これでも観察眼は高いつもりなの

 現在『Z&Y』のビル内に侵入者として扱われている人物は6名。


 ビル屋上に墜落し、そこから10階部分に移動しているトモエ、ナナコ、そしてペッパーX。


 レーザーネットを切断して、その間に1階にもぐりこんだコジローとボイル。


 そして――


「おおおおおお、何とかドローンから逃げ切ったと思ったら今度はイヌ型バイオノイド! 詰み! 言葉通りの雪隠詰みぃぃぃぃ!」


 トイレの入り口で叫んでいるイオリである。ドローンの銃撃から何とか逃げ切ったら、今度はイヌ型バイオノイドに見つかり追われたのだ。


『ふふん。イヌ型バイオノイドがいることは想定済み! こんなこともあろうかと匂い対策は完璧なのです!』


 ドッグがいる以上はイヌ型バイオノイドがいてもおかしくない。その追跡と尾行を撒くために強烈な匂いを放つ香水を用意していたのだ。それを地面に叩き付けて自分のにおいを消して逃亡したまでは良かったが――


「ふっふっふ。当然のように臭気マスクをつけて目視で追ってくるとか想定外! しかもめちゃくちゃ手慣れてるじゃないですかやだー!」


 ドッグの調教能力の高さを証明するように、化学薬品対策はばっちりだった。香水がばらまかれる動作に合わせるようにマスクをつけ、即座に追ってくる。イヌ型バイオノイドの特徴である嗅覚。それを封じられても慌てずに別の感覚に頼れるように装備も訓練も怠っていなかったのである。


 そして地の利は向こうにある。更には潜入用に小型ドローンと拳銃しか持ってきていないイオリと違い、制圧に十分な火力を装備している。あれよあれよと追い込まれ、今現在ビルの端っこのトイレで拙い拳銃を撃ちながら機関銃の嵐に追い詰められているのであった。


 向こうが制圧のために突撃してこないのはイオリが何か武装を隠しているのではと警戒しているだけであり、それがないと分かれば銃撃をやめてトイレに突撃してくるだろう。そうなれば手も足も出ない。


「くぅ! こんな事なら戦闘用ドローンを持って来れば! 『696Head』か『ヒトウバン』辺りならカバンで誤魔化して持ってこれたかもしれないのにぃ! イオリのバカバカぁ!

 しかしピンチはチャンス。こういう時こそ天才的頭脳を持つイオリの機転が逆転のチャンスを生むのです! 智謀により相手の隙をつき、そして逆転拷問タイム! お手軽簡単に腹腔内にチューブ型アームが這いずり回る感覚で我慢しておきますよ!」


 潜入だけで終わると軽装で済ました自分を責め、そしてくじけそうになる心を叱咤するように前向きに妄想する。心折れて投降するよりはましだが具体的な逆転案はなく、思考は妄想の領域に入っていた。


「いいえ! ここはピンチに陥る私をムサシ様が助けに来るシーン! イヌ共に組み伏せられて服を破られてあわや貞操の危機! いやぁ、助けてぇ! しかしそこに颯爽と現れるムサシ様!

 ああん、もう感激! 惚れてる相手にそんなことされたらもうイオリは我慢できません! ああ、待って。ムサシ様、ここは敵地で――むぎゃああああああ!」


 イオリが妄想に入っている間に小型ドローンが天井裏からトイレに侵入し、背後からイオリを襲撃する。棘が付いたワイヤーを射出し、そこから電撃を放って相手をスタンさせる制圧兵器。制圧、と言っても体内に過電流が流れるので当たり所によっては死に至る可能性もある。


「こちらアルファ、目標の制圧完了」

「武装解除完了。ID確認、Joー00380102」


 イヌ型バイオノイドは慣れた手つきで感電して動けないイオリを拘束し、拳銃を取り上げる。頭部に銃口を当てて、奇妙な動きがあれば撃つとばかりに睨んでいた。


<――Joー00380102。二天のムサシのバックアップ部隊か。やはり超能力部門が潜入してきたという扱いで間違いないようだな>


 部下たちの報告を受けて、ドッグはそう判断した。その認識に全く間違いはない。だが事態はドッグが想像しているよりもよりややこしくなっている。ジョカの超能力者エスパーを巻き込み、企業トップの人間が動向を見ているトモエもそこにいるのだ。


