結構な規模の事件になってねぇか?
トモエたちが10階で和やか(?)に談義している頃――
「どきなさい!」
ボイルは速足で階段を上っていた。金属蒸発の超能力を用いて踊り場で待ち構えていたドローンを無力化する。その後ろをコジローとイオリが追う形で進んでいた。エレベーターは緊急事態という事で使えない。仮に使えたとしても、扉で待ち構えられている可能性もあるので初めから選択肢にないが。
「本当にペッパー達は10階にいるのね!?」
「間違いありません。移動開始していますが、位置はばっちり補足しています」
イライラしながら叫ぶボイルに頷くイオリ。イオリが獲得したペッパー達の会話を聞き、怒りに震えるボイルがずかずかと歩き出したのだ。装甲と火力で足止めして追い詰めるプログラムの警備ドローンだが、装甲も火力も金属で構成される以上ボイルの敵ではない。
「なんでレーザーネット内なのにドローンと通信できるんだよ?」
レーザーネット内は通信が遮断される。実際、ボイルもコジローもビル内に入って何度かペッパーXやトモエに連絡しようと『NNチップ』から呼びかけたのだが反応がなかったのだ。なのにイオリはドローンと通信ができる。
「イオリのドローンは特別製ですから。通信波長は通常の『NNチップ』とFFLの二種類を用意し、片方が使えなくなったときに自動で切り替え。両方が遮断されて12秒経過したときは機密漏洩防止のために自爆プログラムが発動。更には音声対応システムを組み込んでいるので最悪肉声での発動も可。登録者の認証プログラムは陰陽互根の二重チェックシステムでハッキング対策を。関節駆動は――」
「あー、わかった。すごいんだな」
思いっきり早口で語られて、停止をかけるコジロー。これだから研究者は。もっとも、コジローもラノベと剣術の事になれば似たようなことになるのだが。
「まったく! ビルの上に墜落したと思えばよりによってパンツを嗅ぐとか舐めるとか何考えてるのよあの馬鹿は!」
ドローンが得た会話ファイルを聞いてから、ずっと怒りが収まらないボイル。その苛立ちをぶつけるようにドローンに超能力を使って上半身を蒸発させた。明らかなオーバーキルである。どう見ても八つ当たりである。
「落ち着けよ。多分何かの勘違いなんだろうし。会話の流れの一部分だけで判断するのは早計だぜ」
「どういう会話の流れがあったら脱いだ下着を嗅ぐ話になるのよ!」
ごもっともなボイルの指摘だが、コジローはトモエのエストロゲンの効果をしっているし、ナナコも一緒に居たのだからなんとなくどういう流れなのかは推測がついていた。銃を持ったイヌ型バイオノイドもいたし、身の安全を考えての事なのだろう。
(でもトモエのことは言えねぇよなぁ)
もっとも、トモエの秘密は軽々に言えない。そのせいで襲われたこともあるからだ。『ジョカ』の上層部がこの件を知っているかどうかはわからないが、秘密にしておくに越したことはないだろう。
「それはわからんが、とりあえず落ち着け。アンタが強いのはわかったけど、焦りすぎだ」
「逆になんであなたはそんなに冷静なのよ! カシハラトモエが下着を脱いで他人にその匂いをかがれたり舐められたりして、どうとも思わないの!」
ボイルに言われて、コジローは改めてその状況を脳内で想像してみた。下着を脱ぎ、男性型クローンにそれを渡す姿。その匂いをかがれ、下着を舐められる状況。
「……まあ、いい気分ではないな」
「何でその程度なのよ? あなた、あの子のことをそんな程度にしか思ってなかったの?」
「そんな程度って」
「あの子への想いはその程度なの?」
いや無事なのは理解しているから、と言おうとするコジローのセリフを止めるようにボイルが言葉をつづけた。サングラスとマスクで顔は見えないが、コジローの態度を咎めるような口調で。
「あなたはカシハラトモエ助けるために『ドコウソン』に挑んだんでしょ? 私が言えた義理じゃないけど、『ジョカ』に刃を向けても助けたいぐらいの想いなんでしょ?」
ボイルは『ジョカ』の
はっきり言って、無謀としか思えなかった。コジローの事もその時はムサシについてきたオマケ程度としか思ってなかった。フォトンブレードを使う程度のムサシのオプション。そんな印象でしかなかった。
だが結果を見れば、コジローは自分達を追い詰めた一翼でもあり、そして暴走するシャトルを止める活躍をした。そしてその全ては、トモエを助けるという一心だ。
『コジロー! 来るのが遅い!』
『すまねぇな、トモエ。ちょっと手間取っちまった』
トモエを助けるために現れたコジロー。その時交わした二人の会話。憎まれ口をたたきながらも、確かにある信頼。助けに来ると信じていたトモエと、その信頼に応えたコジロー。
そこに何もない、なんてボイルは思えない。天蓋そのものである企業に、天蓋で10人もいないとされる
(俺は……トモエのことを……)
そしてそんなことは言われるまでもない。コジローはトモエのことは守ると誓った。それはブシドーでもあるし、コジロー本人の気持ちでもある。トモエに危機が迫れば、コジローはフォトンブレードを振るうだろう。今もこうしてビル内に入っているのがその証左だ。
『僕の興味は
『少なくとも市民ランク6の生活よりも『
ゴクウは言った。トモエにとっての幸せ。それを思えば企業に囲われているほうが安全なのは確かだ。企業内ならこんなビル内に墜落するなんてことはないし、仮に危機に陥ってもバックアップ能力は高い。
トモエを危険から守る、という意味では間違いなく企業の方が安全だ。そんなことはわかっている。合理的に考えれば、コジローは身を引くべきなのに。
