砂漠の虹は美しい

aqri

砂漠に広がる虹

 一面に広がる砂。東西南北どこを向いても砂しかない砂漠、かつてここには栄華を極めた国が存在した。潤沢な木々、あふれる自然、人々は活気に溢れ幸せに暮らしていたという。

 何故この国は水が溢れているのか? 周辺諸国は水を求め、国を求め、複数の国がこの国をおさめようと争いが始まった。

 国は滅び、長い長い時間をかけて風化していき、残るのは砂のみ。ぽつぽつと砂に埋もれている石は建物の跡だ。

 風が吹けば砂嵐となり、目を開けるどころか息をするのもままならないというのに一人の少年は砂の中を歩く。日よけと砂避けの為の大きな布を全身にまとい、足を取られそうになりながら。

 その少年を助けるように手を引いているのは旅人の男だ。どうしても砂漠を渡らなくてはならなくて歩いていたところ少年を見つけ声をかけた。


「風が強くなってきた。嵐が来るな」


 バタバタと揺れる布は先ほどよりも激しく揺れている。遠くは土のモヤができていて、このままでは砂嵐が直撃だ。

 少年は男の服の裾を引っ張ると無言のまま指をさす。指の先には砂からわずかに出ている石。その場所に行き砂を掃うと意外と大きな石の塊だとわかる。二人で砂を掃い続け、姿を現したのは。


「石棺……ああ、これでしのげるな」


 男の言葉に少年はこくりと頷く。少年はしゃべらない。しゃべれないのか無口なのかわからないが、こうして意思疎通はできているので問題ない。男が石棺をわずかに開き、先に少年を入れて自分も入る。かなり大きな石棺は大人と子供二人入っても少し余裕がある。少年を抱きしめる形で入るとやがてビュウゥ、と大きな風の音がした。嵐がきたのだ。


「君は凄いな、どこに何があるのかすべて把握しているのか」

「……」

「音が止んだら出よう。通り過ぎれば問題ないだろう」


 強い日差しを防ぎ、砂に埋もれていたおかげで石棺はひんやりと冷たく心地いい。暑く火照った体を冷やしていく。休むには丁度いい場所だ。


「棺の中で一休みというのも不思議なものだが、助かったよ」


 男の言葉に少年はぎゅっと男にしがみつく。小さく震えている肩を優しく撫でた。


「怖いのか」

「……」

「棺に入るのが怖い? 砂嵐の音が怖いのか」

「……」


 少年は答えない。それでも男は少年を優しく撫でる。やがて震えが止まり、もぞもぞと動いた。どうやら男の耳に顏を寄せようとしているようだが、狭い石棺の中では難しい。


「うん?」


 ひゅう、と息を吐く音がした。ひゅう、ひゅう、と息が抜ける音がする。音の間隔、わずかな音の違いを聞き取った男はなるほどと納得する。


「ありがとうと言いたいのか」


 男の言葉に少年はぎゅっと抱き着く。彼は声が出ないようだ。


「どういたしまして」


 外はゴウゴウと音を立てて嵐が通っている。石棺のわずかな隙間から見えるのは薄暗い光と一面茶色の風景。過ぎ去るのには少し時間がかかりそうだ。


「ここはかつて幸せに暮らす人々がいたらしいな。大きな国で美しい都だったとか」

「……」

「周辺諸国に滅ぼされたとも、滅ぼされる前に散り散りになって難を逃れたともいわれているが真相はわからないと言い伝えられている」

「……」


 石棺の隙間からは砂嵐が見える。その中に動く影。怒号が響き攻めてくる周辺国の兵士、少年は必死に石棺の中に隠れ目をつぶって耳を塞いでいた。まさか棺の中に人が隠れていると思っていなかったのだろう、兵士たちは石棺を通り過ぎ王宮へと攻め入る。隙間から見えるのは、兵たちが駆けたことによりできた土埃と、死体と、真っ赤な町や王宮。赤いのは血か、放たれた炎か、夕日か。

 水はどこだ、雨が降らないのに何故お前たちは、この国はこんなに栄えている。水はどこだ、どこに隠している。そんな叫びがそこら中から聞こえた。


「水なんて最初からなかったんだな。君たちは砂漠の民、水がなくても生きられる民だった」


 砂嵐の中に見える少年の記憶の断片を見た男は少年を抱き寄せる。少年はひっくひっくと肩を震わせる。泣きたくても涙などでない。砂漠の民にとって水は毒だ。

 木も草も花も動物も、すべて水を必要としない。そうやって何百年も生きてきた。老いることも病もしらない一族。しかし水があって当たり前の国々にとってそれはまったく理解できないことだった。まさか水なしで生きる者達がいるとは誰が想像つくだろうか。

