コジロー……好き♡

 精神。


 心。意識。気力。そう言ったことを示す単語である。


 精神の定義は時代により様々で、英語で精神を示すスピリットは情熱や根性と言った感情も含まれる。またマインドは『気にする』などの心の方向性を示し、ソウルは魂的な意味も含まれる。


 精神と宗教は関係している文化圏も多く、精神と魂が同一視されている文化は数知れない。精神医学という分野が19世紀中ごろで生まれ、神経に化学的に作用する薬ができたのはさらに一世紀後。それまでは心の痛みは神に縋って癒していたのである。


 天蓋における精神の定義は脳医学に近い。『NNチップ』という脳に直接埋め込まれる機械があり、それにより自律神経を刺激してストレスを緩和できるのだ。ましてや祈る神がいない文化圏なので、魂などという概念も死語だ。


 アーテーの超能力を正しく認識できないのにもここに原因がある。知識として存在しない部位に作用する超能力。一斉に同じ感情を抱いたなど、自律神経に作用する無味無臭の毒ガスがばらまかれたと言われた方が納得できる。


 天蓋のクローンにおいて『精神』とは神経の活動でしかない。それも自律神経活動という医学的名称に置き換えられている。


「アーテーの超能力を使えば、あのバケモノの精神に接触できるわ」


 なので、トモエのこの一言は疑問符でしかなかった。アーテーとは誰か? 超能力者エスパーなのか? 精神と接触というのは『NNチップ』を通して通信するのか? とにかく理解できる部分が少なかったのだ。


「ふむ、子猫キティは妙案を見つけたようだね。それはどういうアイデアかを教えてもらえないかな?」


 話を整理するようにゴクウがトモエに話しかける。トモエも自分のアイデアを整理するように言葉を紡いだ。


「ええと……アーテーっていう超能力者エスパーがいて、その力を借りることができればあのバケモノの精神に繋がって、話ができるかもって」

「アー……その名前はよくわからないけど、とにかく超能力者エスパーが必要なんだね?」


 ゴクウはアーテーの名前を思い出せない……というよりは『アーテー』の単語を認識できないようだ。見ればギュウマオウも同じ表情だ。カメハメハと『働きバチ』は表情が変わらないが、


<トモエ殿、もう一度超能力者エスパーの名前を言ってもらいたい。メモリー登録ができないのだ>

「記憶領域に不具合が発生している。企業戦士ビジネスとして固有名詞が登録できないなどありえないことだ」


 やはりアーテーの名前を理解できないようだ。


「名前はこの際よしとしよう。二天のムサシのように正体や能力不明の超能力者エスパーもいるしね」

(……その人、ミニスカ和服でウチの店でバイトしてたけどね)

「そのクローンと接触できたとして……精神に繋がるというのはどういう事なんだい? 『NNチップ』の通信みたいなものかな?」


 ゴクウの問いかけに、トモエは答えに詰まった。


 先ほど交わしたアーテーの会話。あれはまさに精神が繋がっていたからできたことだ。しかしそれがどういう理屈で、どういう状態なのかを説明することはできない。そういう超能力だった、としか言えないのだ。


「そもそも精神てなんなんだって話だよな」

「検索結果は思考や感情と言った神経活動だ」

<それはペッパーX殿の超能力と同じなのではないか?>


 ギュウマオウ、『働きバチ』、カメハメハも疑問を投げかける。精神。天蓋では脳活動の一つでしかない『現象』。それに作用する超能力。ペッパーXの超能力と変わらないと取られるのは仕方のない事だった。


「精神は……ええと……」


 説明に困るトモエ。精神は存在する。しかしそれを説明するのは難しい。トモエのいた時代でも精神の正しい定義はできてはいない。心があるのは脳かもしれない。そう言われれば納得できる。


 だけど、精神は存在する。心は存在する。思考も感情も存在する。その証明はできる。


「誰かを好きと思うこと」


 自分の胸に手を当て、トモエは言う。


「理屈とか理論じゃない。大事な存在を思う事。脳で考えて、心臓で感じて、全身が熱くなって。悲しくなったら泣きたくなって、怒るときは胸がムカッと来て。

 どれだけ技術が進んでも、きっと解明されない個人の領域。それが精神なのよ!」


 支離滅裂だと言ってから気付くトモエ。でもそうとしか言えない。理系でもない学生のトモエに言えることはこんな程度なのだ。


「悪い、子猫キティ。理解はできない」


 ゴクウはトモエの話をばっさりとそう言った。そうだよね、とトモエが落胆するより早く、


「その理解できないモノをどうにかする超能力者エスパーがいるという事だね」

「……え? うん」

「状況的に『ネメシス』の超能力者エスパーだな」

「え? え?」


 ゴクウとギュウマオウはトモエに問い直すことなく話を進める。その展開の速さはトモエが戸惑うほどだ。


「えええ、信じたの!? 精神とか超能力者とか、アーテーとか!?」

「まさか。さすがに突飛すぎるぜ」

「だったらなんでそんなすぐに行動できるの!?」

「ボクたちが信じたのは子猫キティさ。カワイイ女性型に騙されるのなら本望なんだよ」


 心地良い笑みを浮かべるゴクウ。イケメンスマイルとはこういうものか。一瞬心が揺らぎそうになるトモエ。演技でやっているのかもしれないが、スパダリとはこういう人間なのだと実感する。コジローがいなかったら確実に堕ちてたかも、と渋い顔をするトモエ。


