生者必滅、会者定離は世の習い

 天蓋における『人間』は大きく二種類に分かれる。


 一般的な意味での人間は、天蓋の中核部に存在すると言われている人類の脳だ。電脳空間で己の世界に浸り、天蓋はそれを管理するために運営されている。クローンが社会を形成しているが、天蓋という社会機構の根幹は人類が見る仮想空間の維持だ。


 そしてもう一つが、企業のトップ。5大企業『ネメシス』『カーリー』『ペレ』『ジョカ』そして『イザナミ』の創始者でもあり、300年近くそこに君臨する存在。企業の存在こそが天蓋の社会機構そのものであり、最も上位にいる存在は天蓋の社会そのものと言ってもいい。


 数多のクローンが崇め、そして疎まれてきた。トップを排除する動きなどいくらでもあったし、命を狙われることも数えきれない。だが如何なる策略も如何なる暴力も5大企業の人間を排することはできなかった。


 人間の排除計画は9割9分が計画段階で察して潰され、残った1分もほとんどが実行直前で抑えられる。その1分も、企業が敢えて泳がせているケースがほとんどだ。


 とまれ、クローンではどうしようもない存在。それが天蓋における認識である。


「イザナミ、様……!」

「――っ」


 イオリが目を回して困惑し、ナナコがイオリを小突いた後で片手を額に当てて敬礼のポーズを取る。イオリも慌ててナナコに倣うように敬礼のポーズを取った。


 普段フザけているナナコの態度からは想像もできない態度。このやり取りだけでも企業内でイザナミがどう思われているかが分かる。


「Joー00380102ならびにIZ-00404775。日々ご苦労。楽にしてよいぞ」

「はっ!」

「ありがたきお言葉感謝します」


 敬礼していた手を下ろし、直立不動になる。これでも『楽』なのだろう。イザナミはナナコとイオリに対する興味はなくなったとばかりにトモエと、そしてムサシが収容されている医療ポットに目を向ける。


「さて祖母様。こう呼ばれる理由は理解しているという事でよいか?」

「お祖母ちゃん呼ばわりされるのはうんざりだけどね。まだ出産どころか経験もしていないんだから」

「そのタイミングでなければ召喚する意味などないよ。祖母殿が子供を生む前でなければ成立しないからな」


 トモエが天蓋の時代に召喚されたのは、5人の企業創始者の不老不死成立のためだ。親殺しのタイムパラドックスを利用した矛盾による不老不死。存在しているのに生まれていないはずの孫たち。矛盾が未解決であるからこそ成立する理。


「うむ。話が早くてよい。誰に聞いたかの予想も大まか付いておる。あの脳味噌ゲーム娘め。ノリで動くのも大概にしてほしいものじゃ」


 額に手を当てるイザナミ。トモエはこのことを教えてくれたペレの事を思い出す。脳味噌ゲームはわからないが、確かにその場のノリで動きそうな感じの子だった。


「イザナミちゃんが貴方がここに来たのは、私と話をするためなの?」

「ち、ちゃん付けするなぁ! ……いや確かに祖母殿からすれば妾をそう呼ぶのが正しいのじゃが……! くぅ……!」

「いやその、お祖母ちゃんとかそう言うんじゃなくて、妹みたいな感覚が沸いちゃって」

「妾こう見えても299歳なんじゃがな」


 成程、ロリババアキャラか。トモエはそれを口にはしなかった。言うともっと怒りそうだったし。でも日本人形みたいな子が怒る様もちょっと可愛い。それこそ口には出さないが。


「先の質問じゃが、ここに来た用事は別にある。病院に来て偶然祖母殿の姿を確認し、やってきたわけじゃ」

「そりゃそうよね。私がここに来たのはついさっき決めたことだし。その用事が終わってからでいいんで、私の話を聞いてほしいんだけど」

「無論そのつもりじゃ。要件の一つはすぐに終わる。二つ目は……こちらは後回しでいい。すぐに終わる事じゃしな」


 イザナミはそう言って指を鳴らす。後ろに控えていたバイオノイド――サル顔だけど腕はトラの複合型――が動き、持っていたケースを開く。トモエも知っているアタッシュケースだ。天蓋ではあまり見ないモノである。


