第10話 そして、正体は
部屋の奥には魔法陣が展開されており、その中に昨日の傭兵達が捕らえられている。そこまでは想像通りだった。
けれども、想像と大きく違う点もある。
オーランドとレオも何かがおかしいと感じたようで、互いに顔を見合わせた。一番後ろを歩くルーシーはどうして良いかわからない。
広い部屋の壁際にびっしりと並び立つ、騎士と魔術師の姿を見たからだ。
(絶対こんなに必要ないでしょ)
どこを見ても誰かと目が合いそうだ。内心そわそわしながら、薄目で床だけを見て進む。
だが傭兵達の前に来れば、自然と冷静になった。昨日は姿を見なかった男が数人混ざっている。彼らが逃亡した魔術師だろう。
そしておそらく、一番端で椅子にくくり付けられている男が――
「貴方でしたか、ビルソン伯爵」
オーランドの静かな声が響く。どうやら知っている顔のようだ。
名前を呼ばれた男は気味の悪い笑みを浮かべる。その笑みに含まれたオーランドに対する敵意は、ルーシーにもわかった。
「私が何をしたと?」
「俺に呪いをかけ、街の人を襲っただろう」
「どこにそんな証拠が? 呪いは証拠が残りにくいものです。……それに貴方が呪いを受けたのはサルバスだったはず。ここはエールベルトですよ? 他国での事件は裁けません」
それを主張するのか、とルーシーは考え込む。
たしかに、実際に犯罪が起こった国でなければ罪人を裁くことは出来ない。常識が異なるエールベルトとサルバスだが、この法は共通のもの。
しかし、目の前の男がオーランドを呪った犯人であると、ルーシーは確信していた。
でっぷり太ったビルソンの首元には、どす黒い痣がある。ズボンの裾から覗く足にも同様の痣。あの色は呪われた側でなく、呪った側に付くものだ。
本来、呪いは禁術。大なり小なり、呪った側にも代償はある。
これだけ痣が広がっているのだから、相当多くの呪いをかけてきたのだろう。服の下がどうなっているのか、考えただけで鳥肌が立つ。
そんなルーシーの気持ちなど知るわけがないビルソンは、勝ち誇ったようにペラペラと言葉を続ける。
「昨日、私が人を襲ったのは事実です。
つまりビルソンは、エールベルトで平民扱いのオーランドを殺したところで、王族殺しのような重大な罪にならないと言っている。
完全に屁理屈だが、誰も言い返さないところを見ると、その屁理屈が通ってしまうようだ。
人を殴ったことがないルーシーだが、拳をビルソンの顔面に叩きつけてやりたくなった。
(でも強制的に呪いを解いちゃえば、この人が犯人だってわかるんじゃないの?)
そう思うものの、ビルソンの表情には余裕がある。
「私は罪を認めておりますから、しばらくこの国で償うことになるでしょう」
「認めているというのは、昨日の件だけか」
「ええ。私が認めるのは物盗りを働こうとしたことと、その際に邪魔だった平民を襲ったことです。ご覧の通り、仲間も捕まってしまいましたし、逃げることも出来ませんから」
「見たところ、ここにいる貴方の仲間は全員異国の者だな。俺の死の呪いが解けて、まだ数日。この短期間で彼らを雇い、サルバスの剣や物資を用意し、正規ルート以外でエールベルトに侵入。それを貴方一人の力で実行出来たとは思えない。他にも仲間がいるだろう、サルバス国内に」
「……さあ、何のことやら」
「もう一度だけ聞く。俺を呪ったのは貴方ではなく、他の仲間もいない。もしくは、いても話すつもりはない、ということか?」
「ええ、その通りです。聞いた話によると強制解呪というものがあるようですが、所詮それが通用するのはエールベルトのみ。サルバスでは理解が追いつかない魔術です。ですから、たとえ私に強制解呪を使用し貴方の呪いが解けたとしても、サルバスの法では証拠として不十分。私を罰することは出来ません。……でもまあ、呪いが解ければ十分なのでは? 犯人は、永遠に捕まらずとも」
