ロビー活動だよ

 カップに注がれる少し明るいオレンジ色の液体。そこにミルクを注ぐ。


 オレンジと白が交じり合い、雪を思わせる柔らかな色になる。同時に甘く濃厚な香りが鼻腔をくすぐり、想像力を沸きたてられる。ああ、これはどんな味なのだろうか。


「ダージリンの夏摘み茶セカンドフラッシュだ。ストレートも悪くはないが、ミルクを入れれば紅茶の苦みが消える」


 カーリーの護衛である警護ドローンが淹れたお茶――チャイがトモエの前に差し出される。トモエはそれを口にし、その風味と味に言葉を失った。今まで生きてきて、こんなお茶を飲んだことがないという顔だ。


「すっご……コンビニお茶とか比べ物にならないわ」

「インドのチャイは歴史こそ浅いが当時の人達の研鑚と苦労の結果生まれたモノだ。BBAの時代では三大紅茶とも言われたダージリンも、そのままでは受け入れられない。こういった調理は人類文化の極みだな」

「そうね。それは素直に認めるわ」


 お茶のインパクトに負けて、今まで受けたカーリーの仕打ちを忘れるトモエ。


 場所はタワー内にあてがわれたトモエの部屋。その中にあるテーブルにトモエとカーリーは対面するように座っていた。


<うはああああああ! あれ『ドリンク』ですよね、コジローさん! 匂いと味がついた液体とか本当に存在したんですねぇ! このゴッド、感動です!>

<落ち着けよ、ゴッドさん。俺も一度しか経験したことないけど、あれはあの時よりも上質っぽいな>

<げげええええええ! コジローさんも『ドリンク』を経験済み!? さすがトモエ様の第一護衛! 市民ランク6と思わせて、実は高ランク市民だったんですね!>


 トモエの背後で通信しあうゴッドとコジロー。お茶やジュースなどの飲料が味わえるのは市民ランク2以上。それ以下のクローンは、水以外の液体を知らない。『NNチップ』による味覚刺激で味を得ることはできるが、それはあくまで脳刺激だ。


「ふふ、カーリー自慢の護衛ドローンだ。チャイを始めとしたさまざまな料理を作り出すことができる。

 名前は『アンナプルナ』。タワー限定ではあるが、需要が高いドローンだ」


 冷蔵庫ほどの大きさを持つ直方体型ドローンが、挨拶とばかりにランプを明滅させた。チャイを淹れたアームを器用に折りたたみ、手を合わせるようなポーズを取る。


 アンナプルナ。サンスクリット語で『豊潤の女神』の意味を持つ。またヒマラヤ山脈に属する山群の総称だ。


 インド神話における台所と料理の神様で『食べ物とか物質とかどうせ消えるんだし幻想じゃん(意訳)』と言う主神に対し、空腹にしてその考えを改めさせたというエピソードがある。


「今のBBAの企業陣営にはいない家庭用ドローンだ。味アプリの売り上げは立派だが、真に越えた舌を唸らせるには至らないという事だな」

「……む、自慢しに来たの? マウント取って楽しい?」


 まだできて間もない『トモエ』には人材がいない。トモエの時代の味を再現した味アプリが主戦力だが、それを超える味を提供されてしまわれれば言い返すこともできない。悔しげにカーリーを見るトモエ。


「そうだ。……と、いうのは半分ウソだ」

「半分は本当なんだ」

「カーリーとしてはこのままマウントを取ってスカッとした挙句、そのBBAの心境を想像して1作品書きたい気分ではあるが、そうもいかない。

 本来の用事は――ロビー活動だよ」


 ロビー活動。


 一般に、自分の商品や主張を通しやすくするために、政府や国際機関に対してルールを策定するよう働きかける活動を指す。ルールを守ることは大事だが、現行のルールに縛られることで活動が衰退化することもある。


