どういうことだ!

「どういうことだ!」


 ビル10階にあるオーナールームでドッグは叫んでいた。ビル内に侵入したものを排除せよと命令して30分が経過し、碌な報告がないのだ。


 侵入した者の一人をトイレに追い詰めて捕縛したという報告をしたバイオノイドはその後の連絡が途絶え、別チームは何故か命令を放棄していた。なんでも調教師権限を受けたという。馬鹿な。自分はここにいるしそんな命令を出した覚えはないのに。


 警備ドローンは侵入者を発見したと思った瞬間に銃が暴発して無力化された。迎撃プログラムにより、そちらの方に多くのドローンが向かっているはずだが、成果はない。


「どういうことだ!」


 情報がある程度集まってからの、二度目の叫び。同じ言葉だが、今度は意味合いが違う。侵入者の情報がある程度集まり、その内容の理不尽さに叫んでいるのだ。


「非存在ナナコに、ペッパーXにボイルだと! 『KBケビISHIイシ』の潜入工作員と『ジョカ』の超能力者エスパーが手を組んだのか!?」


 イヌ型バイオノイドの報告と、警備ドローンがとらえた映像。レーザーネット内でも使用可能に調整した波長でその情報が送られ、それを確認したドッグが地団駄を踏んだ。ありえない。どういうことだ。


(『KBケビISHIイシ』の潜入工作員がここにいるだと! 潜入科への根回しは十分している! 裏切れば兵器の操縦桿に興奮する特殊性癖を公開すると脅しをかけているから裏切るはずがないのに! クソめが!)


(それよりも非存在ナナコが『ジョカ』と手を組んだというほうが厄介だ! 体でも売って取り入ったかあの女! 本官には胸さえ触らせてくれなかったくせに! あのアマが他企業の超能力者エスパーで突貫してくるなど想像外の極みだ!)


(いや、違う。ミヤモトイオリもいるという事は、二天のムサシも介入している可能性は高い。超能力者エスパー三名!? ふざけるな! ゴーヴェルタワーの大崩壊でも再現するつもりか!? 尋常じゃないぞ!)


 様々なクローンに変化し、演技と交渉で秘密を奪っていく潜入工作員。あらゆる金属を溶かし蒸発させる超能力と、脳を持つなら逃れられない超能力を使うコンビ。そしてあらゆる防壁や警備すら突破する能力不明の超能力者エスパー


 ドッグの立場からすれば、今ビルに潜入したメンツを見ればそう思ってしまうのも已む無きことだ。想定していたのはムサシという超能力者エスパーのみ。なのにそれ以外の戦力がやってきているのだ。


「幸いにしてこちらに来ることはないようだが、だからと言って666倉庫を探られればお終いだ。

 ここまで用意周到なメンツで乗り込んできたんだ。の事を知っているに違いない」


 ――実際は様々な不幸によりこうなっているのだが、ドッグがそれに気づくことはない。ドッグが必死に隠しているの存在など、侵入者(とドッグは思っている)は誰も知らないのだ。


「バイオノイドと警備ドローンでは止められん! くそ、本官も出るぞ! クリムゾンも戦う準備をしろ!」

「バーマノウがキャトルミューティレーションされるときアポロニウスの円の中心でバナッハ=タルスキーのパラドックスが産声を上げる!

 おお、エビングハウスの忘却曲線はホルスの目を歌い、見るなのタブーを踏みにじればサルコファガスは大いなるバクスター効果で世界の真理を撃つだろう! ヒポポトモンストロセスキッペダリオフォビア!」

「ええい、また電子ドラッグか! 戻って来い!」


 地面をはいずるように転がりまわっていたクリムゾンを蹴り飛ばすドッグ。床を何度かバウンドしたクリムゾンは、痛みをまるで感じていないかのように立ち上がる。


「問題ない。すでにレーザーネットの攻撃プログラムは9割9分用意済みだ。極細のレーザーで狙撃することはいつでもできる。壁を作って分断や封鎖もな」

「よし、下にいる三名は任せたぞ。如何に金属を破壊する超能力を持っていようとも、光の奔流はどうにもできまい。

 本官はバイオノイドを伴って非存在ナナコを押さえる。声やIDを真似ても、本官が傍にいればすぐに命令修正できる。後は重火器でぶち殺してやるだけだ」


 レーザーネットを使って内部にいる収容者へ攻撃する。予備動作なしの光線を避けられるものはいない。対二天のムサシ用に作られたものだ。同じ超能力者エスパーにきかないわけがない。


「まあ待て。9割9分と言ったぞ。まだ未完成だ」

「不安要素があるというのか?」

「うむ、射出するレーザーの色が完璧なる紅ではないのだ! クリムゾンというには赤すぎて、しかし緑をこれ以上増すのも無粋。射出する際に設定が変化してしまうのだろう! 完璧なる紅色を産み出すまでもう少しだけ時間が――」

「後にしろ! 今倉庫を調べられれば、それどころではないのだぞ!」

「……確かに。を見た時は心が震えた」


 叱咤するドッグの言葉を聞いて、クリムゾンは冷静になる。どこか遠くを見るような目で、どこか遠くを摑むように手を伸ばす。


「ハッキングを繰り返して企業のファイルを見てこの天蓋のすべてを知っているつもりだったクリムゾンだったが、知っていたのはほんの上澄み。企業と呼ばれる存在。人間という存在。そしてそれが生み出した最高の技術!