<確かにトモエ殿の話は理解できない部分があるが、バーゲストを排除できる可能性があるなら行動あるのみだ>

「企業からの命令は戦場撤退後はない。カシハラトモエの護衛は優先度が低いが、未だ継続中だ。そちらに移行しよう」


 カメハメハも『働きバチ』も、トモエの言葉を理解はできないが彼らなりに噛み砕いたようだ。


「ありがと!」


 トモエは感謝の言葉を返す。


「それで子猫キティ、その超能力者エスパーとどうやって接触するつもりなんだい?」

「さっきテレパシー的な感じで繋がっていたから、場所は何となくわかるわ。あっちよ」


 精神的にアーテーと同調していたトモエは、アーテーがいる場所を割り当てる。『ネメシス』が管理しているビル。そこの一室だ。ゴクウとギュウマオウは頷き移動する。カメハメハと『働きバチ』もその後を追った。


 ビルの屋上でヴィークルを停めた瞬間、


『なんで、そこにいるの?』


 アーテーの『声』がトモエの脳内に響いた。そして精神が同調しているのか、トモエの心を読んで経緯を理解する。


『感応した時の記憶から追跡してきた。バーゲストに対する精神感応の手段としてアーテーを利用したい。理解した』

「あ、えーと……そういう事なの。あと酷いことされているなら助けてあげるから!」


 意気揚々に言葉を放つトモエ。なお他のクローンはアーテーを認識できないので、悲鳴のテレパシーも聞こえない。トモエが勝手に喋っているようにしか見えない。


『助け……具体的には、『ネメシス』からの解放。それは危険すぎる』


 心が同調している事もあり、トモエの思っていることを理解するアーテー。隠し事ができない状態だが、トモエからすれば話が早くて助かる。


「そんなのコジローがどうにかしてくれるわ!」

『コジロー……好き、大好き、ずっと助けてくれて、心が温かい。ずっと一緒に居たい。好きだと言ってくれた。その手で触れてほしい。触れたい。体中触ってほしい』


 ん? コジローのことを言った瞬間に、アーテーの様子がおかしくなった。それまで絶望的でネガティブな口調だったのが、急に艶っぽくなった。まるで恋する乙女のように――


『その手でアーテーの○○を触って、そして服を脱がせて××を優しく愛でて、優しく▼▼を掻きまわして、でも本当は激しく■■してほしい――♡』

「こ、こらぁ何を言って……あああああああ、これ、私の心読まれてるんだ!」


 脳内に響く妄想。それはトモエが抱いていた妄想と同じだった。精神が同調している以上、こちらの想いも同調してしまう。トモエもそういう行為に興味津々。知識も十分。好きな異性にしてほしい事はたくさんあるし、欲望もいっぱいだ。


精 神 同 調シンパシー――お と め こ こ ろ は と ま ら な い】!

異 な る 常 識アナザールール――乙 女 心 は 止 ま ら な いノンブレーキ ラブ】!


『コジロー……好き♡』

「何この拷問……! 制御できない超能力ってここまで厄介なものなの……!」


 トモエは身を持って超能力者エスパーの被害を知り、悶絶した。まさか自分の恋心を同調されるなんて! 図らずも恋敵を一人作ってしまったのだ。


『うん。アーテー、コジローを助けるために協力する♡ 今そっちに行くからね!』

「あ、あああ、ありがとう……話が早くて助かる……んだけど!」


 床に崩れ落ちたトモエが、そう叫ぶ。どう説得しようかと考えていたので渡りに船なのは間違いない。間違いはないんだけど……釈然としないのは事実だ。


「どうした、ネコ娘。急に床に手をついて?」

子猫キティの奇麗な手が汚れちゃうよ」

「ああ、うん。そうね……そうね……」


 今なお脳内に響くアーテーの桃色テレパシーを聞きながら、トモエは立ち上がる。なおその桃色テレパシーはトモエの恋心そのままである。恥ずかしい自作ポエムを朗読されているよう精神ダメージだ。


 屋上の扉が開き、黒ゴシックドレスの少女が現れる。『気だるげなウサギ』と命名できそうなぬいぐるみを抱き、寝不足なのか目にはクマがある。しかしその表情は明るく、笑顔を浮かべていた。


「……ん? そこに誰かいるのかな、子猫キティ?」

「なんなんだ、あれは? IDもわからねぇし、姿もよくわからねぇ」


 実際に姿を見せてもトモエ以外にはアーテーが認識できないのか、そんなことを言うクローン達。アーテーは少し悲しげな瞳をしたが、トモエに向きなおり頭を下げた。


「実際に会うのは初めてだよね。アーテーです♡」

「あ、はい。何ていうかさっきまでとキャラ全然違うんですけど!」

「全部トモエのせいなんだけど」

「そうなんだけど!」


 キャラクター。人格や性格だ。心を同調する超能力者エスパーであるがゆえに、同調したキャラクターに引っ張られてしまう。それゆえにアーテーの活動は最小限に抑え、記憶を消去するように厳命されているのだ。


「さあ、コジローを助けに行きましょう! そしてラブラブチュチュするの! 色々解決したらベッドにゴールインするわ!」

「こ、これが嘘偽りない自分の心だと思うとキツイ……!」


 アーテーの言葉に顔を覆うトモエであった。

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