天蓋恋愛戦線、異常無し!

ホント、どうしよう

『ミルメコレオ』での騒動から三日経った。


「…………あー」


 トモエは椅子に座って何もせずに天蓋の天井そらを見上げていた。『TOMOE』は誘拐騒動の後処理で臨時休業。急に沸いたお休みを脱力することで過ごしていた。


 時間ごとに変化する青い天井。夕方になれば赤く染まり、夜になれば暗くなる。映像だと教えられてなければ空が見えるのだとトモエでも勘違いするほどのクオリティだ。気温も気候もサイクル管理されている。高ランク市民ランクの住む場所には疑似的に四季もあるのだとか。


 そんな天井を見ながら、しかし思うことは全く別の事だ。


「タイムパラドックスかぁ……」


 トモエはペレから聞いたメッセージを思い出す。親殺しのタイムパラドックス。トモエがこの時代に召喚されて生きている限り、天蓋企業の創始者である人間達は不老不死を得る。ざっくり言えばそんな内容だ。


「そんなことを言われてもなぁ」


 はっきり言って理解が追い付いていない。どちらかと言えば、見た目は同年代のペレにお祖母ちゃん扱いされた怒りの方が大きい。そんな単純な話ではないことは理解しているけど、あまりのトンデモ設定を脳が受け入れられないでいた。


『そんなわけで、お祖母ちゃんは私達が長く生きるために犠牲になってもらったの。ゴメンね』


 ペレは色々説明した後で、メッセージの最後をそう締めくくる。てへぺろ、ってこんな感じなんだ。そんな表情の後で真剣な顔をするペレ。


『お祖母ちゃんは私達を恨んでいい。はっきり言って最低な行為だし、あーしもノリでおけって言ったし。住んでる場所とかフレンドとか全部切り離されて、『NNチップ』なしでここまで拉致されたんだから。

 元の時代に帰るのも簡単じゃないかな。プログラム自体は残ってるから経路はあるけど、純粋に起動エネルギーが足りないし。最低でもあーし含めて3人は説得しないと無理っぽい』


 3人。企業トップの人間の事だろう。不老不死の為に自分達をこの世界……もう直接の未来時代と言ってもいい天蓋に召喚し、300年近く縛り続けた人達。


「私が元の時代に戻りたいからあなた達は死んで、ってことだよね。それは」


 トモエが元の時代に戻れば、彼女達は不老不死が解除されて死に至る。死ねと言われて納得する人はいないだろう。


 とはいえ、それが正しい形なのだと言ったのもペレだ。


『もち、あーしはお祖母ちゃんが帰るのに協力するよ。

 あーしらの事は気にしなくていいよ。ホントはもう死んでいるはずだからね』


 あっけらかんと自分の孫はそう言った。納得しているのはペレだけだろうが、それでもその死生観はトモエの理解を超えている。長く生きるとそうなるのだろうか? あるいはペレが特別なのか。


「ホント、どうしよう」


 緩やかに変化していく天井そらを見ながらトモエはつぶやく。


 元の時代に帰る。


 天蓋に来たばかりのころはずっとそうしたいと思っていた。目が覚めれば理不尽に捕まり子供を産まされそうになり、おしっこを研究材料に使われそうになり、バイオノイド扱いで『保護』され、挙句に自分の孫に拉致らそうになり。


「……うーん。本当に天蓋ここに来て碌な目に合ってないわよね、私。普通、異世界転生ってチートでハーレムでお気楽スローライフなんじゃないの?」


 改めて天蓋に来て自分が碌な目にあっていないことを自覚する。人権などなく、未来世界の恩恵も十分に受けられない。治安維持組織に捕まれば尊厳や生命の危機だし、暴力喧嘩は日常茶飯事。火力たっぷりのサイバー機器は普通に町中に出回っているので、巻き込まれればよくて大怪我悪くて即死。


「どう考えても帰るべきよね。っていうか、一歩間違えたらバッドエンドじゃないの」


 むしろ良く生きてこれたなと感心すらする。トモエのいた国からすれば考えられない治安だ。同じ時代で劣悪な治安の街はあるのだろうが、想像すらできない。コジローが古典ラノベに影響されて酔狂でなかったら、詰んでたと言えよう。


「でもなあ……。うーん」


 かといって帰りたいかと言われれば、すぐに首を縦に振れない自分がいることに気づく。ここで出会った人……クローン達との縁があった。


 助けてもらったコジローや、ナナコのような気やすい友人。ドラム缶だけど気前が良くて男前(って言ったら『嬉しいけど心は乙女なのよ、ワタシ』と返された)のニコサン。ネネネやムサシ、そして多くのバイオノイド達。


 この縁を捨てて帰るというのは、躊躇する。事、バイオノイド達はトモエが店を維持しているから生活できるのだ。無責任に放り出すわけにはいかない。彼らは『もともとバイオノイドは使い捨てられるモノだから』という価値観なのが、更に拍車をかける。


「だめだめ。考えてもすぐに答えなんか出ないわ。そもそも企業の偉い人を説得しないといけないんだし、無理無理」


 元の時代に戻るか戻らないか。堂々巡りする思考を振り払うように頭を振るトモエ。学校の進路を決めるどころの話じゃない。人生そのものの選択だ。一夜で答えを出せるはずがない。


