短命でもいい愚者でもいい利用されてもいい孤独でもいい報われなくてもいい理解されずとも良い!

 7階、研究エリア。


 ドッグは確実にこちらに向かってくるコジロー達に焦りを感じていた。


 警備ドローンやバイオノイドによる防衛網など意味をなさない。ボイルが認識するだけで銃弾は暴発し、無力化される。


 だからこそのレーザーネットによる狙撃。如何に高温を操る超能力者とはいえ、光速の狙撃には対応できない。狙撃部分もレーザー部分からなので、蒸発されることはない。


 しかし、それさえもコジローに阻まれる。ミラーコーティングしていない装甲なら一秒あれば貫通する光の一撃を、フォトンブレードなどという骨董品で弾き、そして進んでくるのだ。


 ありえない。ドッグは歯ぎしりし、叫ぶことだけはかろうじて抑えた。しかしその事実を受け入れられない。光を斬る? 何がどうなっているというのか? どんなサイバー兵器で、どんな演算能力で、どんな超能力だというのか。未知なる存在にドッグは思考を空転させる。ありえないありえないありえない!


 カメラ越しにIDを確認し、さらに困惑するドッグ。市民ランク6のどこにでもいる小市民。天蓋で掃いて捨てるほどいる程度の身分。それが、それが――


「こんなクソモブが、本官にたてついているというのか!」


 ついに耐えきれず、ドッグは叫ぶ。堰を切ったかのように罵詈雑言は流れ続けた。


「8年だぞ! ここまで大きくするのに8年もかかったんだ! 上官に頭を下げて靴を舐めてへりくだり! 賄賂を渡して同僚を口封じし! つまらん言いがかりは脅迫で黙らせて! 弱っちい市民をなだめすかしてその気にさせて! そんな8年間の苦労がなんでこんな奴に!」


 両手を振り回し、近くにあった椅子を蹴っ飛ばすドッグ。サイバー改造してあるのか、金属製の椅子はその一撃でへしゃげて形が変化する。壁に当たって大きな音を立てるが、ドッグの叫び声はそれよりも大きかった。


「……その、あんまり努力してるってカンジじゃないわよね。どっちかっていうとセコい小悪党っていうか」


 ドッグの叫びを聞いて、ぼそりとトモエが呟いた。強気にへつらい弱気をイジメてきました、というのを隠そうともしない。もしかしたら天蓋の治安維持組織はこれが普通なのかもしれない。腹黒おっさんもクズいし、ナナコもカメハメハも変人だし。


「あー。一応『KBケビISHIイシ』として言っておくっすよ。自首したらわずかばかり酌量の余地はあるっす。AI裁判官が10%オフ程度?」

「うるせぇ!」


 ナナコの言葉に大声で叫ぶドッグ。クリムゾンを抱き込んで、外ではテロ行為までさせているのだ。この時点で10%の酌量など無きに等しい。ましてやビル内にあるのは天蓋で唯一5大企業が総出で行った重要機密。それを再現しようとしているのだから、捕まれば天蓋史上最高の求刑が為されるかもしれない。


「くそ……! どうしてこうなった! いや、まだだ……! こっちには切り札がある!

 クリムゾン! 異世界召喚プログラムを作動させろ! そうすれば俺は不老不死になれる! 死ななければ負けない!」


 破れかぶれになったドッグは、切り札になるだろう異世界召喚プロ蔵身に望みをかける。企業創始者がなしえた不老不死。それと同格になれば負けることはない。方法も条件もわからないが、それが為し得れば勝てる。 


「アカカカカカカ! 無理だ!」

「なっ!? さっきと答えが違うぞ! どういうことだ!」

「プログラム起動のエネルギーが足りん!」


 クリムゾンの答えは簡潔だった。


「何故だ! 理論上は上手く行くと言っただろうが! 信者など脳を焼き切っても構わん! 倍の電子ドラッグを使って疑似超能力スードーとやらの力を増してやれば――」

「その信者が祈りを止めたのだ! おお、なんという事だ! 脳を破壊されたわけでもないのに、信者達はやり直すという気持ちを失って言ったのだ! 何たるモノクローナル抗体! 兄弟姉妹はジュグラーの波に飲まれてドニを生むだろう!」

