大丈夫かい、レディ

「いやぁ。まさか今を時めくトモエ様に会えるなんて思いもしませんでしたぜ」

「あ、そう」


『TOMOE』の店の前で、トモエは話しかけられた相手に塩対応で返事を返していた。正直言うと無視したいし追い払いたい。


「こう見えても俺は『重装機械兵ホプリテス』の仕事で忙しいんですが、あえて! あえてトモエ様のために時間を割いている所存でして!」

「いいよ、お仕事頑張ってきて。さよなら」

「いえいえいえいえいえ! トモエ様に何かあったらそれこそ天蓋の一大事! ええ、私はわかってましたとも! この店には可能性があることを! そしてトモエ様には輝く未来があることを!」


 実際手を振って追い返したけど、懲りずに媚びを売るように話しかけてくる。頭痛い。額を押さえるようなポーズをするトモエ。トモエは嫌気を隠そうともしないし、相手もそれを理解したうえで話しかけてきているのだ。


 髭を生やした粗野な男性型クローン。トモエはIDを確認できないが、その顔と素行はコジローから聞いていた。Ne-00089603。『腹黒おっさん』だ。治安維持組織『重装機械兵ホプリテス』の職員。その性格を一言で言えば『汚職警官』である。国家が運営する警察という行政機関は天蓋にはないのだが。


「貴方に護衛を頼むつもりはないからね。コジローに銃向けたり、この前の事件でも対応がいい加減だったことは知ってるんだから」

「いやいやいやいや! それは何かの勘違いです! 多少の行き違いはあったかもしれませんが、最終的にはお互い問題なかった! そう、結果良ければ全て良し! そうは思いませんか?」

「問題だらけじゃない。とにかくホプリなんとかを信用しないっていうのは変わらないから」

「そこをなんとか! いや、本当に! 『ネメシス』で店を出すなら『重装機械兵ホプリテス』の看板を掲げておくといいのは確かなんですよ! その、そちらにも強い用心棒がいることは知っていますが、安全に安全を重ねることはより安全でして!」


 なしのつぶてを繰り返すトモエに、懲りずに頭を下げる腹黒おっさん。どうしてこうなった、と苦虫を噛みしめた表情をするトモエ。


 事の起こりは、ナナコからのメッセージだ。街を歩きたいから護衛をしてほしいとメッセージを送ったトモエ。その返信はすぐに帰ってきた。


ナナコ:

<いつもの護衛はダウン中なんすか? 了解っす。30分ぐらいしたらそっちにつくんでそれまで待っててほしいっす>


トモエ:

<りょ。ごめんね、忙しいのに>


ナナコ:

<トモエが誘ってくれるならそっち優先するっすよ。首輪と手錠とクスリ持っていくっすから楽しみにしてるっす。休憩がいいっすか、お泊りにするっすか?>


トモエ:

<いや、それは要らないから。普通に散歩するだけだから>


 ナナコとのメッセージは、隙あらばそう言う性的な事を思わせる単語を混ぜてくる。トモエも慣れたもので普通に拒否して、それでお流れになる。


 30分。外で待つには長すぎる時間だ。店の中に戻ろうとしたときに、


「おお、そこにいるのは『TOMOE』のオーナー様ではありませんか! ここで出会えたのはまさに運命! 私は『重装機械兵ホプリテス』でも有能かつ紳士と言われた市民ランク4。Ne-00089603でございます!」


 おっさんが話しかけてきたのだ。それ以降、ずっとこの調子である。


「だから要らないって言ってるでしょ。この前まではバイオノイド云々で馬鹿にしてたくせに、急に掌返すとか情けなくないの?」


 冷たい目線で言うトモエ。『重装機械兵ホプリテス』がバイオノイドを守らないのは身をもって知っている。クローン優先。金持ち優先。企業組織である以上利益重視。裏を返せば貧乏で弱い者をあっさり見捨てるのをトモエは見ている。


「へっへっへ。まさかバイオノイドを大量に雇っての低コスト運営をここまで徹底するとは思いもしませんでした! 未知の味データによる一点突破の商売方法も見事見事! 売上チャート見ましたよ。2位の『スライムクリニック』を大きく突き放しての第1位だとは!」