 そう言ったことを回避するための『根回し』である。昔に作られたルールを現在の状況に当てはめれば不具合が出る。新発見した製品や輸入された商品。そういったものを素早く流通させるために政府に話を通す。そうすることで手早い経済活動を行うのだ。


「……うーん。何かそれって卑怯じゃないの? 賄賂とかそういうのでしょ?」


 トモエはロビー活動と言う言葉と意味を聞いて、眉をひそめた。企業が政治家に話を持ち掛けて便宜を図る。裏でお金を渡して自分だけの利益を得る。そんなニュースを何度も聞いたことがある。


 だがカーリーはトモエのその一言を聞いて小さく笑った。


「確かにそう言ったことをするロビイストもいるだろうよ。BBAの国はそのおかげでロビー活動が遅れていたのだったか。

 だけど基本的には健全な活動だ。せいぜい今淹れたチャイはタダにしてやる、ぐらいのな」


 トモエがいた国でも、古くからロビー活動は行われていた。一般人が議員へ陳情することも法律で認められている。一部の企業が利益を求めて法を逸脱するからイメージが悪くなっていただけである。


「BBAも企業の上に立つなら、こういったことは避けられない。カーリーもその一環でBBAに話をしに来たという事だ。

 おそらく他企業も同じように会いに来るだろうよ。或いは自分から足を運んだ方がいいかもしれんな」

「世間知らずに教育ありがと。BBAって言わなかったら素直に頭を下げてたわ」

「Ne-00339546の件がある限り、この呼び方は変わらんよ。当てつけとばかりに護衛に連れてくるとか、最高の挑発だ」


 カーリーは言ってコジローの方を見た。トモエの護衛。カーリーの誘いを断って『トモエ』に移籍したクローン。その理由は、言わずもがなだ。口惜しいがその結果は素直に受け止めるカーリー。


「一矢報いれてよかったわ。それで、カーリーはこんな弱小企業になんの交渉をしに来たのよ」


 不満げなカーリーを見て少し気分を良くしたトモエ。この勝利は誇っていいと胸を張った。そして気になったことを問いかける。わざわざ訪ねてくれるほどの力はないと思っている事もあり、ストレートな問いかけだ。


「交渉と言うよりは宣戦布告だな。『味アプリ』など問題にならないアンナプルナの宣伝。タワー内にはBBAの需要はないぞ、と言う挑発がメインだ」


 対するカーリーもストレートな返しである。もっともこれはカーリーの性格と、コジローを奪われて独占しているトモエに対する恨みもある。企業『カーリー』のトップの立場を逸脱しないギリギリの範囲でやり返していた。


「やっぱりマウント取りに来たって事じゃない」

「便宜を図るのはここからだな。アンナプルナが作った味をBBAの商品として売り出しても構わん。今のチャイの味はサービスでくれてやる」

「……は?」

「『トモエ』の事業に協力してやる、と言う交渉だ。

 もちろん味の使用料金は頂く。インド料理などあまり口にしたことは無かろう。かなりの需要になると思うがどうだ?」


 あまりの提案に目を丸くするトモエ。あのカーリーが、私に協力?


「……どうせ何か裏があるんでしょう?」

「当然だ。経済的な利益以外にも金策と新商品の売れ行きに苦しむBBAの顔を想像して笑るタネが増えるしな。それに料金が払えなければ、借金のカタにNe-00339546を頂くだけだ」

「思いっきり裏あるじゃないの!」

「だが上手く売れれば利益拡大だ。悪い話じゃないと思うが」


 叫ぶトモエに『どうする?』と返事を促すカーリー。悔しいけど、交渉事ではあっちが上手のようだ。いいように手玉に取られている感はあるが、ここで怒りに任せて断るのは惜しい。チャイは美味しかったのだ。


