アーテーは企業の道具だから

「『ホームに帰りたい』と思わせる」


 アーテーがネメシスから受けた命令はそれだ。ホームシックの発露。クローンであるなら住んでいるルーム。そして異世界から来たものなら元の世界への帰巣だ。


 アーテーは超能力者エスパーとしては欠点が多い。その最大の欠点は超能力の制御だ。アーテーの精神感応は広範囲に影響するが、対象の指定ができない。対象から数キロまで影響し、そこにいるすべての精神に自分と同じ感情を抱かせる。


 厄介なのは対象を指定できない事ではない。感情そのもののコントロールだ。


 感情とは様々な精神状態の表れだ。そしてそれは複雑に絡み合っている。喜怒哀楽の喜び一つとっても、不安からの解放や達成感など様々だ。怒りにしても劣等感からくる怒りと義憤では大きく異なる。


 アーテーはその全てを、自分の感情一色に染める。暴徒の怒りを鎮めたり、パニックを鎮静したり。同じ鎮静効果でも前者の場合は『無気力かつ平穏な感情』にする必要があり、後者の場合は『冷静かつ危険に過敏』でなければならない。ただ『落ち着かせる』だけでも必要な精神状態は大きく異なる。それを誤れば、大惨事になるのだ。


 誤りは許されない。感情を正しく発露させるために、西暦でも使用されていた抗うつ剤のような意欲低下改善の化学物質を用いたり、苦痛や不安を増幅させる薬品を用いたり、不眠や絶食状態で正しい判断ができないようにしたりして、望みの感情を引き起こさなければならないのだ。


 そしてホームシック。それを想起させるには徹底した孤独感を味わなければならない。慣れた環境から引き離し、眠る事すら許されない作業によるプレッシャー。会話するモノもなく、ただ孤独に不安を積み重ねさせる。短期間で感情を産み出す必要があるため、不要な楽しい記憶を消去して。


精 神 同 調シンパシー――か え り た い よ】!


 そうして拡散されるアーテーの感情。不安、寂しさ、押さえ込まれた感情、そして引き離された場所への想い。それらは一斉に拡散される。バーゲストにも、そしてバーゲストと戦っているクローン達にも。


『あああああああ』

『仕事、やめたい……』

『家帰って、電子酒飲みてぇ』

『NTR風俗店に行きてぇ』


 治安維持部隊のクローン達はアーテーの感情に飲み込まれ、戦意を削がれる。多くのクローンは不意に起こったホームシックに心が乱れ、士気は大きく崩れる。


「何……これ……! 聞いてはいたけど、こんなにキツイの!?」

「話に聞いていたッ、『ネメシス』の超能力攻撃かッ! 辛味スコヴィルッ、展開ッ!」


 ボイルとペッパーXはバックアップの存在を知っていたために踏みとどまることができた。ボイルはペッパーXを抱きしめて寂しさを堪え、ペッパーXは味覚ファイルを展開して平常を保つ。温もりと慣れた味覚は、孤独を程よく癒してくれる。


<ぎゃああああああああ! ムサシ様どこですか!? イオリは、イオリは寂しいですぅ!>

「う、お。こいつは、知っていたとはいえ厳しいねぇ。っていうかイオリちゃん近くにいるの?」

<あああああああ当たり前じゃないですか!? イオリはムサシ様の傍にいるんです! カシハラトモエのサポートをするという約束もありますしぃ!>


 イオリとムサシもアーテーの範囲内だったのか、ホームシックに見舞われる。ムサシは電子酒を一本展開して、ポジティブを取り戻す。寂しい時に酒を飲むのに慣れているとかやだねぇ、と自虐しながらイオリの愚痴を聞いていた。


「おおおおおおお!」


 そして肝心のバーゲストには、かなりの効果があったようだ。フラフラと周囲を彷徨い、何かを探すように手を彷徨わせている。


「どこ、だ……! 帰るための、孔は、召喚経路は、どこだ……!?」


 必死に自分が召喚された場所を探すバーゲスト。しかしどんなものはもうどこにもない。召喚に必要なものはビルと共に倒壊している。ありもしない帰り道を求めて、彷徨っている。


 それと同時にアーテーは自分の事を忘れるようにと、『NNチップ』を用いて大脳皮質を麻痺させられる。これによりホームシックという感情を同調させられ、それを行ったアーテーの事を忘れることになる――はずだった。


「……アーテー?」


 同調した精神。ホームシックを感じながら、トモエは同調している『誰か』を感じていた。


『…………カシハラトモエ。ネメシス様の、ご祖母様?』


 何故通じない? その理由はすぐにわかった。


『NNチップによる麻痺作用だから、NNチップを持たない人間様には、効かない。アーテー、理解した』


 範囲内の生命全てに『NNチップに命令してアーテーの記憶を消したい』という感情を植え付けたが、そもそもチップを持たないトモエには意味がなかったようだ。


「結構効いてるわよ。元の時代に帰りたいっていう気持ちが思いっきり膨れ上がってるし……っていうか、何よその超能力! っていうかその扱いは!?」


 トモエはアーテーと同調しているので、ホームシックの感情も同調している。元の時代に帰れないトモエの郷愁感は高いが、それ以上にアーテーがどういった経緯でその感情を抱いたかまで同調してしまった。


「無理やり住んでいるところから引っ張られて一人にされて、しかもイジメレベルの無茶ぶりされて! しかも記憶も操作された!? ふざけんじゃないわよ! そんなの人権逸脱じゃない!」


