Prayer is meaningless

イオリは頑張りますよぉ!

 天蓋にも宗教が存在する。


 言うまでもなく、天蓋に神は実在しない。西暦において世界規模で流布していた巨大宗教は、人間達が電子世界に籠ると当時に消え去った。電子世界に没頭することで死を超越した以上、神の助けは不要という事なのだろう。今では市民ランク1のみが閲覧できるアーカイブにのみ存在している、過去の文化でしかない。


 宗教の定義を『神もしくは何らかの概念を信じる組織集団』とするならば、天蓋にも宗教は存在する。企業もそれを止めることはしない。業務に支障がない程度の趣味なら気にも留めないが、逆に言えば企業の邪魔になるなら排除する。


 一番メジャーな宗教は各企業を統括する人間を奉じるものだろう。ネメシス、カーリー、ペレ、イザナミ、ジョカ。その姿は誰も知らないが、しかし誰もが知っている天蓋の支配者。それを拝めるクローンは多い。姿が見えず秘密が多いからこそ、その神秘性が高まり崇拝の対象となるのだ。


 ……よもや治療不可能なブラコンだったり、ゲーム感覚で企業を運営したり、腹黒ロリババアだったり、出会い頭で喧嘩を売るバーサーカーだとは誰も思いはしない。仮にそうだと話しても、信じやしないだろう。


 次いで多いのが企業そのものを崇拝する組織。これはどちらかというと職業柄というのもある。医者などは再生技術の高い『カーリー』の機器や人工血液に傾倒し、長期使用が望まれる完全機械化フルボーグは『ペレ』のバッテリーに感謝する。企業ごとの得意分野と自分の職業の相性が良ければ気に入り、それが傾倒したケースがほとんどだ。


 そして超能力者エスパー信望者。これもまた見たことのない相手への崇拝だ。超能力者エスパーが関わった事件は隠そうとも完全には隠しきれない。そう言った隠しきれなかった情報残渣から超能力者エスパーの存在を夢想する。そして想像の元に理想像が作られるのだ。


 ……よもや酔っ払いお姉さんだったり、やることなすこと裏目に出る自己評価の低い全身コート女性型だったり、辛味スコヴィル道に傾倒する無駄に熱血な男性型だったりするなど夢にも思うまい。


 辛味スコヴィル道といえば、特定のデータを傾倒する宗教も規模は小さいながらも少なからず存在する。


 例えば西暦時代に人間が書いたとされる漫画キャラクター。それを崇める者達だ。カルトなクローンは西暦時代にそのキャラが実在したとまで信じる者もいるという。


『……ぶっ! いや、さすがに魔法少女は実在しないからっ!』


 トモエが街角で見た魔法少女を奉じる宗教デモを見て、お腹を抱えそうになったのは小話。等身大フィギュアとばかりの像を前に変身ポーズを取る姿は、その手のイベントを思わせる。遠い未来から見たらアニメキャラはこうなるのか。


 しかし冷静になれば笑えない。自分達より前に起きた歴史的事件や歴史上人物人物。それは過去の文献でしか知りえないことだ。もしかしたら織田信長は当時の人物が書いた創作物で、それが全国に多く広まっていただけでは? 記録が多いから、実在した人物として扱われているだけなのかもしれないではないのか?


 閑話休題。ともあれ天蓋にも宗教は存在する。メジャーなものであれマイナーなものであれ、手の届かない何かを信じる者達が集まれば宗教になりえる。そこに何を求めるかは各々別だが、共通して言えるのはそう言った存在は奉じる存在に見返りを与えない事である。


 祈りに意味はない。女神の名を冠する企業の人間達は祈りに答えず、企業に言葉を届かせたいならアンケートに答えるか企業戦士ビジネスに言えばいい。超能力者エスパーは基本的に企業に従い、データはただそこに存在するだけだ。


 それでも彼らは祈る。精神的な安らぎが生まれるかもしれないが、その祈りに応える存在はいない。それでもその存在に祈り、そして救いを求める。


「偉大なるCTRLZシトラズ様。我らの過去を許し給え」

「偉大なるCTRLYシトラリィ様。我らに未来を与え給え」


 ここにいる者達も、そう言った祈りを捧げる存在だ。手を合わせ、正面にあるオブジェに向かって祈っている。シトラズ。シトラリィ。それが彼らの信じる『神』。そこに過去の許しを請い、そして新たな未来を求める祈りを捧げている。


