダリアは大きな声で彼を呼び止めた。
ロイは相変わらず無表情でダリアを見下ろしている。
『何の用だ』
「何の用じゃないよ。何も言わずに急にいなくなるからびっくりしたじゃない」
ダリアはいつもと変わらぬ声色で話し続けた。
「この後ね、ハロルド様がレストランを予約してくださったらしいの。大事な話があるって。だからロイも一緒に……」
ダリアがそう言いかけると、ロイが低い声で言葉を遮った。
『行かない』
まさか断られるとは思っていなかったダリアは目を丸くしてロイを見た。しかしそんな彼女を気に留めることなく、ロイは淡々と言葉を続けた。
『あの男はお前に惚れてるよ。よかったじゃないか。これでお前は貴族の花嫁になれるな』
「え……?」
ロイの言葉にダリアは唖然とし、その場は静かになった。
ダリアにとって、雲の上のような存在のハロルドが自分に真剣な恋愛感情を持っているなんて考えたこともない話だった。
そしてそれと同時に、急にロイから突き離されたような気持ちになり、胸がチクリと傷んだ。
しかしその一方で、これこそがロイが自分に望んだ“幸福”なのかもしれないと思った。
幸福になれば、ロイは本来の死神としての役割を全うできる。やっと彼を解放できるのだ。
「……もし私が貴族になれたら、ロイはちゃんとキスしてくれるよね?」
落ち着いた口調で話すダリアに、ロイは顔を歪めた。
そして何も答えなかった。
「ねえ、答えてよ! ロイにもう時間がないことぐらいお見通しなんだから! なんならもう、今でもいいよ」
『は?』
「だって私、十分幸せだし。悔いなんてないもん。だからいいよ。ねえ、ロイ。もう早く私の魂を奪ってよ。……キスしてよ!」
ダリアはロイに詰め寄った。とっくに覚悟はできていた。もうこれ以上、人生を変えてくれたロイを悩ませたくない。ダリアはそう強く思っていた。
しかしその言葉は、ロイにとっては酷なものでしかなかった。
『黙れ!』
ロイは鬼気迫る表情で声を荒げた。そして触れられそうになった腕を振り払った。
『そんなに死にたいなら勝手に死ねばいい! 俺はもうお前に用はない……!』
ロイはダリアを突き倒し、その拍子にダリアはその場に尻餅をついた。
「いっ……ちょ、ちょっと待って!」
『黙れ。もう二度と会うことはない』
ロイはそう言い捨てて、人混みの中に消えていった。
取り残されたダリアはゆっくりと立ち上がった。ロイの姿はもう見えない。その瞳からは一筋の涙が流れた。
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