私、人間なの

「私をコジローの所に運んでほしいの」


 トモエは傷の痛みにこらえながら、ゴクウとギュウマオウに頼んだ。


「コジロー……報告にあったNe-00339546か」


 ギュウマオウはトモエの言葉に厳しい顔をした。唇をぎゅっと結び、どう言葉を返そうか迷っている。しかし逡巡は一秒後に消える。


「オレサマのマシンにいけない所はないぜ、ネコ娘。天蓋の中ならタワーの頂上だろうが『国』の中だろうが、突っ走ってやるよ」

「立派に犯罪ですけどね、それ。あと、この子にはその凄さは伝わってませんから」


 胸を叩いて言うギュウマオウに、冷たくツッコむイオリ。確かにトモエにはタワーの頂上に行くことの難しさはわからない。決め台詞にするぐらいだからすごいんだろうなぁ、ということはわかるけど。


「それぐらい見逃せよ。企業規定を律儀に守ってたら最高の風にはなれないんだからな」

「どういう形であれ、この子は公の記録を残した時点でややこしい事になるんです。飛行速度違反でバイオノイドIDを調べられただけでも面倒事になるんですからね」

「その辺りの事情は教えてくれないのかな? 山猫リンクス


 イオリに説明を求めるゴクウ。思い悩むイオリが何かしらの言い訳を考えている間に、トモエが口を開いた。


「私、人間なの」


 もっとも端的に、天蓋のイレギュラーであることを説明するトモエ。その一言でゴクウとギュウマオウを仰天させた後に、自分の境遇を話し出すトモエ。企業創始者との関係はさすがに黙るが、二人にすれば衝撃の内容だ。


「あー……。確かにこいつは」

子猫キティが嘘をついていると疑うわけではないが、信じられない話だとしかいえないな」


 ギュウマオウは理解を超えたないように頭を掻き、ゴクウはセリフ通りに信じられないという顔だ。共に言えるのは、これまでの常識を壊されたという事だろう。


「ジョカ様が捕えろと言うわけだ。人間様がバイオノイドに扮して闊歩しているとかいろいろ大問題だからな。

 未処置子宮は新兵器に利用されかねないし、そもそも『人間』ってだけで崇められる神輿になる。閉じ込めておくのが一番だ」


 ジョカの命令でトモエをナンパしようとしていたギュウマオウは、トモエの事を知ってそう告げる。そう言った意図もあるだろうが、真の理由はトモエを時空的に隔離して不老不死を維持することだ。それは今は関係ないが。


「ジョカ様の命令と意図は置いておこう。データベースに記録を残すとややこしい事になることは理解したし、ボクとしても子猫キティが望まないことをするつもりはない。

 その上で、Ne-00339546の元に向かうのは反対させてもらうよ」


 ゴクウは頭を指で叩きながら情報を整理し、その上でトモエに言い放った。ギュウマオウは何かを言いかけたが、ゴクウが手で制する。


「反対ですか?」

「理由は三つ。

 第一に、キミのケガは治したほうがいい事。特に腕はヒビが入っているんだ。応急処置と麻酔で維持しているけど、きちんと診てもらった方がいい」


 ゴクウは自分の腕を叩いてトモエに言う。ケガのことを言われると、トモエも強くは出れない。治療してくれたのは『ジョカ』の人達だ。それを無下にするのは、トモエも気分がよくない。


「二つ目。Ne-00339546が最後に確認できた地点はバーゲストの発生位置だ。特別封鎖が為されて近づこうとすると治安維持部隊に身柄を抑えられるだろう。そうなると、病院以上に面倒ごとになる。

 そして三つ目。そのバーゲストは治安維持部隊を圧倒するほどの超能力のようなものを使っている。そんなところに近づくのは、危険すぎるよ」


 バーゲスト。さっき見せてもらったイヌの動画だ。10mを超すだろう巨大なイヌ型怪獣。光を放ち、空間に穴をあけて攻撃を回避する。そこに近づけないように防衛網を這っているのは当然だし、武装したサイバー警察をものともしない怪獣が危険なのは説明されるまでもない。


「Ne-00339546はこの事件が終わってからゆっくり探せばいい。治療している間に事態は収束するだろう。その方が安全だ」


 ゴクウの言っていることは正しい。それはトモエにも理解できる。


 今、トモエが急いでコジローを探さないといけない理由は、ただの感情だ。コジローに会いたい。会ってその胸に飛び込みたい。好きだと言ってくれた人の元に行きたい。ただそれだけだ。


「そうですね。その方が安全で、賢いです」


 ゴクウの顔を見て、トモエははっきりと言い放つ。この人は自分を心配してくれている。『ジョカ』の命令で自分をナンパしないといけないと言いながら、その仕事よりも女性の体や心を気遣ってくれる。


 そしてゴクウは、トモエの目を見て次の言葉を悟った。


「でも、今すぐ行きたいんだね? Ne-00339546の元に」

「はい」


 迷いなく淀みなく真っ直ぐな恋する乙女の瞳で、トモエはゴクウに答えた。


「やれやれ。ワガママな子猫キティだ」


 大仰に肩をすくめるゴクウ。この純粋で曲がらない精神に惚れたのだなと、ゴクウは初めて理解した。他人を傷つけようとせず、まっすぐに正しいと思う道を進む。天蓋ではまずみられない、そんな目に。