 そして相手が金持ちだと分かるとその尻馬に乗ろうとするのも『重装機械兵ホプリテス』だ。組織内全てのクローンがそうとは言わないが、『重装機械兵ホプリテス』自体がその傾向にあるのは間違いない。Ne-00089603もその一員だ。


「私はこの店が大きく成長することを予見してました! 格安で護衛しようとNe-00339546に橋渡しを頼んだんですが、見事断られたわけでして。

 ですがトモエ様にここで出会えたのはまさに運命! ここで直接契約を結んで今後も安寧を得るのがベスト! なぁに、売り上げのおこぼれをいただければこちらは十分です。あと、すこぉしばかり開発中の味データを渡していただければ、ねえ?」


 銃口を突きつけるのが橋渡しか、と言いそうになってやめるトモエ。何も言わずに店の中に戻ろうとするが、その腕を掴まれた。サイバーアームの冷たい感覚と、力強い機械の力。そこに込められた欲望と暴力にトモエの動きが止まる。


「ちょっと放してよ。人呼ぶわよ」

「そんなこと言わずに話だけでも聞いてくださいよ。いろいろ人事異動とかでごたついている今がチャンスなんだ。上司にバレないように小遣い稼ぎしたいっていうのはわかるだろ?」

「……っ、それこそそっちの都合じゃないの!」

「まあな。だけどその方が痛くなくて済むぜ」


 可能な限り平静を装うトモエだが、内心の震えを察されたのか強気になるおっさん。腹黒おっさんからすれば相手はただのバイオノイド。Ne-00339546に主人登録されている(と思っている)から『NNチップ』での命令はできないが、純粋な暴力ではこちらに分があるしその交渉は通じそうだ。


「やっぱり最低の汚職警官じゃないの!」

「けいかん? だがその最低に頭下げなきゃいけなくなるんだから覚悟しとけよ。どう足搔いてもプライド折られて泣きながら契約する羽目になるんだから、逆らうのもほどほどにしとけよな」


 言いながら力を籠めて引っ張る腹黒おっさん。トモエは必死に抵抗するけど、サイバーアームに勝てずに引きずられる。トモエは周りを見て助けを求めるが、『重装機械兵ホプリテス』に逆らう気はないのか見て見ぬふりだ。店から少し離れた路地裏まで引っ張られるトモエ。


「殴られたくない場所を言ってくれたら考慮するぜ。ま、そこ以外は殴るけどな」

「全部殴られたくないわよ! だから離しなさい!」

「そうかい。まあ考えるだけだったけどな」


 腕をつかんだまま、拳を振り上げる腹黒おっさん。トモエは身を固くして数秒後に訪れる暴力に耐えようと構えた。


「暴力は良くないな。『ネメシス』ではそういうやり方が普通なのかい?」


 その暴力が訪れる前に、そんな声がかけられる。同時に小さな発砲音。威嚇射撃なのか空砲なのか。ともあれその一発で腹黒おっさんの動きが止まる。


「何者だ? 今こっちは商売の交渉中なんだよ」

「スマートじゃないね。バイオノイドであれクローンであれ、レディは優しく扱わないと」

「れ、れでぃ?」

「女性型を指す単語だよ。とはいえ、西暦時代の単語だから教養のないクローンには通用しないか。これは失礼だった。謝罪するよ」


 慇懃無礼に言い放つ乱入者。暴力が来なくなったことを察して、トモエもそちらの方を見る。


 黒髪の優男。武器らしい武器は何一つ持っていないが、周囲に複数の円盤型ドローンを飛行させている。ドローンはそれぞれ銃を備え付けられていて、その一つ一つが腹黒おっさんを狙っている。


「教養が不足しているようなので言葉を重ねるけど、ドローンの銃口はそちらに向いている。大人しくそのバイオノイドを解放して、ここから立ち去るんだ。さもないと治療費で余計な出費を支払うことになるよ」

