そう、真紅! 真紅こそ真の紅!

 IZー00111826。二つ名サインは『ドッグ』。『KBケビISHIイシ』のイヌ型バイオロイド調教師にして、宗教組織『Z&Y』のトップである存在。


 ドッグは廊下を早足で歩いていた。走るなどという無様はしない。走ることは余裕のない人間がすることだ。自分はそんな存在ではない。走ることなく早足で。自分のプライドを保ちながら、急ぎ移動していた。


「どういうことだ、クリムゾン!」


 ドッグが『NNチップ』を通して扉を開き、中にいるクローンに向かって叫ぶ。栄養が足りていないのか何処か細い体格の男性型クローン。着ている服もボロボロで髪もぼさぼさだ。


「おお、壁に輝くミュンヒハウゼンのトリレンマはまさにアキレウスの盾! トリスカイデカフォビアさえもコップの中の嵐にするまさに安楽死ジェットコースター! ゴーゴー唸るアインシュタインの十字架がメルセンヌ素数を示す時、ウラカン・ラナがアンビリカルタワーを砕く!」


 支離滅裂にわけのわからないことを言うクリムゾン。血走った瞳で髪をかき乱し、椅子に座ってバタバタと手足を振り乱している。その姿を見てドッグは怒りの言葉を投げつけた。


「また電子ドラッグか!? 戻って来いクリムゾン、緊急事態だ!」

「前後左右のエシェリヒア・コリはデルフォイの神託を聞く! そう、革命だ! フッ化水素が受けたカノッサの屈辱をタキオンするために哲学的ゾンビが酔っ払いのマントを壊すのだ!

 ―――ドッグ! 違うぞ、電子ドラッグなどという程度の低いモノではない! このクリムゾンが作り出したオリジナルドラッグだ! 全てが紅になる!」


 ドッグの呼びかけにハイテンション状態から戻るクリムゾン。電子ドラッグ。『NNチップ』に誤作動を起こさせ、ランダムに脳機能を発動させるデータだ。クリムゾンの言動からも察せられるとおり、使用すれば狂ったような状態になる。


「くそ、このドラック狂いめ! そのハッキング能力がなければ『KBケビISHIイシ』に引きとらせてるところだ!

 表を見ろ! レーザーネットが発動しているぞ! どういうことだ!?」


 クリムゾン。クローンIDはPeー00177658。カラーコードにおける真紅のrgb表記、177.6.58から取った二つ名だ。愉快型ハッカーとして活動し、侵入先に二つ名と同色のサインを残すことで有名である。


「アカカカカカカカカカ! 素晴らしい真紅のレーザー! 純粋な赤色ではなく、青を混ぜてそしてわずかに緑を含ませたこのバランス! まさに芸術的! この天蓋というキャンバスに描かれる虹彩! なあ、そうは思わないかドッグ!」


 クリムゾンは振り返り、ドッグの肩を叩く。その目はドッグを見ているが、同時にハッキングした監視カメラや飛行ドローンのデータから見えるビルを包むレーザーネットの動画を見ていた。


「レーザーの色は真紅でなければならない! 『ペレ』の白色レーザーなど偽善! 『ネメシス』の黒は固すぎ! 赤! 赤! 赤! 赤! しかし赤が過ぎてもまた無粋! そう、真紅! 真紅こそ真の紅! ああ、この天蓋全てを真紅に染め上げたい!」


 狂ったように笑いながら、自分の価値観を語るクリムゾン。色彩マニア。色に対する狂気。クリムゾンから見た世界はカラーコードでしかない。色以外の価値観など無意味だ。


「ああ、わかったわかった! お前の設計した巨大レーザーネットはまさに芸術的だ! だがなぜそれが発動している! あれは計画最終段階に使用するのと同時に、対超能力者用の兵器だったはずだ!

