頭を上げてくれない?

「この場で話すことはこれ以上なさそうですね。事後処理もありますし、先に失礼します」


 ネメシスはそう言って会合室を出る。自動扉が閉まり、部屋内の者達からの視線が遮られて――


「急げえええええ!」


 それまでの冷静沈着な仮面を投げ捨てて、ネメシスは廊下を走った。機械を使えばログから感知される。ペレやジョカなら解析できるだろう。故にネメシスは自分の足で走って廊下の角まで移動する。


 タッチの差でペレが扉から出てきた。1秒遅れれば後姿を見られていただろう。やば、ギリセーフ。壁を背にしてそんなことを思いながら、階段を上る。エレベーターは使わない。ビル内の電子機器関係ログを使用した証は残してはいけない。どこからほころびが出るかわからないからだ。


 屋上に待機させていた無人輸送ドローンに乗り込み、脳波で命令して移動する。このドローンは完全に『ネメシス』の支配下だ。システムに長けるジョカでもログの解析はできない。ここからはスピード勝負とばかりに最高速度で移動する。


(先ずはアーテーの状態確認! 護衛ドローンのログから柏原友恵グランマと接触していることは確実だからどんな精神同調したかを直で見ないと! 落ち着け落ち着け落ち着け……柏原友恵グランマは悪人じゃない。だから凶悪な思想に染まってはないはず!)


 先ずは精神同調シンパシーを持つ超能力者エスパーの安否確認だ。肉体的な損害ではなく、精神的な損害。接触したアーテーがどのような状態なのか。


「アーテー! 無事!?」

「えへへ。コジローに何て言おうかな。出会う前から好きでした! ちょっと恥ずかしいけど、ストレートに行くならこうだよね。それとも、肉体的に迫るのも……きゃん、アーテー大胆♡」

「そう来たかああ!?」


 トモエの恋愛脳と同調して乙女モードになったアーテーを見て、崩れ落ちるネメシス。凶悪な思想に染まってなくて良かったが、それでもこれは痛々しい。


「あ、ネメシス様。アーテーは、恋に目覚めました♡」

「見たらわかるわよ、もー!」


 制御不能の精神攻撃。企業の虎の子にして、今回の作戦を裏で支えた超能力者エスパー。それがこんなアホの子になっていようとは。これが明るみになれば、『ネメシス』の株価暴落待ったなしだ。それ以前に恥ずかしい。


「落ち着け私。最悪の事態は免れた。今なら対処できる」


 深呼吸して気分を整えるネメシス。最悪、トモエの天蓋に対する恨みを同調された可能性もあったのだ。アーテーの超能力でその恨みを伝播されれば、その被害は予測も着かない。


「今から行くね、コジロー。アーテーの想い、受け止めて――」

「アーテー」


 ピンク一色の感情溢れるアーテーに、顔を近づけるネメシス。


 壁ドン、顎クイ、足絡ませ。スリーヒットコンボでアーテーの心を動揺させ、唇が触れるか否かの距離で囁くように言葉を放つ。


「私だけを見なさい」

「ひ、ひゃい! ネメシスしゃま!」


 天蓋においても至上の存在である人間。控えめにいっても顔立ちのいいネメシスの美顔。それ以外が見えない状態だ。さらに言えば、アーテーは精神同調により心が揺れやすい。


「貴女が好きなのは、誰?」

「ね、ね、ねめしすしゃまでしゅ……」

「コジローって誰?」

「ほわ、トモエが好きなクローンでしゅ。アーテー、それを同調してましただけで、ネメシスしゃまを嫌いになったわけでなくてあばばばば!」


 アーテーは俗に言う、チョロインであった。とはいえこれはアーテーが持つ精神同調の関係上、仕方のないことだが。


「ふふ、解ってるわ。少し嫉妬しただけだから」

「はふぅ……アーテーごときを気にかけてくれるだなんて、しゃあわしぇ……」

「今日は疲れたでしょう? ゆっくりお休みなさい」

「ネメシスしゃま、やさしい……お休みなさい」


 ネメシスの『自己愛』と『疲労感』を同調したアーテーは、その気持ちのままに睡魔に着く。ネメシスはアーテーの警備ドローンに命令して、アーテーをベッドに運んでもらった。