「そんなところがカワイイんだけどね」

「ありがとうございます。既に先約済みですけどね」

「そのようだ。さて困ったな。略奪愛は趣味じゃないんでね」


 冗談めかして頭を掻くゴクウ。その後でここだけは譲れないとばかりに真剣な顔で告げる。


「だけど危うい状況なのは事実だ。子猫キティが危険と判断したら、無理やりにでも連れ戻す。それだけは譲るつもりはないよ」

「……はい。わかりました」


 頷くトモエ。心配してくれる相手を前に、わがままを言うつもりはない。死んだらお終いなのは間違いないのだ。コジローも喜びはしないだろう。


「イオリとしてはアナタには大人しくしてほしいのですけどね。ですがそうと決めたのなら全力でサポートしますよ」


 ゴクウとの成り行きを見守っていたイオリが不満げに声をあげる。


「……そう言えば、イオリさんはなんでここにいるんです? ムサシさんと一緒じゃないんですか?」


 メンドクサイぐらいにムサシLove! なイオリがなぜかあのビルにいたことも謎だけど、今ここにいることも謎だった。


「決まってるじゃないですか。貴方とあのムサシ様に愛されて死ね死ね剣士が結ばれてくれれば、ムサシ様は失恋で心に隙が生まれてくれますからね。その隙を埋めるようにイオリが慰めればバッチグーです!」

「うわ。思ったよりも最低な理由だった」


 親指立てて告げるイオリに、トモエは呆れたように答えた。


「ついでに言うと、アナタの存在が露見すると面倒になるのは事実です。そうなるとムサシ様の仕事量が増えてイオリがイチャイチャする時間が減りますからね」

「ムサシさん、貴方の事は部下以上に思ってない感じだったけど。イチャイチャしてたの?」

「うぐはぁ……!? や、やめろぉ、現実を指摘するのは禁止! 正論ハラスメントです!」

「あ。はい」


 なんだか可哀そうになってそれ以上の言及をやめるトモエ。どうあれ、こちらを手伝ってくれるのは確かなようだ。


「とはいえ、あの場にいたクローンは未知の超能力で空間転移させられました。イオリ達は偶然助けられましたが、あのサムライ野郎が転移させられた場所によっては墜落死している可能性はありますよ」


 トモエが発見されたのはビルの上空だ。そこにいきなり現れたのを、ギュウマオウが助けてくれたのである。偶然見つけてくれたからよかったが、そうでなければ地面に叩き付けられていたのだ。


「コジローは生きてる。生きてるよ」


 自分に言い聞かせるように言うトモエ。スマホから何度もメッセージを送っても反応がない。でも生きている。その確信だけはあった。


「クローンIDが生きているということは、『NNチップ』と脳は無事なんでしょうね。そういう意味では物理的な落下死はしていないのは確かなようです。

 ですが生きていて返事ができないということは……アレですね」

「アレ?」


 イオリが指を立てて推測を立てる。トモエは首をかしげて話を促した。


「返事ができない場所に監禁されているということです。そういえば、仲良さげに殴り合っていた女性型がいましたよね? もしかして二人でしっぽりとしているかもしれません。だから返事ができないかと」

「あの女ああああああああ!」


 トモエはコジローをベッドに押し倒すカーリーを想像して怒りの声をあげた。NTRダメ! 脳破壊反対!


「まあイオリとしてはどういう形であれムサシ様の心にダメージが入ればいいので、どちらでもいいのですが。それこそNe-00339546の死亡報告でもいいわけですし」

「アンタ本当にひっどいわね!」

「ですがそういう事です。真実を調べていけばを目にするかもしれません。厳しい真実を見るよりも、甘い嘘で騙される方が救われることもあります。

 覚悟、ありますか?」


 平坦な声で告げるイオリ。コジローの死。或いは返信できないほどの大怪我。脳だけが生きている状況など、西暦時代でも事例として存在している。生きているかもしれないという嘘で心を守ることもできるのだ。


「ないわよ」


 トモエははっきりきっぱりと言い放つ。コジローの死を受け止める覚悟なんてない。そんな覚悟は必要ない。


「何度だって言うけど、コジローは生きてる。私はそこに戻るだけだもん!」


 信じてる。あのサムライはどんな状況でも生きている。生きて自分を助けてくれる。今度はこっちが迎えに行くだけだ。


「全く、これで折れてくれればイオリとしては楽だったんですけどねぇ。

 ムサシ様の言う通りですよ。本当に心が折れない強いお方です」


 肩をすくめてため息をつくイオリ。とはいえ、セリフほど落胆はしていない。むしろ気持ちのいい返事を聞いたとばかりに唇を笑みに変えていた。


「これで全員賛成だな。

 ま、反対2だとしても強引にネコ娘を奪って連れていくつもりだったがな」


 事の成り行きを見守っていたギュウマオウが立ち上がる。テントの外に重量物が着地した音が聞こえた。ギュウマオウの愛車『バショウセン』を遠隔操作で呼び出したのだ。


「こいつは二人乗りなんで、ネコ娘は俺が運ぶ。お前らは自力で追って来いよ」

「言われるまでもないね。キントンウンを侮るなよ」

「イオリもドローンの準備は完了しています。地上を走る形になりますが追跡して追いつきますからね」


 ギュウマオウの言葉にゴクウは浮遊しているドローンを叩いて答える。イオリは飛行ドローンを持っていないが、それでも問題なく追えるようだ。


「じゃあこのギュウマオウ様がハイスピードフルパワーでオマエを風にしてやるぜ!

 恋する乙女をお届けするなんざ、男冥利に尽きるってもんだ!」


 フラれてもなお心地良い。これがいい男なんだなぁ、とトモエはゴクウとギュウマオウを見直していた。

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