乾杯

「あー、疲れた。ちょっと休憩しようか」


 5人の企業トップと話をしたトモエは、いったん自室に戻ることにした。大会議まで1時間ほど時間がある。仮眠をとるには十分だろう。


「……そうだな。さすがに疲れたぜ」

「価値感が変わるとはまさにこの事ですな。このゴッドも一息つきたいところです」


 トモエとは違う疲れで休憩を受け入れるコジローとゴッド。その疲労を疑問に思ったトモエが首をかしげる。


「なんでそんなに疲れてるのよ?」

「トモエ様からすれば何でもない事なのでしょうが、タワー内にあるモノはゴッドからすれば超高級品ばかり。その値段や価値を検索しては『これを破壊すれば破滅!』『盗んだらしばらくは豪遊!』などと思うのも致し方ない事なのです!」

「それしたら全力で止めるから。って言うかやってないでしょうね?」

「もももももももちろんです! ええ、本当に盗んでません! 恐れ多くて手が出せなかったんですから!」


 必死に弁明するゴッド。価値観の桁が違いすぎて、どうしていいのかわからないという顔だ。トモエは疑いの目を向けるが、この慌てっぷりを見る限りは本当に盗んでいないのだと判断した。ゴッド、小心者だし。


「タワー内の品物もあるが、立て続けに人間様に出会ったのも疲れた原因だぜ」

「そんなに畏まる相手じゃないんだけどなぁ」

「そう言い切れるのはお前の器かそう言う価値観なんだろうよ。俺からすれば天蓋を作った伝説的な存在だ。気楽には構えられねぇよ」


 コジローの疲労は会談した企業トップたちが主だ。クローンからすれば自信を産み出した企業の頂上。270年近く天蓋を運営してきた存在だ。西暦の価値観で言えば世界を産み出した神に等しい。


「うーん、そういう考えが染みついているのか」


 トモエからすれば(血縁上は)自分の孫だ。そういう事もあるが、気安く接してくれる相手である。企業の長と聞いて、守銭奴なイメージがあったので実際に触れた彼女達にはむしろ好印象を抱いている。……ただしカーリーは敵だ。


「でもコジローは私に対しては気安いよね? 出会った時からずっと」

「そりゃ『私は異世界転移した人間様だ!』とか言われたら、最初は『そう言えと命令されたバイオノイド』か『遊びで自分の記憶改ざんしたクローン』を疑うぜ」

「……私、最初は結構変人扱いされてたのかぁ……。ちょっとへこむわ」

「悪かったよ。でも異世界転生だか転移したなんて状況がおかしいからな。

 お気に召さないなら、今からでも態度を改めるぜ」

「やめて。コジローに敬語使われたら、それこそ立ち直れないぐらいにへこみそう」


 言いながらベッドに横たわるトモエ。常に一定の温度に保たれたウォーターベッドがトモエの体を温めると同時に、パスカルの原理に従い包み込むように凹凸を変える。ベッドに負荷がかかると同時にリラックス効果を高める1/fゆらぎ周波数の音が鳴り、脳医学的にトモエを眠りに誘っていく。


「ギリギリまで寝るわ」

「あいよ。タイマーセットしておくぜ。時間までゆっくり寝てな」

「……むぅ、そうじゃなくて」


 不満げに呟くトモエ。ベッドが生み出す効果はゆっくりとトモエを夢へといざなう。何かを言おうとするけど、意識がゆっくりと落ちていく。不満と睡魔の天秤が睡魔側に傾き、瞼が重くなってくる。


「ああ、もう。女性型の心がわからないんだから」


 動かないコジローにゴッドが小声で言いながら肘でベッドに行くように押す。


 コジローは一瞬戸惑うが、押されるままにベッドに近づき、トモエの手を握った。


「ちげぇ……! そのままベッドインしてやることやっときなさいよぉ……!」


 小声でゴッドがコジローの押しの弱さを攻めるが、コジローは聞こえないふりをしてベッドにもたれかかるように座る。


「……ん。ありがと」


 コジローのぬくもりと行動に満足したのか、トモエは瞼を閉じる。天蓋最高峰の技術を持って産み出された最高級のベッド。それもあるが、コジローの体温を感じなが等の睡眠によりトモエは天蓋に来て一番幸せそうな眠りについた。


 そんなコジローに、ゴッドの怒りの通信が飛ぶ。


<今からでも遅くはありませんよ、コジローさん! 寝ている間にイロイロして、最高のベット環境をトモエ様に与えるのです!>

<いや二時間後には大会議なんだし、そういう事して疲れさせるのは問題だろうが>

<何を正論言ってるんですか! こういう営みを覗き見るのがゴッドの趣味の一つなんですから! ハリーハリー!>

<ゴッドさん、趣味悪いぜ>


 怒りというよりは男性型同士の卑猥な会話だが。据え膳食わないコジローの態度に、ちょっと苛立つゴッド。


<全く……。お互い好意を抱いているのに性行為に至らないとはどういうことなのか。ゴッドはコジローさんの不甲斐なさに涙しそうです!>

<企業立ち上げでいろいろ忙しいからな。何ていうか、そういう事を言い出す機会もなかったっていうか>

<言い訳無用! 二人を見るのがゴッドの趣味の一つなんですから! もう少しスピード展開を求めます!>


『トモエ』立ち上げからずっとトモエとコジローを見守っていたゴッドは、二人の進展の無さに呆れていた。他人の色恋はいいエンタメ。下世話で下ネタ旺盛なゴッドらしい楽しみ方であった。


<もしゴッドにNTR属性があったらどうするんです! 隙をついてトモエ様に色々するかもしれないんですよ!>

<ゴッドさんはそんなことしないでしょうが>

<むぎゃあああああああ! なにその奇妙な信用!? ええ、ゴッドにそんな度胸なんかありませんよ! 女性型とはクレジットを払っての関係だけですよぅ!>

<あー……。ドンマイ>


 通信で勝手に盛り上がり、もんどりうつゴッド。それを慰めるコジローだが、それが逆にゴッドに火をつけた。


<いいですねぇ、コジローさんは。いろんな女性型にモテてモテて! ネネネさんに『イザナミ』の酔っ払いさんに『カーリー』の人間様に! 

