我慢できないモノは我慢できないわ

「コジローのばかー!」


 天蓋上空10m。ナナコの飛行バイクにタンデムしながら、トモエは大声で叫んでいた。ナナコは『NNチップ』で聴覚調整して、その叫び声を聞き流している。


「なんであんなこと言うのよもー! 好きにしろとかそんなこと言わなくてもいいじゃないのよ! そりゃ何でもかんでも干渉されたらデリカシーないって思うけど、でもこういう時は強引に止めてくれてもいいじゃないの!」


 トモエの叫びはつい数分前のコジローとの会話だ。望むならイケメン野郎について行ってもいい。自分じゃない男にナンパされてもいいと言ったのだ。こういう時は止めてほしいのに。嫉妬してほしいのに!


「あほー! ばかー! 乙女心のわからない朴念仁! ちょっとは察せ!」


 空中で矢次に繰り出される愚痴。ナナコは面倒くさそうな顔でそれを聞き流していた。こういう時は収まるまで待つべし。色事系ジゴロ企業戦士ビジネスほどではないが、ナナコも変装と潜入を得意とするエージェントだ。交渉の基本イロハぐらいは心得ている。興奮している相手は、収まるまで待つべし。


「だいたい何があったか察したっすけど」


 バイクで待機していたナナコは、いきなり怒った顔でやってきてバイクに座ったトモエを見て『あー。何かあったな』と察してそのままバイクを動かしたのだ。宙に浮き、飛行空域に入るまで黙っていたトモエは堰を切ったように叫びだしたのだ。


「経緯はわかんねーっすけど、何故かブシドー旦那に出会ってナンパされてもいいとかそんな感じのことを言われたんすね」

「しかもそれより前にヤな女と手を繋いで腕まで組んでたのよ! その女にババア呼ばわりされて! あー、もう!」

「しかも女同伴すか。そりゃ配慮ねーっすね」


 トモエの言葉に頷き同意するナナコ。まさかその女が企業トップの人間でしかもトモエの孫という事は知る由もないナナコ。知ったらトモエとの付き合いを本気で考えていただろう。企業そのものともいえる人間様に喧嘩を売るとか、二秒後には肉体的精神的社会的にボロボロになってもおかしくない。


「むーかーつーくー! コジローがその気ならナンパされてあげるわよ! そっちの方がいい生活できるもんね! イケメンに飼われる生活とか、考えてみたら悪くないわ! むしろシンデレラストーリーじゃない!」

「そうっすね。タワーで顔のいい男性型に飼われて過ごすとか、夢みたいな話っすよ。

 もうあの店で毎日苦労して働かなくてもいいっすからね。そうすべきっす」

「…………むぅ。そこで現実に戻すのやめて」


 ナナコの言葉にため息をつくトモエ。あの店――『TOMOE』の事を出されると怒りも冷える。あそこにいるバイオノイド達。彼らを見捨てるわけにはいかない。関わったバイオノイド達を見捨てないというのが、トモエの誓いなのだ。


「本気でその方がいいって言ってるんすけどね。バイオノイドなんて一山いくらの労働力なんすから。それにこだわるよりは、タワーでにゃんにゃんはぐはぐごろごろした生活の方がいいっていうのは当然の考えっす」


 擬音の内容はともかく、ナナコの言葉は天蓋ならだれもが思う事である。高市民ランクのクローンに飼われる。性別関係なく夢の一つである。同性同士の飼育関係も珍しくないし、逆に低ランク市民に飼われたい被虐的な嗜好もあるとか。


「私がそんなことできない事なんて知ってるくせに」

「トモエの価値観は理解できないっすけど、トモエがそうしたいんならそうすべきっすよ。あっしからすればあの店にいてくれる方が観察しやすいっすから。……まあ、五企業暗部が入り混じった状態なのは勘弁してほしかったっすけど」

「結局ジョカって人の話もできそうにないしなぁ」


 そもそもの目的は企業トップの人間と話をすることだった。トモエはイザナミとカーリーに話ができたが、肝心のジョカとのコネは得られなかった。――まあ、一日で人間二人と会話できた存在は天蓋270年の歴史を見てもトモエぐらいだが。


「だから普通はできないんす。諦めて帰るっすよ」

「そうね。気晴らしのつもりがとんだストレス溜めこむ羽目になったわ。あー、もう!」


 空中でなかったら髪の毛をかき乱していただろうトモエの叫び。叫び声は風に乗って消え、そしてため息をつく。


「まあ、わかってるわよ。コジローは私の事を心配してくれてるんだってことぐらい。企業の方がSF的にもサイバーパンク的にもレベルが高いから、快適な生活ができるしいろんな人に狙われることもないっていうのは」


 頭が少し冷えれば、トモエもコジローの言いたいことは理解できる。天蓋においてトモエはかなりトラブルに巻き込まれてきた。一歩間違えればそのまま外に出ることもできなかっただろうし、精神的にも深い傷を受けただろう。助けに来たコジローも死にかけた事も多い。


 そういう意味では、トモエは安心できる場所に置いておくのが一番なのだ。それが『ジョカ』なのかと言われれば疑問はあるが、つまらない諍いに巻き込まれるよりはずっと安全だろう。


「でもあの言い方は許せない! もう、今ナンパされたらそのままついて行ってやる!」


 どうしてもそこは許せないのだろう。思い出して叫ぶトモエ。ナナコはめんどくせー、と小さく呟いた。恋愛的機微は理解するが、かといって面倒なのは変わりない。


「なんで自分の欲望のままにサクっとやんねーんすかねぇ。……まあ、かといって超能力部署のマッド開発者ディベロッパーみたいに性欲に忠実すぎても逆に面倒くさいんすけど」