 ――異世界召喚プログラム! そしてタイムパラドクス! 死すら超越する論法! ああ、なんと素晴らしい!」


 クリムゾンが企業をハッキングして得たのは、異世界召喚プログラム。そしてそれを用いた企業トップの不死のからくり。企業の人間しか知らない最奥の秘密。


 だが不老不死などクリムゾンにとってはどうでもよかった。死は怖くない。自分の命などどうでもいい。それよりも、それよりも大事な目的がある。


「だがそんなことはどうでもいい! この世界と異なる存在を呼び出せるのなら、この天蓋を紅に染めることもできるはず! いいや、究極の紅をこの世に召喚することもできる! 可能性はゼロではない! 乱数数字作製で円周率を打ち出すよりも高い確率! 無限に召喚を行えば! いつかはたどり着く目標! 天蓋全てを紅に!

 座標指定できる存在があればより正確な時空穿孔ができるが、やむなき事よ! 異なる世界の物質や痕跡があればいいのだがな!」


 天蓋全てを紅に。赤177、緑6、青56。真紅に魅入られた狂人はこの世界全てを真紅に染め上げられると聞いて歓喜した。クリムゾン! クリムゾン! クリムゾン! その結果自分が死のうが関係ない。むしろ自分を紅に染め上げて、紅世界の一部に慣れるのなら本望だった。


(くそ馬鹿め。そんなことなどさせてたまるか。全てを破壊などやらせてたまるか。

 永遠の命だぞ! 死ぬことなくずっとクレジットを稼げるんだ! これに勝ることなどあるものか! 詳しいやり方は不明だがこのドラッグ狂いを上手く操って解明させれば本官は無限に活動できるんだ!)


 対してドッグの望みは不老不死だ。タイムパラドクスなどの理論は知らないが、異世界召喚プログラムが永遠の命を生むカギになるのは間違いない。


(くそ! 何もわからないままに騒動を起こすなど最悪だ! 永遠の命! 天蓋にはない貴重品の召喚! それを得るためにはもう少し準備が必要だったというのに! 少なくとも何かあった時の避難場所ぐらいは確保しておきたかった!)


 苛立ちで足踏みするドッグ。追い込まれつつある不安を解消しながら、ゆっくりと息を吐き出す。とにかく侵入者だ。あいつらを押さえて、不安を消さないと。


「ああ。その為にも今は侵入者を排除することに全力を注げ。最悪、例のウィルス使用も認める」

「アカカカカカカカ! ドッグがそこまで言うとはな! つまりそれほどの相手という事なのだな? ならば今すぐにでも――」

「やめろクソバカ! 最悪、と言っただろうが! 本官まで巻き込む気か!?」

「なんだ面白くない。だがそれほどの相手というのは理解した! 数名の信者を借りるぞ! 脳を弄って足止めに使用させる!」

「まあいいだろう。ただし作戦に支障のない程度にしろ!」

「当然だ! 全ては天蓋を紅に染めるため! 最優先事項を忘れるクリムゾンではない! アカカカカカカカ!」


 狂ったように笑うクリムゾン。いや、本当に狂っている。電子ドラッグのやりすぎか、あるいはもともとこういう性格なのか。ドッグは御しやすいと思っていたが、馬鹿は本当に予想がつかないことをしでかすのだと奥歯を噛んでギリギリ恨み言を飲み込んだ。


(非存在ナナコを捕えて情報を吐かせる。『ジョカ』との関係も確認して、最悪クリムゾンを売って難を逃れなくてはな! くそ生意気な潜入工作員だが、いろんな男のを食わえこんでいるからそれなりに楽しめるはずだ。ねじ伏せて楽しませてもらうぞ!)


 苛立ちを性欲に変え、笑みを浮かべるドッグ。ナナコとは『KBケビISHIイシ』の同僚だが、部署が違う。任務で何度か同行することがあり、何度かその体を堪能しようと迫ったが、その度にかわされて袖に振られた。


 ドッグを鼻で笑ったあの顔を屈辱に塗れさせるかと思うと、愉悦の感情が湧き出てくる。許しを請うまで攻め続け、泣き叫んでも気が済むまで楽しませてもらう。そう思うだけで、歪んだ笑みを浮かべてしまう。


「一緒に居るのはペッパーXと……バイオノイド? 戦闘用ではないらしいな。愛玩用か? ならそいつも一緒に遊んでやるか。クソ女め! 本官のマネをしたことを後悔させてやる!」


 怒りと欲望に震えるドッグはナナコ、ペッパーX、そしてトモエのいる8階部分へ移動する。緊急時で止まっていたエレベーターを管理者権限で捜査して動かし、同時にバイオノイド達に再命令を下した。


「アカカカカカカ! 晩発性皮膚ポルフィリンよダーウィンの海を超えよ! ミュンヒハウゼンのトリレンマは何時だってレコンキスタ色に染まる! 震えよ、奮えよ、奮えよ! 制御不能のメルテンス型擬態はソソソとした水滴を解き放つ!」


 そしてクリムゾンはまた電子ドラッグを使ったのか、わけのわからないことを叫びながらコジローとボイルとイオリのいる方に向かう。歩きながら10名ほどのクローンと合流した。


「カメレオンスイングはヘルメット!」

「バンカーがシャッフルされてバスエンド!」

「コットンギャンブルにバックミラートマホーク!」


 彼らもまた、電子ドラッグに犯されていた。狂気のまま進軍を続ける。死すら恐れぬ狂気の進軍を。


 ――だれもが正確な情報を得られぬまま、場は混迷を増していく。

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