なんだこいつは
ビルの地下3階。地下一階二階エリアは荷物搬送エリアとインフラ制御エリアになっている。その下に作られた広いエリア。『666倉庫』
そこには――所狭しと巨大な立方体の機械が立ちすくんでいた。大きさはトモエの背よりも高く、ファンが回っているのかものすごくうるさい。常時動いているらしく高音を発しているのだが、それを冷やすための機械もある。
「何すか、この古臭いスパコンは」
ナナコは呆れたようにその光景を小馬鹿にした。スパコン――スーパーコンピューターの略称だ。その時代のコンピューターよりも優れた演算能力を持ち、時代を重ねるたびにそのスペックは増している。それは逆に言えば――
「計算能力で言えばミトジジイの小指の方が上っすよ。二代型落ちのスパコンなんか、費用対効果悪すぎるっす」
時代遅れのスパコンはサイバー機器の演算能力にも劣る。事、『
「こんなボロで異世界召喚プログラム? よくわかんないのが動くとは思えないっすけど」
「ふん。天蓋創成期はこれよりさらに古いスペックだったからな。単純な演算能力なら問題はないんだよ!」
ナナコの嘲りに叫び返すドッグ。怒りで銃を撃とうとして、何とか押さえ込む。ナナコには何発も撃った。出血量も多い。放置すれば死ぬ相手に、これ以上弾丸を使うのはもったいない。
(痛覚遮断して強がっているようだが、止血しなければこいつはもうすぐ死ぬ。そんな事よりも不老不死だ! クリムゾンが暴走している間に、時空穿孔とやらをして不老不死になるんだ!)
ドッグはナナコから目をそらし、666倉庫内のスパコンを起動させる。インストールしたプログラムを起動させる。1%……1.1%……。遅々として進まないプログラムにいら立つ。
(クソ! 早くしろ! クリムゾンが本当に死んだら、バケモノ共がやってくる! あらゆる金属を蒸発させるだけでも厄介なのに、レーザーを斬るサムライ? そんなわけのわからないヤツまで相手してられるか!?)
ドッグはクリムゾンの『ウィルス』の事を思い出す。コンピューター内に悪影響を与える電子プログラムではなく、電子顕微鏡レベルで認識できる生物のようなモノ。天蓋において『ウィルス』と言えば前者の電子プログラムを指す。西暦における『ウィルス』の意味とは逆転していた。
思い出すのは、過去にその『ウィルス』の事を聞かされたことだ。
「何だこれは?」
100万倍の倍率で見た動画ファイルを見ながら、ドッグは眉をひそめた。複数のマニュピレーターを持った細かい点のような存在が蠢いている。そんな動画だ。
「クリムゾンが開発したウィルスだ!」
「ウィルス? プログラムか?」
「否否否ぁ! これはプログラムではない! 小さな小さな小さなバイオノイドのようなものだ! 細胞の百分の一程度の大きさの何かだ!」
クリムゾンの説明に、ドッグはますます眉をひそめた。規模が小さすぎて理解ができない。
「このウィルスは空気に触れればそのまま消滅するが、クローンの体内に入れば神経全てを刺激して苦悶の末に1分以内に脳を破壊するものだ!」
「つまり凶器か。或いは拷問の道具か」
「そういう使い方もできる。しかしそれは凡人の考え。クリムゾンはこのウィルス脳刺激の手法として昇華した!
全身の神経を想起させ、過剰に活性化させ、そして脳に至る! 刺激量は電子ドラッグの約3000倍! すなわち!
クリムゾンは神経を刺激するウィルスを『電子ドラッグ以上の脳刺激物』として受け取った。そして
「たいしたものだな。ところで死ねば超能力は使えないと思うが」
「……うむ。では死んでも死なない方法を考えるか」
結局、よくある失敗の一つとしてオチが付いたウィルスだが、クリムゾンは死を恐れなかった。死んでもこの世界を紅に染め上げたかった。その想いが、死んでもなお継続する超能力となったのだ。死、よりも紅を。
(馬鹿め! 死んでどうなる? 全ては生きてこそだ! クレジットも、市民ランクも、何もかもが生きてこそだ! 死んでも叶えたい夢だと? そんなことを言っているから利用されるのだ!)