 アーテーの扱いを知って、憤慨するトモエ。元よりクローンに『人権』などないのだが、怒りの争点はそこではなくアーテーへの扱いだ。


『アーテー、超能力が制御できないから』

「そういう事じゃない!」


 アーテーの言葉に叫ぶトモエ。アーテーがそういう扱いをされなければならない理由はわかる。アーテーと同調して知ってしまった。精神が同調しているということは、秘密も何もかもが筒抜けなという事だ。超能力の内容も欠点も、全て知っている。


「だからって、こんな道具みたいな扱いするなんて!」

『アーテーは企業の道具だから』

「それが許せないの!」


 アーテーの扱いを知ってトモエは憤慨する。それは倫理的なこともあるだろう。だが、それ以上の理由もある。


 無理やり元の居場所から連れ去られ、企業の為に利用される。過剰なストレスを受け、そして誰にも知られない。


(一歩間違えれば……いいえ、何も間違いが起きなければ、私もそうなっていたってことじゃない!)


 それはトモエの境遇にも似ていた。企業創始者の不老不死の為に西暦時代から召喚され、天蓋の発展のために利用される。規模や方向性こそ違うが、トモエもアーテーも企業や天蓋の為に利用されているのだ。


 違いがあるとすれば――トモエには助けてくれるクローンがいた。手を指し伸ばして、戦ってくれたクローンがいた。最初は一人だけだったけど、他にもたくさんのクローンが助けてくれた。


 アーテーには、それがいない。皆に忘れられて、またどこかで利用されるのだ。企業の為に、天蓋のために。


「助けてあげる!」


 考えるより先に、トモエは叫んでいた。どうすればいいかなんてわからない。何をすればいいのかさえも考えず、トモエは決意する。


『だめ。もういい。げんかい』


 自分に施した記憶封鎖と大脳皮質麻痺による意識混濁。そして過剰なストレスで意識を手放すアーテー。途切れる同調により、トモエは意識を現実に戻す。


「なあ、何叫んでるんだ? ネコ娘」

「許さないって言ってたけど、何に対しての怒りなんだい?」


 トモエの顔を覗き込むように、ギュウマオウとゴクウが問いかける。アーテーの言葉を聞いていないかのように。


「……えっと、二人には聞こえなかったの? アーテーの言葉?」

「ア……なんだって?」

「すまない、子猫キティ。言葉の一部が理解できなかった。固有名詞なのはわかるけど、誰の言葉だって?」

「え? だからアーテー……」


 繰り返しトモエはアーテーの名を出すが、ギュウマオウもゴクウも正しくその名前を理解できていない。


(あ、これもアーテーの超能力の結果なんだ……)


 何故か理解してもらえないアーテーの名前。アーテーと精神を同調していたトモエは、唐突にそれを理解する。アーテーを思い出そうとすると、精神的に拒否反応が起きる。嫌な事を思い出さないように心が起こす防衛策。脳内の『NNチップ』にあるアーテーの記録さえも認識できない。


<トモエ殿! 何故此処に!?>


 そしてトモエの声を聴いたのか、カメハメハと『働きバチ』がやってくる。その声は疑問というよりは非難の色が濃い。


「『ジョカ』の営業十二課と十四課か。本作戦参加者リストにはなかったということは、検問を不当に突破したか」

「相変わらず堅いね、『働きバチ』。許可なら貰ってるよ。『五行ウーシン』に確認してほしいね。ギュウマオウは知らないけど」

「あっさり売りやがったなこのサル。まあでもここはオレサマが捕まって、手打ちっていうのが妥当な取引か。ネコ娘は俺が攫って来たってことで勘弁してくれ」

「ちょ、ちょっと待って! 今情報量が多すぎてパニくってるから!」


 いきなりいがみ合う出す2グループ。カメハメハと『働きバチ』は不法に侵入したゴクウとギュウマオウを逮捕しようとし、ゴクウとギュウマオウは取引してトモエと片方を生かそうとする。


「今はそんなことしている場合じゃないの! あそこにコジローがいて……いるはず、なの」


 腕を振るって暴れまわるバーゲストを指さし、諍いを止めようとするトモエ。言いながら、確信は持てない。誰が見ても頭を失ったバケモノでしかないのに、そこにコジローがいると言われても――


<成程、トモエ殿が言うならそうなのだろうな。あの太刀筋はコジロー殿で相違なかろう。となればあそこまで防げたのはいいデータになる>

「やはりあの動きはNe-00339546のモノだという事か。信頼度の高い情報だ。再戦時に活用させてもらおう」

「し、信じるの……? 天蓋の戦闘狂達って怖いわぁ……」


 あっさりと首を縦に振るカメハメハと『働きバチ』。言ったトモエの方が信じられないという顔をするぐらいだ。コジローに挑むようなことを言っているけど、死なない程度ならいいやと受け流せるトモエも天蓋に染まってきているが。


<しかしあれがコジロー殿だとして、どうするつもりだ? 何か案はあるのか?>


 カメハメハの質問にトモエは呼吸を整える。脳内で情報をまとめ、覚悟を決めるように答えを出す。


「ある」


 つい数秒前まではどうしようもなかったけど、どうにかできる作戦はある。


「アーテーの超能力を使えば、あのバケモノの精神に接触できるわ」

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