「……考えさせて。すぐに返事はできないわ」


 そう言って返事を先延ばしにするトモエ。


「いい返事だ。即答していたら企業トップの器を疑う所だったな。冷静に思考し、企業にとっての正しい判断をする。それがトップの役割だ」


 カーリーはその返事に満足したという顔をする。


「悔しいけど魅力的なのは事実だもんね。スパイシーカレーとか何処かの辛い味大好きな超能力者エスパーが買いそうだし」

「インド料理はどちらかと言うと野菜が中心なのだがな。やはり味の傾向としてはきつめの方が有名か。インパクトは大事だから止む無しだな」

「そうなの? スパイスきつめのイメージが強いんだけど」

「インドの暑季は40℃を超えるからな。食欲を保つ為にスパイス多めになっただけだ。そのインドも今となっては――」


 カーリーはそこまで行ってから、口をつぐんだ。ため息をついてチャイを口にする。


「ペレもいいかけて止めたけど、ハワイとインドって今どうなってるのよ?」

「人類すべてが『アベル』に収まったことで世界を支配する人類はいなくなった。支配者がいなくなった世界が300年でどう変わったかなど正確に把握できんよ」

「なによ。カーリーもわかってないってこと?」

「少なくとも天蓋を運営し始めてから、訪れたことはない」


 そう言ってこの話題を終わらせるカーリー。『知っている』とも『知らない』とも言わず、これ以上は聞くなと圧をかける。トモエもそれを察してこれ以上の追及をやめた。


「まあいいわ。ロビー活動って聞いて少し身構えたけど、要するに協力して一緒にお金儲けしましょ、って話だったのね」

「分かってないなBBA。天蓋と言う世界において、企業は世界そのもの。BBAの感覚で言えば、この交渉は大国同士が結託して世界を動かす兵器開発しようと言っているようなモノだ。

 二企業が裏で繋がっている、と言う事実が表に出ればそれだけで経済は荒れるのさ。ただの仲良しこよしでお金儲け、だなんて思っているのならその考えを改めろ。実際、BBAの護衛は心中穏やかではなさそうだぞ」


 カーリーに言われてトモエは背後に控える二人を見る。無言ではあるがコジローは眉をひそめた難しい顔をしており、ゴッドは明らかに顔を青ざめている。それぐらいに大きな話だったのだ。


「……マジ?」

「マジだ。それぐらいの責務と重圧を背負うのが企業トップなのさ。

 もっとも『天蓋に平等な世界を』なんて戯言は企業トップでなければなしえない事だろうがな」


 話はこれで終わりだ、とばかりにカーリーは席を立った。部屋を出ようとするカーリーを追うように料理ドローン『アンナプルナ』も移動する。


「BBAのことだ。他の企業トップとも仲良しこよしになりたいと思っているのだろうが、それはやめておけ」


 部屋を出る直前で、カーリーはそんなことを言う。


「無論、完全敵対もだな。適度なプラスと適度なマイナス。大事なのはその距離間だ。

 協力できるところは協力し、拒否するところは拒否しろ。そのバランスが大事だぞ」


 忠告なのか戒めなのか。よくわからない言葉を吐いて、部屋から出ていくカーリー。


「ふん。アンタのことは全部マイナスなんだからね!」


 出ていった扉に向けて、そんな言葉を吐くトモエ。


「そう言うなよ。あの人間様もトモエのことが心配でやってきたんだろうし」

「む。コジローはカーリーの肩を持つの?」


 トモエをなだめるコジローに、思わずそんなことを言ってしまうトモエ。言った後で自己嫌悪をするが、それを理解したうえでコジローは言葉をつづけた。


「それがトモエにためになるならな。お前だってわかってるんだろ? あの人間様は口は悪いがお前のことを対等な立場だと思っていることぐらいは」

「対等って言うかライバルよ。いつか泣かす!」

「そうだな。アンタらはきっとそんな関係が続くだろうぜ」


 コジローの言葉通り、トモエとカーリーの関係は時に協力し時に反目し、長く好敵手として続いていくのであった。

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