そうかもしれん。違うやもしれん。

 結論から言えば、ナナコのハニートラップ案はほとんど役に立たなかった。


完全機械化フルボーグがほとんどとか聞いてねぇっすよ」


 かつて『ネメシス』のオフィスビルだった場所を占拠した反企業組織『略奪クァドリガ』。ハッカーによる電子略奪を主な収入源にしている組織の構成員は、脳以外を機械化した完全機械化フルボーグか、脳を培養槽に入れて機械と一体化した脳培養槽 タンクばかりであった。


<性欲? そんなのただの刺激だろう。『NNチップ』でその感覚を想起させれば済む話じゃないか>

<食欲性欲はアーカイブにあるデータで事足りる。睡眠欲は脳のメンテナンス以上の意味はないさ>


 肌感覚すらなくなった機械相手にハグしても愛撫しても意味がない。性的な歓びはデータでしかない連中にとって、エロい誘惑は何の効果もないのだ。ナナコの変身能力も肌を金属にすることはできない。


<肉体に拘っている下等思想者はこれだから困る>


 そして全身機械となった自身を肉体を持つクローンより上だと思っている機械化至上主義メカ・スプレマシーだった。変装用のサイバースキンを全身に入れているからどうにか組織には入れたが、メンバーからはあからさまに侮蔑な扱いを受けるナナコ。


(こりゃ失敗だったっすねぇ。適当なところで抜けるっすか)


 当然、離反を考えるナナコ。信用されないのは仕方ないが、機械かどうかで差別されるのなら願い下げだ。お土産に適当なデータと物資を奪ったらおさらばしよう。


<貴様は世話役だ。うちのメンバーの体調管理をやってもらう>

<肉を持つもの同士、仲良くやるんだな>

<なんなら、性欲処理してもいいぞ。あそこは不能っぽいがな>


 嗤われながら、ナナコは最下層の仕事を押し付けられる。機械化していない相手の面倒を見ると言うモノだ。その相手は、


「ナナコさんや、栄養キューブは未だかのぅ?」

「さっき食ったっすよ。このくそじじい」


 よぼよぼの老人だった。


 肉体年齢を維持できる施術を受けていないのか、或いはあえてその状態になるようにしたのか。白ひげを生やして顔には深いシワが刻まれていた。移動も車いすで、様々な点滴が施されている。色仕掛けなど論外の相手だった。


 ナナコはこの老人の世話を頼まれたのだ。『KBケビISHIイシ』で基本的な治療行為を学んでいたので、点滴なども問題なくできるナナコ。専門的な医者には負けるが、介護レベルならどうにかこなせる。


「つーか、そんなの『NNチップ』で確認すれば一発っすよ。それも忘れるぐらいのボケっすか?」


 クローンは全て『NNチップ』により脳内記憶を再生できる。それを使えば確認可能だ。何かを忘れて他人に聞く、という事はまずありえない。


「情緒がないのぅ。かつてはこういうやり取りが普通だったんじゃよ」

「知らねーっすよ。そんなしょーもない事の為に呼ばれたんすか?」

「寂しいから誰かと話したいと思うのはクローンのサガなんじゃよ。ウサギは孤独で死んじゃうんじゃよ?」

「ウサギ型バイオノイドにそんな特性があるとか聞いた事ねーっす」

「……情緒がないのぅ」


 冷たく返されるナナコの言葉に老人は肩を落とす。ナナコもこんな男性型老人の相手なんかしたくないとばかりに肩をすくめた。


 Jo-00571113。老人のIDだ。偽装などをしている様子はない。


「こんな組織にいるってことはジジイも名うてのハッカーなんすよね。ID偽装ぐらいすればいいのに」


 クローンIDは企業が与えた烙印ナンバリングだ。


 反企業組織のクローンは、その印を嫌ってIDを偽装する者も多い。かつては企業を偽った重罪で誰も行わなかったが、企業の権威が落ちた今、ファッション感覚で偽装されていた。ある程度のハッキング技術があれば容易らしい。


「ワシはこのIDを誇りに思っとるんじゃ。

 真理に目覚めし真なる我が名前は『元素なる四プライムクワドゥルプレット』。敬意をもってプライム様とよぶがいい」


 老人――プライムは車いすの上で胸を張り、己を誇示するように言う。四つ子素数プライムクワドゥルプレット。素数4つの組み合わせで『P、P+2、P+6、P+8』のグループである。『5、7、11、13』の並びはまさに四つ子素数の並び。それを誇りにしているのか、IDは変えないようだ。


 ただ――


「はいはい。ジジイは何人目のプライムクワドゥルプレットっすかね。

 略奪クァドリガだけで5人いるっすよ」


 プライムクワドゥルプレットを名乗るハッカーは多い。何せIDに4があれば無理やりこじつけて名乗れるのだ。そしてその威光を借りたいぐらいに、プライムクワドゥルプレットという名前には伝説があった。


「『イザナミ』のデータベース『アマノイワト』を突破したり、『ネメシス』の広範囲カメラシステム『ヘラ』をハッキングして裸で踊る男性型クローンの姿を配信したり、『ジョカ』にもう一人の『人間』がいる可能性を示唆する映像を撮ったり……。

 それ全部じじいがやったって事っすか?」

「うむ。我が魔法をもってすれば造作もない事じゃ」

「魔法って『外』の技術っすか!?」


 プライムの言葉にナナコが驚くように言葉を返す。


 魔法。『外』の世界。天蓋が人間の逃げ場所で、その外には『ドラゴン』の元になった生物や魔法と呼ばれる未知の物理法則を持つ者達がいることは、もはや周知の事実だ。もっとも誰も『外』に出たことはなく、それがどのようなモノかなど誰も知り得ない。


