自分しか理解できない生命賛歌

「キツネ型バイオノイド?」


 敵の構成が収まり一息ついていたボイルの前に現れたのは、キツネ耳を持つバイオノイドだ。数は10体。臀部に尾を生やし、服も『イザナミ』の代表的な赤白のミコブランドである。


 ただ歩き方はふらつき、熱にうなされたように呼吸は荒い。瞳はこちらを見ておらず、肌には血液が鬱積したような斑点が見える。明らかに動作不良――トモエのような西暦の価値観から見れば病気――に見える。


 002部隊の秘匿兵器の一つ、『クダギツネ』。それがボイルを認識する。焦点の合わない瞳でボイルを見て、ゆっくりと歩いてくる。ふらりふらりと熱に犯されたような足取りで。


「敵……?」


 その動きに敵意は感じない。それがボイルの行動を遅らせた。とはいっても目を逸らしたわけではない。攻撃するか否かを迷った程度だ。この状況で現れた以上、ただの迷子ではないだろう。けん制攻撃を仕掛けようと意識し――


「っ、はぁ……!」


 意識した瞬間、ボイルはバイオノイドに殴られて地面を転がっていた。


「何、が――」


 何が起きたのかわからない。距離は十分に話していた。注意は逸らしていない。なのに一気に距離を詰められて、気が付いたら殴られていたのだ。地面を転がって距離を取ってから体を起こし、殴ってきたバイオノイドの衣服にある金具を加熱する。皮膚を火傷させる程度の温度だが、足を止めるには十分な攻撃。


「っ!」


 ――を仕掛けようとして、回避のために大きく飛ぶボイル。クダギツネがボイルの真正面に迫り、拳を振るおうとしていたのだ。何とかその攻撃をかわすが、とんだ先に別のクダギツネが待っていた。背中を蹴られ、再び地面に伏す。


(いつの間に……!)


 目で追いきれないほどの速度。それにより先回りされている。ボイルの超能力対策で武器らしいものは何も持っていないが、筋力増幅されたバイオノイドの一撃はクローン一体吹き飛ばすぐらいは容易である。それを連続で叩き込めば、いずれ死ぬ。


(『イザナミ』がバイオノイド作製技術に秀でているのは知っていたけど、ここまで身体強化できるモデルを持っているなんて聞いてないわ!

 目で追えないほどの速度で動くなんて、ありえないわよ!)


 戦闘用バイオノイドの強さはボイルも知っている。仕事で何度も相対したことがあるし、その度に返り討ちにしてきた。『イザナミ』のヌエシリーズもかなりの強さだったが、それでもその動きは目で追える。


「一気に吹き飛ばす……!」


 切り札を出し惜しみすればこのまま袋叩きにあう。そう判断したボイルはポケットの中に在る金属片をできるだけ拾って周囲に投げる。金属片はクダギツネに迫り、ボイルはその瞬間を逃さず金属片を一気に過熱する。


金 属 沸 騰ジンシュウ・フェイトン――爆 ぜ る コ イ ン の 舞バオジャー・ドゥ・ジン・ビー】!


 コインはクダギツネの真正面に飛び、そして一気に過熱されて爆ぜる。華氏4643.6度2562℃の高熱。何も知らないなら反応すらできない爆発。


「え……?」


 その爆発は、想像もしない場所で起きた。遠く離れた場所。投げた金属片を拾われて、遠くに投げられたのだ。そして投げた先で加熱され、蒸発した。


<聞こえるか、Joー00101066! 我ら002部隊が作り出した戦闘用バイオノイド! その名をクダギツネ!

 降伏勧告をしてやろう! 我々に拘束されるのなら命だけは助けてやる! 断るならそのまま殴られ続けて死ぬだけだ!>


 そんな通信がボイルの『NNチップ』に届く。IDはIZ-00096102。狂い鬼だ。いいように攻め立てられるボイルを前に、降伏を勧める。実際、ボイルはいいように殴られて疲弊している。


 圧倒的速度。圧倒的な反射神経。クローンが認識できないほどのスペックを持つバイオノイド。それがクダギツネ――


(――そんなわけないわ)


 そんな戯言を無視して、ボイルは思考していた。殴られないように動き回りながら、必死に考える。


(そもそも10人で囲んでいるのにとらえきれない時点でおかしいのよ。こいつらの動きは愚鈍そのもの。普通に走り回るだけで逃げ切れる。包囲するなんてこともせず、ただこちらの動きに合わせて体を動かしているだけ)


 高熱でぐらぐらしている頭。乱れた呼吸。倒れそうなほどの足取り。倒れる寸前の動きでボイルを追うクダギツネ。ただある瞬間だけ、ボイルに認識できない動きをする。


(本当に高速で動いて相手を攻めるスペックを持っているなら、認識される前から一気に攻めて圧倒するのが最適解。それなのに出てきたときはあのノロノロ歩き。過剰薬剤でボロボロのバイオノイドの動き)


 思考は少しずつまとまってくる。速度ではない。いくつかの仮説を脳裏に展開させて、解を得る。


<IZ-00096102。貴殿の職務範囲内に入ったことは謝罪する。手続きを怠ったペナルティは後日クレジットで支払うわ>

<ほほう。降伏するのか?>

<ええ、そうね>


 ボイルの言葉に笑みを浮かべる狂い鬼。だが帰ってきた答えはその予想外のモノだった。



 ボイルはクダギツネから意識を逸らし、足元に超能力を使う。足場を構成する金属プレート。それを一気に過熱した。温度は華氏140度60℃。融解する速度ではないが、生物の皮膚を焦がすには十分な温度。


金 属 沸 騰ジンシュウ・フェイトン――大 地 焦 熱 炎ダ・ディ・ジャオ・レ・イェン】!