(くそ、今はそんなこと考えてる場合じゃないだろうが)
思考を止める。今はトモエを助けることが優先だ。その後でどうするかはその時決めよう。
「その、なんだ。あのドリル電磁シャトルに比べれば、危険じゃないなって感じだしな」
「そういう問題!?」
「逆に聞くが、アンタのツレは下着の匂いや味で興奮する性癖なのか?」
コジローは話を逸らすつもりで言ったのが、想像以上にボイルにとっては地雷だったらしく。額に手を当てて視線を逸らした。
「…………アイツは能力の関係もあって、奇妙な五感データを収集しているのよ。その手の収集サイトから高いクレジット払ってダウンロード購入して、その感覚をなんども繰り返して感動して叫んでいるわ。
もしかしたら、これをきっかけにそっちに目覚めることも、あるかもしれないじゃない……。性的なことはないって信じたいけど……馬鹿だし……」
コジローの問いかけにテンションが下がるボイル。表情は見えないが、喋るたびにうつに気分が傾いていくのが分かる。
『これのデータはッ! スライムを口に含んだ感覚ッ! 奇妙な歯ごたえッ! しびれるような口内の感覚ッ! まさにッ! 新鮮ッ!』
『ぐわあああああッ!? これがッ! 36か月清掃放棄した水路の香りッ! まさにッ! 腐敗の極みッ!』
『うおおおおおおおおッ! 25階から落下する視覚は壮絶ッ! 落下から目をそらせずッ! 地面が迫るッ! ドローン映像とはいえッ! なんというッ! 恐怖ッ!』
などという事をペッパーXは暇さえあれば叫んでいるのだ。辛味に奮えるのは、まだかわいい方なのである。
「そいつは……まあご愁傷さまだな。理由は言えないが誤解なのは保証するから。とにかく落ち着け」
「……うううううう、わかったわよ……」
不承不承納得するボイル。
「それにしても警備ドローン多すぎだろ。さっきのバイオノイドもそうだけど、どれだけ厳重なんだって話だぜ」
「ああ、このビルの事を全然知らないんですね。詳細は避けますが、とある部署がクレジットを稼ぐために擁立した宗教団体なんですよ、ここ」
ボイルの超能力で融けた警備ドローンを見ながらコジローは呟く。それに答えたのはイオリだった。任務なので詳しくは言えないが、これぐらいならいいだろうという範囲で情報を提供する。
(この男性型クローンはムサシ様に慕われる憎き敵ですが、カシハラトモエとくっつけさせれば問題なさそうですしね! ハーレム維持できそうな経済力も甲斐性もなさそうですし! 利害関係の一致! その為ならガンガン協力しますよぉ!)
まあ、多少の……思いっきり下心はあるのだが。
「宗教団体?」
「失敗をやり直したいとかいう思想で、このビル全体がその集会場でアパートメントみたいな感じです。今は緊急事態という事で3階から5階の祭壇エリアで祈りを捧げていますよ」
「失敗をやり直したいねぇ……。まあやり直したいことなんざいくらでもあるだろうし、それにハマるのはどうでもいいんだけど。だからってなんでレーザーネットなんだよ」
窓の外を走るレーザーネットを見ながら言うコジロー。この規模のレーザーネットは見たことがない。作るのも維持するのも大変だろう。話を聞く限り、そこまでして隔離したいものがあるとは思えない。
「それに関してはこちらも何とも。何かから守りたいらしいんですけど、それにしてもこれは異常なんですよね。守りたい金庫周辺とかならわかりますけど、ビル一個っていうのは規模がデカすぎるんですよ」
「それだけ信者が大事ってことなのか?」
「むしろそっちは管理がザルというか……信者からクレジット吸い上げているんですけど不要になったら『
大事なのは金庫だけっぽい感じだったんですよね。そこを調べたらこうなったわけけですし」
「つまりこのレーザーネットは、アンタがここを調べたのが原因てことか」
「あ」
口がすべった、とばかりに手を当てるイオリ。冷たい視線で見るコジロー。気が付けばボイルもイオリを見ていた。サングラスで分からないが、なんとなく視線はコジロー同様に冷たい気がする。
「いや待ってくださいよ。それは確かに認めますけど、こんなことになるなんて想像できなかったんですよ!」
「確かにこのデカさのレーザーネットはわからんだろうが、後でしっかり責任取ってもらうぞ」
「渡せるだけの情報を渡してほしいわ。話せない部分は隠していいから」
口調こそ優しいが。拒否権はないとばかりの圧力を受けてイオリは降参とばかりに手をあげた。
「うう、助けてもらった手前もありますので責任はきちんととりますし情報も提供します。ですけどイオリが知ってることなんて些末ですよ。
『
「クリムゾン」
イオリからの説明を聞いて、コジローはついさっき起きたサイバーテロを思い出す。モニターが赤く染まり、自動操縦ができなくなったウィルステロ。そしてそれを調査する『
「結構な規模の事件になってねぇか?」
「治安維持組織とサイバーテロのマッチポンプ事件でしょ、こんなの」
「それはそれで結構な規模とおもうけどな」
眉を顰めるコジローに肩をすくめるボイル。貴方はもっと大きな事件にかかわって解決したんだから、と言わんばかりに言葉をつづけた。
「それより大規模な『ミルメコレオ』の事件にかかわったアナタがそれを言うの? 常識的に考えて、あれ以上に大きくなるなんてありえないわ。
それにこんな事件に関わる必要なんてないわ。ペッパー達を助けてビルから出ればおしまいよ」
――この時はまだ、そう思えたのだ。
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