「ああ、イオリさんだっけ? ナナコもドン引きするほどエロいっていうのはすごいわよね」

「む。トモエはあっしのことをなんだと思ってるんすか。

 あっしは気持ち良ければ誰でも何処でも何時でも性別どっちでもいいだけで、一人に拘って暴走するあんな変人と一緒にされるのはさすがに心外っす」


 さすがにイオリと同列扱いされるのは心外とばかりにナナコが反論する。トモエからすればどっちもエロエロじゃん、という事になるのだが。


「流石に相手と場所ぐらいは選んだ方がいいなぁ、って思うけど……天蓋だとそれが普通なの?」

「性行為なんてお互い気持ちよくなれればいいんすから、その辺は好みなんじゃないんすかね。何度も言うけどあっしはその辺どうでもいいクチなんで。サクサクやって後腐れなくバイバイとかそんな感じっす」

「そんなスナック感覚でやっちゃって、もしできたら……。

 そっか。妊娠する事がないから、行為自体がスポーツ感覚なのよね」


 子供が産めないクローンにとって、性行為の意味と価値観は西暦とは異なる。羞恥自体はあるけど、公共ルールさえ守えばオープンな感じだ。少し通りを外れれば、その手の店は結構見える。避妊とか言う概念が全くないので、基本的に後腐れない。それでもストーカー的な犯罪は後を絶たないのは、愛憎の業深き事か。


「ニンシンっていうのもよくわかんなんすけどね。お腹の中にベビーがいて重くないんすか? しかもニ百日ぐらい? 体潰れないんすか?」

「まあその、妊娠したことないからわからないけど……結構大変らしいよ」

「非効率的っすねぇ。あっしは御免す」


 試験管受精が当たり前。クローンは培養して生み出されるのが常識な世界において、胎盤内で子供を育てるなど想像もしないことだ。ナナコもトモエから聞いたときは、『自分の栄養をお腹の中にいる生命に渡す? 何その寄生型バイオ兵器』という感想を持ったぐらいだ。


「効率とかそういう問題じゃないんだけどなぁ……。

 あれ? じゃあ天蓋ってもしかして結婚して夫婦になっても子供いないの? 養子とかそういうの?」

「そのコドモって概念がよくわかんねーっす」

「……そのレベルで倫理観違うのかぁ……」


 生命は企業で作られるモノ。結婚しても次代を作らない。新たな生命は必要に応じて企業が追加する。それが当たり前なのだ。それがクローンであり、企業を運営するパーツなのだ。


「改めて感じたけど、天蓋って怖いわ。こっちの常識がまるで通じないもんね」

「あっしからすればトモエの方こそ非常識なんすけどね」

「そうね。その齟齬はもうどうしようもないわ」


 埋められない文化の差。或いは時代の差。それを感じるトモエ。時間軸で考えればトモエは天蓋よりはるか昔の人間で、価値観が違うのは当たり前なのだ。トモエの方が合わせるべきなのはわかっている。だけど――


「でも我慢できないモノは我慢できないわ」

「トイレっすか? 座席に採尿用のカテーテルついてるっすよ」

「さりげなく変なこと言うな!」

「一応それもあっしの任務なんすけどねぇ」

「ああ、もう! そういう所も含めて天蓋の常識は我慢できないの!」


 忘れてたけど、かつてナナコはトモエの尿を研究するために誘拐に協力したのだ。今はその計画自体が凍結しているが、それでもサンプルがあるに越したことはないらしい。一度強制的に採尿された経験から、トモエは断固拒否しているけど。


「子供を産まないけど結婚するとか、正直理由が分からないわ。そりゃそういう夫婦も私の時代にはいただろうけど」

「結婚する理由の大半は体の相性すかね。いろいろヤってベストマッチした相手と一緒になるとか」

「それはナナコだけだと思う」

「大事な項目なんすけどねぇ。体の相性」

「改めて、天蓋事情の恋愛が分からなくなってきたわ。

 あー、もう。何もかも忘れて気晴らししたい気分になってきた」


 何のために恋をして、何のために好きになって、何のために愛し合うのか。その理由が分からなくなってきた。トモエは行き詰ったモヤモヤを吐き出すようにため息をつく。


「気が落ち込んだ時ッ! そんな時こそ辛いモノッ! 適度な味覚の刺激がッ! 悩み事をッ! 吹き飛ばすッ!」


 そんなトモエの耳に大声が響く。正確に言えば、声が直接脳に届く。飛行バイクに乗って風がうるさい中、はっきりと男の声が聞こえたのだ。まるで超能力のような――


「え? この声……。辛いモノとかこの熱血風とかってもしかして」


『NNチップ』のないトモエはスマホなしで相手のIDを確認することができないが、誰が自分に話しかけてきているのか、十分に理解できた。


「うぉれの名はッ! ペッパーXッ! 全ての悩みはッ! 辛味スコヴィルで解決できるッ! そうッ! 辛いモノこそッ! 至高の存在なのだッ!

 うぉれはッ! お前をッ! ナンパしているッ!」


 Joー00318011。ペッパーXである。トモエとナナコが乗る飛行バイクの上空。そこにある大型飛行車両の窓から顔を突き出し、叫んでいた。


(そう言えば……『電波系善人』だっけ? ゴクウさんが言ってたナンパキャラにそんなのいたわよね)


 トモエは飛行バイクの上で、微妙な表情を浮かべていた。

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