 ただ滅ぼされるだけの民、周囲とは異質だった者達。一方的な虐殺に王は決断をする。


 愛する民を他国に殺されるくらいなら、自らの手で。


 砂嵐のゴウゴウという音の他にざああ、と雨の音が混じる。王が降らせた夕立はやがて豪雨となり、民を、木を、家畜を、すべてを溶かし消してゆく。溶かさないのは死者を守るための石棺のみ。

 砂嵐の中に見える雨の光景。溶けて行く、消えていく皆は笑っていた。殺されなくて済むことへの安堵、王自ら決断し手にかけてくれることへの感謝、そして、初めて見る……

 あの日、あの時見たアレ。見たこともない、しかしとても美しいアレに少年は目を、心を奪われた。悲しいのに見入ってしまっていた。少年は男の裾を引っ張る。


「あれか? あれは虹というんだ。雨の中、特に夕立の後に見えるという」


 石棺の外に向かって手を伸ばす少年、その腕をそっと掴む。


「まだ外は嵐だ、一度眠れ。起きた頃には嵐は過ぎ去っているさ」


 ぽん、ぽん、と少年の背中を優しく叩く。母が子を寝かしつけるかのように。少年はやがてウトウトし始め、すうすうと寝息を立てた。砂嵐が過ぎるまであと少し。男は外の様子を見ながらいつまでも少年の背中を軽く叩き続けた。砂嵐の中見た少年の記憶。悪い夢を見ないよう優しく叩き続ける。


 少年が起きた時すでに嵐は過ぎ去っていた。男は棺を開けて外に出る。少年もその後に続いた。外は晴れている、まだ砂嵐の跡が残り少しだけ靄がかかっているが夕日が辺りを照らしていた。

 少年は男の裾……その内側に持っていた袋を指さした。

 それは水だ。この砂漠をこすには水は必要不可欠。少年は男が水を持っている事、自分の前で飲まないようにしていたことに気づいていた。


「それがお前の望みか。一人だけ残っているのは辛いか」


 その言葉に少年は首を振る。そして両手を空に向かって伸ばし、大きく手を振った。


「ああ、そうか。今は夕暮れ、見たいんだな。虹を」


 男の言葉に少年は大きく頷いた。バタバタと風に揺る布、体を守っていた布を脱ぎ捨てる。少年の体はあちこちヒビが入り今にも崩れそうだ。小麦色に焼けた肌、金色の髪、水色の瞳。特に喉のヒビは酷く表面はボロボロに崩れている。小さな穴がいくつも開いていて後ろまで貫通していた。

 男は水袋を少年の頭上高くに放り投げる。そして持っていたナイフを投げて水袋を貫いた。


 さあ、っと溢れる水。風に乗って水は細かい粒となり辺りに広がりながら降り注ぐ。

 天を仰いでいた少年は目を見開いた後、幸せそうに笑った。空には大きな虹が広がっていた。

 少年の体に水が落ちる。少年の為だけの柔らかな夕立が少年を包み、溶かし、やがて着ていた服さえも溶かして消えた。


 空にかかる虹はまだ消えない。男はそれを眺めながらナイフを拾う。かつて民を救うため雨を降らせる決意をした王。自らも溶けながら悲しそうに友が言っていた。


「一人だけ残ってしまったようだ、なんてことだ。あの子は永遠に砂漠で生きるのか、たった一人で」


 水の民である男は雨の中に映る景色を通じて遠い遠い場所からそれを見ていた。


「安心しろ、俺がその子を探してみせるさ。渇きは俺にとって命に係わる、とても時間がかかってしまうだろうが、必ず行く。約束する、安心してくれ」


 男の言葉に、砂漠の民の王は悲しそうに、しかし嬉しそうに笑った。


「すまない、ありがとう。頼んだ」

「頼まれた」


 二人で笑い、消えてなくなる友を男は一粒だけ涙を流して見送った。広大な砂漠の中から一人の少年を探す事、渇きが大敵である中乾いた大地を旅しなければいけない事は長い長い時間を要した。


「だいぶ時間はかかったが、確かに約束は守ったぞ」


 虹をいつまでも見つめながら、男は微笑みながらつぶやいた。

 砂漠に一時いっときでもかかった虹はとても美しい。少年の笑顔がそれを証明している。日が落ちるまで、夜になるまで男は雨を降らせる。虹が美しくかがいていられるように。


 END

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