「IZー00210634、そしてJoー00380102。受け取るがいい。新たな依頼とその前報酬じゃ」

「は、はい。承りましたっ!」

<ちょいとどういうことだい? 依頼ならいつも通り『NNチップ』で伝えればいいじゃないか。しかも依頼内容もクレジットも手運びとか。わざわざ歩いてこんなところまで来るとかどんな気紛れだい?>


 医療ポットから聞こえるムサシの言葉で、トモエはケースを見ない理由を理解した。お金も資料も電子化された世界において、人がケースに物を入れて運ぶことなどまずない。そして人が持てないほど重すぎる荷物はドローンが運ぶ。アタッシュケースは帯に短したすきに長しなのだ。


「電子的な通信は電子的な技術に長けた相手に傍受される可能性があるからのぅ。こうやって出向いて直接渡すのが一番確実なんじゃ。

 ここなら盗聴の恐れもあるまい。のぅ、超能力部署署長兼技術顧問」

「はい! そう言った機器は排除し、見つけ次第破壊しています! この会話が傍受される可能性は皆無です!

 仮に傍受されたとしてもオートで逆探知して位置を捕捉し、同時に鼻孔から上中下鼻道を通して咽頭までを粘度10000mPa・sのスライムで高速清掃される感覚を与えるプログラムを設置してあります!」


 相変わらずよくわからないプログラムである。『NNチップ』に作用して強制的にそんな感覚に見舞われるのだろう。なお粘度10000mPa・sははちみつやジャム並みの粘りである。


「う、うむ。安全面は理解した。引き続き職務に励むがよい」


 イザナミもどう反応していいのかわからず、とりあえず定型句を返した。


<つまり今回の任務は電子戦に長けた相手ってこと? お仕事なら何でもするけど、頼む相手が間違ってるんじゃないかな? お姉さん、電脳戦は苦手でね。そいつと電子酒を飲めって言うんならいいんだけど>

「安心せぃ。電脳的に追い詰めるのは他の者がやる。おヌシは指令に従って動けばよい。何ならとらえた相手を電子酒漬けにしてもいいぞ。どのみち、動けるようになってからの話じゃがな」


 それで要件は終わり、とばかりにイザナミは手を振りトモエに向きなおる。


「さてお待たせしたな、祖母殿。それでは話をするとしようか」

「そんなに待ってないわよ。っていうか会社の仕事の話なんでしょ。私が聞いててもよかったの?」

「この程度なら些事じゃ。内容を話してもいいぐらいじゃ。なにせ祖母殿も無関係でもないからのぅ」

「私に?」


 自分を指さし、疑問符を浮かべるトモエ。そして眉をひそめた。ムサシに自分を襲わせようという話なのだろうかと警戒したのだ。


「安心せい。祖母殿をどうこうする話ではない。ジョカは祖母殿を捕えようといろいろ動いているようじゃがな。

 あの兄溺愛者め。恋は盲目とはよく言ったモノよ」


 苦笑するイザナミを見ながら首をかしげるトモエ。恋がどうとかよくわからないが、イザナミ自身はトモエをどうこうするつもりはないらしいことは理解した。


「え? その、いいの? 私がこのままだと、その……」


 トモエはイザナミに問い返そうとして、内容が内容なだけに言葉を濁した。ナナコやムサシ、そしてイオリがいる目の前で企業の偉い人が死ぬかもしれないというのを憚ったのだ。――実際はそんな次元の話ではないのだが。


「その件に関しては構わぬ。生者必滅しょうじゃひつめつ会者定離えしゃじょうりは世の習いとは昔の言葉じゃがな。どうあれ新しい風を吹き込まねば天蓋はこのまま腐り果てる。

