お前を助ける時は何時だってギリギリだ

(泥の中を沈んて行くみたい)


 トモエは――正確に言えばトモエの精神は真っ暗な空間の中をゆっくり進んでいた。進むという言い方も正確に言えば正しくない。進む方向はトモエがコントロールできず、周りは真っ暗なのでどの程度の速度で移動しているかもわからない。


 ただ漠然と『沈む』という描写が正しい気がするだけだ。泥という感覚も実際に体が濡れているわけでもないし呼吸ができず苦しいわけでもない。周囲の空気がまとわりついてくるような感覚がするだけだ。


「これがバーゲストの精神なのかな……?」


 当たり前だけど他人の精神の中に入ったことなどない。ただアーテーが嘘をつくとは思えない。それは精神が深くつながって会話したこともあるが、性格的にアーテーが人を騙すとは思えなかった。トモエは流れに身を任せるように力を抜く。


「帰りたい……あの場所に……」


 脱力したトモエの脳にそんな言葉が響く。正確に言えば精神状態のトモエに脳はない。あくまでトモエが『耳ではない器官で言葉を聞いている』という感覚をそう変換したに過ぎない。


「貴方がバーゲスト?」

「そうだ。この世界の人間がそう名付けた存在だ」


 トモエは直感的にその声がバーゲストであることを察した。精神で繋がっている状態でウソはつけない。


「『世界をやり直したい』『死にたくない』……その想いを受け、世界に空いた小さき孔からこの世界に進出した。その願いをかなえるべくこの世界を破壊し、死を理解してその概念を破棄しようとした」

「死の概念を破棄……そんなことできるの……?」

「死が時間経過による物質結合の緩みなのだとすれば、時間の流動を停めれば理論上の死は回避される。この世界をいったん終わらせて時間の流れを止めれば、永遠に死が訪れない世界になるだろう」

「いや、それって意味ないから」


 バーゲストの言葉にツッコミを入れるトモエ。世界を終わらせて時間を停めれば、終わったままの状態で止まって何も始まらない。時間流動を止めるとかものすごいことを言っているのだが、そこはもうツッコまない。


「『世界をやり直したい』『死にたくない』という二つを叶える案だというのにか?」

「そんな願い叶えなくていいわよ。迷惑でしかないんだから」

「それを強く望んだ者がいるというのだが」

「その人だってそんな形で願いが叶うとは思ってないわよ。せいぜいが借金を返したいとか告白する前まで時間戻してとかあと数年生きていたいとかそんな程度よ」

「尺度が低い」

「人間の尺度はそういう者なの」


 声に出さず会話するトモエ。借金とか告白とか通じるんだ、と疑問に思えば。


「言語翻訳に関しては精神が繋がっているからだろう。恋愛や経済などは理解の外だが、精神が同調しているので意味合い自体は理解できる。

 キミが私同様、本来この時間軸に存在しないはずであることも理解している」


 成程、アーテーと同じ状態なのか。となると長く接触しているとアーテーみたいに気持ちが同調したりする?


「難しいな。精神の構造が違う。そのアーテーというのは私とキミを繋いでいる精神感応者なのだろうが、その存在と同質の精神であるから同調時に最も強い精神活動に染め上げられたのだろう」


 何を言っているのかよくわからない、とトモエが思った瞬間に『スマホのバージョンが違うからアプリがインストールできないようなものだ』というしっくりとした解釈が脳裏に浮かんだ。精神が同調しているので、わかりやすい例えに変換されているのだ。