「誰かに相談するにしても、誰に相談すればいいのよこんなの」


 この事はまだ誰にも話していない。口止めされたわけではないが、誰かに言うことは阻まれた。冷静になれば、自分達が住んでいる天蓋が大きく変わる可能性がある話だ。相談する相手は限定しなくてはいけない。


「相談するならコジローなのよね。でもなぁ……」


 そしてこういう時にトモエが最も話ができるのがコジローである。そしてそのコジローと別れるかもという話になり、相談できずにいた。


「やめやめ! せっかくの休みなんだからリフレッシュしなくちゃ!」


 答えが出ない悩みを棚上げし、トモエは椅子から立ち上がる。気持ちを切り替えれば何か別の答えが出るかもしれない。現実逃避という事なかれ。困ったときは体を動かすのは、それなりに効果があるのだ。


 店内で着ているメイド服を脱ぎ、外出用の服に着替える。スマホを操作して服に指示を送り、スマホに登録されているトモエの体格に合わせて服が伸縮した。成長に合わせて自動更新されるは嬉しいが、少し悩む部分もあった。


「う……。体重と体脂肪率が少し増えてる……」


 服のフィット率から自動更新される身体データ。それによりトモエは自分の身体がどうなっているかを知ることができる。事、体重と体脂肪率は乙女にとって重要な事だ。日々口にする栄養キューブは、味は不味い我栄養価が高いという証明である。


 タイムパラドックスや元の時代に帰れる可能性よりも優先度が高い問題だが、それも一気に棚上げしてスマホをポケットに入れる。コジローのIDが登録されたスマホがなければ、トモエは天蓋のサービスを何一つ受けられない。天蓋での命綱ともいえる。


「ネネネちゃーん。出掛けるんだけど……あれ?」


 護衛のネネネに声をかけるトモエだが、ネネネはベッドに突っ伏して動けないでいた。首だけをこちらに向け、弱々しく口を開く。


「すみません、トモエさん。KLー00124444です」


 KLー00124444。ネネネのクローンIDだ。ネネネは二重人格で、IDで名乗るのは普段表に出ない人格の方だ。正確に言えばそちらの方が本来の人格で、『ネネネ』は彼女が昔一緒に生活していたバイオノイドを模した人格である。


「あ、お久しぶりでいいのかな?」

「78時間23分ぶりです。いつもネネネがお世話になっています」


 こちらの人格は普段の元気いっぱいなネネネとは真逆の研究者気質だ。稀にこちらの人格になることがあるが、数分程度で『ネネネ』に戻る。


「お出かけという事ですが、精神的に疲労しているので無理です。申し訳ありません」

「うん。仕方ないわ。ゆっくり休んでて。……調子悪いの? もしかしてこの前の戦いのダメージとか?」


 心配そうに問いかけるトモエ。爆発に巻き込まれ、時速100キロの速度で列車内でシェイクされたのだ。体内に治癒用のサイバー機器があるとはいえ、そのダメージがまだ残っていてもおかしくはない。


「いいえ。肉体は完治しています。

『アタイの弱点はすこびるだ。それを克服するぞ!』と言って、激辛味データを一気にダウンロードして使ったので、脳が辛味でオーバーフローしてネネネは気を失いました。その為私が表に出ています」

「あー」


 トモエは何とも言えない表情を浮かべる。ペッパーXとの戦いの件は聞いている。むしろネネネは辛味に耐えたほうだろう。それでも弱点という事で鍛えたようだ。明らかにやりすぎだが。


「まあいいわ。ちょっと散歩する程度だし。ネネネちゃんはゆっくり寝てて」

「非武装で街を歩くのは危険ですよ。今の私が言えた義理ではありませんが、誰かと同伴したほうがいいです」

「そうね。ナナコに連絡入れるわ。多分ヒマしてるでしょうし」


 週三日レベルで『TOMOE』に来ていたナナコの事を思い出し、連絡を入れるトモエ。実は毎日来ていたとか過剰な調査員の戦いがあったとかは気づきもしないトモエであった。ナナコとしては気づかれないように変装をしていたのだから、正しい反応である。


「それじゃ、行ってくるわね」

「お気を付けて」

「ええ、それはもう。天蓋のヤバさは身をもって知ってるんで」


 誘拐経歴4回のトモエは、言ってネネネの部屋を出る。ナナコの返信を待ちながら店から出た。店の壁に背を預け、天蓋の街並みを見る。


 天井には青い光景。そして今日の日付とカレンダーが記されている。


 立ち並ぶビル群を縫うように宙を舞うドローンと飛行車両。地上を歩くサイバー武装したクローンとバイオノイド。移動車両系店舗では弾丸や武装のエネルギーパックを売っていた。


 そして数分ごとに聞こえる激しい喧騒。そして治安維持組織が駆けつけるサイレン音。騒動は一瞬激化し、そしてすぐに収まる。


「うん、今日も平和よね」


 この光景になれる程度には、トモエも天蓋に染まってきていた。

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