母なる地球の母

aqri

おやすみを言う人

「スイ、もう寝る時間よ」


 母親の言葉に息子は不満そうに頬を膨らませた。


「もうちょっと外を見ていたいよ、次に起きたらネクストなんでしょう?」

「そうね、でもいつでも映像で見られるから大丈夫」


 そう言いながらも母親も息子の肩にそっと手を添えて外を見る。夜ではないのに外はどんよりと暗い。空が厚い雲に覆われ光が届かないせいで水が真っ黒に見えた。

 地球が青く美しい星だったのは遥か遠い昔の話だ。星の寿命を迎えたわけではないのに地球は急速に自然環境が変わり終わりの道を進んでいた。はっきりとした原因はわかっていない、今人類ができるのは原因究明ではなくこれからどう生きていくかだ。

 人々は地球を脱し地球外での生きる道を模索した。ついに一億人以上の人が暮らせる超巨大なプラットフォームを完成させた。約一世紀かかったこの一大プロジェクトは建設を進めると同時に、人類の遺伝子操作という、人が絶対触れてはいけないとされてきた技術にも手を出さざるを得なかった。

 地球外に出るのならそれに適応した体になる必要がある。進化を待っていられないのだからそれは致し方のないことだった。

 その切り替わりとなるのが現在の10歳以下の子供たち。親の遺伝子を使いDNAに様々な改良を加えて完成した新たな人類。

 彼らが暮らす予定のネクストと呼ばれる巨大な人工衛星は現在子供たちの受け入れを開始している。


 ここにいる親子、スイもその1人だ。今日付で二日間のコールドスリープに入りネクストに行くことが決まっている。遺伝子改良を受けていない世代の母親たちは共に行くことができない。


「お母さん、あっちでの暮らしができるようになったらお母さんたちも遺伝子治療を受けるんでしょう? いつ来れるの?」


 その質問に母親は困ったように笑う。


「それは国が決めることだし順番があるからね。治療が終わったら必ず連絡するから、スイ、ネクストでお母さんが行った時に困らないようにちゃんと生活しておいてね」

「わかった、任せてよ」

「じゃ、そろそろ寝てちょうだい。起きたら連絡頂戴ね、おやすみ、スイ」

「おやすみ、お母さん」


 スイがシリンダー型の専用ベッドに入り蓋を閉じると母親がタイマーセットをする。すぐに深い眠りに入ったスイはコールドスリープにより安全にネクストへ行くだろう。

 穏やかな顔で眠る息子の顔を見ながら母親はその間に崩れ落ちるように座り涙を流した。


「嘘ついてごめんね。お母さんはそっちには行けないのよ。どうか、どうか幸せに生きて」


 子供たちには知らされていないネクストの本当の計画。これを知っているのはこのプロジェクトに関わっている研究員の人間のみ、母親もその1人だ。他の大人たちは自分たちもネクストに行けると信じている。

 行けるのは遺伝子改良を受けた子供たちのみ。大規模な暴動が起きないようにその事実は伏せられている。地球から脱出するのは、選ばれた人類のみなのだ。


 XX年X月X日、子供たちを乗せた超高速シャトルは無事ネクストに到着した。あちらでどんな生活を送るのか母親にはわからないが、一つ言えるのは地球での記憶は全て消されているということだ。

 彼らは最初からあちらで生まれたことになるはずだ。あちらでは着実に新しい文化を築き新人類の生活が始まっている。

 それから五年後、ネクストによる大規模な計画が実行されることとなった。



「まるでゴミ溜めだ」


 どす黒く汚れてしまった地球を見て司令官は不愉快そうに顔を顰める。あそこには旧人類がまだわずかに生き残っているという。自分たちもそちらに行かせてくれ愚かにも何度も通信を入れてきている。


「準備が整いました。あとは号令だけです」


 部下の言葉に司令官は大きく頷く。死に損ないの旧人類は必ずこのネクストにとって脅威の存在となる。自分たちの住む環境を好き放題に食いつぶし、反省せず、苦労して立ち上げたネクストをよこせと言ってくる。滅びゆくだけの生命のくせにおこがましくも自分たちと同類であるという思い込み、勘違いも甚だしい。

 彼らは五年前ネクストに着いて目覚めるや否や高度な教育を受けた。そして宇宙、外宇宙などの全環境適応型へと次のステップに進まなければならない。それには旧人類の存在が邪魔でしかない。