「汝らの過去はCTRLZシトラズ様により消え去り、そしてCTRLYシトラリィ様により新たな一歩を踏み出せます。

 間違えることは誰にでもあります。祈り、そして新たな一歩を進むのです」


 そしてそのオブジェ――祭壇ともいえる柱の前に立つのは、一人の男性型クローン。白を基調としたゆったりとした服を着て、祈る者達に大声で語り掛ける。


 祈りを捧げる者達に共通しているのは、過去に大きな失敗を犯したものだ。そしてそれを修復していない存在である。


 ある者は企業規定を違反し、違反クレジットが払えなくなって破産したクローン。


 ある者はギャンブルに傾倒し、企業規定違反な業務に手を出して逃げているクローン。


 ある者は多くの女性型を抱き、嫉妬の嵐で今なお鳴りやまぬメッセージ通知に苦しむクローン。


 ある者は企業の部下に乱暴を働き、AI裁判に訴えられて身を隠しているクローン。


 西暦で言えば犯罪者、或いは犯罪予備軍もいる。治安維持組織に知られればそのまま囚われる者ばかりだ。そう言ったクローンをかくまうのは企業規定違反だが、この宗教はそれでもかまわないと彼らを受け入れていた。


「許されぬクローンなどいません。過去はやり直せます。そして未来に進めます。

 さあ、祈りましょう。その祈りがCTRLZシトラズ様に通じれば過去は消え、CTRLYシトラリィ様により未来は切り開かれます」

「おお、CTRLZシトラズ様。我らの過去を許し給え」

「おお、CTRLYシトラリィ様。我らに未来を与え給え」


 男性型クローンの宣誓の後に、ただただ祈り続けるクローン達。


 繰り返そう。祈りに意味はない。過去をやり直すことなどできない。やり直して未来を得られるなんてことはない。ありもしない存在を祈っても、意味などない。


 しかし、祈りを捧げるクローン達は信じている。過去がやり直せることを。そして未来に進めることを。


「祈り、捧げ、そして信じるのです。過去はやり直せる。未来に進めると――!」


 そして祭壇で熱く語る男性型も、祈りに意味はないと知っていた。彼らの過去をやり直すことなどできず、こんなところで祈るよりは頭を下げたほうが効果的だという事を。しかしそれは口にはしない。口にすれば彼らは祈ることをせず、そしてクレジットを奉納してくれないからだ。


<奉納されたクレジット、879762>


 祭壇に立つ男性型クローンの『NNチップ』から、今日の奉納結果が報告される。その額は右肩上がりに上昇していた。それだけ過去をやり直したいのだろう。それだけ未来に希望を持ちたいのだろう。


「ああ、CTRLZシトラズ様の声が聞こえる! 私の過去は、許された!」

「すばらしい。KLー00186865の奉納額がCTRLZシトラズ様に届いたのです!」

「おお。私の過去も救ってください!」

「どうかどうか! やり直しをさせてください!」


 突如叫びだしたKLー00186865。その声に煽られるように奉納されるクレジットが増えていく。言うまでもなくKLー00186865はサクラだ。いもしない存在の声を聴き、いかにも救われたと言い放つことで奉納を加速させたのだ。


(愚か者め。そうやって何も考えないから騙されるのだ。もっとも、そのおかげでこちらも楽してクレジットが稼げるのだからな)


 追い詰められた者に声をかけ、優しい言葉で集会に誘う。鼻腔から吸収される薬物で思考力を奪い、熱狂させて存在しないシトラズとシトラリィに祈りを捧げさせ、そしてクレジットを奉納させる。そうして稼いだクレジットを用いて組織を拡大していく。


(こ奴らはありもしない幻想に縋って心を癒し、本官はクレジットを得て心を満たす。皆が救われる素晴らしい事ではないか)


 祈りは届かない。存在しない概念は破滅していくクローンを救わない。ただ私腹を肥やし、不幸の沼が深まるだけ。それでも救いを求める祈りは止まらないのであった。


 ……………。


「――というのが討伐対象の大まかな説明です」


 ミヤモトイオリは医療ポット内にいるムサシにそう言って説明を終える。


 イザナミとトモエが病室から去ってから、イオリは資料を確認していた。紙の情報媒体は植物が少ない天蓋では貴重だ。植物を育てる区域は数少なく、その全てが市民ランク2以上に回される。イオリも存在は知っていたが、手にするのは初めてだ。