<殺せ。脳以外を消して、NNチップを回収しろ>


 必要な情報は『NNチップ』に記録されている。消去されているかもしれないが、このクローンの利用価値は情報だけだ。二天のムサシでないクローンなど、交渉の材料にもならない。


「了解」


 命令を受けたイヌ型バイオノイドは頷いて引き金に手をかける。その気配を察してイオリは必死に逃げようとするが、感電した体は痙攣すらしない。


(ちょっっっっと!? 問答無用のキルとかどんだけ殺意高いの!? まずまずますまずい! 得た情報送ろうにもレーザーネットで通信疎外されてるし! このままジエンド? ムサシ様に全てを捧げることもできずに? 私が一体何をしたぁぁぁぁ!)


 1秒後に訪れる詩を前にイオリは絶望し、


「事情は分からねぇが、止めさせてもらうぜ」


 そんな声と共に赤い光がバイオノイドを切り裂く光景を見た。


「あわわわっ、わわ! ムサシ様ァァァァァァァ!」


 フォトンブレード。その一刀。その光景を見て、イオリは叫ぶ。肉体の麻痺はまだ回復しないが、どうにか声帯と肺を動かし声を出す。


「そんなことされると胸がドキドキ! 脈拍が毎秒二回を超えて頻脈になっちゃいます! 動悸息切れ眩暈に痙攣! ムサシ様の事を思って失神しそうです! ああ、その唇で人工呼吸などをしてくれればイオリは満足ぅ!」

「ムサシぃ? アンタ、あの酔っ払い姉ちゃんの知り合いか?」


 やたら騒ぎ出すイオリを見下ろし、フォトンブレードを振るった存在――コジローはそんな呆れた声を返す。内容に関しては触れないでおくことにした。殺されかけてたんで混乱してるんだろうし。


「そんなの無視すればいいじゃない。なんで助けたのよ」

「何か知ってるかもしれねぇじゃねえか。そもそもあのバイオノイドは敵だぜ。切り伏せておくに越したことはねぇ」


 呆れたように肩をすくめる全身コートでサングラスとマスクのクローン――ボイルの言葉に、頭を掻いて答えるムサシ。


 ビル内でドローンとイヌ型バイオノイドと交戦して移動中、二人は銃撃と叫び声を聞く。やってきたらイオリが殺されそうになっていたのを見て、ムサシが助けに入ったのである。


「ききききききさまああああああああああ! Ne-00339546! ムサシ様のォ、ムサシ様の腕を切ったクローン! ここであったが100年目! レム睡眠時に瞼の裏側を掻痒感が襲うような神経プログラムを送り込んでやります! 眠れるけど瞼の裏が痒い感覚にもがもがもが!」

「よくわからんが落ち着け。そしてデカい声出すんじゃねぇ。移動するぞ」


 イオリの口元を押さえ、そのまま抱えて移動するコジロー。監視カメラの類はボイルが率先して壊しているが、いましたが倒したイヌ型バイオノイドが最後の報告を送った可能性は高い。此処に留まっているのは危険だ。


「何たる無念! このイオリが貴様如きに助けられるなんてぇ! ときめきを返せ! 愛を返せ! ムサシ様との目くるめく愛のボーナスタイムを返せぇぇ!」


 二階に移動して適当な部屋に入るコジロー達。追手が来ないことを確認して一息つけると思った矢先に叫びだすイオリ。叫ぶとは言っても麻痺していることもあって音量はそこまで高くはない。扉を閉めれば外には漏れない程度だ。


「言ってることが全然わからん」

「ミヤモトイオリ。二天のムサシのバックアップチーム長よ。チーム、とは言ってるけど彼女一人と彼女が開発したドローンという編成だけど」


 理解を放棄したコジローに、ボイルは呆れたように説明する。超能力界隈ではそれなりに名の知れた存在だ。ボイルもムサシを調査する際に、データ越しにその手腕を確認している。


「つまりこの騒動はあの酔っ払い姉ちゃんの案件てことか?」

「そうです! このお仕事はムサシ様とこのイオリが解決する予定なのです! 私が調べ上げた情報を元に、私が作ったサイバーレッグとサイバーアーム、そしてフォトンブレードを使って悪を切り裂くムサシ様!