「祈りをやめた……だと!?」


 異世界召喚プログラムの起動エネルギーは、やり直しを求める信者達の執念や妄念を信仰で束ね、電子ドラッグで脳機能を増幅させて疑似的な超能力に目覚めさせることで生み出す計画だった。


 しかしその信者達がやり直しを求めなくなったのなら、そのエネルギーは消える。電子ドラッグをどれだけ投入しても、基礎である『やり直したい』という気持ちが統一されなければエネルギーの方向性はバラバラになる。


「何故だ!?」

「わからん! 何者かが祈りを止めたとしか言えない。しかも物理的な打撃ではなく、心理的に祈る必要性を無くしたとしか思えない!」

「馬鹿な! 祈るしかできない奴らが何故だ!?」


 まさか企業創始者がレーザーネットを通り抜けてやってきて、クローン一人一人に話をして悩みを解決していっているなど誰が思おうか。ましてやカーリーは信者達が着ている服を着ている。同じ服を着ている信者達に混じれば、監視カメラ越しでは見分けはつかない。


「いいや、理由などもうどうでもいい! 強引でもいいからプログラムを動かせ!」

「アカカカカカ! 確かに一度だけなら可能だな。しかし今のハードウェアはスペック不足で焼き切れるぞ! 二度目はない! どの世界に時空穿孔できるかわからんぞ!」

「問題はない! 本官にはがいる」


 ドッグはネットに囚われて動けないトモエに近づき、ネット越しにトモエの服を摑む。痺れて動けないトモエに抵抗する力はない。仮に痺れてなくとも、パワー系バイオアームを持つドッグを振り払うことなどできない。


「企業創始者たちはコイツを召喚して不老不死になった! ならこいつを使えば俺もその可能性がある!」

「無理……よ! そんなのできないから!」


 無理だ。カーリーたちの不老不死はタイムパラドクスを利用した世界の誤魔化し。時間軸を弄ったズルでしかない。ドッグとトモエに血縁関係はない。トモエはそれを説明しようとして――


「はきゅぅ!」

「黙れクソ! 本官に意見しようなんざ生意気なんだよ! 電圧をあげれば筋肉が自然に跳ねるんだ。無様に床で踊らせてやってもいいんだぞ!」


 トモエを捕えていた電磁ネットに電流が流れる。流れたのは一瞬だが、脳髄から針を通されたかのような感覚に全身が委縮する。心臓が止まりそうになって、生命の危険を感じたからだが自然と過呼吸になっていく。


「はぁ、はぁ、は……ぁ……!」

「クリムゾン、この場所は任せたぞ! 本官はコイツらを連れて666倉庫に行く!」

「アカカカカ! いいだろう。確認だが、任せたという事はあのウィルスを使ってもいいという事だな!」


 動かなくなったトモエ達をドローンに運ばせて、666倉庫に向かう直通エレベーターに向かうドッグ。クリムゾンの問いかけに、たっぷり5秒逡巡した。ウィルス。かつての作戦会議で危険すぎると一蹴した存在。


 一度だけ、そのウィルスの説明を聞いた。効果は理解できる。しかし用途は理解できない。何故そんなものをそんな目的で使用できるのだ? 狂っている。クリムゾンは狂っている。


(あれはだめだ。あれは認めれはいけない。このレーザーネットはコイツを閉じ込める為でもあるんだ!)


 過剰なまでの光の檻。二天のムサシ対策であることは確かだが、ここまで過剰にしたのはクリムゾンを閉じ込めるためでもあるのだ。コイツは、自由にさせてはいけない。ウィルスなど、使わせてはいけない。


 だがそれ以外に現状を打破する術はない。あらゆる金属を蒸発させる超能力者エスパーと、光を斬る何か。それに対抗できるカードは、もはやそれしかない。


「当然だ。お前の最高傑作、お前の疑似超能力スードー。あいつらに見せてやれ!」


 悩み、苦渋し、その後に頷くドッグ。葛藤があったが、それでも保身を選んだ。


「アカカカカカ! 否、否、否ぁ! クリムゾンの最高傑作などまだ未完成! 真なる紅はいまだに到達できず、今のウィルスもそれにより生まれる紅もまだまだ道半ば! 歩き続けることだけが求道者!