「おっけー。安心したわ。あんな拷問受けるのはまっぴらごめんよ」

「こちらはキミが拷問と呼ばれる行為を受けて迷惑している。元の時空に戻りたい気持ちを植え付けられている」

「う……勝手に呼び出して帰れ、っていうのは確かに酷いわよね。それは謝るわ」

「何故君が謝る? この件に関して君は無関係だ。むしろ君もこの世界に強制的に召喚された身。仲間とまではいかないが、同じ被害者だというのに」


 バーゲストの問いに、トモエは胸を張るようにして口を開く。


「私はここでいろんな人に出会って、助けてもらったわ。だから恨みよりも喜びが大きいの。

 だけどあなたにはそれがない。勝手に呼び出されて、誰にも助けられることなく勝手に帰れっていうのは流石に可哀そうかなって思ったの」

「可哀そう、というのは理解できない感情だがキミがこちらに幾分か情を抱いているのは理解した」

「情……そうね、同じ被害者というのは同意するわ。そういう意味での情かな」


 思えば同じ異世界召喚プログラムの被害者だ。天蓋相手に文句を言う権利はある。その奇妙なつながりに頬を緩ませるトモエ。


「私の望みはここにいるコジローよ。コジローさえ返してくれれば、あなたの味方になってもいいわ」

「コジロー。キミがそう思う個体は確かに精神内に取り込んでいる。他にも176の個体もいるがこちらに関しては不要か?」

「176? うわ、カーリーもいる。……まあ、無視はできないか。できれば全員返して」


 トモエの脳内にバーゲストが取り込んだクローンと人間の情報が転送される。その中に見知った顔がいるのを見て、渋い顔をした。自分のことをババアと呼ぶ生意気な孫(約270歳)だけは置いていきたい気分になったが、どうにか堪える。


「返す条件だが私の願いをかなえることだ。先ほど言ったこの世界を一度滅ぼして時間凍結し、死のない世界を作る。これに賛同してくれるか?」

「断るわ。さっきも言ったけどそんなのだれも望んでないの」

「望んでいる者はいる。その強い念により、私はこの世界から退去できないのだ」

「……いるんだ。じゃあその人が望まなかったら退去――元の世界に戻れるって事でいいのね」

「そもそもこの精神体はその存在の想いを核にしている。『死にたくない』『こんなの間違っている』『本官は死ぬべき存在じゃない』『やり直しを要求する』……おおよそこういった思いだ」

「何ていうか……典型的なダメ人間ね」


 バーゲストがこの世界に留まる理由は、その想いを元にこの世界に召喚されたからだ。


「じゃあその人を説得するかすれば元の世界に帰るって事でいい?」

「可能であればそれが望ましい。アーテーという精神干渉によりこの世界にいるだけで負担がかかる。

 可能であればこの世界に存在する異世界召喚プログラムも欲しいが、今回は断念しよう」

「オッケー。じゃあその方向で行くわ。そいつがどこにいるか――」


 教えてちょうだい、と言おうとした瞬間にトモエは強く引っ張られる感覚に襲われる。それまでエレベーターに乗っていたのが、急にフリーフォールになったような感覚だ。無数の手に掴まれて、そちらに引き寄せられる。


「ちょ、何を――そいつの場所まで連れて行くってこと!?」


 精神的につながっているので確認の意味はないが、トモエは急に引っ張られて叫ぶ。答えはない。ただそれが正解であるとばかりに奇妙な『揺らぎ』が目の前に現れる。そこだけ何かが違う。そこに何かある。そんな『違い』がそこにあった。


「ええと……貴方がバーゲストが元の世界に帰るのを邪魔している、人? 死にたくないとかやり直したいとか思ってるの?」

「死にたくない。そうだ、本官は死にたくない! 失敗した過去を消したい! 本官はもう少しうまくやれるはずだ! やり直して、今度はうまくやる!」

「……あー、もしかして何とかっていうナナコの上司とかそういう人?」


 トモエの問いにそんな答えを返す『揺らぎ』。それがドッグの成れの果てだと気づくトモエ。そう言えばそんな感じの人だったよなぁ、と納得する。あまり会話はしていないけど、小物感満載でカーリーにあっさり投げられてた。


「ふざけるな! 本官は小物じゃない! 天蓋で最も賢く、最も強く、最も人望がある『KBケビISHIイシ』の教官だ! いいや、本来なら『KBケビISHIイシ』を……いいや、『イザナミ』を支配しているはずだったのだ! 認めないのは世間が悪い!」


 うわ本当に小物だ。トモエは呆れて二の句も告げにいた。正直会話もしたくない。これを説得しないといけないとか冗談じゃな――


「そうよ。天蓋が悪い! 異世界転生した私を認めないなんてサイテーよ! チート能力もなしとか世の中バカにしているとしか思えないわ!」


 トモエは思わず叫んでいた。否、叫んでいた。天蓋に対する不満。トモエの心の中に存在し、口には出さなかった気持ち。それと『揺らぎ』の天蓋を憎む気持ちが同調していた。


(あ、マズい! これ、アーテーが私の恋心を同調させられたのと同じパターンだ!)