「シトラズにシトラリィ。その二つを崇める宗教組織『Z&Y』。その壊滅です」

<なんていうか、小悪党だねぇ。そんなの『KBケビISHIイシ』の出番じゃないかい?>

「宗教を統率する者が『KBケビISHIイシ』の要職のようです。

 IZー00111826。二つ名サインは『ドッグ』。『KBケビISHIイシ』内ではイヌ型バイオノイドの鋭い嗅覚を用いた捜査で高い地位を得ています」


 IZー00111826。かつて犬を尊ぶ記念日である11月1日(日本)と8月26日(アメリカ)から因み、自らをドッグと名乗る。その二つ名を示すように捜査用のイヌ型バイオノイド育成に力を注いでいた。


 ドッグが育てたバイオノイドは皆優秀であり、『KBケビISHIイシ』内でも高い地位を得ていた。いわゆる『いい訓練士』である。もっとも、裏の顔は――


「内通者や多額の賄賂などを用いて『KBケビISHIイシ』からの捜査を回避しているようです。あと奉納金が少ないものは見捨てて『KBケビISHIイシ』に捕まらせ、署内での成績を上げているとか。

 何たるマッチポンプ。これだからクソイヌ組織はいけませんね! 非道なヤツには左耳にブラシを7200rpmでポンプ挿入しないと気がすみません!」

<ああ、うん。ほどほどにね>


 イオリの微妙にわからない拷問(?)を聞き慣れているのか、ムサシの反応は端的である。実際その手の尋問をやってるところも見ているが、なんと言うかシュールだった。よくそんな装置作ったなぁ、と感心する気持ちが大きい。


<しかし返す返すもわからないねぇ。この程度なら『KBケビISHIイシ』がダメでも他の組織でもいいじゃないか。ケガしているお姉さんの所にわざわざ出向いて、しかも電子データを介さずに依頼とかわけがわからなすぎるよ>


 討伐対象は理解したけど、依頼そのものが理解できない。そう告げるムサシにイオリは推測ですがと前置きして言葉を告げた。


「他組織に関してはバランス的な問題でしょうね。『KBケビISHIイシ』の要職を他組織が確保したのなら、その組織とは険悪になります。ムサシ様みたいな立場なら恨みようがないかと。

 出向いた理由はイザナミ様もおっしゃってましたが、通信を通して盗聴されるのを避けたためでしょう。この組織に『アレ』の名前があります」

<アレ?>


 ムサシの問いかけにイオリは肩をすくめた。


「Peー00177658……『クリムゾン』。侵入先に自らの二つ名サインを残す愉快型ハッカーです。

 タカマガハラをハッキングした『元素なる四プライムクワドゥルプレット』ほどではありませんが、コイツも企業の機密をいくつかハッキングしているので、業を煮やしたのでしょう」

<ふむぅ。そんなもんかね>


 イオリの説明を肯定も否定もしないムサシ。ただ、黙考する。


(業を煮やす。イザナミのおチビちゃんがそんな性格かねぇ? この手の悪人は利用してポイ捨てするタイプだよ、あのチビちゃんは。

 それに、トモエちゃんに関係しているっていうのも引っかかる。あの子とこんなクズ詐欺師と、どういう関係があるんだか?)


 医療ポット内で思考しても答えは出ない。なので別方向の事を尋ねた。


<ま、命令通りやりましょうか。腕と足はいつ完成しそうなんだい?>

「はい。ロールアウトは三日後、換装に半日ですね。それまでにこの組織に関してもう少し調べておきます」

<よく働くねぇ。無理しなくてもいいんだよ>

「ムサシ様の為ですから大丈夫です!」


 ムサシの言葉にガッツポーズを取るイオリ。実際、ムサシに下る任務の下調べも超能力部署の仕事だ。イオリが動くことになんら問題はない。


(そう、ムサシ様の感謝! ムサシ様のお褒めの言葉! あわよくばいろいろ撫でてもらい、そしてそのまま深い仲に……!

 その時こそ手術して生やしたフルセットが役立つ時! 処女も童貞も同時にムサシ様に奪ってもらうとか何それ最高! げへへへへへへへ、イオリは頑張りますよぉ!)


 ただ別方向でいろいろ問題があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る