やめなさい、この白カニ!

 金属を蒸発させるほどの高温を生み出す超能力者エスパー、ボイル。


 他者の五感を支配することができる超能力者エスパー、ペッパーX。


 ボイルの前にはあらゆるサイバー機器は意味をなさず、ペッパーXはあらゆるクローンの五感を無効化する。機械の守りもクローンの経験もすべてが無力。生まれ持って得た超能力。それだけで天蓋が積み上げてきた文明を一蹴できる存在。


 一般的なクローンはその存在を知らない。知れば恐怖に怯えるか、努力の無意味さを痛感して労働意欲を失うから。


 企業の暗部にいる存在はその存在を注視する。挙動を見誤れば大惨事。『ジョカ』という企業に逆らうことはないだろうが、それでも力が暴走すれば目も当てられないことになる。これまでそのようなことはなかったが、未来においてどうなるかはわからない。


 天蓋に10人いるかいないかとされる超能力者エスパー。それらは企業に管理――ムサシのような未来干渉能力により捕えられない例外もあるが――されている。刀を納める鞘ではなく、狂犬を縛る鎖のように。天蓋に純イヌ科イヌ属の哺乳類はいないが。


 警戒され、畏れられ、そして管理される。それが超能力者エスパー


「寒くないかしら? 体を冷やすとよくないわ。どうぞ」


 その一人、ボイルは湯気の立つカップをもって、トモエに差し出していた。お茶を運ぶトレイと、その上にある金属製のポット。そこから湯気のあるお茶をカップに注ぎ、トモエに差し出した。


 ボイルは全身断熱コートに身を包んで表情も銀のサングラスとマスクで見えないが、差し出すカップと声にはトモエをねぎらう感情があった。


「あ、はい。……毒とか痺れ薬とか入ってないわよね?」

「それをするなら寝ている間にしているわ。或いは飲ませたカプセルに混ぜておくか」

「それもそっか」


 トモエはボイルからカップを受け取り、口にする。近づけた瞬間に鼻腔をくすぐる心地よい香り。口にした瞬間に舌を包み込む柔らかい感覚。そして体全体に染み入るような温かさ。


「……美味しい」

「『ジョカ』のランク2以上の市民が飲むことができる『ウーロン茶』よ。それを飲んで体を休めてなさい」

「え? ウーロン茶?」


 ボイルのセリフに驚きの声をあげるトモエ。この世界に来る前にウーロン茶を飲んだことはある。確かに味わいはその記憶と一致するが、ここまで豊潤な味のウーロン茶は初めてだ。


「貴方の体温は華氏97.34 度36.3℃。平均的な体温だけど神経過敏を納めるには少し体温をあげて血行をあげたほうがいいわ。その温度に調整したの。

 茶葉を蒸らす温度は華氏203 度95℃。温度伝達速度を考えて容器はクロム系ステンレス鋼。中の液体が適度に流動するように容器に熱を加える箇所を調整。茶葉に熱が加わり内部成分が十分に広まったタイミングで適温になるようにしただけよ」


 淡々と告げるボイル。温度を操作する超能力者エスパーの副次的な能力なのか、五感をもって温度を察することができる。それを使って現在のトモエに合わせたお茶を淹れたのだ。


 金属に温度を加えるにより水温を加熱する。ただそれだけならここまでのお茶は出せない。適切な温度調整。適切な水流。適切なタイミング。それらを全て調整してのお茶。『ジョカ』の高ランク市民はボイルの金属を蒸発させるほどのエネルギーを重視するが、ボイルの真価はこの細かな調節能力とそれを活用する頭脳にある。