なるほど、サルバスでは魔術によって得られた証拠に価値がないのか。それならば強制解呪をしてもビルソンは罪に問われないだろう。
せめて仲間の情報を聞き出したいところだが、自白剤は身体に悪影響が出る可能性があるため、よほどの犯罪でない限り使用出来ない。
「貴方にとっては残念かもしれませんが、昨日の件で私が重い刑を言い渡されることもないでしょう。平民を襲っただけなのですから」
今の話を聞くまで、ルーシーはオーランドにかけられた呪いさえ解ければ良いと思っていた。
だがどうやら、そんなに簡単な話ではなかったようだ。
このままだと、ビルソンは平民の殺人未遂かただの強盗未遂として処理される。すぐにでも青空の下に出られるだろう。
それに比べてオーランドは、情報のないビルソンの仲間に、一生付け狙われることになる。
ビルソンを追い詰め、正しく罰し、彼に協力した人間を一人残らず引きずり出さなければ、オーランドに幸せな未来はない。
ここまで考えて、ルーシーはやっと理解した。
(あー……、だから私が呼ばれたのかぁ)
意外と大きなため息が漏れてしまった。
しかしこちらに背を向けるオーランドとレオは気付かない。拘束されている男達も、ビルソンも、気付いていない。
その他の人間は、全員ビクリと肩を揺らしたのだが。
ルーシーはオーランドの背中からそろりと顔を出す。自分は上手くやれるだろうか。
少しどきどきしながら、言葉を発した。
「平民だからって、傷付けて良い理由にはならないと思うのですが……」
実は先程から、これが最も引っかかっていた。
『平民殺しでは死刑にならない』『平民を襲っただけ』と言うこの男は、一体平民を何だと思っているのだろう。
硬い表情のルーシーを見て、ビルソンは馬鹿にしたように笑う。
「平民はこれだから困る。お前らのような底辺の虫ケラと
よくもまあ、ひどい言葉がスラスラと出てくるものだ。ここまでくると感心してしまう。
ルーシーの眼差しが冷えると同時に、オーランドの背中に隠された。
「おやおや。昨日も不思議だったのですが、随分とかばうのですね?
拘束されたままのビルソンが叫び、暴れ出す。血走った目と黒い感情は、確実にルーシーに向けられている。荒い呼吸を繰り返すビルソンは、今にも血管が切れそうだ。
(いきなり怒られても……)
暴れたところでエールベルトの拘束魔術が解けるはずがない。だから少しも怖くないのだが、突然負の感情を剥き出しにされても困る。
そう思った途端、ビルソンは早口でブツブツと話し始めた。時折ギョロリと動く目が昆虫のようだ。
「これはますます危険だ。貴方はサルバス随一の剣の腕前。剣は国の象徴。そこに魔術まで取り込むとなれば、王位に興味がないと言われても信じられません」
「貴方に信じてもらう必要はない。だが一つ、訂正してもらおう。俺が選ぶのは剣でも、魔術でもない。――もう片方の、国の象徴だ」
「……愛を……選ぶと、言うのですか?」
信じられない、と声を震わせるビルソンに対しても、オーランドは堂々とした姿勢を崩さない。
「そうだな。せっかくだからエールベルトの象徴と言われる、自由も加えといてもらおうか。最近までサルバスに潜んでいたのなら、もう理解してるんだろう?……ルーシーが俺にとって、何よりも大切であることくらい」
ピシリと固まったのはビルソンではなく、後ろに立つルーシーだった。
(な、な、ななななな何!? どういう流れでそうなったの!?)
