第4話 歌を売る少女






 勝算はある、そう感じたロイはダリアの身なりを整え、歌を歌わせることにした。本来ならば、街で歌売りなどをしても素通りされてしまうのがおちだ。だがロイには自信があった。


 一方ダリアは、今まで人前で歌ったことなどあるはずがない。

 大勢の人々がせわしなく彼女の前を通りすぎる。


「こ、こんな大勢の前で歌うなんて無理だよ」


『川原で出来たことがここでは出来ないって言うのか?』


「それは誰も聞いてないと思ってたから……」


 ダリアは緊張と羞恥で消えてしまいたいと思った。

 だが協力すると言った手前、ロイに促されるまま声を発するしかない。ロイのおかげで身体を清めることもできたし、新しい服や靴まで身に付けることができたのだ。恩ばかり受けているのだから少しは役に立ちたい。ダリアはそう思って大きく息を吸った。


 はじめは蚊の鳴くような弱々しい声が出た。目の前を通る人々は不審そうにダリアを見て、すぐさま目を逸らした。


『お前、ふざけてるのか? 真面目にやれ』


 ロイは眉を顰めてそう言い放った。ふざけているつもりはなかった。ダリアは顔を真っ赤にして、今度は精一杯声を張った。

 すると先ほどまで不審そうに見て見ぬふりをしていた人たちが一斉に足を止めた。

 

『ほら、やればできるじゃないか』


 夕暮れに染まる街に、ダリアの声が軽やかに響き渡った。彼女の高音は繊細でどこまでも伸びやかで、低音は艶やかで心地よかった。

 咄嗟に口から出たその歌は、ダリアが幼い頃に母親が口ずさんでいた懐かしい歌だ。それはこの国の人であれば誰もが知っている歌であるはずなのに、その場で足を止めた人々には不思議と初めて聞く歌のように聞こえた。




 夢中になって歌い終わったときには、拍手が鳴り響いていた。

 ダリアはその光景に唖然とした。そしてロイは満足げに口角を上げた。


「ねえ貴女、誰に歌を習ったの?」

「素晴らしい歌だった。感動したよ」

「はい、これ少ないけどチップ。受け取って」


 次々と知らない人に話しかけられ、無理やりこじ開けられた手のひらには紙幣や硬貨が集まってきていた。

 ダリアは自分の身に何が起こっているのか分からなかった。



「ロイ! どうしようっ、皆が喜んでくれたよ! それにチップがこんなにいっぱい……アタシ、こんな大金持ったことない。すごい……ロイの言う通りにしたら本当に幸せになれるんだね!」


 ダリアは目を輝かせた。そして思い出したかのように、紙幣を数えた始めた。贅沢をしなければ、数週間は食べ物に困らない程度の金額だ。ダリアは感動で手が震えていた。

 ロイはその様子を呆れ顔で見つめた。


『この程度で満足してどうするんだよ』


「えっ、満足しちゃだめなの? こんな風に誰かに喜ばれてお金を稼ぐなんて……すごいことだよ」

 

『……』


 ダリアは嬉しそうに微笑んでいる。やり場のない複雑な感情がロイの胸をざわつかせた。

 

 こんな事でそんな幸福そうな顔をするな。人間はもっと欲深くあって欲しい。そうでないと調子が狂ってしまう。そうでないと魂を奪う気にさえなれない……。

 ロイは小さく溜息を吐いた。


『まあいい。お前を貴族に嫁がせるにしても、まずは準備が必要だからな。しばらくは歌で稼ぐぞ』



 こうしてダリアは歌売りをすることになった。

 ロイはいずれダリアを若者貴族たちが頻繁に通う『高級喫茶』の給仕として働かせ、関わりを持たせてあわよくば妻、現実的には妾に登り詰めさせる戦略を練っていた。しかしその前に課題は山積みだった。

 ダリアは元々端正な顔立ちをしているが、頬はこけているし全体的に痩せすぎている。それに加え、文字はほとんど読めず、書けない。そして言葉使いは品がなく、動きも優雅さが全くない。これでは金持ちの男の目に止まるはずがない。そもそも給仕すらまともにできないだろう。ロイはそう思った。

 そのため、しばらくはダリアに歌売りをさせる傍ら、貴族相手に失礼がないよう教育する必要があった。




 歌売りを始めて数日が経った。毎日歌う場所を変えていたが、わざわざ探して聞きにくる人も現れるほど盛況していた。


「今日も沢山の人が喜んでくれたわ。あの中にコソ泥してた時の知り合いもいたんだけどアタシのこと気付いてなかったの」


 ダリアは悪戯げにニヤリと笑った。


『確かに、誰もあの下水くさいボサボサ頭と今のお前が同一人物だと思わないだろうな』


「アタシってそんなに変わったんだね」


 過去の自分の身なりがそこまで酷かったのだと改めて知らされ、ダリアは苦笑した。


『ああ、別人だよ。それより……お前、そろそろ自分のことを《アタシ》って言うのやめろ。金持ちはそんな喋り方はしないし、好まない』


「……そうなの? そんなこと考えたこともなかった。でも、ロイがそう言うなら直さなきゃね」


『賢くなくても賢そうに見せることが大事だからな。貴族の女の話し方を手本にすればいい。きっと後々お前のためになる』


「うん!」



 ダリアはどんな時もロイの言葉を素直に受け入れた。

 彼女は貴族に見初められたいという気持ちはこれっぽっちもなかったが、ロイの役に立ちたいという気持ちは強かった。

 ロイと出会ってダリアの人生は変わった。歌売りをはじめて多くの人に話しかけられ、喜んでもらえた。それは生まれてはじめて自分の存在が認められたようなものだった。

 彼女はすでに幸せを感じていたが、まだ足りないのだということは分かっていた。なぜなら、ロイが今の現状に満足していないからである。それはまだダリアの魂がロイが欲する“幸福”に達していないことを意味していた。


 もっと幸せになってロイを満足させてあげたい。そして恩返しするんだ。うんと幸せなアタシの魂をロイに……。


「ロイ、私……頑張るね」


 そう呟いた彼女の横顔は凛としていた。

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