クリムゾンは死んだ。だがその事に悲しみはない。むしろこちらに迷惑をかけない程度に暴れてほしい。
「無駄よ! 不老不死になんかなれないから! そんな事よりもナナコを癒してあげて!」
トモエの叫び声で現実に意識を戻すトモエ。流れる電撃は指を動かすことすらできないほどだ。何とか言葉を紡いで諦めさせようとしているが、今更止まれない。切羽詰まった状況という事もあるが。
「うるせぇ! 目の前にそのチャンスがあるんだ! やるに決まってるだろうが!」
不老不死。死なないという事にドッグは目がくらんでいた。逆らう者は自分を羨ましむ者。全てを出し抜いて死なない体になれば、永遠に楽しめる。もしかしたら、企業創始者と同じ立場に慣れるかもしれない。
「だからあれはタイムパラドクスを利用したものだから――んあっ!」
「ピーピーうるせぇんだよ! お前は俺に利用されるためにここまで来たんだ! 『非存在ナナコ』や『ジョカ』や二天のムサシの関係者を巻き込んで、他の思惑があったんだろうがすべて無駄だったんだよ!」
ネットに絡まり電撃を流されて身動き一つとれないトモエの胸を踏みつけるドッグ。そのままゆっくりと力を込めていく。トモエの顔が苦痛に染まっていくのが分かる。
「どうだ、今の気持ちは? お前は俺に利用されるだけのクソネコだって分かった気持ちは? なあ、なあ、なあ!」
一気に力を籠めないのは、恐怖を与えるため。逆らえばどうなるかを刻むためだ。声を少しずつ大きくし、少しずつ力を籠める。トモエのか細い体など、すぐに踏みつぶせるだけのパワーと重量があるのに、恐怖を与えるためだけにそうしているのだ。
「……哀れだって、思う」
骨が折れそうになる痛みに脳を刺激されながら、トモエは心の底からドッグを哀れんだ。
「あ?」
「可哀そう。そうやって他人を押さえつけて言う事を聞かせないと、自分が保てないんだね。上を向いて進むんじゃなくて、下を見て踏みつけて満足する。
そんな人が不老不死? ずっと上を見ないで下ばかり見る人生をずっと送っていくなんて、可哀そう」
トモエは天蓋に来て、多くのクローンに出会った。嫌な
オレステは自分を犯そうとするおぞましい奴だったけど、それでも上にのし上がろうという向上心があった。
『働きバチ』は企業の歯車だが、それは自分で選んだ道だ。企業の歯車という『自分自身』を貫いていた。
ナナコはどうしようもなくエロいけど、それを生かした仕事で天蓋を生きている。
ニコサンは想像もできないクレジットを持っているけど、他人を見下すことはない。むしろそれを手足のように扱って、助けてくれた。
ネネネとムサシは現状恋敵だけど、それでもトモエを蹴落とすようなことはしない。同じ目線で自分を見てくれる。その気になれば、トモエなんかすぐに殺せるのに。
「ふざ……! 本官がずっと下ばかり見て生きていくだと!?」
「じゃあ教えてよ。不老不死になって何をするの?」
「それはクレジットを稼いで――!」
「どうやって?」
叫ぶドッグに、トモエは静かに問い直した。
「どんな方法でクレジットを稼ぐの? こうやって他人を踏みつけて、暴力で奪っていくの? そして自分より大きな力に押さえ込まれて、逃げてまた同じことをするの?」
トモエが言うのは、よくあるチンピラの末路だ。西暦時代にもそういう輩は掃いて捨てるほどいた。そう言ったモノが上手く行ったという話は聞かない。力で支配する者は、いずれ衰えて力に負けていくのだ。
「そうならないように立ち回れば――」
「可哀そう。せっかく死ななくなったのに、そんな生き方しかできないのね。
努力もしない。自分を貫こうともしない。自分のスキルを天蓋内で活かそうともしない。他人を蹴落として生きていくしかないなんて、本当に可哀そう」
(なんだこいつは)
ドッグはトモエを踏みつけながら、トモエに恐怖していた。立場はこちらが圧倒的に上だ。身動き取れなくして、痛めつけて、苦しめて、なら降参するしかないじゃないか。なのになんだこいつは。
なんで降参しない?
