分かりました、愛です!

「分かりました、愛です!」


 イオリ曰く、クリムゾンはすでに死亡しており、これは断末魔の具現化。世界を紅に染め上げたいという気持ちが超能力になって暴走している。


 真紅が最高だと思う存在は、それ以外の最高を否定するためにその存在を紅に染め上げようとしているのだ。


「あれは愛の言葉や態度に反応して攻撃してきます!」

「だからぁ! 愛とか好きとか私は別にペッパーの事なんか――やばっ!?」

「嘘くせぇが本当のようだな」


 ボイルのどう聞いても『愛』や『好き』がこもった言葉に反応する紅色空間。それを聞いてイオリの仮説が正しい事を理解するコジロー。


「で、そいつが分かったところでどうするんだ? そういう事を言わなきゃ攻撃されないから、口塞いで通り過ぎるのか?」

「『助けに行こう』という行動も愛に含まれる判定になると思います。ついでに言えば、コイツを放置すると何するか分かりません。所かまわず紅に染め上げて、このビルや区域を染めていくでしょう」

「超能力の暴走ってやつか」


 イオリの言葉に唾をのむコジロー。ゴーヴェルタワーの大崩壊と呼ばれる事件は超能職者エスパー数名が暴走した結果と言われている。公的には否定されているが、そうとしか思えないほどの破壊行為だったのだ。


「私にこれを倒す義理はないんだけどね」


 むすっとした口調で言うボイル。『ジョカ』からの命令も企業に損失がでない以上、付き合う義理はない。暴走する超能力モドキなんていう危険を回避しても問題はないのだ。この辺りの空間が崩壊しても、痛くもかゆくもない。


「このビル内にいる好きな人が巻き込まれるかもしれませんよ?」

「ふん、ペッパーならどうにかするわよ」

「誰もペッパーってクローンの事を言ってませんけどね」


 イオリの言葉に耳を真っ赤にして黙るボイル。マスクの裏側はおそらく口をパクパクさせているのだろう。弄ると楽しそうだと思ったけど、その時間も惜しい。イオリは作戦をまとめ上げる。


妄執あいから生まれた超能力なら、こっちも愛をぶつけるだけです! 相手の妄執あいを塗りつぶすように自分の愛をさらけ出す! これが解決策です!」


 こぶしを握り、断言するイオリ。愛には愛をぶつける。それしかこの状況を納める手段はない。


「……なんだよそれは? そんなんで倒せるのか?」

「めちゃくちゃ言ってない? 確かに超能力は精神で高次元に干渉している可能性があるっていうレポートはあるけど」

「レーザー斬ったり未来予知者ムサシさまに勝ったりするクローンや、金属分子を振動させて分子配列を変化させる超能力者エスパーも大概デタラメですけどね!

 相手のエネルギーが切れるまで攻撃を引き付けるとかそんな解釈でもいいですから、とにかく愛とか好きを語ってください! っていうかイオリが先にやります!」


 呆れるように言うコジローとボイル。不信を払うようにイオリが叫び、そしてクリムゾンであったものに向きなおる。


「好きですムサシ様! あの日、研究所で助けてくれた日から貴方の事をお慕い申しております! 電子酒でふにゃっとしているのに所々で見せるりりしい顔! 大きき柔らかそうなそのお胸様! 弾力の在りそうなヒップと腰回り! 見た瞬間に一目ぼれ! これが吊り橋効果だとしてもかまいません!」


 叫ぶと同時にイオリの周りの空間が変性し、紅色に染まる。その気配を察してしゃがんで避けるけど、イオリの言葉は止まらない。


「イオリはあの日からムサシ様に全てを捧げると誓いました! 知識も経験もなにもかも! 何なら童貞と処女も捧げます! むしろ強引に奪って! やだ、そんな、でもムサシ様になら奪われてもいい! げへへへへへ! イオリは何時でも何処でも全力で攻めていきますよ!」


 イオリの移動を追うように紅色空間が発生する。しかしその色は少しずつ変化していた。


「予測通りです! 『紅色に染める』と妄想するくせに色の統一ができなくなっています! 愛の言葉に精神が揺らいでいるんです!」

「愛っていうか変態にドン引いてるんじゃないか?」

「しょうもないツッコミ入れてないでそっちも手伝ってください! イオリは本来頭脳労働なんですからね!」


 息絶え絶えに叫び返すイオリ。ムサシのサポートである以上、高い基準の運動能力を保有しているが、空間に突如生える超能力を避け続けるのは難しい。いずれ体力が尽きるだろう。


「あ、愛とか好きとか人前で叫べるわけないでしょ!」

「じゃあ質問です! ペッパーさんとはどういう関係なんですか!」

「ただのパートナーよ!」


 イオリの質問に答えるボイル。そこからは堰を切ったかのように喋りだす。


「『ジョカ』で一緒に働くだけの仲よ。同じ超能力が使える者同士だからずっと一緒に居て、その間ずっと変な感覚の趣味に付き合わされて迷惑してるんだから!」

「でも一緒に居るんですよね。呆れて分かれようともせず」

「当たり前でしょ! あんな馬鹿と一緒に居られるのは私だけなんだから! つまんないことに驚いて叫んで、私がいないと何するかわからないのよ!