 二天のムサシが動いたという情報はまだ入っていないぞ!」


 笑うクリムゾンの言動を聞き流しながら、ドッグは問いかけ直す。クリムゾンの言動を真に受けていればキリがない。それは長い付き合いで知っている。ハッキングと光学兵器における才能は高いが、それ以外はマイナス評価なクローンだという事は身に染みて知っている。


「何故? 決まっているだろう! 調べられては困る領域を荒らされそうになったからだ! 地下にある666倉庫。あそこに何者かが侵入し、そして開けようと傷をつけたからだ! そう設定したからな!」

「そんな設定は聞いてないぞ!」

「今初めて言ったからな。しかし少し考えればわかるだろう? あそこを調べられればおしまいだ。侵入者を最大限の警備で捕えて存在ごと消すのは常識だ!」

「警告音を発するか、せめて本官に報告しろ! 周囲の飛行車両を巻き込んで大惨事だ! 治安維持部隊も動いている! ニュースはこの事件一色だぞ!」

「アカカカカカ! 素晴らしい! ニュースサイトがクリムゾンに染まっている! もっと派手にやればよかったか?」

「この阿呆が!」


 クリムゾンを突き飛ばして、頭を抱えるドッグ。常識がないとは思っていたが、ここまで常識がないとは……いや、タガが外れていることは知っている。だがここでこんなポカをするとは思わなかった。


 ドッグとクリムゾンの邂逅はつまらない事だ。ハッカーであるクリムゾンをイヌ型バイオノイドを用いて捕捉したのがドッグである。ネットセキュリティ的な防衛手段は完璧なクリムゾンだが、匂いなどの現実的な対策は皆無だった。


「この阿呆を上手く利用して宗教団体を拡大したのだが……くそ、最悪だ!」


 世間を渡る能力が皆無であるクリムゾンを匿うようにして騙し、自分のいいように利用していたドッグ。そのハッキング能力を駆使した情報収集のおかげで『Z&Y』の規模は大きくなった。ビルを購入し、信者に作らせた電子機器でハッキングの性能を拡大していく――そんな未来はとある情報で頓挫しそうになった。


『二天のムサシが『Z&Y』を調べるらしい』


 超能力者エスパー。天蓋に10人もいない存在。あらゆるサイバー兵器を凌駕する超能力の前には防壁も燃やされ、見るだけで相手の脳を焼き切ると言われている。


 レーザーネットは内部にいる者を閉じ込めるが、外部からの侵入も遮断する。内部に攻撃を加えることもできるが、そのスイッチは内部であるビル内にある。対超能力者対策として光の壁として、あらかじめ設置したレーザーネットを稼働させる予定だったのだが……。


「ただの侵入者ごときにレーザーネットを使い、世間に注目されただと!? 奥の手を晒して成果は何もないなど、最悪の極みではないか!」


 内部にいるのが超能力者エスパーであるなら、企業相手に交渉ができた。超能力者エスパー1人の命と引き換えに罪を見逃してもらう。交渉のやり方によってはクリムゾン一人に罪を全部かぶせて自分は助かるかもしれない。


「最悪と言うのは聞き捨てならないな。真に最悪なのは666倉庫内を見られる事ではないか。そこまでは至っていないのだからセーフだ!」


 ドッグが自分を切り捨てようとしていたことなどつゆ知らず、クリムゾンは不満げな声をあげた。それだけは止めたのだから、感謝してほしいという顔だ。


「その最悪になりつつあるという話だ。準備も何もかも足りないというのにここまで目立ってしまったのだからな!」

「ならば一気に計画を進めるしかないだろう。理論上は行けるのだ。足りないのはあくまでメモリ! その問題もドッグがここまで規模を大きくしてくれたのだから賄えるではないか! アカカカカカカ!」


 計画。


 ドッグとクリムゾンはとある計画をこのビル内で行っていた。クリムゾンはその計画が成功すればすべて上手く行くと言っているが、ドッグはそこまで楽観はしていない。成功すればこの天蓋を大きく変えることができるが、だからこそ確実に行いたい。


(失敗時の逃げ場所を作らずにやれるかよ、阿呆! 危機管理の文字も知らないイカレドラッグ野郎が! 本官は貴様と一緒に没落するなど真っ平御免だ!)