「ふっふっふ……。そうかもしれん。違うやもしれん。誰に分かろう」

「あ、これ嘘っすね」

「ああん、あっさり看破しないでよぅ。神秘的なジジイとかモテると思わん?」

「この機械だらけの組織でモテて嬉しいんすか? 機械に欲情するんすか?」

「本当に情緒を理解せぬのぅ。モテとは精神的な満足なんじゃ」


 これ以上の会話は意味がないと判断して、肩をすくめるナナコ。天蓋において精神は脳活動の一種だ。要は脳内麻薬で満足するのと同じという事である。


「ジジイが嘘まみれなのはどうでもいいんすけど」

「ウソじゃないわい。ワシ、本物の元素なる四プライムクワドゥルプレットなんじゃよぅ」

「ジジイはこんな部屋に押しやられてイヤじゃないんすか? 逃げるとか考えたことねーんすか?」


 ナナコは部屋の酷さを示すように両手を広げて問いかける。


 部屋の大きさは狭い。ナナコとプライム二人がどうにか座れる程度のスペースしかない。物置に大量の機械が置かれており、その余白をどうにか作ったという場所でプライムは作業しているのだ。


機械化至上主義メカ・スプレマシーな連中に追いやられてこんな部屋に追い込まれたんっすよね? それ以外にもいろいろ差別されてるんじゃねーんすか?」


 略奪クァドリガのほとんどが肉体を機会に変えた者達だ。そして彼らは機械であることに誇りを持っていた。より正確に言えば、肉体を持つ者を蔑んでいた。老衰している肉体のプライムなど、嘲笑の的だろう。


「じゃのぅ。むしろだからこそ飼われているのやもしれん。肉体を持つ者の愚かさを見せしめるようにな。

 しわしわの顔、白いヒゲ、足腰も弱く、点滴で薬剤を投与しないと維持できない肉体。こうなる前に機械になれとばかりにな」


 うむ、と頷いてプライムは答える。プライムはこの部屋から外に出ることを許されていない。申し訳程度に端末を渡されてデータ入力の仕事を与えられている。手動入力のも嘲笑うネタになっているのだ。


「手動入力など愚者の極み。機械による自動化。機械による正確さ。肉体に拘る者の非効率。旧世代のポンコツを見て愉悦に浸っとるんじゃろうな」

「性格わりぃっすね。機械になっても歪んだ性格は直さなかったんすね」

「脳まで機械化はできんからのぅ。人の業はいつの世も同じという事じゃ」


 プライムの意見に、ナナコは無言で同意する。人間はどこまで言っても変わらない。それは『KBケビISHIイシ』で多くの闇を見てきて知っている。


「だったらなおのこと逃げねーっすか? ここにいても買い殺されるだけっすよ」

「ナナコさん、ワシの世話係で雇われたんじゃないのか?」

「そーっすよ。でもこんなところに長くいたくねーんで逃げる予定っす。ただ逃げるんじゃつまらねーんで、何か盗んでいこうと思うんすけどね」


 やる気ゼロ、とばかりにいうナナコ。盗聴器の類は調べて既に封じてある。機械技術ならともかく、犯罪心理はナナコの方が一枚上手だ。全て見つけて何の音も拾わないように処置してある。


「ふ、つまりワシの心を盗んでいこうという事じゃな。ワシはそうそう安い心ではないぞ」

「ジジイはいざとなれば盾にして逃げる為っす」

「容赦ないのぅ!? ……いやまあ、そのぐらいの強かさがないと生きていけない時代なのか」


 遠慮のないナナコの言葉に、納得するプライム。なお、時代など関係なくナナコはこういう性格である。目的達成のために容赦なく他人を切り捨て、責任を他人に押し付けて自分は美味しい所を総取りする。


「ふむ……。その様子だと、盗むモノは価値があって素晴らしく希少ならなおよいということでよいか?」

「? まあ高く売れるならそれに越したことはねーっすね」

「ならもうしばらくここにおらんか?」


 プライムの突然の提案に、ナナコは眉をひそめた。出ていくつもりで提案したら止められたのだ。相手もここが気に入っているわけではなさそうなのに。


「あ? なに言ってるんすか?」

「ここにいる奴らはとんでもない事をしようとしておる。その為の道具を盗めば面白いと思わんか?」

「とんでもない事ぉ?」


 露骨に嫌な声を出して疑いのまなざしを向けるナナコ。不透明な言い回しは詐欺師のやり方だ。こちらを騙しているんじゃないかという疑いを隠そうともしない。


「そう。奴らはこの天蓋の真実を知り、愚かにもその真実を得ようとしておるのじゃ。それはまさに天蓋を揺るがすほどの――」

「あー、はいはい。真実大事っすね」

「……ぬぅ、情緒を介さぬのぅ」

「じじいの話は長すぎて面倒なだけっす。で、連中は何しようとしているんすか?」


 プライムの会話を打ち切って、ナナコは先を促す。正直、あまり期待はしていない。どこかの企業の工場ライン襲撃か、或いはどこかの馬鹿のように企業の輸送車両を襲うつもりか。


「天じゃ」


 プライムは渋い顔をしたが、指を上に向けてそう告げる。


「テン?」

「正確に言えば五重構造隔壁ペンタゴン破壊と突破。

 そこに孔をあけて地上と呼ばれる場所への道を開き、そこにある技術を手に入れようとしておるんじゃ」

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