 無知系ロリっ子に酔いどれ巨乳にクールお姉さん! 天蓋でもなかなか見られない美少女美女美形! どれか一人でも最高なのに、その気になれば全員囲ってタワーに住めるハーレム状態! 何この勝ち組ルート!>

<今はトモエの企業で手いっぱいだからな。そう言うのは無理なんですよ>

<ちーくーしょー! 羨ましい! ゴッドも人生で一度でもいいからそんなセリフ言ってみたい!

 いや言いたくない! ハーレム欲しい! クレジット関係なく好いてくれる女性型が欲しい! モテモテとかハーレムとかそんな可能性でもいいから掴みたーい!>


 壁に頭を当てて、うつなオーラを出しながらコジローに言うゴッド。そう言う所がモテない原因なのだが、それを口にするほどコジローは残酷ではない。ついでに言えばゴッド自身もわかってはいる。わかってはいるのだが――


<こんなこと言ってもどうにもならないのはわかっていますけど、それでも妬み僻みはクローンのサガ! 上位市民ランクに逆らえず、無茶ぶりされたクローンのはけ口は幸せな奴を恨むことなんですよぅ!>

<あー。はいはい。思うだけなら自由ですから。恨みを発散させようと当人達にぶつけないゴッドさんは偉いと思いますよ>

<コジローさぁぁぁぁぁぁん! そう言ってくれるのはコジローさんだけですぅ!>


 声に出さず通信で号泣するゴッド。このやり取りも慣れたものだとコジローはため息をついた。コジロー周辺の女性関係を見て騒ぎ、最後は適当に宥めて終わる。愚痴を聞いて終わるのだから、まあ平和な方だろう。


<いえね。ゴッドが行動に移さないのは紳士だからですよ。女性型に無理強いをしない。強引に力で事に及ばない。ゴッドは紳士。紳士なゴッド。この矜持を忘れてはいけないのです!>


 ここまで復活すればあとは自力で立ち直る。この調子のよさこそがいろんな意味でゴッドの強みだ。勝手に自分で落ち込むこともあるが、そのまま暴力的行為に移行しない分、マシである。あくまで『まだ』マシというだけだが。


<通信。IZー00210634から連絡です>


 騒ぐゴッドとは別に『NNチップ』に通信が入る。IZー00210634――ムサシからだ。コジローはそのコールに応じる。


<旦那ぁぁぁぁ! せっかく会えたのにすぐ帰って寂しいよぉ!>

<……お前、結構酔ってるな>

<酔ってる酔ってる。お姉さんも旦那の所に寄りたいねぇ。トモエちゃんも一緒にいるから、会いたいねぇ>


 脳内に酔いどれムサシの音声が響く。むしろムサシは酔ってない方が珍しい。


<トモエは今寝てるから駄目だ。俺もベッドから離れられないし>

<おおっと、熱々の最中だった? そいつはすまないねぇ。お邪魔なら切るよ>

<いや、トモエはもう熟睡してるから。話するだけなら問題ないぜ>

<……えぇ。ちょいと奥手すぎやしないかい、旦那?>


 呆れるようなムサシの言葉に、眉を顰めるコジロー。コジローとてそう言う欲求がないわけではないのだが、如何せん踏み出す勇気とタイミングがなかった。


<ま、そういう事なら一献付き合ってもらおうか。ルームサービス頼んだから、一緒に飲もうじゃないか>


 ムサシの言葉と同時に、部屋のインターフォンが鳴る。セキュリティボックスを通して『X線』『熱感知』『金属探知』により無害であることを確認されたモノを室内常備の配膳ドローンがコジローの元に運ぶ。


 徳利とお猪口。小さな盃の中には体温程度に温められた透明な液体が入っている。アルコール臭が鼻腔をくすぐり、コジローの脳が僅かな酩酊状態を起こす。


<これ、お酒ってやつか?>

<そうそう。電子酒じゃなく本物のお酒。タワーに来ないと手に入らない一品さ>

<高いんだろ、これ?>

<今回の会議にかかった費用に比べればはした額さ。ささ、一緒に飲もうや>


 ムサシのお薦めを受けて、コジローはお猪口を手にする。


<乾杯>


 二人のクローンは同時にお猪口を掲げ、酒を口にした。サイバー化していない臓器が熱くなり、脳をアルコールが刺激する。電子酒ではない初めての飲酒に、コジローは新しい世界を見た。


<ふわぁ! やっぱり本物はいいねぇ!>

<これが本物かぁ……確かに電子酒とは大違いだな>

<通信越しとはいえ、旦那と一緒に酒が飲めてお姉さん幸せだよぉ>


 えへへ、と嬉しそうなムサシの声。コジローは自分と同じように酒を飲んでいるムサシを想像して、小さく笑みを浮かべた。


<気もほぐれたところで、ちょいと相談させてもらおうかね>

<相談?>


 酒を口にしながら問い返すコジロー。


<2時間後にタワーで爆発が起きるのさ>


 口に含んだ酒を吹き出すのを、コジローは済んでのところで押さえ込んだ。

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