 ええ、下着の匂いを嗅ごうとしたり舐めようとしたり! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! 本当にそんな事してたら一発殴ってやる! ナンパも乗り気だったし! 何が『初めてのッ、体験だッ』よ! こっちには何もしないくせに!」


 イオリの質問に答えていくボイル。その度に紅の空間がボイルを包み込む。だがその発生は明らかに速度が減じていた。そして変性する空間の座標がズレ始め、命中精度が落ちてきた。


「あらら。ボイルさんに手を出してこないんですか?」

「出さないわよ! 寒いって言ったら暖かくなる感覚を共有したり、眠れないって言ったら安眠BGMを感覚共有で脳内で流してきたり!

 確かに効果的だけど、そっちじゃないの! 分かれ馬鹿!」

「同じ感覚を共有するって、結構好かれてません?」


 ボイルの言葉にイオリは訝しんだ。


「……好、好か、れてる。わけないでしょ。アイツはそういう感情とか、なさそうだし……私の事なんか、冷たいヤツだって、思ってるでしょうし」


 ペッパーXからの好意を指摘されて、ネガティブ思考のボイルは否定する。否定してさらにネガティブに陥っていく。


「なんでそこでいきなり気弱になるんですか? これまでの関係が壊れるのが怖いとかそういうのですか?」

「うぐ……その、怖いとかじゃなく、任務を円滑にこなすうえでの人間関係は大事というか」

「未熟ですね。イオリは気にしませんよ。ムサシ様大好きって本人の前でも言ってますし、隙あらば襲おうともしてますし。これも愛です!」

「そこまで達観したくないわよ……」


 さすがにイオリの愛し方までは認めたくないボイルであった。


「効果はあるみたいだな」


 ボイルが喋るたびに空間を紅に変性することができなくなっているクリムゾン。それを見て、コジローはイオリの正しさを認めた。


「当然です。いえ、ある程度は仮説で推測なのだったのですが、方向性は間違ってないと思ってました。それぐらいなのですが」

「……じゃあ間違ってたら、私はただ恥ずかしいこと言わされただけだったの?」

「失敗のデータを取ることも大事だったんですよ。いや、本当に! それは嘘じゃないから燃やさないでください!」


 ボイルから恨みの目を向けられて、必死に謝罪するイオリ。人間の皮膚は100℃の熱を押し付けられただけでも火傷する。1000℃の金属に触れれば皮下組織まで交換するレベルの大火傷だ。


「トモエ、好きだ!」


 そんなやり取りを聞きながら、コジローははっきりと告げた。


「この感情が愛なのか恋なのかはわからん。もしかしたらただお前を理不尽から守りたいというだけの庇護なのかもしれん。異世界転生して、天蓋でいろいろ狙われているお前を守りたいという約束を守りたいだけなのかもしれん」


 コジローがトモエを守ろうとするのは、出会った頃の約束からだ。一緒に生活し、騒動を乗り越え、今は別居しているけどそれでも何かあれば助けに来て。


「お前がどうするかはお前が決めればいい。俺はそれを尊重する」


『ジョカ』のホストに色仕掛けを向けられていると聞いて、心情は穏やかになれなかった。その方がトモエにとって安全だと分かっていても、行ってほしくないという気持ちはあった。

 

「だけど俺の素直な気持ちを言えば、お前からは離れたくない!」


 真っ直ぐなコジローの気持ち。トモエがここにいたら、一撃必殺レベルでハートを射抜かれていただろう。幸か不幸か、通信さえ届かない場所にいるのだが。


「おおおおおおおお! サルミアッキ! Xの三乗グラフがY軸を支配する時、宏観異常現象のレベルが振り切れる! これは世界が矛盾許容論理に基づいてバター猫のパラドックスを崩すだろう!

 クリムゾン! 世界は一色に統一されるべき! 世界は全て紅になるべき! 一つなら争いはない! 一つならみな平等に愛される! 一つなら皆が受け入れられる! 違いから差別が生まれ、差別から悲劇が生まれる! ああ、何故だ! 何故クリムゾンはやり直せない! いやだ、奪うな……! 不出来なクローンでも受け入れられる世界を、紅一色の世界をおおおおおおおおおおおお!」


 イオリ、ボイル、そしてコジローの愛。そこに含まれる精神エネルギー。異なる愛。異なる好き。でも、愛。一色に染め上げたい妄執あいは、様々な愛を前にくすんでいく。


「……ああ、欲しかったのは、本当に欲しかったのは――認めて、欲しかった……だけ」


 最後にそれだけ呟いて、クリムゾンは事切れる。両断された体は地面に落ちた。暴走した超能力はもう存在せず、紅の妄執は世界を染めるに至らなかった。


「……終わった、のか?」

「おそらくは。何やら差別されたりした過去があったみたいですが、それが妄執の根幹なのでしょうね」

「知ったことじゃないわ。不幸なんていくらでもあるんだから」


 コジローの問いかけに肩の力を抜くイオリ。ボイルはため息をついて、666倉庫に向かうエレベーターに歩いていく。


「……さっき喋ったことは『NNチップ』からデータ消して。さもないと貴方達の発言を聞かせるわ」


 エレベーター前に立ち、背中越しに言うボイル。思い返せば恥ずかしい。


「イオリは一向に構いませんよ」

「俺も直接言うつもりだ」

「う、があああああああ! 羞恥心とかそういうのがないのか、貴方達は!

 とにかく、機密漏洩禁止だから!」


 ボイルの顔はフードで見えない。だけど温度センサーを使うまでもなく、ボイルは全身真っ赤になっているだろうことをイオリは確信していた。


 

 

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