 今ここでその計画を発動させて失敗すれば、ドッグもクリムゾンも破滅する。このまま街中で巨大なレーザーネットを発動させて大事故を起こした企業規定違反者として捕まり、そして『イザナミ』に倉庫内を調べられて罰則が重ねられる。そうならないためにも逃げ道と身代わりは確保しておきたかった。


(失敗すればおしまい。しかしこのままでもどうしようもない! ならば計画を早めて、成功することを祈るしかないのか……!)


 追い詰められて腹をくくるドッグ。行き当たりばったりなど望む事ではないが、こうなった以上は仕方ない。


「……本当に理論上は大丈夫なのだろうな?」

「無論だ! このクリムゾンを信じろ! 問題は侵入者の存在だな。何が目的で倉庫に近づいたのか。もしかしたら件の超能力者の仲間やもしれん」

「確かに侵入者を拷問して口を割らせないといけないな。二天のムサシの関係者だというのなら、人質にできる可能性がある」


 やるべきことが決まった、とばかりに動き出すドッグ。クリムゾンに責任追及をしても無駄という事もあるが。


「侵入者たちはクリムゾンが創りし紅の警備ドローンが捜索中だ。今は姿を消しているが、見つけ次第その体を紅に染めてやろう。クックック、動脈の赤は素晴らしい! そうは思わんか、ドッグ?」

「ああ、そうだな。しかし隠れている相手を探すのなら本官の犬どもの方が適任だ」


 動脈血の色を適度に流し、ドッグは『NNチップ』を通してビル内にいるバイオノイド達に命令を出す。イヌの嗅覚は人間の一万倍に達するとまで言われている。信者達が移動した先以外にいるクローンを見つけることなど、造作もない。


(起きろ、お前達。仕事だ)

(侵入者を探し、可能な限り捕えろ。抵抗するなら殺しても構わんが『NNチップ』は回収しろ)


 命令したバイオノイドはドッグが訓練したイヌ型バイオノイドだ。元々戦闘用として作り出されたバイオノイドのため、肉体能力は高い。忠実で余計な事を考えない。自分の命令をきちんと聞くいい道具だ。


(アルファ。クローンの匂い捕捉。これより追跡に入ります)

(ベータ。同じく匂い捕捉。追跡に入ります)

(侵入者は複数いたという事か。両方捕えろ)

(ラジャー)


 ほぼ同時に入ってきたバイオノイドからの報告に頷くドッグ。どれだけの数がいるかはわからないが、自分が鍛えたバイオノイドから逃れる術はない。クリムゾンのドロンと交戦し、逃げ出す程度の火力しかないのだ。そんな武装に負けるほどやわな鍛え方はしていない。


「クリムゾン、計画を進めろ。できるだけ急げ。こうなった以上、『イザナミ』が予定を早めて二天のムサシを動かす可能性がある。一刻の猶予もないと思え」

「ああ、当然だ! 最大限に急ぐなら信者達の脳が焼き切れるかもしれないが、それでもいいか?」


 信者。『Z&Y』に集まったもの達の事だ。彼らの脳を利用して計画を加速させる。脳が焼き切れれば、自我を保つこともできないだろう。小脳が不具合を起せば呼吸すらできなくなる。


「当たり前だ」


『Z&Y』を納めるドッグは、迷うことなく信者を切り捨てた。こうなった以上はもはやあんなクズたちなど要らない。人生をやり直したい。失敗をなかったことにしたい。そんな者たちだ。クレジットは惜しいがその程度の価値しかない。


「アカカカカカカカ! じゃあ始めるとするか! 天蓋全てを真紅に染めるべく、このクリムゾンが動き出す! 赤光よ走れ! 赤ですべてを染め上げろ! ハッキング開始ィィィィィ!」


 クリムゾンの叫びと同時に、天蓋のネットワーク内にウィルスが走る。高レベルのセキュリティを敷いていた企業内のオフィスまでウィルスは浸透し、そしてウィルスが発動する。


 ――その日、天蓋の空を覆うパネルは真紅に染まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る