なんで同情されているんだ?
なんでそんな憐れんだ目で見るんだ?
「そんな目で本官を見るなぁ!
見るな見るな見るな! 本官を哀れむな! お前は下だ! 本官が上だ! お前が本官を同情できる立場だと思うな! お前は、お前はあああああああああああ!」
「っ……!」
怒りでトモエを強く踏みつけるドッグ。感覚で分かる。骨が折れた。『NNチップ』による痛覚遮断がないのなら、痛みで泣き叫ぶはずだ。耐えられるはずがない。そら泣け、泣け、泣いて詫びを入れろ!
「本当に、可哀そう。
暴力以外に他人とコミュニケーションを取る方法を知らないのね」
だが、トモエの口から洩れたのは同情の一言だった。殴るしかできない哀れなクローンへの、歪んだ生き方をしてきた個人への、憐れみ。
なんだこいつは。骨を折ったのに、なんでそんな顔でそんなことが言えるんだ!? ドッグは困惑し、今度こそ恐怖して一歩引いた。
もっとも、
(……いまミシッていった! 絶対骨が折れてるよ!)
トモエは虚勢を張りながら、自分の肉体損傷を理解していた。骨にダメージがあることを理解しながら、平気な顔でドッグに言葉を返したのだ。トモエは多少天蓋の社会に慣れただけの女子高生にすぎない。無麻酔状態で骨が損傷して、平気なはずはない。
ならば当然トリックがある。具体的には、超能力が。
(ペッパーさん! 超能力、解除しないでね! 今解除されたら絶対泣き叫ぶから!)
トモエの脳にはペッパーXの感覚共有がかけられている。共有とは言うが実際は感覚の押し付けだ。ペッパーXの感覚を一方的にトモエに与えている。ペッパーXのダメージを脳に直接与えるように、痛みのない状態をトモエの脳に与えているのだ。
【
喋るだけの気力もないのか、ペッパーXは唇だけを動かしてトモエに答える。自分も楽ではないのに、それでもトモエを苦痛から守るために超能力を使っているのだ。
「クソ……クソ、クソクソ! クソが! こうなったら殺す。死体にして座標にしてやる!」
ドッグは十数秒頭を抱え、困惑の末にその結論に至った。自分の暴力に屈しないヤツは殺す。今までそうしてきたように、トモエも殺す。そうだ。そうすればいいんだ。なんでコイツを生かしているんだ? もうどうでもいい!
「っ!」
銃口を向けられて、青ざめるトモエ。血走ったドッグが殺さないように急所を外すとは思えない。何かを言うより前に引き金は引かれ――
「邪魔だ」
銃弾が放たれることはなく、ドッグは横に吹き飛んだ。背後から迫った誰かに回し蹴りを食らい、壁に吹き飛んだのだ。
「コジロー!」
自分を助けてくれる一番の心当たりを叫ぶトモエ。
「残念だな、ババア」
しかしその期待は、最悪の形で裏切られることになる。
「好きな人に危機一髪を救われる。そんな
ぴっちりしたボディースーツを着た妙齢の女性。企業トップにして、トモエの孫。
「カ、カーリー!?」
なんでアンタがここにいるのよ、というセリフはあまりの驚きの為に言葉に乗せることができなかった。
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