「温度と淹れ方を変えるだけでここまで違うんだ。すごく美味しい」

「そう、喜んでもらえてうれしいわ。立場上ここから出すことはできないけど、それ以外でできる事ならいくらでも対応するわ」


 西暦よりも文明が進み、暴力的になった天蓋。その天蓋の基準でも天災と呼ばれる超能力者エスパー


「うん。ありがとう。……なんだろう、捕まっているのにすごく丁寧に扱われて、逆に驚いた」


 その天災に捕まったトモエはそんな感想を抱いていた。捕まって無理やり子供を産まされそうになったり、排泄を観察されそうになったり、一方的な愛で囚われたりと言ったことに比べれば、随分マシな環境である。


「ッ! これはッ! 新たなる辛味スコビィル道の発見ッ! スコビィル値が高いわけではないのにッ! この味わいッ! 味覚と触覚のスパイラルッ! うぉれは今ッ! 新たな境地を感じているぅぅぅぅ!」


 なおペッパーXは『タンタンメン』の味データを何度も何度も再生し、叫んでいた。座禅を組むように目を閉じて視界と聴覚を封じ、味覚と、そして触覚に全てを集中させていた。色々叫んでいるけど、集中しているのだ。


「あの……。あれいいの?」

「気にしないで。いつもの事だから」


 ペッパーXの叫びに心配するトモエに、ボイルはため息交じりにそう答えた。いつもの事なんだ。理解はできないけど、そういうものなんだと納得した。


 とりあえず二人がこれ以上自分に危害を加えることはわかったので、聞きたいことを口にするトモエ。


「じゃあ……さっき言ってたことに答えてほしいかな。私が天蓋に送られてきた先兵? 要するに侵略しに来たって話」

「演技している温度には見えないけど、本当に身に覚えがないの?」

「体温で演技しているかどうかが分かるものなの……?」


 ボイルの言葉に眉を顰めるトモエ。温度でウソとかそういうのが分かるのだろうか? 正直原理はわからないが、信用してもらえるのはありがたい。


「ジョカ様が言うには――」

<そのような奴のいう事など信じるでない! 市民ランク外のクズ肉が!>


 口を開いたボイルを止めたのは、そんな声。見れば6足歩行の機械がトモエの足元にあった。第一印象は『ハサミのないカニ』だ。白く平たいドローン。内蔵されているスピーカーから、確かに人の声が聞こえる。


<貴様らはただ超能力が使えるだけの存在だ! 朕のようにジョカ様に多大に貢献した生粋の市民ランク1と比べるべくもない堕肉! つまらぬことを言わず、朕のいう事を聞いて大人しくしていろ!>

「ち、朕?」


 あまりと言えばあまりの言動にトモエはむしろ呆れていた。朕てたしか中国の偉い人が使う一人称よね? 余とかそう言う類の。市民ランク1とか言ってたので偉い人なのはわかるけど、え? このカニが?


「えーと、この平たいロボットが市民ランク1なの?」

<ぶははははは! 知識のない蛮族の言葉だな! はるかに文明が劣るとは聞いていたが、まさかドローンと通信音声すら知らぬとは!>

「いやそれぐらい知ってるけど……ええと、ドローンを通して話しかけてきているってこと? 市民ランク1さんが?」

<不敬! 礼儀を知らぬ愚か者が! 貴様如きが朕を推測するなどおこがましいわ!  刑徒の身でありながら高貴なる存在に触れようなど万死に値する。ましてやジョカ様の思惑を探ろうなど不敬不敬不敬なり!>


 うわぁ、取り付く島もない。トモエは眉をひそめてため息をついた。視線でボイルの方を見ると、直立不動の状態で待機している。そのサングラスとマスクで表情は見えないが、先ほどまでの柔らかい態度は消失していた。


<不敬と言えばJoー00101066。貴様も朕に素顔を見せぬ不敬者だな! 市民ランク1の朕の命令を拒否するという意味を理解しておらぬのか!>

「失礼ですが、Joー00628496。私の装備は『ジョカ』から指定された正式な制服です。脱着に関しては安全面も考慮して私に一任されています。また市民ランクも私達はそこから逸脱した特別管理になっており――」