「アーテーはこれでよし! 次は柏原友恵グランマ!」


 一息つく間もなく、ネメシスは移動を開始する。脳波で各治安維持部隊に命令を出して現場に近寄らせないようにして、ドローンを使い移動する。


 現場につけばなにやらもみくちゃにされついるコジロー。それに抱きつくトモエ。こちとら忙しくしてたのに、なにイチャイチャしてんだよゴラァ! その怒りを込めて、天蓋を運営するリソースであるドラゴンのエネルギーを使って全員を拘束する。


「ネメシスか。ドラゴン『ソロン』の力で拘束とは大仰だな」


 唯一拘束されていないカーリーが自分の名を告げた。


(う。確かにやりすぎたかも。いえいえ、時間は重要なリソース。早いに越したことはありません。そういうことです)


 小虫を退治するために大型火炎放射機を使うほどのエネルギーを使ったことを自覚しつつ、ネメシスは『優等生』の仮面を被って静かに告げる。


「これが一番効率的ですので」


 カーリーの視線が痛い。無言でなにかを言いたげに見た後、


「心中察しておこう。救われたのは事実だからな」


 気遣われた!? 半泣きになって叫びそうになるのを、ネメシスはかろうじて押さえ込んだ。


 その後、ドローンを用いて拘束した者を『ネメシス』の施設に輸送。トモエの身柄は他企業に知られることなく『ネメシス』の保護下に入るのであった。


 ……………………。

 …………。

 ……。


「……はー」


 いきなり拘束されたかと思えばめちゃくちゃ高級なホテルの一室に運ばれた。何を言っているのかと思うかもしれないが、トモエの主観だとそういうしかなかった。


「お目覚めですか」


 そしてトモエの目覚めを待っていたかのように、白い神官服を着た女性が声をかけてくる。ローマだかギリシャだかその辺りを彷彿させる衣裳だ。


 ネメシス。


 カーリーがそう呼んでいた人。その名前には聞き覚えがあった。五大企業『ネメシス』の創始者。コジローやアーテーを作った企業でもある。トモエは虚勢を張るように強気になって口を開いた。


「いきなり拘束するとか無礼極まりないんですけど。天蓋の偉い人が私になんの――」

「グランマには色々ご迷惑をお掛けしましたああああ!」


 用事かしら、と刺々しく問いかけようとするより早く、ネメシスは土下座した。両ひじを揃えて床につけ、腰を柔軟に曲げて左右対称に両手を地面につける。額を地につけるか否かの高さまで下ろし、お腹から声を響かせる。この間、わずかコンマ三秒。流れるような見事な動作であった。


「あ、え、その」

「私たちの都合で西暦時代から召喚し、事故で顕現したときも満足に救出できず!

 このような状態になるまで身動き取れなかった私の不甲斐なさを恥じるばかり! いかなるお叱りも受け入れる所存でございますううう!」


 ガチ謝罪だった。トモエも見たことのない土下座だった。鉄板の上だろうが、針山の上だろうが、代わらず土下座できそうなぐらい立派な謝罪だった。


「あの、頭を上げてくれない?」

「いいえ、そのような真似はできません! グランマがこれまで受けた迫害を考えると、顔を向けることなどとてもとても!

 責任は私にあります! 天蓋には恨みあるでしょう! ですがクローンに罪はありません! 彼らに罰を与えることだけは、どうかお許しを!」

「確かにひどい目にはあったけど、そこまで怒ってないから」

「あああ、お優しい! このネメシスへの処罰だけで許してくれるのですね! 如何なる罰も、責め苦も、拷問も、恥辱も受け入れます! 気のすむまでおなぶりくださいいいい!