話を理解したらしいビルソンは忌々しげに唇を噛むが、ルーシーは置いてけぼりを食らっている。
ただ顔は、間違いなく真っ赤だ。緊張感もへったくれもない。
誰が想像出来ただろうか。自分を守るように立つ男から、心臓を握り潰されそうになるなどと。
今すぐオーランドの首根っこをひっ捕まえて退場したい。そして言わせて欲しい。一言、恥ずかしいと。
けれどもそんなことが出来る状況ではないのだ。だから動き出しそうな足を縫い付けて、顔の色以外は平静を装った。
斜め後ろから渾身の目力を込めてオーランドの顔色をうかがうが、いつも通りの無表情。どんな気持ちでルーシーを大切だと言ったのか、微塵も伝わってこない。
初めてだ。あの呪いを
「俺については何を言っても構わない。貴方に死ぬ覚悟があるのなら、呪い合いだって受けて立とう。ただ、ルーシーは……ルーシーを侮辱することだけは、何があっても許さない。貴方のことは必ず裁く。手段を選ぶつもりはない」
オーランドの言葉を聞いた上で知らないふりを出来るほど、ルーシーは自分の感情に蓋をするような生き方を選んでこなかった。
誰よりも優しいオーランドが、自分のために怒ってくれている。それならば、腹を括るのなんて簡単だった。
オーランドと同様に、ルーシーだって手段を選ぶつもりはない。彼を守り抜くと、昨日誓ったばかりだ。
使えるものは何だって使う。――たとえそれが自分にとって、唯一で最大の秘密であったとしても。
「裁く、ですか。やれるものならやっていただきたい! 私は貴方を呪った覚えはないし、この国で犯した罪は全て未遂。昨日そこの娘が大人しく魔術で焼かれていれば、私の罪は未遂ではなくなっていたというのに! 本当に馬鹿ばかりだ!」
ビルソンの口調が徐々に荒くなる。自分の勝ちを疑わない人間は、こうなるのか。
なんとも間抜けで、ルーシーにとっては好都合だった。
「あの魔術で……私に怪我をさせようとしたってことですか?」
「怪我? 殺すつもりだったに決まってるだろう! お前があの時変な魔術で邪魔しなければ、計画が崩れることもなかった!」
ビルソンは凄まじい剣幕でまくし立てる。
けれどもルーシーは笑い出しそうだった。あまりにも上手く、聞きたい言葉が引き出せたから。
「そんな
ガタンッという音と共に、ビルソンの身体が椅子ごと床に倒れ込んだ。
彼の下には魔法陣。魔術師の誰かが発動させた術で、ビルソンの体は通常の何倍もの重力に押し潰されている。
ルーシーは安堵した。オーランドが魔術に巻き込まれなくて良かった、と。
オーランドはビルソンの暴言に誰よりも早く飛び出そうとしたが、自分の制服を掴んだルーシーの手に気付き、踏みとどまった。
どんな場合であっても、彼はルーシーの手を振り解かない。
結果、重力に潰されたのはビルソンだけで済んだ。
魔術はすぐに解かれたが、その直後、ビルソンの顔の真横に勢い良く剣が突き立てられた。剣を握るダイアー騎士団長の顔は、見るのも恐ろしい。
低く重い声で、彼は告げた。
「決まったな。貴様は死刑だ」
「な、何をふざけたことを」
ビルソンはなんとか言葉を返すが、状況を正しく認識出来ていないようだ。見下ろすダイアーの迫力は増すばかり。
「今自分で言ったではないか。殺すつもりだった、と」
「何度言えばわかる! オーランド・サルバスはこの国では平民だ! 実際は生きているのだから、平民相手の殺人未遂で死刑になどなるはずがないだろう! それに、私が殺そうとしたのはそこの――」
「
声を出すと、その場の誰もが口を開けなくなった。
オーランドとレオは、不思議な感覚を味わった。
聞き慣れているのに、初めて聞いたような。柔らかいのに、膝を折りたくなるような。そんな声が聞こえたのだ。
ルーシーは一歩踏み出して、お気に入りの髪留めを外す。
編み込んだ髪が解かれるのと同時に、毛先から流れるように色が変わった。
「ルーシー……?」
声を絞り出したオーランドの横を通り過ぎる。こっそりと、彼だけに伝えた。「大丈夫」だと。
そのまま自分の顔に手をかざし、付け慣れてしまった痣を消す。
「ビルソン伯爵、ご挨拶が遅くなってしまいましたね」
ゆっくりと瞼を下ろし、再び持ち上げる。……おそらく瞳の色も変わっただろう。いや、正確には戻ったのだ。
平凡な色から、一度見たら忘れられない色へ。
ビルソンの前に立った時、誰かの声がこぼれた。
「王族……」
その声に背中を押されるように、
「わたくし――エールベルト王国が第二王女、フィオナ・ルシル・エールベルトと申します」
言葉を向けられたビルソンは何も言わない。何も言えない。ただ青い顔を、驚愕に染めるだけ。
仕方がないことだった。ビルソンの目に映ったのは、魔術学校の制服には似合わない、心をさらわれそうな美しいカーテシー。
一斉に膝を折った騎士達と、手を組み合わせ礼をする魔術師達。その姿を見れば、誰であっても事実だと理解せざるを得ない。
判断を誤れば、この場で首が飛んでもおかしくないのだ。
ビルソンの前に立つ彼女の髪と瞳の色が、エールベルトの
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