 短命でもいい愚者でもいい利用されてもいい孤独でもいい報われなくてもいい理解されずとも良い! ただ求め、ただ道を進む! それこそがクリムゾン! 真なる紅を! 深き紅を!」


 ドッグの了承に大きく首を振るクリムゾン。クリムゾンにとって今この瞬間も己の求める者に必死になっている。思考を重ね、失敗を重ね、それでも届くと信じて突き進む。電子ドラッグを繰り返し、自らの血液の色を見比べ、他人の血の色を見比べ、そして電子ドラッグ以外の方法に手を出した。


 懐から取り出したのは、大きさ1センチに満たない瓶と、そして注射器だ。クリムゾンは慣れた手つきで注射器を扱い、瓶内の液体を自らの体内に投与した。そして二秒後――


「あががががががががががが! うぐぼぉ! おおおおおああああああああおおおおおああああああああおおああおあおあおあおあおあ!」


 死んだ。


「ひっ……!」


 口から泡を吹き、喉を掻きむしり、悲鳴をあげながら顔面蒼白になり倒れた。痙攣し、その震えも収まる。医学に詳しくないトモエでもわかる。これは死んだ。


 目の前で自殺されたショックに驚き、死という事実に恐怖するより先に、クリムゾンが叫びだす。


「レッドハンティングピンクゼライニウムレッドバーントオレンジトマトレッドカーディナルレッドベゴニアフカヒベニカバイロウルミシュベニヒスカレットキンアカブロンズレッドヒイロファイヤーレッドヴァーミリオンギンシュタンニイロアライシュカキイロフクシャローズマダーラズベリールビーレッドコチニールレッドヨウコウストロベリーカラクレナイクレナイベニイロフクシャレッドワインレッドアカアケソウビバラディープレッドチェリーレッドベニアカシグナルレッドガーネットカーマインカルミンエンジポピーデッドアカナコキイショウジョウヒシュイロシンシュホンシュ!」


 それは死に間際に酸素を求めるように喉を掻きむしるような断末魔。様々な赤に溺れながら、それでも真なる赤を深き赤を求め、もがき続ける者の足掻き。死んでいるのに動いている。死んでいるのに妄執を叫んでいる。


「クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン!

 ああああああああ! 見える! 見えるぞ! 真なる赤! 深き赤! そうだ! 世界はクリムゾンに染まるのだ!」


 死体が、生きている。天蓋においても死者の蘇生は不可能だ。ペッパーXの『キョンシー』も生きているように動かすだけにすぎない。声帯に植え付けるあらゆるサイバー機器は、脳波が止まれば動きは止まる。


「……え、なに……?」

「ありえねぇっす! 明らかなショック死っすよ、あれ!?」


 起き上がったクリムゾンの動きは、生物の動きではなかった。体はねじれ、体幹は曲がり、バランスは崩壊しているのに、目に見えない何かに支えられるように動いている。


「ぐ……ッ! 脳はッ、死んでるッ……! うぉれの超能力はッ、効いてないッ!」


 何とか気絶から回復したペッパーXが感覚共有で刺激を送るが、クリムゾンに効いた様子はない。生物として脳活動が停止している相手にはペッパーXの超能力は通用しない。――死体に感覚共有を使う用途など、まずありえないのだが。


 トモエとナナコとペッパーXにとって幸運なのは、その光景を長く見ることはなかったことだ。部屋奥にあるエレベーターにドローンと共に搬送され、扉が閉まる。遥か地下。『666倉庫』へと運ばれていく。


「ここか!」

「ペッパー!」


 その数秒後、コジロー達は一足遅れて研究エリアに足を踏み入れた。

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