「知っているか、地球はかつてとても美しいブルーをしていたそうだ。宝石のようにキラキラと輝いて母なる地球などと言われていたらしいぞ」

「聞いたことがあります。今や見る影もないですね。どの口が母などと言うのでしょう」


 司令官と部下は鼻で笑いながら目の前の星を汚いものでも見るように睨み付ける。事実汚いのだが。


「では作戦を開始する。あそこで這いずり回っているゴミどもを眠らせてやれ」


 その言葉に地球に向かって有害物質を詰め込んだミサイルの発射が一斉に行われた。


 地球上ではパニックが起きていた。いつまで経ってもネクストからの迎えは来ず、連絡を入れても何の返事もない。どうなっているんだと日に日に暴動等が起き始めていた時、突然空から無数の物体が降ってきたのだ。それは地上に激突すると酸素濃度を変えるガスが噴出する。地下の生活へと移っていた人たちは事なきを得たが地上にいた人たちはおそらく全滅している。

 地上のライブ映像でその光景を見ていた女性はパニックにもならず怒りや悲しみにも震えず、ただひたすらその光景を眺めていた。


「もう時間がありません、コールドスリープに入ってください、カナエ」


 この施設を管理しているマザーコンピュータが女性に指示を出す。しかしカナエと言われた女性は微笑みながら小さく首を振った。


「こうなる事は五年前からわかっていた。新人類が旧世代を受け入れるはずがないって。だから最後の時はしっかりとこの目に焼き付けようって決めてたの」

「死の瞬間はとても苦しい。一度眠りに入ってそのまま命を落とす方が」


 人の痛み苦しみを理解しているマザーは二十年以上共にあったカナエを苦しめないよう数々の提案をしてくる。人工知能でありながら痛みを知っているマザー。その言葉がとても嬉しかった。


「ありがとう、でもいいの。ミサイルが降るとあの分厚い雲が少しだけ掃ける。ほら見てマザー、初めてみるわ、こんなに綺麗なのね空って」

「……本当ですね、青くて美しいというのは素晴らしいことです。カナエ、私の持っているデータバンクにはこんな詩があります。空に抱かれて月と太陽を仰いで人は眠る、たとえ自分の生が終わる時でも、私は空と共にありたい、と。空が見られてよかったですね」

「ありがとう、マザー。最後に会話するのが貴方で良かった」


 もうすぐ死ぬと言う極限の状態で詩を紹介してくれたマザーにカナエは心から感謝をする。そして、大量に降り注ぐミサイルを眺めながらカナエは笑った。


「スイ、あなたそこにいるの? 空はね、地球は、とっても綺麗なの。例え地球から離れても、空に抱かれて月と太陽を仰いで眠ってね」


「スイ司令官、いかがなさいました」


 部下の言葉に司令官は驚いて目を見開いた。頬に温かい水がつたっている。指で擦ってみるとそれは涙だった。


「どういうことだこれは」


 彼らは感情が高ぶり冷静な判断を失わないようにセロトニン分泌量がコントロールされている。怒りや悲しみは予定外には起きないはずだ。それなのに司令官の目からは涙が止まらない。


「この計画実施のためずいぶんと仕事量も多かったですし、脳内物質コントロールできる幅を超えてしまっているのでは。計画も実行されました、後はこちらでやりますのでメディカルルームに行ってください。これからが忙しくなるのですから」

「ああ、そうさせてもらう」


 わけのわからない現象に司令官は眉間に皺を寄せてその場を後にした。今日は新人類の新たな第一歩という華々しい日であるはずなのに不愉快でたまらない。作戦は成功したはずなのになぜか嬉しさも達成感もない。

 部屋を出る前にもう一度振り返り地球の様子を見る。分厚い雲に覆われているが地表に放たれたミサイルの成分はいずれ地中にも浸透する。人間も動物も植物もすべての生き物が死に絶えるはずだ。

 原因不明の地球の劣化、このままでは超新星爆発の時期が早まり太陽系に影響が出てしまう。それを食い止めるための措置だ。


 ミサイルが大量に通った後の雲の切れ目からわずかに地表が見える。そこには空なのか海なのかわからない青い光景が広がっていた。

 何も間違ってなどいない。弱き種は淘汰され強い種族だけが生き残る。それは何十億年と繰り返してきたことだ。

 メディカルルームに着いたスイは予約していた寝台に横になる。スタッフがメディカルチェックを行い、セロトニン分泌量の調整を行うと言った。


「神経伝達の治療は痛みを伴いますので眠っている間に済ませます。およそ20分で終わりますのでしばしお休みください」


 その言葉と同時にシリンダー型ベッドの蓋が閉まりリラックスできる香りとともに睡眠効果のある霧が噴射される。いつだったか、似たような事が前もあったような気がするがそれが思い出せない。


「では良い夢を、スイ司令官」


 ――おやすみ、スイ。


 この声の主は一体誰だったか。目尻から零れる温かい涙を拭うこともなく、スイは深い眠りに入った。

 例え母が子を抱きしめられなくても彼らは眠る。

 宇宙そらに抱かれ、月と太陽と地球を仰いで、星々と共に。


 END

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