 絞首斬首投薬銃撃電気椅子ガス室水没十字架磔生き埋め鋸引き釜茹で石打なんでもお受けする次第ですので!」

「話聞いて! 天蓋には変態しかいないの!?」


 涙を流して手を合わせるネメシスに、同じく涙を流して叫ぶトモエ。百パー謝意なのは伝わるが、色々怖すぎる。


 泣き叫び謝罪するネメシスの話を要約すると、ネメシスはトモエの存在をオレステに捕まる辺りから察していたと言う。


 ネメシスはどうにかトモエを保護したかったのだが、企業のトップであるがゆえの多忙と絡み付く義理義務その他しがらみなどもあって、自分から動くことはできなかったのだ。


 やむなく『重装機械兵ホプリテス』を使って保護しようとしたけど、詳細を話すこともできない。挙げ句、子宮や膀胱などの情報が流布して大混乱。最終的にコジローに保護されて、様子見となった。


(確証はありませんが、子宮関係の情報を流したのはペレでしょうね。面白くなりそうとか、そんな理由で……!)


 これは口にせず、ネメシスは眉を潜めたとか。


 ともあれネメシス本人が動いてトモエを保護するタイミングがなかったという。バーゲスト騒動でどうにか時間とタイミングを見つけ、こうして拉致……保護したと言うことである。


「そっちの事情っていうか、言い訳は解ったわ。ところでコジロー達はどこ?」

「別室待機です。何故かトレーニングルームを使用して戦い続けていますが」

「あの戦闘狂共が……」


 人が土下座されて謝罪女に絡まれている間に、そっちは楽しく戦闘イチャイチャしやがって。トモエはハブられた気分になり、少しおこだった。激おこだった。


「とにかく、私は貴方を断罪するつもりはないわ。色々不都合あるから、その辺りをどうにかしてほしくはあるけど」

「はい。市民ランク1用のタワー最上階を用意します。私の保護下に入るので狙われることはないでしょう。本来ならそれでも足りないぐらいなのですが……ええ、やはりこの身を削って謝罪しなくては」

「……物理的に身を削りそうで怖いからやめてね」


 ネメシスの言葉にうんざりして返すトモエ。それ単体で聞けば普通に謝っているセリフだが、先の拷問パレード発言から本当に身を削りかねない。


「ナーバスになっているのは認めます。私達五人と天蓋の都合でグランマを召喚プログラムに閉じ込めて270年。その間ずっと罪の意識にさいなまれてきたので」


 自らの罪を吐露するように、ネメシスは呟いた。300年近く抱いてきた罪悪感。天蓋のためとはいえ、自分の祖母の人生を台無しにした罪悪感に苛まれてきたのだ。その罪を雪げるのなら、多少奇異な行動に出ても仕方な――


「あとご存じとは思いますが私は不老不死なのでどれだけ身を削っても死亡レベルのダメージを受けても死にません。幾多の実験で検証済みです!

 なので安心してください! むしろグランマに裁いてもらえるなら、本望です! 興奮します!」

「いや、それでどうやって安心しろっていうのよ……。そもそも不老不死って私がこうなった時点で不安定になってるんじゃないの?」

「それはそれで新たな境地に至れるかも!」

「その境地、三途の川とかそういうのだと思うわ」


 訂正。罪の意識はあまり関係なかった。ただのドエムだった。トモエはドン引きし、近寄るなと手を振る。企業を運営する人ってわけわからないストレス抱えてるんだなぁ、と好意的に解釈した。


「とにかく狙われないのならもうそれでいいわ。あ、コジローとか店のバイオノイドもその部屋に呼んでいいのよね?」

「駄目です」


 流れ的に快諾してもらえると思った提案だが、ネメシスは真顔になって拒否した。それまで謝罪してたとは思えないぐらいにキリっとした表情である。


「なんでよ?」

「市民ランク6のNe-00339546をタワー内に入れるわけにはいきません。バイオノイドもです」


 真面目な委員長属性のネメシスは、自ら作った規約を曲げるつもりはないとばかりに言葉を告げた。

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