人の口に戸は立てられぬ

 人の口に戸は立てられぬ――


 どれだけ文明が発展しようとも、どれだけ支配を強めようとも、一度拡散した噂を消すことは容易ではない。ましてやそれがこれまで崇められていたり尊敬された者に関するものならなおのことだ。


 オロチが流した天蓋の歴史は電脳世界を通して瞬く間に広がった。オロチが流した情報源はすぐに消されたが、それらは数多のクローンやハッカーがコピーして拡散する。消した痕跡も暴露され、情報の信ぴょう性が増していく。


「なんだこれは!」

「人間様が、敗北者?」

「どういう事なんだ!」

「もしかして、これもビカムズシックスの一環なのか……?」

「チジョウ……天蓋の外ってことか?」


 様々な不安と憶測が飛び、お祭り気分だった天蓋は一気に乱れる。


「じゃあ企業創始者様も敗北者なのか!?」

「偉そうにしていたのに!」

「逃げて怯えて蹲っていたのか!」

「俺達はそんな奴らのために働いていたのか!」

「くそ! ふざけるな!」


 これまで尊敬していたからこそ、敗北者という醜聞は大きく膨れ上がる。


「ちくしょう、もう仕事なんてやってられるか!」

「企業に忠誠を誓うなんてばかばかしい!」

「もう人間の為になんか働いてらねぇ!」


 クローンの多くは企業に対する態度を改め、人間への嫌悪感を増す。


「おい、こんなデマを信じるのか?」

「あ? 貴様は企業の肩を持つのか! 敵だ!」

「待て! 情報が正しいかどうかを見極めてからでも――ぐあぁ!」

「企業の味方は殺せ! 人間を崇める者は殺せ!」

「ふざけるな! お前こそ死ね!」


 情報に踊らされ、あるいは煽って噂を加熱して暴動は広がっていく。まさに燎原の火だ。


「――というのが現在の状況だ。被害は間違いなく拡散していくだろう」


 カーリーは説明を終えて、ため息をついた。


 場所は『アベル』にある客室の一つ。ゴブリンと戦った会場から一番近かったカーリーの部屋だ。そこにトモエを含めた企業創始者6名とコジロー、ゴッドの2名がいる。


 ムサシ、イオリ、ボイル、ペッパーX、カメハメハ、シグレはここにはいない。ダメージ回復及びサイバー機器の換装の後に、暴動鎮圧に向かっている。若旦那とオロチは、拘束して別室で軟禁していた。


「現在、各治安維持積部隊が暴動の鎮圧に出ている。一部の超能力者エスパーも駆り出されているが……治安維持部隊にも離反者が多いため時間はかかるだろう」


 頭痛を押さえるように額に手を当てるカーリー。他の企業創始者たちも似たような表情だ。


「予測していた結末としてはまだ救われておるのじゃが……それでも厳しいのぅ」

「地上からの侵入者に大暴れされていれば、被害はもっと大きかったですからね」

「あの場にいたクローンが負けて、アベルごと人間全滅ENDとかよりマシマシ」

「マシなだけで、今後に課題を残しているのは変わりあるまい」


 イザナミ、ネメシス、ペレ、ジョカが口を開き、沈痛な表情を浮かべた。トモエもその気持ちはわからないでもない。


 天蓋の統治は、人間という存在を神のように崇めることで成り立っていた。VR世界で夢を見る人間の為に企業を維持し、経済を回す。その為に働き、その為に生きる。その人間が尊敬するに値しない存在だと暴露されたのだ。


(どちらかというと、メッキがはがれたんだけどね)


 さすがに口には出さないトモエ。これまでの失態をひたすら隠し、いいように情報をコントロールして尊敬されていたに過ぎないのだ。その真実が明かされたに過ぎない。


「とりあえず、暴動だけは押さえないといけないわね」


 とはいえ、トモエも今の状況を良しという気はない。暴れて怪我や死人が出るのは好ましくない。


「暴動に関しては鎮圧に出ている者に任せるしかありません。事、こういう状況ではペッパーXの感覚共有が役立ちますので」


 トモエの懸念にそう答えるジョカ。相手の脳に直接五感を共有させるペッパーXの超能力は、大人数を無傷で無力化するのに長けている。気を失うほどの感覚を大人数に共有させればいいだけだ。


『くぉれがッ! スコヴィル値ッ! 77万ッ! だあああああああッ!』


 その阿鼻叫喚を想像してトモエは暴徒に同情した。でも命があるだけマシかと無理やり納得する。餅は餅屋に任せるのが一番だ。天蓋には餅はないが。


「そういう事だ。こちらは企業トップとしての方針を定めるしかあるまい。

 とはいえ、選択肢は二つだ。真実を公開するか、隠すか」


 気を取り直したとばかりにカーリーが告げる。ざっくりとしているが、こういう時はまず方針を決める。そこから詳細を詰めていくのだ。


「ところで、俺達はここにいていいのか?」

「ゴッドもさすがに場違い感がぬぐえないのですが」


 申し訳なさそうにコジローが挙手し、ゴッドがコクコクコクコクと何度も頷く。企業トップでもなく特別な役職もない存在がここにいていいのか?