<黙れ黙れ黙れぃ! 朕の言葉は絶対だ! 朕の思考は完璧だ! 朕の二つ名を知らぬわけではあるまい! 敬意を持ち、自らを卑下しながら言ってみろ!>

「……は。『三つの完全サン・ゲ・ワンメイ』。美しき完全数を抱える『ジョカ』の市民ランク1。市民ランクを持たない私など遠く及ばぬ立場にあるモノです」


 心を殺し、そう告げるボイル。何度も何度も言わされているのか、言葉に淀みはない。


 完全数。自分自身が自分自身を除く正の約数の和に等しくなる自然数だ。例えば6の約数は1、2、3、そして6。自分自身である6を除いた1+2+3の合計は、6。そう言った数を完全数という。


 6(1+2+3=6)、28(1+2+4+7+14=28)、496(1+2+4+8+16+31+62+124+248=496)。Joー00628496にはこの完全数が3つ含まれている。ゆえに『三つの完全サン・ゲ・ワンメイ』。


 古代ギリシアのピタゴラスが定義した数で、西暦における聖書でも6は天地創造の6日間、28は月の公転周期という事で天と地を表す神の数字と言われている。天蓋には空に浮かぶ月も、特定の神を奉じる宗教もないが。また496は相対性理論と素粒子理論を結び超ひも理論を生み出す数字になったと言われ、9次元理論の基礎となった。


 それら三つの数字を含むIDを持つJoー00628496ことワイメイは『ジョカ』の中で多大なる権力を得た。自分は完璧。自分は完全。自分は完熟。自分は完成。決して誰にも劣らぬという自負が迷いを断ち切り、そして傲慢な性格を生んだ。他者を陥れて利権を得て、更にその利権をもって他人を食らって利権を得る。


<そうだ! 貴様らクズ肉など想像もつかぬ立場にあるモノだ! それを理解すれば朕に対する先ほどの暴言も恥じ、自死するほどだというのにな! それができぬ時点で貴様らは天蓋の資源を消費する廃品だ! はは、その廃品を活用できる朕の智謀に感謝するんだな!>

「……はい、『三つの完全サン・ゲ・ワンメイ』の智謀に感謝します」


 そして天蓋のバランスを崩すとまで言われた超能力者エスパーに命令を下せるほどになった。ボイルがその気になれば言葉通り秒殺できるが、市民ランクを主とした権力でそれを封じ込められる。


<ならそのマスクとサングラスを取れ>

「……っ、それは……っ」

<朕の智謀に感謝するなら当然だろう? そもそもこの『ミルメコレオ』とその防衛ドローンを貴様ら如きに貸し与えたのは朕なるぞ。朕の助力がなければ『ネメシス』の区域から『崑崙山クンルンシャン』に短時間に対象を輸送することは難しかろう。その事を忘れたか>


 違う。


 ボイルは口に出して否定したかった。逃亡経路などその気になればいくらでも用意できた。なのにワンメイが『転移者トリッパー』確保の利権欲しさに強引に割り込んできたのだ。自分の保有する電磁シャトルと、その警護施設を使えと。


 確かに電磁シャトルは速度面で秀でている。地下にある分も含めて隠密性は高い。だがそれだけだ。準備に時間がかかり、不慮の事故に弱い。ボイルとペッパーXの二名がいれば、空路だろうが陸路だろうがどんな妨害があっても突破できる。


<さあ! その無様な顔を朕の前に晒せ! 朕の美的感覚を満たすとは到底思えないが、その苦渋に満ちた声と泣き叫ぶ顔は電子酒の肴になりそうだ。堕肉如きが朕の心を満たすことができるのだから、光栄に思うのだな!>


 だが、逆らえない。様々な思惑が絡みつくのが企業だ。そしてその干渉の強さは市民ランクに大きく作用される。


(ッ、このッ――!)

