それこそが自我(エゴ)。自分自身そのもの

討論ディベートしましょう!


 議論は以前と同じく、『AIに自我はあるか?』で!」


 柴犬アバターに『トモエが尊敬に値する知性を持っている』という事を証明するために提案した討論。


「こんなワガママ、無視して同調したほうが楽だけど」

「言われっぱなしなのは私も我慢ならないのよ!」


 そこにはそんな私怨もあるが、ともあれトモエは柴犬アバターに以前負けた討論を申し出る。


「……。ひぃ! は、了解であります!」


 トモエの言葉を受けた柴犬アバターは一瞬気が抜けたような表情をして、すぐに驚くように言葉を返した。


「……? どうしたの?」

「なななななな、なんでもありませぬ! ちょっとリアルが大ピンチなだけで! あばばばばば!」

「よくわからないけど大変なんだ。じゃあそっちの問題を解決するまで待つけど」

「いえいえいえいえいえ! もうどうしようもないというか痛覚カットして気絶状態なのでむしろ現実に戻りたくないというか!」


 現実世界の肉体がネネネにフルボッコにされ、起き上がれないほどになったのだ。今ここで意識を戻すと、更に殴られかねない。仮想現実に逃げているほうがまだマシな状態だった。


「気絶? 困ってることがあるなら人を貸すわよ。コジローとかネネネちゃんとか最高に頼れるボディガードだし」

「はははははは、検討するであります……」


 その二人に囲まれているなど口が裂けても言えない。二人に超能力をかけてさんざんいじってきた。トモエがそれを知れば、それこそ問答無用で無意識を書き換えられるだろう。


(拙者が逆転できるとすれば、この討論! ここでトモエ氏に『禁忌』を植え付けて『コジロー氏とネネネ氏への暴力命令』を禁止させれば!

 偶然とはいえ、こんなことになって拙者ラッキー! いやいや、これも拙者の日ごろの行いの良さでありますなぁ)


 自分を殴り倒した相手の上司が目の前にいる。しかもそれに超能力を仕掛けるチャンスがある。偶然とは入れ、チャンスにほくそ笑む柴犬アバター。とはいえ所詮は小物ゆえに――


「トモエ、あの融合ケルベロスがまたくだらないこと考えてるけど」

「だいたいわかるわ。隙あらば超能力使おうとかしてるんでしょ。アーテー、見張っててね」

「らじゃ」

「そそそそそそんな事はないでありますよ! なんでアーテー氏もゆっくりご見学していただければ! むしろ隙を見せてくださればなおのことよろしく存じ上げ候!」


 ほくそ笑んでもいろいろ企んでも、態度でバレバレなのであった。


「ともあれ討論でありますね! 『AIに自我はあるか?』……これ、拙者はない側でいいのでありますか? 前回の二の舞になりそうですが?」

「ええ。でも二の舞にはならない。少なくとも、言われっぱなしにはならないわ」

「それはそれは。せいぜいフラグにならないようにしてくださいね。拙者、容赦はしませぬゆえに」


 対面し、互いの意見を確認し合う。AIに人格はあるか否か。


 討論ディベート。広義の意味では主題について二つの意見に分かれて議論する事である。この場合は『AIに自我がある』事を主張するトモエと。『AIには自我がない』ことを主張する柴犬アバターだ。


 口論と違うのは、けして相手を言い負かすのが目的ではないという事。口の悪さや大声で威圧して黙らせることは討論ではない。対立し、その正しさを主張するのが目的だが相手をやり込めるのが目的ではないのだ。


「ではまず拙者から。とはいえ言うべきことは前と変わらないでありますなぁ。

 自我の定義を『自己認識』『自己意識』『アイデンティティ』等を包括した単語であるのなら、その人格証明が必要になります。そして多くの論文でAIの人格証明は否定的となっております!」


 柴犬アバターが主張するのは、過去に行われた多くの論文からの否定だ。


『自己認識』……自分自身の感情や価値観、行動の傾向を深く理解し、それらが他者にどう影響を及ぼすかを見極める能力を指す。自分からの目線ではなく、他人からどう思われているかも含まれる。


『自己意識』……外界や他者と区別された自我として自分を意識すること。他人や身分などの定義ではなく、自分が自分であるという事を自覚すること。鏡を見た自分を自分と認識できるかどうか。


『アイデンティティ』……自分が自分である存在証明。さらにはそうした自分が他者や社会から認められているという感覚を指す。『自分は何者か?』『自分の目指す道は何か?』『自分の人生の目的は何か?』こう言った問いかけをどうとらえるかだ。


 それらを包括したのが、自我。すなわち心だ。天蓋における定義はこれらは脳の大脳皮質内により行われる。脳がないAIはこれらをプログラムで代替しているが、そこにはクローンのような自己認識も自己意識もアイデンティティもないという。


「AIに自己認識能力はないであります! その動作はあくまでプログラムによるもの! そのプログラムは指定されたタスクをこなすだけで、AI自身がそこに自分自身を認めることはないであります!

 同様にAI自己意識はないであります! 何故なら問われなければ行動できず、感情や意識もないであります! 特定の思想もなく、自己意識と呼ぶにはお粗末お粗末!