「構わん。二人は今回の戦いのMVPだ。ここに立つ権利がある」


 カーリーの意見にイザナミとジョカは渋い顔をするが、反論はなかった。ネメシスは中立とばかりに表情を崩さず、ペレに至っては親指立てて肯定していた。トモエに至っては言うに及ばずだ。


「そうよ。うちのコジローはすごいんだから。ゴッドは……うん、今回は褒めてもいいかも」


 ニッコニコで恋人を称賛し、ゴッドもついでに褒める。3サイズを見抜くサイバーアイが決め手になったのは些か思う所はあるが。


「あくまでこの場にいる権利だけだ。選択権はない。責任を負わせるわけにはいかないからな」

「責任?」

「これからアンケートを取る。今回の件をどうするかを決める投票だ」


 カーリーの言葉と同時に立体映像が浮かび上がる。映像内には『公開』と『隠蔽』の文字が浮かんでいる。


「参加者は企業創始者6名。そこから議論し、最終的な結末とする」

「3票ずつで票が割れた時はどうするのよ?」

「……BBAの意見を最優先する」


 トモエの質問に、額に眉を寄せて答えるカーリー。


「BBA言うな! ……ってなんでよ?」

「戦いの功労者であるNe-00339546とIZ-00361510に敬意を表するのと……認めたくないが、BBAが一番平等に天蓋を見れるからだ」

「平等?」

「カーリー達5名はここに逃げてきた人達に様々な思い入れがある。

 それがある以上は、平等に判断できない可能性がある」


 カーリー達にとって、天蓋に逃げてきた26億7568万2382名の人類は苦楽を共にした仲間だ。異世界からの侵略に逃亡せざるを得なくなり、様々な犠牲を生みながら生き延びた。その人類に肩入れすれば、判断も狂うかもしれない。


「それは……むしろそういう思いがあるから当事者たちが判断したほうがいいんじゃないの?」

「駄目だ。我々は天蓋を運営する企業のトップだ。そこに私情を挟んではいけない。

 それこそ人間を第一に行動するなら、今のクローンとバイオノイドを全部棄却して0から天蓋を創り直すのが一番だからな」

「ちょ……!?」


 棄却、という言葉に慌てるトモエ。まるでリセットボタンを押すように、クローンとバイオノイドを消す。そうとしか受け取れない発言だ。確かにそうすれば人間の秘密は守られるが、あまりに極端すぎる。


 だがイザナミ達が動揺していない所を見ると、冗談ではないことがわかる。それが可能であることも、それを考慮に入れていることも。


「あばばばばばばば……ゴッドだけはお許しを! あ、ここにいるってことはゴッドたちは対象外ですね! やったぁ!」

「口が軽いクローンは真っ先に処分されると思うわ」

「ノー! トモエ様、ブラックジョークがキツすぎます!」


 全部という事は、全部なのだろう。コジローもゴッドも、全てを消す。


「安心せい。それはあくまで最終手段。それ以外の手がないならという事じゃ」

「全棄却で生じる損失を考えれば、痛手ですからね。優秀なクローンを失えば、企業の生産も落ちます」

「逆に言えば、このまま手を打たなければそれもやむなしという事なのですが」

「シム系の災害って厄介なのよね。ま、そこからの復興も面白いんだけど」


 イザナミ、ジョカ、ネメシス、ペレが怯えるゴッドに説明する。天蓋において有用か否か。企業トップはそれを第一義に考える。クローンが憎いわけではないし、今暴動を起こしているクローンの気持ちもわからないではない。


 だが、選ばなければならない。それが上に立つという事なのだ。


「BBAの旧式モバイルに投票のアプリを転送した。転送受理してそれを使ってくれ」

「受け取ったわ。もう投票したけど」


 指先を動かし、トモエは画面をタップする。ポン、と場にそぐわない軽快な電子音が響いた。他の企業創始者は『NNチップ』のようなモバイルが体内にあるのだろう。微動せずに投票する。


「全員投票したな。では開票だ」


 立体映像が一瞬明滅する。溜めも音楽もない。無機質な開票。天蓋の未来を決めるにはそっけない――或いは未来を決めるなどその程度のものかと思わせる機械的な動作。


『公開』3票。

『隠蔽』3票。


「私は『公開』に入れたわ」


 トモエははっきりと言い、投票したスマホを皆に見えるように見せる。そこには間違いなく、『公開』に赤い丸がついていた。


「決まりだな。事実を公開する方向で動く。異論はないな」

「……仕方あるまい。隠す方が楽なのじゃがな」

「しばらくは、荒れそうですね」


 遺憾はあるが、それでも投票には従う。その約束を違えるつもりはない。


「すぐに会見の準備を。それにより発生しうる暴動を押さえるべく対策を立てよう」

「『重装機械兵ホプリテス』に関しては、代理人に頑張ってもらうしかありませんね」

五重構造隔壁ペンタゴンの強化も考えなくてはいけません。同じような事が起きぬよう、対策を立てなくては」

「あー、もう。ドロドロした展開はヤなんだけどなぁ。ま、これはこれで楽しめそうか」


 喧々囂々と話し合う企業創始者達。方向性が決まれば、あとは進むだけだ。こうなると、300年近く企業を運営していた経験値にトモエは口出しできそうにない。


 しかし、トモエが決めなければ議題は進まなかっただろう。企業創始者の全員が『最終決定権はトモエに』という意見に賛同したから、異例の速度で決まったのだ。


 トモエに決定権を託したのはカーリーが話した要因もあるが、最たる理由はトモエの人柄だ。


「消すのはゴブリンだけ」


 その気になれば天蓋全てを消すことができるエネルギーを持っているトモエ。トモエの経緯を考えれば、天蓋全てを恨まれても仕方ない。なのに命の尊さを忘れない心の在り方。


(全く。ペレが『無自覚天然タラシ』というのも納得だ)


 カーリーはトモエを見ながら、小さくため息をついた。コジローの件さえなければ、仲良くやれそうなのだがなぁ。


 

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