プランAは失敗だ
「旦那! トモエちゃんは!?」
カーリーにトモエを連れていかれたコジローに声をかけてきたのは、ムサシだ。顔に赤みがさして酔ってはいるようだが、その声には先ほどまでの緩さはない。火急の用事とばかりに口を開く。
「さっき人間様に連れていかれた。護衛にも聞かせたくない用事らしい」
「こっちもおチビちゃんが用事があるからっていなくなってね。聞けば人間様は全員移動したらしいよ」
「ここにいないっていうのは安全……なのか?」
「時間まであと10分もないよ。ちょっと予想外だね、これは」
時間。爆発が起きるまでの時間だ。コジローはそれを察して焦りを感じた。トモエがこの場にいないことがプラスになるかマイナスになるか。
「人間様がいないなら、ここにいるクローンを適当な理由をつけて移動させるとかどうだ?」
「その『適当な理由』が問題だね。人間様に『待機しろ』って言われてたらお終いだよ。爆発の件を言わずにそれを納得させらる理由ってあるかい?」
「……厄介だな、ちくしょう!」
ムサシの言葉に頭を掻くコジロー。クローンにとって人間は絶対的な存在だ。コジローとトモエの関係が特殊なだけで、ムサシでさえイザナミを立てて行動する。
「やあ。何かあったのかい?」
そんなコジローに話しかけてきたのは、Ne-00000042――若旦那だ。シャンパングラスを持ち、もう一人の護衛と一緒に近づいてくる。
「ああ、いや。大したことじゃねぇ……です」
気安く答えようとして、その後で敬語をつけるコジロー。VR空間内では若旦那が許したから気安く語りかけていたが、相手はこの前市民ランク1に昇格したクローンだ。公的な場ではVR空間のようにはいかない。
「気にしなくていいよ。無礼講だ。こういう場にいる時点で、お互いの立場は同格だとみるべきだ。
それに『トモエ』の掲げるスローガンはこういったランク制度の差を撤廃する事なんだろう?」
敬語を使ったコジローの理由を察した若旦那は笑ってそれを制した。
「ふん。天蓋の制度根幹を否定するとは。どのような混乱が生まれるか分かったものではない」
もっとも、もう一人の護衛は『トモエ』の掲げる思想に反対のようだ。露骨な罵倒こそないが、嫌悪感からくる棘が言葉に含まれていた。
Ne-00000067。若旦那と同じく『
「その混乱を押さえるのが『オロチ』さんのお仕事なんじゃないかな? まあ、そんな問題が起きる前に押さえ込むのがアンタのやり方だもんねぇ」
ケラケラと笑うムサシ。
「黙れ、『イザナミ』の二天。毎回毎回現場にしゃしゃり出てきて」
ムサシに向けたオロチの言葉には、怒りが含まれていた。どれだけ智謀を尽くして先手を打とうとも、ムサシの超能力はその先を行く。幾度となく邪魔された過去を思い出し、オロチは静かに拳を握っていた。
「別に邪魔するつもりはなかったんだけどねぇ。ただそっちがおっとり刀なだけで。先に手出しさせてもらっただけさぁ」
「時間がかかったのは相手に気取られぬようにしていたからだ。極秘に調査していたこちらの苦労を無に帰してくれて」
「気取られないようにしている間にどれだけのクローンが犠牲になるのさ。苦しんでる者達をとっとと解放してあげないと」
「低ランク市民を少数助けるために巨悪を逃しては意味がないのだ」
睨み合うムサシとオロチ。巨大組織の摘発につきもののジレンマだ。末端を潰せば犠牲は減るが大元にはたどり着かない。大元を摑めようと時間をかければ、末端の活動で被害が広がっていく。
「平行線だな」
「仕方ないよ。そもそもお互い立場が違う。二天の何某は『イザナミ』の指令でこちらの事情を組む必要はない。こっちは『イザナミ』の内情など知った事じゃない。元々のゴールが違うからね」
言いあうムサシとオロチを見ながらコジローがため息をつく。それを見て若旦那が笑みを浮かべた。決着のつかない口論にイライラするコジロー。
「それでどうしたんだい、コジロー君。何か悩み事かい?」
今はそんなことをしている場合じゃないんだがという態度が見えたのだろう。若旦那が肩を叩いて問いかけてきた。
「あまり言えないんだが、あと数分以内に解決しないといけないことがあるんだよ」
「それは大変だね。手伝えることはあるかい?」
「どうだろうね。安全な場所に皆を避難させたいんだが」
「避難。ふむ、つまり場所が危険という事か」
コジローの言葉に若旦那が察したように頷いた。
「今すぐ移動したほうがいいみたいだね。命令破棄の申請は事後処理になるが、ネメシス様もわかってくれるだろう」
「危険の内容を聞かなくてもいいのか?」
聞き分けのいい若旦那に、むしろコジローの方が驚いていた。ランクで言えば市民ランク6と1。一蹴されても仕方のない事なのに。ただ『避難』と言っただけで納得してもらえるとは思わなかった。
「危険なんだろう? なら急いだほうがいい。他のクローンはこの事を知っているのかな?」