 耐熱ブーツを履いているボイルはさほど影響を受けないが、ミコブランドの靴では断熱できないほどの熱さ。クダギツネ達は熱に耐えきれず崩れ落ち、そして熱した金属プレートの上を転がりまわる。火傷を避けようとする反射的な動きだ。


<クダギツネだったかしら。こちらの脳に作用して認識を狂わせる何かをしているみたいね。おそらくこっちが強く意識を向ければそれが発動するようだけど。

 逆に言えば、こいつらに意識を向けなければ何も出来ない木偶って事じゃない>


 呆れたように呟くボイル。狂い鬼からの返信はない。その沈黙が、ボイルの仮説の正しさを証明していた。


 フラフラ揺れる頭部。独特な呼吸のリズム。目を引く斑点の動き。呼気に含まれる臭気。それらが生み出す催眠効果。視覚、聴覚、嗅覚を揺さぶり催眠にかけていたのだ。時間にすればコンマ5秒ほど脳をバグらせ、その間にクダギツネは行動していたにすぎない。


 ボイルからすれば相手が高速で行動したように見えるが、周りから見ればボイルは茫然としていたようにしか見えない。間抜けに見えるが理解できなければ高速で動く相手を捕えようと困惑した頭で悩むことになる。


 種が割れてしまえばどうしようもないが、目視できる距離では完全な初見殺しである。ボイルがそれに気づいた理由は何のことはなかった。


(ま、私もペッパーがいなかったら『脳に作用して感覚を狂わせる』なんてことは思いつかなかったわけだけど。何かアイツ以外に脳を弄られたとかムカつく!

 べ、別にあの馬鹿だったらどんなふうに弄られても許すとかそういうわけでもないんだけど!)


 脳内で勝手に怒って赤面しているボイル。実際、ペッパーXの超能力を知らなければたどり着けなかった答えだ。


(まあ、あの馬鹿には感謝ぐらいはしてもいいわよね。うん、それぐらいはパートナーとして当然だし。カシハラトモエじゃないけど、少しぐらいは好きだって踏み込んでも――)

<ボイルさん!>

「ひゃあああああああ!」


 ペッパーXにどう感謝を伝えようかを考えていたボイルは、唐突なトモエからの通信に悲鳴を上げた。なになになに!? もしかして思っていたことが勝手に通信されてた!? そんな通信事故がない事をログを確認し、脳内物質を投与して動揺を押さえ込む。


<な、何かしら? こちらはちょっと怪我したけど問題ないわ>

<うん。キツネ巫女に殴らててちょっと心配したけど……そのキツネ巫女たちは大丈夫なの!?>


 トモエが言っているのは、地面を転がり火傷で苦しむクダギツネ達だ。もう地面の温度は戻してあるが、熱された鉄板の上で転がり疲弊している。そもそも元から壊れる寸前の状態だったのだ。もう立ち上がる体力はないだろう。


<ええ、十分無力化したわ。今からとどめを刺すつもりだけど――>

<殺しちゃダメ!>


 ボイルの報告に、トモエの制止が入る。その叫びは命令ではなく、悲痛な泣き声に聞こえた。トラウマを刺激され、そこから必死に逃げるようなそんな声。


<……無力化、したんだよね。だったら、もういいよね……殺さなくて、いいよね>


 バイオノイドは道具である。それは天蓋のクローンが共通で抱く認識だ。コジローさえもそう思っているだろう。


 トモエの脳裏に浮かぶのは、天蓋に来て初めて出会ったイヌ型バイオノイドの最後。命令に逆らって痛みに耐えきれず力尽きたその姿。


(天蓋がそういう所だってわかってる。皆がそう思っていて、私だけが異常で、私の常識を押し付けるのは間違っている。けど……!)


 価値のない命。使い潰す道具。バイオノイドはそういう扱いなのだ。それはだめだと否定しても、空しく響くだけだ。自分しか理解できない生命賛歌。それを叫ぶには、トモエはあまりに非力だ。


<殺さないで……お願い……!>


 ただ訴えることしかできない。こんな言葉に力はない。ボイルを止める物理的な力もないし、企業的な権力もない。アーテーのように心を動かす超能力もない。ただの空気の振動。電波信号。ただそれだけ。


<今は動かないけど、いずれ復活して襲ってくるかもしれないわ>

<っ、それは……>


 冷たいボイルの言葉にトモエは息をのみ、言葉を失う。ボイルの言っていることは正しい。放置することで危険な目に遭うのはボイル本人だ。ボイルに死ねなんて言えない。言う権利なんてない。


 でも、それでも――殺さないでほしい。


 沈黙は一秒。言葉はない。


 だけどその気持ちだけは十分に伝わっていた。


<――でもまあ、今の私は『トモエ』所属みたいだからね>

<…………え?>

<企業トップの願いっていうんなら、殺さないでいてあげるわ>

<ボイルさん……!>


 小さく微かに、ありがとうという言葉がボイルの脳内に届く。通信機スマホを握りしめて泣いているのだろう。その光景は見ることができないが、その言葉と気持ちは確かにボイルに届いていた。


 通信先を狂い鬼に変え、ボイルはクールに通信する。


<繰り返すわ。こちらにも非はあるから、降伏は何時でも受け入れる。でも襲撃してきた以上、手温い対応はできないわ。

 迅速に終わらせてあげるから、覚悟してなさい>


 あらゆる金属を蒸発させる超能力者が、002部隊討伐のために動き出す。

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