 ああん、想像しただけでイオリは興奮してきました! アドレナリンドバドバです! 体温上昇脈拍増大! いろんなところがエレクション!」


 動けないまま叫ぶイオリ。それを見てどうしたものかと悩むコジロー。電子ドラッグの可能性を疑うぐらいの奇人変人だ。見なかったことにしたいけど、いろいろ知ってそうなのは確かである。


「ふうん。そうやって愚か者のふりをして話をそらして情報攪乱するつもりなのね。個人で二天のムサシの事後処理全てをこなす事務能力と、あのサイバー装備を整えるだけの開発能力を持つ支援者なだけはあるわ」


 叫ぶイオリを、ボイルはそう評価した。このセリフは情報を隠すための演技。敢えて変人を装い、こちらへの興味を削いでいるのだと。


「そうなのか?」

「当たり前でしょ。ただの変態があれだけの仕事量と結果を残せるはずがないわ」


 データと結果から判断するボイル。二天のムサシの事後処理に関しては舌を巻くとしか言えない。実際ボイルは、ムサシと相対するまでその情報はほとんどわからなかったのだ。今でも超能力の断片だけがなんとなくわかるぐらいである。


 イオリの能力が高いのは事実である。しかしイオリがムサシに傾倒……性的興奮して人生破滅するぐらいに変態なの事実である。


「おおっと、ムサシ様に比べればイオリはただの影です。そんな過大評価をすれば足元をすくわれますよ」

「ご忠告ありがとう。これでも観察眼は高いつもりなの」


 謙遜するイオリに手を振って答えるボイル。冷静に物事を判断し、常識的な思考で行動するボイル。その経験から見る観察眼は……惜しいかな、曇っていた。高い低いのではなく、単純に裏目に出る。


「どう見てもただの変わった嗜好を持ってるクローンにしか見えねぇけどなぁ」

「仕方ないわ。経験値の差よ。多角的に情報を吟味しないと見えないこともあるという事ね」

「そいつは苦手でね。よくデリカシーがないと怒られるんだよ」


 言ってこの手の話は理解できないと手を振るコジロー。胸を張るボイルだが、ボイルも正しくイオリを見れているわけでもない。能力は確かだが、ムサシ偏愛のド変態であることは見抜けていない。


「とにかく超能力者エスパーでないと解決できない案件に巻き込まれたのはわかったわ。時間があれば拷問でもして情報を吐かせたいところだけど」

「任務内容に関してはたとえ眼窩に亜鉛含有液化ジェルを流し込まれても言えません。ですがそれ以外なら助けてもらった手前もありますのでお話しますよ」

「ええ。二天のムサシの任務に関わるつもりはないわ。私達はこのビルにひとを探しているの。レーザーネットに巻き込まれてビルにいるはずだけど」


 墜落して死んでいる、という可能性は考えないボイル。あいつは生きている。そう思わないと気が折れそうになる。最悪、墜落どころかレーザーで消失して死体すら残っていない可能性も――


(生きてる。絶対生きてる。考えるな、そんなこと!)


 奥歯をぎゅっと嚙み、拳を握って思考を転換する。脳内物質を投与し、興奮を納めた。とにかく探さないと。


「人探しですか? 墜落したという事は信者じゃないという事ですね。なら残してある探査ドローンを動かせば探せますよ。信者たちがいる部屋以外の場所を検索して……。

 ――複数名の会話と思われる音パターン発見です。共有しますか?」


 言ってイオリはビル内にあるドローンに脳波で命令する。そして20秒ほどで情報を手に入れたようだ。ボイルとムサシは脳内に届く了承メッセージに同意し、探査ドローンが拾った音声を聞く。


<つまりトモエがパンツを脱いで、辛味旦那に脱いだパンツを嗅いでもらうか舐めるかすれば解決っすね!>

<うむッ! それならカシハラトモエの尿をッ! 脳内に記憶できるッ! さあッ! 早く脱ぐんだッ!>


 ……………………。


 聞こえてきたのは、ナナコと思われる音声とペッパーXらしい音声だ。壁越しなのか少しぐもっているが、聞く人が聞けば本人だとわかる。


「何言ってるのよ、あの馬鹿あああああああああああああっ!」


 聞こえてきたペッパーXの声に、ボイルは感情を爆発させるように叫んでいた。

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