(だめ。動かないで。逆らえばそれをネタに攻撃される)


 怒りのままに立ち上がろうとするペッパーXを『NNチップ』の通信で止めるボイル。社会的立場はワンメイの方が圧倒的に高く、暴力行為を揚げ足にしてこちらを不利に追いやることなど簡単にできる。ワンメイはそうして自らの権力を増してきたのだ。


「は、い」


 市民ランク1のワンメイと、暫定的に市民ランク2の権限があるとはいえ実質的には企業の鎖につながれた『兵器』扱いの超能力者エスパー。その力の差は、比べるべくもない。物理的な破壊力ではどうにもできないのが、都市国家社会メガロポリスなのだ。


(見せたくない。こんな顔、こんな体、誰にも見せたくない。だけど――)


 逆らえず、ボイルは震える手をサングラスとマスクに伸ばす。拒絶したいのに拒絶できない。逆らえばどうなるか分からない。自分をサポートしてくれるスタッフと、相棒の安全を思えば隠していた素顔を晒して罵られるぐらいは安い。


 断熱コートで身を包まないと凍傷を起してしまう顔と体。自己細胞から作った皮膚交換をしても、超能力の副作用でまた凍傷を起してしまう。誰もが顔をしかめる凍傷だらけの顔と体。ワンメイの言う通り、醜く指さされて嗤われる体。


(嗤われるのは慣れている。慣れないと。我慢しろ、私)


 震える手が、ゆっくりとボイルの素顔を――


「やめなさい、この白カニ!」


 ――晒す前に、トモエの蹴りがカニ型ドローンを蹴っ飛ばした。


<ふんぎゃ!? 視界が揺れて気持ち悪い! おい、市民ランク1の朕が操るドローンに何をするのだ!>

「何をするじゃないわよ! 嫌がる女の子の顔を見たいとかどんだけ最低なのよアンタは! コジローでももう少しデリカシーはあったわよ! サイテーのサイテーね!」


 蹴った足の痛みを押さえながらトモエが言う。勢いで蹴ったけど、後悔はしていない。強いて言えばミニスカだからショーツ見えたかも。恥じらいをその場の勢いで誤魔化し、指さすトモエ。


「ジョカとかフッキとかワンタンメンとか知らないけど、女を泣かせて喜ぶヤツはコジローが一刀両断してくれるんだからね! 覚悟しなさい!」

<こ、こじろー? ふん、貴様のドラゴンの名前か。だがこの場所を知るすべもあるまい。そして朕自慢の防衛ドローンを突破できるモノなど――>


 いるはずがない、というワンメイの言葉はアラート音でかき消えた。いるはずがない戦力が、こちらに向かっているのだ。


<馬鹿な!? 何故この地下道の存在が分かったのだ!?

 そして何故朕の警護ドローン網を突破しながら進軍できる!? おい、どういうことだ! 数は……クローン3機だけだと!? あり得ぬ!>

「対象の情報をこちらにください。早期に対処すれば鎮静は可能です」


 アラート音で意識を切り替えるボイル。危険性があるなら即排除。それが最適解。今すぐボイルとペッパーXが出れば、事態は難なく抑えられただろう。狭い通路内でボイルの火力は圧倒的だし、ペッパーXは相手の感覚を支配して複数を一気に無力化できる。


<黙れぇ、カス肉如きにくれてやる情報などない! 朕の権力と財力をもってして集めた軍勢で全て納める! ジョカ様に朕のすばらしさを伝えるためにな!

 超能力者エスパーなどに手柄を納めさせはせぬ! 朕がいればすべて問題ないのだ! 低ランク市民の腐肉は大人しく自分の無能を噛みしめていろ!>


 だが、そうはならない。『完全』なるものにミスはない。そのプライドがその機会を奪う。事実、この地下道に配備したドローンは数名のクローンごときに負けるような武装ではない。


 だが、ワンメイは知らない。この時点ではボイルもペッパーXも知らない。


 ――今攻め込んできたクローン達は、一騎当千百戦錬磨の武力を持つクローンなのだと。

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