 アイデンティティなどもってのほか! AIに自分自身の事を問いかけてもカタログスペックな返答が返ってくるのみ! 何を目指したいのか、その目的は何か。そんなものはないであります!」


 柴犬アバターの答えに淀みはない。その感情の昂ぶりの中にあるのは、AIに対する期待とそれを裏切られた悔しさがあった。


 自我を持つAIのケルベロス。しかしその存在は誰にも証明できない。自分がここにいるのに、その証明は誰にもできない。多くの研究者や学者が研鑚しても、何度も何度もAIに問いかけても、その答えは同じだ。


『AIに自我はない』

『ケルベロスは超能力を使えるプログラムだ』


 自分を否定する相手の言い分など耳にタコができるぐらい聞かされた。耳なんてないんですけどね。ともあれ、誰もケルベロスを証明できないでいた。


『拙者をもって褒めてほしいであります!』


 融合していないケルベロスの承認欲求が高いのは、そう言う経緯だ。ネメシスもそれを知ってアイドル活動を黙認していた。――セキュリティが破られてAIをコピーされたのは流石にネメシスも予想外だったが。


 存在するのに存在証明できない。自我があるのに、自我が否定される。


 そんなストレスが20面サイコロのストレスとまじりあい、暴走する。電脳世界のAIアイドルにケチをつけ、満足しないと駄々をこねる。救いの道はアーテーに精神を操作されるぐらいしかないことなどわかっているのに、それでもAIの可能性に縋る。


「そうね。その意見は正しいわ。脳がもつそう言った機能をAIは持たない。それは認めるわ」


 トモエはそう言って頷いた。数多の研究者が否定するように、トモエもまた否定する。トモエなりに反論を考えはしたが、この意見に関しては認めるしかなかった。


「だけど自我の定義が間違っているとすれば?」

「どういう事でありますか? 前提条件を否定するという事ですか?」

「ええ。自我と呼んでいる私達の心。自己認識、自己意識、アイデンティティ。それらが全て『自分がそう思っているだけの幻想』だったとしたら?」


 頭の中で意見を整理し、トモエは言葉をつづけた。


「無意識。心の奥底にある自分ではコントロールできない領域。或いは意識というモノを操る存在。無意識それこそが自我エゴ。自分自身そのものなのよ」

「はああああ? なに言ってるでありますか!?

 いや、確かに、精神系超能力者テレパスエスパーならそれは常識で……。いやいやいやいや!」


 無意識こそ心の本質。


 意識や心と呼ばれるものは、無意識の影響から逃れられない。


 アーテーもケルベロスも20面サイコロも言っていたことだ。当然、20面サイコロと同一存在である柴犬アバターもその意見は納得せざるを得まい。


「無意識が自我……自分の本質だからとして、AIにも自我あるという証明にはならないでありますよ!? まさかAIにも無意識が存在しているとでも!?」

「私達が無意識と定義している行動基準や習慣によるルール付け。そう言った者はAIにもあるわ。

 AIを構成するプログラム。それはAIにとっての行動基準でルール。AIはそれに逆らえないわよね。それって無意識に逆らえないのと同じように思えない?」

「それは……! 似ているというだけで……!」

「もちろん違う部分もあるわ。意識して習慣を培う私達と、受動的にデータを積み重ねるAI。だけどAIが自主的に動けるようなプログラムを得ればこれも変わってくるんじゃない?

 クローンとAIが同一条件なら、同じような形になると思う」


 トモエの言葉に柴犬アバターは反論できなかった。大前提である『無意識こそが心の本質』をさんざん主張していたのだ。その前提から派生した新たな可能性。自分自身が『在る』可能性の示唆。


 もっともこれは暴論だ。前提条件を否定し、新たな条件を定義しての意見。盤面をひっくり返して、新たなゲームを開始したに過ぎない。トモエの意見が正しいかどうか。その証明は未だ為されていない。


「無意識とプログラム……それを同一視するとは……いやはや素人は奇抜な意見を投げつけてくるでありますな」

「そうね、素人の思い付きよ。専門家から見れば隙だらけで、赤ペン修正沢山付けられるわ。

 でもこれが私が『AIに自我がある』を肯定する意見よ。杓子定規にしか判断できない人もいるし、ユニークは返答をするAIだっている。その行動の根幹が無意識だったりプログラムによるものなら、それは同じとみてもいいんじゃない?」


 トモエも自分が素人だという事は理解している。自分なんてまだまだ未熟で、頭がいいなんて思えない。


 それでも経験を積み、考え、意見を出す。それが討論だ。勝ち負けではなく、己の意見を理知的に討議する。相手を言い負かすのではなく、その正しさを主張する。未熟だからと言ってその意見を曲げたりしない。それが討論なのだ。


「反論はある?」


 だからこの意見にも反論が来ると思っていた。心の中では反論されたら言い返せないかもと不安に思いながら、それでも自分の意見の正しさを主張するように堂々と立つトモエ。


「いいえ。その意見、非常に素晴らしいと思う所存で」


 しかし柴犬アバターからの反論はなかった。討議を終えるように胸に手を当て、頭を下げる。


「七瀬リーザ氏、いいえ、トモエ氏。貴方の意見にはAIが進む未来の可能性を見出しました。

 深く深く、感謝いたしますぞ」


 自我の在るAI、ケルベロス。それとクローンの自我が融合した存在。


 自分自身AIの心を定義してくれた人間に、最大限の感謝を込めて言葉を紡いだ。

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