 妾が求めるのは天蓋の発展。それ以上でも以下でもない。祖母殿が今こうしているのも結果として受け止めるしかあるまいよ」


 言って肩をすくめるイザナミ。生きている者は何時かは死に、出会いと別れは避けられぬ事。天蓋を発展させるためなら自分の死もやむなし。そう言いたげな表情だ。


 もっとも、イザナミは天蓋の発展のためにドラゴンの情報をあえてリークさせ、『国』において『スパイダー』を跋扈させた原因だ。『スパイダー』の行き過ぎた思想で苦しんで者は多く、一歩間違えれば偽ドラゴンにより一帯は灰燼に帰した可能性もあったのだ。消して善人というわけではない。


 もっともその事はこの場にいる者は知る由もない。事件当時者であるトモエでさえも、その鱗片を察することはできない。ナナコも不穏な噂こそ掴んでいても、上を告発することなどできやしない。


「じゃあ私をどうにかしようとするのは、ジョカさんだけなのね?」

「そうとも言えまい。ガチガチ法律主義のネメシスはIDがない事を理由に捕らえてくるかもしれんし、カーリーはやりたいことはまだあると言ってくるだろうな。

 妾はどちらでもよい。そう言う意味では賛成3、反対1、棄権1と言ったところか」


 この場合の『賛成』はトモエを異世界召喚プログラムに戻す意見だ。ペレが『反対』で、イザナミは『棄権』。多数決なら賛成で通る。


(あー。これ聞いていい会話なんすかね? 聴覚カットしたほうがいい感じっすか?)

<KEKEKEKE! カシハラトモエが爆弾だってことは知ってるくせに今更ダゼ! 気づいたら逃れられない底なし沼! YAHOOOOO!>


 ナナコは脳内で自分の『NNチップ』と会話をしていた。意味は全く理解できない……したくない会話だ。逃げ損ねたなぁ。腹くくるか情報売って逃げるかどうしようか。そんなことを考えていた。


「分かった。じゃあイザナミちゃんにお願いがあるんだけど」

「だから妾をちゃん付けするな! ……他三名を説得してほしいというのなら断るぞ。妾にそれをする義務も理由もないからな」

「違うわ。反対する人を説得したいから、間に立って紹介してほしいの」


 自分を元の世界に戻すことに賛成も反対もしないのなら、イザナミに言うことはない。求めていたのは最初から自分に手出しをしそうな人への橋渡しだ。


「会ってどうするんじゃ?」

「その、説得したくて。無理かもしれないけど、それでも話をしないと始まらないし」

「ふん、自分の存在がどれだけのモノか知っているくせに話し合いか。問答無用で捕えられても文句は言えぬ身だというのに悠長な事よ。 

 とはいえ、愚策と捨てるほどでもない。あ奴なら交渉自体はできるじゃろうしな」


 先の事件は問答無用でトモエを捕えようとした結果の事件だ。その結果、誘拐を行う部署は大きく力を減じた。ナンパ営業部署がトモエ確保に出るに至ったのも、それが理由だ。


「よかろう。ちょうどその一人がここに来ておる。規約により妾は邂逅できぬが、祖母殿を引き合わせることはできるぞ」

「本当!? ありがとうイザナミちゃん!」

「だからちゃんをつけるな! とはいえ、そ奴の気性は荒い。出会い頭に殴らぬようには告げておくが、祖母殿の発言で手を出すこともある。言葉は慎重に選ぶがよいぞ」

「え? なにそのヤンキー。天蓋って人間も戦闘民族なの?」


 イザナミの言葉に眉を顰めるトモエ。話してたらいきなりキレるとか、怖いんですけど。


(でもまあ、人間の範疇だよね? いきなり銃を撃ってきたりコジローみたいにフォトンブレード持ってたりするとかはない、よね?)


 トモエは知らない。


 その人間は彼女が最強と信じているコジローをワンパンで倒した相手なのだと。


 そしてコジローに絶賛アプローチ中の女性であるという事を――!

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