「いや、まだ知らない。だけど旦那みたいに話ぐらいは聞いてくれるかもしれねぇ。やってみるぜ」
「ふむ。それはつまり」
若旦那は笑みを消して、言葉をつづけた。
「どうやら気付いているのはコジロー君だけみたいだね」
若旦那の背後に、半透明で細長い何か浮かぶ。たとえるなら、地獄から脱出しようとする黒く細長い鬼の手。それがコジローに向かって振り下ろされた。
鬼の手はコンマ2秒でコジローに振り下ろされる。若旦那への信頼、奇妙な現象、殺気や殺意という気配がまるでなかったこと。それらが重なり、コジローの反応が遅れた。半透明の爪がどの程度の切れ味かは想像できないが、コジローの背筋がその一撃に死を感じ取っていた。
死の爪は無慈悲にコジローに迫り、
「だあああああああああああ!」
2秒先を予知していたムサシがコジローにタックルする。何がどうなっているのかはわからないが、コジローが攻撃されると知って考えるより先に体が動いていた。押し倒すようにコジローに抱き着き、その一撃を背中で受ける。
「お、おい!?」
「あたたたたた……! しくじったねぇ。掠っただけなのにかなりきついよ、これ……!」
苦悶の表情を浮かべるムサシ。爪は背中をかすめただけなのに、想像以上に痛みが走る。何かの劇毒物でも入っていたのかと思わせるほどだ。
「なんだ。君も気づいていたのか。手際が悪いよ」
「すまない。まさかいきなり飛び出すとは思わなかった」
サプライズ失敗、とばかりにため息をつく若旦那。そしてオロチに向かって責めるように言う。オロチもコジロー達から目を離さず、感情のこもらない声で返した。
「変わったファッションだな、若旦那。『
そんなわけはないと思いながら問いかけるコジロー。背中から延びる半透明の黒い腕。見れば似たような腕がオロチの方にも生えていた。機械の印象はない。ホログラフと思うにはおぞましすぎる。明らかに天蓋の技術ではない、何か。
「そうだね。新装備だ。ただし『
「地上のものだ」
「チジョウ?」
「言っても貴様らにはわかるまい。人類のコピーでしかない奴隷共め」
明らかに侮蔑の――天蓋のランク制度ですらない下級の存在に唾を吐くようにオロチが言って、黒い腕を振り下ろす。
「やべぇ!」
「ぐふぅあ!」
コジローは慌ててムサシを横に蹴飛ばして、自分も反対方向に転がって回避する。爪は床を削り、その部分には爪痕が残る。斬撃でもない。溶けたのでもない。言葉通り、爪が凪いだ跡がそのまま地面に残される。
まるで物質そのものが消失したような、そんな爪痕だ。
「いきなり蹴るとか酷いよ、旦那! 女性型のお腹を蹴るとかそういう趣味でもあるのかい!」
「ねえよそんな趣味! それよりあの腕ヤバいぞ!」
叫びながら起き上がり、若旦那とオロチに向かって構えるムサシとコジロー。言動こそふざけているが、真剣な瞳で相手の挙動を逃さぬよう見ていた。
「ちょっと、何やってるのよ!」
「どういうことだッ!?」
「むむぅ! コジロー殿、無事か!?」
騒ぎに気付いた他企業のクローン達もこちらを見る。そして若旦那とオロチの異形さに気づき、息をのんだ。
「これは……失敗したかな」
「構わん。些事だ」
クローン達に囲まれて、頭を掻く若旦那。オロチはどうでもいいとばかりに鼻を鳴らす。
「人間様に用事かい? だったらさっきまで一緒にいたじゃないか」
フォトンブレードを構えて問いかけるムサシ。その問いかけに若旦那はやれやれと肩をすくめた。
「たかだか人間一人を殺したところで意味はない」
「たかだかって……」
つまらない事を言うなとばかりにオロチが口を開く。たかだか、というが天蓋において人間の存在は希少だ。天蓋を支える企業の要ともいえる。一人でもいなくなれば、大騒動だ。
オロチも若旦那も、それがわからない立場ではない。ランク1の市民は企業でも重要なポストにいる。企業トップの存在が理解できないはずがない。
ないはずなのに、そう言い切ったのだ。
「全ての人間を殺す。その為にあえて泳がせていたのだ」
「それでこの大会議に護衛として入って爆発を仕掛けようとしたってか」
「そうだ――26億人の人間を全て殺す」
「に、にじゅうろくおく!?」
若旦那の言葉に目を丸くするコジロー。それだけの人間がどこにいるって――
「『アベル』に眠る人間すべてを殺すってこと!?」
ボイルのセリフにコジロー達はハッとなる。このタワーには天蓋開闢時から眠る多くの人間がいる。その全てを殺すと言っているのだ。
「そんなの常識的に――!」
「プランAは失敗だ。Bに移行する」
「目撃者を消し、人間のいる場所まで強行突破する」
若旦那とオロチの黒い腕が発光し、その光は掌に集まる。集まった光は球状になり、一瞬圧縮したかと思うと――
「死ね」
しぼんだ光が破裂し、そこにいるクローン達を巻き込み爆発する。
フロア全体に広がる爆発はタワーそのものを揺るがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます