第6話 人助け





 翌日、ダリアはハロルドに教えられた劇場へ向かった。


 ダリアは普段足を踏み入れることのない、煌びやかな街並みに感動していた。そこは以前住んでいた裏路地とは別世界のようであった。


『おい、ちゃんと前向いて歩かないとぶつかるぞ』


 キョロキョロと周りを見渡すダリアに呆れ、ロイはそう声をかけた。


「えっ……あっわあっ」


『言ったそばから……』


 ロイの忠告は虚しく、珍しい建物を見上げることに夢中になっていたダリアは、前を歩いていた老人にぶつかってしまった。


「すっ、すみません。大丈夫ですか?」


 ダリアは慌ててぶつかってしまった老人に声をかけた。


 老人は痩せこけていて、垢だらけの肌に青白い唇をしていた。ボロボロの衣服を纏っていたその老人は、煌びやかなこの街には不釣り合いな風貌に見えた。


「……ああ、すまないね」

 

 老人はそう言葉を返すと、ゲホゲホと大きく咳込んだ。


「大丈夫ですか? おじいさん」


 ダリアは咳き込んだ老人を心配そうに見つめ、咄嗟に背中をさすった。


「ああ、大丈夫。これは人にうつる病ではないから」


「……おじいさん、咳の病なの?」


 ダリアはそう老人に尋ねた。青い唇に咳こむ姿。これには見覚えがあった。それはダリアの母が晩年苦しんでいた姿だった。


「ここ数日特に咳がひどくてね。息も苦しくなってきて……この街には名医がいると聞いて隣町から来たんだが、だめだったよ」


「だめだった? 名医ではなかったのですか?」


 肩を下げる老人に、ダリアは深刻な表情で問いかけた。

 老人はまた大きく咳き込み、息を整えて声を発した。


「ワシはこんな身なりだからね。病院には入れてもらえなかったんだ。薬を買うために貯めてきたお金も持ってきたのだが……何を言っても物取りと疑われてだめだったよ」


 老人は諦めた様子でとぼとぼと歩き出した。その姿はダリアにとって、少し前までの自分に重なった。


『人間の世界ではよくあることだろ』


 ロイは皮肉な口調で言ったが、ダリアの耳には届かなかった。


「おじいさん! ちょっと待って!」


 ダリアは老人の後を追いかけ再度声をかけた。


「おじいさん、もう一回病院に行ってみましょう。せっかく隣町から来たんだし、話せばわかってくれると思うわ。私も一緒に行くから」


 ダリアはニコリと笑って老人の手を引いた。


『はあ? 劇場へ行くんじゃなかったのかよ! 見知らぬジジイなんか放っておけよ』


 ロイは悪態をついたが、ダリアは気にしなかった。


「放っておけないよ。それに、まだ時間はあるから大丈夫」


 そう言うとダリアは老人とともに病院へ向かった。





「ですから、さっきお断りしましたよね? うちの病院は貴族様も通われる由緒正しき場所です。貴方のような貧乏人を中に入れてしまうと、病院の品格が下がります」


 病院の入り口で立っていた職員の女は、険しい表情でダリアと老人にそう言い放った。


「このおじいさんは隣町から息が苦しいのを我慢して、わざわざここに来たんですよ? そんな患者さんを追い返すのなんて間違ってます!」


 ダリアは声を張って反論した。しかし病院職員は冷ややかな態度のままだ。


「フン、知ったことではありませんね。うちも忙しいのです。さっさと隣町に帰りなさい」


「なっ……!」


「もういいよ、お嬢ちゃん。諦めて帰るよ。お嬢ちゃんの気持ちだけでも嬉しかったよ」


 老人は諭すようにダリアに声をかけた。そして苦しそうに咳をした。

 ダリアは悔しくて悔しくて堪らなかった。


 その時だった。

 項垂れるダリアの直ぐ隣を、一人の見覚えのある黒髪の青年が通っていった。


「どうなさいましたか?」


 病院職員は頬を赤く染め、先程とは別人のような甲高い声を出して青年に話しかけた。


「ちょっと診てほしいんだが。咳と呼吸苦がある。急ぎで頼む」


 青年は淡々と話した。


「かしこまりました! ちょうど今は空いてますから、すぐ先生に診てもらいましょう! こちらへどうぞ」


 病院職員は大袈裟なほどの態度でそう言い、扉を開けた。すると青年は突然立ち止まった。


「俺じゃない。あの爺さんだ」


「え?」


 青年の言葉に病院職員はぽかんと口を開けた。彼が指差した先には先程の老人がいたのである。


「……ロイ?」


 ダリアはこちらに振り返った青年の顔を見て声を上げた。

 どこかで見たことがあると思った青年は、いつの間にか人型に変化したロイだった。


「で、ですがあの様な者は……」


 職員は狼狽えてモゴモゴと何かを言おうとしていた。

 するとロイは整った顔を近づけて無表情のまま声を発した。


「俺の連れだ。文句があるのか? 先程空いていると言っていたよな?」


 人型をしていても元は死神である。ロイの言葉の一つ一つが、形容しがたい圧を発していた。


「も、文句などあるはずありません……! ほほほ、ではお待たせしました。そちらの方、待ち合い室へどうぞ」


 まるで別人を扱うかのように、職員は老人を招き入れた。

 ダリアは安堵して、こちらにぺこりと頭を下げた老人に手を振った。



「ロイってほんといい死神だよね」


 ダリアは嬉しそうにロイを見上げた。ロイはあの後、人型からすぐに死神の姿に戻ってしまった。


『……お前がいつまでもグズグズしていたからだ』


 ロイはそう言って不機嫌そうに舌打ちをした。

 そうこうしているうちに、時計台の鐘の音が鳴り響いていた。約束の時間まであと五分しかない。ダリアは血相を変えた。


「もうこんな時間?! まずいよ、ハロルド様と約束してた時間になっちゃう!」


『遅刻だなんて印象最悪だな』


「うう、まだ間に合うわ。走ろう!」


 ダリアはそう言って勢いよく走り出した。ロイはその後ろ姿を呆れた様子で見送った。


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