「……けっ。そいつはたまらねぇな」


 引き際を感じたのか、おっさんはトモエを掴む手を離して低恋しない意思を示すように両手をあげる。そのままゆっくりと路地裏の反対方向に歩いて行った。


「大丈夫かい、レディ。いや、子猫キティかな」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ボクのIDはJoー00101059。二つサインは『セイテンゴクウ』。気軽にゴクウと呼んでくれると嬉しいよ」


 言いながらトモエに近づくゴクウ。斉天とは『斉(等)しい』という意味。1010は2進法では10進法の10。10じゅうに斉(等)しい1010じゅう59ごくう。すなわち、セイテンゴクウ。


 ゴクウの言動と動作は若干気障ではあるが、それが嫌味ではない程度に精練されていた。


「立てるかい? ケガをしているなら治療所に運ぶよ」

「いえ、大丈夫です。ケガする前に助けてもらったみたいですし」

「それは良かった。バイオノイドとはいえ女性型が暴行を受けるのは見てて痛々しいからね。間に合ってよかったよ」


 ゴクウは屈託のない笑みを浮かべた後、困ったように頭を掻いた。


「ところでこの辺りで美味しい味データの店を知らないかな? 人気の店に来たけど休業中で途方に暮れていたんだ。できるならゆっくりできる店舗が嬉しいね」

「あー……それでしたらあそこの店はどうです?」


 休業中の店というのは『TOMOE』の事だろうか? そんなことを考えながらトモエはエリアの角にある店を指した。3テーブルの小さな店だ。ガード用のドローンとデータ販売機しかないので、トモエの感覚では自動販売機と休憩所にしか見えないが。


「ふむ、シンプルでいいね。どうだい、キミも。バイオノイドでも味データを楽しめるように、ライブセンスがあるんだ」


 ゴクウは手慣れた手つきで懐から小さな器具を出す。ライブセンス。『NNチップ』のないバイオノイドに電脳空間や五感データを伝達するツールだ。バイオノイドが道具扱いの天蓋において、趣味以上の意味をなさない。それを持ち歩いているという事は、バイオノイドに一定の理解を持っている証である。


「遠慮します。今待ち合わせをしているんで」

「そんなこと言わずに。その待ち合わせまででいいからさ」


 謝罪するように手を合わせるゴクウ。ナナコが来るまであと20分ぐらい。ただ待つのもヒマなのは事実だ。それに助けてもらった恩もある。柔和なゴクウの態度も、警戒心を崩す要因となっていた。


「じゃあ少しだけですよ」

「いや助かったよ。このままだと男一人で寂しい時間を過ごすところだったんでね。かわいい子猫キティと楽しめるなら、今日はラッキーデイだ」


 子猫。確かにトモエはネコミミバンドでネコ型バイオノイドに偽装しているからそう呼ばれても仕方ないが、なんというかくすぐったい。その感覚に身を震わせながら、トモエとゴクウは移動する。


 トモエに甘い笑みを浮かべながら、ゴクウは『NNチップ』を通して通信をしていた。相手はNe-00089603。『腹黒おっさん』だ。


<悪役代行、御苦労様。おかげでナンパに成功したよ。クレジットは支払い済みだ>

<あいよ。いい小遣い稼ぎだったぜ。できればまたお願いしたいね>


 腹黒おっさんはクレジットの増加を確認する。ゴクウから『トモエをナンパしたいから、脅迫して襲うふりをしてくれ』と頼まれたのだ。おっさんも自分を雇わず嫌っているトモエに思う所があり、承諾した。


(バイオノイド売春のスカウトだろうな。俺に協力するなら助けてやってもよかったが、そこまで嫌うならどうでもいいぜ。ウラれて金ももらえるしな)


 腰を低くしてあわよくば自分を雇うなら、それはそれでよし。おっさんからすれば自分に損のない話だ。乗らない理由はない。


(ナンパ成功。さて、ここからうまく口説き落として身も心も堕とさないと。

 ジョカ様の命令には逆らえないからな。企業戦士ビジネスは辛いよね)


 おっさんとの通信を切ったゴクウは心の中でため息をつく。


 Joー00101059。ゴクウ。企業『ジョカ』の企業戦士ビジネス。マスクと話術と性技術で交渉を進める営業担当。


 企業トップのジョカから直接与えられた営業にんむは、『トモエをメロメロにすること』である。

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