 それに気づいたのは、一度同じ例があったから。制御されない精神の同調がどっれほど危険なのかを知っていたからその危険に気付けた。それがなければ、トモエも『揺らぎ』の気持ちに汚染され、飲み込まれていただろう。


「本官は偉い! 本官は認められるべきだ! 本官は全ての上に立つべき存在だ! 地位も、市民ランクも、クレジットも、本官が得るべきものだ! 人間様が持つ永遠の命もだ!」

「そうよ! サイバー技術の凄さも、なんかすごいテクノロジーも、同じ人間なのに全然違う扱いされるなんてひどくない!? 無理やり犯されそうになったりおしっこ採取されそうになったり! 天蓋はセクハラ世界か!」

「全部やり直して、本官が全てを得る世界に塗り替える!」

「私がチヤホヤされて無双してなんかいい感じに承認欲求満たされる感じにしたい!」


 分っていても飲み込まる。抵抗しても『揺らぎ』の浸食を止められない。トモエの精神に絡みつく『死にたくない』『やり直したい』『認められたい』……そんな精神を跳ねのけられない。トモエも一度は思ってしまったことだから。


(違うよ! 確かにそんなことを思ったこともあったけど!)


 必死に否定するトモエ。これに同調してはいけない。このままだと自分の中の全てがこの気持ちに染まってしまう。そういう気持ちもあるけど、そうじゃない気持ちもある。天蓋は酷くて差別的でバーサーカーな世界だけど、優しくて助けてくれる人もいるのに!


 これは精神の綱引きだ。強い思いを持った者が弱い思いを飲み込んでしまう。『揺らぎ』が持つ思いは『やり直したい死にたくない認められたい』の一色で染まっているのに対し、トモエは『天蓋はイヤな所もある』『天蓋はいい所もある』が1:99の配分だ。僅か100分の1だが、そのわずかの差が大きい。


「ダメ……! このままだと、ダメなのに!」


 飲み込まれる。わかっているのにどうしようもない。自分が自分じゃない何かに染められ、それを自分と思ってしまう。それを恐怖とさえ思わないのが、逆に怖かった。


 これは精神の綱引きだ。一対一での勝負なら、その想いが純粋である方が強い。端的に言えば、狂っているほうが強い。トモエは狂いきれなかった。天蓋を憎みきることも許しきることもできなかった。


 だがそれは敗因ではない。


 そんな彼女だから、共に歩もうと思う者がいるのだ。


「すまねぇな。お前を助ける時は何時だってギリギリだ」


 赤い光が走り、浸食する何かが断ち切られる。抱き寄せられるように引っ張られ、トモエの視界が潤む。ああ、わかっている。こんなことを言うのはたった一人だ。安堵した声で声に答えた。


「違うよ。何時だってギリギリで間に合うのがラノベの主人公なんだから」

「それもそうかもな。ブシドー的には危険な目にも合わせたくないんだが」


 そしてトモエは天蓋で最も信じられる名前を口にした。


「ありがと、コジロー。助けに来て来てくれて助かったわ」

「こっちこそ助かったぜ、トモエ。お前がここまで来てくれなかったら、脱出の手段は見えなかった」


 コジロー。バーゲストと融合していた精神が、トモエを助けに来たのだ。


 これは精神の綱引きだ。一対一なら、その想いが純粋である方が強い。


 ならば攻略法は簡単だ。


 一対一で勝てない相手なら、二人の思いで対抗すればいいだけだ――

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