いやそれはさすがにねぇだろ
西暦における料亭などの高級料理店は、主に個室に力を入れている。
広い空間に整えられた配置という食事を楽しむ者に配慮したこともあるが、その真価は接待や商談、要人同士の密談を行えるという事だ。他の人に聞かれたくない話。記録に残したくない約束事。そう言ったことを行うために行われる。
どれだけ時代が発達しようとも、こういった秘密裏な場所は残り続ける。電子上のやり取りは消すことも改ざんすることも可能なため、便利ではあるがこういった用途には向かない。『外に話が漏れない』事に価値があるのだ。
コジローが『働きバチ』に連れてこられたのも、そう言った店だ。『ネメシス』の区画一つを全て使った巨大ビル。部屋一つ一つがコジローの住む部屋の数倍の広さがある店だ。エントランスからして高級感漂う雰囲気である。
<いらっしゃいませ>
「いつもの部屋を」
<かしこまりました>
優雅に一礼する店員。『NNチップ』によるクレジットのやり取りが行われると同時に、エレベーターの扉が開く。エレベーター自体は定員数名程度の小さなものだが、それらが壁全てに備わっている。
<こちらの都合により、エレベーターが止まる可能性があります>
「どういうことだ?」
「客同時のバッティングを避けるためだ」
「バッティング?」
「この店を利用するのは多額のクレジットを動かせる企業上役だ。会談メンバーが暴露されただけでも企業に多くの損失がでる。それを防ぐために細心の注意が払われる」
「責任ある方々は大変だね」
理解できない世界だぜ、とコジローはため息をつくが『働きバチ』は淡々とその言葉に返す。エレベーターの扉が閉まり、動き出すと同時に口を開く。
「カシハラトモエの話もそのレベルだ」
「企業上役がトモエを狙っているって話か?」
「いや――企業そのものが狙っている」
どういうことだ、と問い返そうとするコジローを、手のひらを向けて制する『働きバチ』。これ以上はエレベーターで話すつもりはないらしい。
エレベーターが止まり、扉が開く。その先には黒い空間に点々と小さな光がある部屋だった。歩くのに支障がない程度に薄暗く、会談用に小さなイスとテーブルがある。トモエがいれば『プラネタリウムかな?』と言っていたところだろう。
「もう少し明るくて装飾がある部屋を想像していたぜ。こういうのも悪くはないな」
「気に入ってもらえてありがたい。『イザナミ』の『茶室』も静かでおすすめだ」
「へえ。アンタこういう静かな方が好きなのか。確かに無駄を好みそうにないしな」
「そうだな。では無駄なく話をしよう」
コジローが着席したのを確認し、『働きバチ』も椅子に座る。テーブルの上に置かれたカップには程よい香りがするお茶。市民ランク2以上にしか手に入れられない飲料水だ。この一杯だけで、コジローの二か月分の収入が飛んでいく。
「先も言ったが、カシハラトモエは企業そのものに狙われている」
「その言い方だと、五大企業の一つが狙っているって聞こえるぜ。企業内のクローンが利益のために狙うんじゃなく、企業自体がトモエを求めているってことか?」
「そうだ。『ジョカ』そのものが総出となって、カシハラトモエを捕えようと動いている」
五大企業。
それは天蓋そのものと言ってもいい。天蓋で作られるモノ、電子世界や現実世界でのサービス、流通などのインフラ。その全ては企業がないと成り立たない。企業無くして天蓋はなく、企業の敵は天蓋の敵なのだ。
とはいえ、基本的には多くの規則や利権、クローン個人の思惑などが絡むため、企業自体が一個人に牙をむくことはない。5つの企業がそれぞれを監視する形でバランスを取り合っていることもある。
「いやそれはさすがにねぇだろ」
なのでコジローがそういうのも仕方のない話だ。ギャングやマフィアのような反企業組織が相手でも、企業は治安組織を形成してその突出を押さえるにとどめる。そう言った組織もある程度は企業の利益になるのだから。そしてそれさえも許容できないクローンには『国』と呼ばれる逃げ場まで与えるほどなのだ。
「事実だ。『ジョカ』から複数の
「あんたらみたいにか?」
「あの時の規模を持ったチームが40近くいる事を除けば、その通りだ」
皮肉を言うコジローに、淡々と言葉を返す『働きバチ』。嫌味が通じねぇな、と心の中で愚痴るコジロー。
「あのおっさんももしかしたらそう言うのに雇われたのか?」
「流石に他企業の治安維持組織まで雇うとは思えない。Ne-00089603は『ジョカ』とは無関係だとみていいだろう。『
「ふざけんなよ」
『ジョカ』に拉致されないからと言って、あのおっさんにいいように扱われるのがいいなどとはとても思えない。そもそもあのおっさんの事だ。金になると分かればあっさりトモエを引き渡すだろう。
「カシハラトモエの子宮及び内分泌ホルモンに価値があるとはいえ、ここまでの規模で企業が動くのは異常だ。他企業もけん制のために動いている」
「そしてアンタもか。御苦労様だな。そこまでしてあいつの尿が欲しいのか」
「要不要で言えば必要だが、Ne-00339546との戦闘というリスクを冒すほどでもないというのが上司の判断だ」
「へえ、俺と戦うのがイヤだってのか。そいつはありがたいね」
「個人的なことを意見を言わせてもらえば」
企業のために動く『働きバチ』は、お茶に口を付けた後でコップを手にしながらコジローを見る。
「次は負けない。『ネメシス』の名にかけて」
そして自分が忠誠を誓った企業の名をかけて、負けないと宣言した。
「いいね、そのセリフ。殺意ってヤツが伝わってくるぜ。何なら今ここでやるか?」
「断る。理由は三つ。事例が下っていない事。ここは静寂の場であること。そして話はまだ終わっていない事だ」
「そりゃ済まないね。多くの企業がひしめているって話だったか?」
コジローもここで戦う気はない。手を振り、『働きバチ』の話を促した。
「動いていると言っても基本は水面下での活動だ。『ペレ』『イザナミ』『カーリー』はけん制程度。『ネメシス』は膝元を守る程度だ。『ジョカ』が引けば正常化するだろう」
「なんだってそんなことになったんだよ。トモエの事をいまさら知ったとかそんなのか? だとしても企業自体が動くとか異常だろうが」
「不明だ。『ジョカ』にいる市民ランク1が結託したというのが最も有力だが、それにしてもこの数を導入できるとなると、かなりの規模の結託だろうな」
「そんだけの規模で動いてるのかよ」
想像すらできない、とばかりに手をあげるコジロー。企業は天蓋そのもの。たとえるなら自分が立っている大地そのものが襲い掛かってくるようなものだ。或いは空気そのものが害意をもって包んでくる。とにかく対処の使用がない。
「目的がカシハラトモエの拉致である以上、対抗する手段はある。少なくとも『ネメシス』の支配圏内で『ジョカ』の構成員が大規模な武力蜂起を行うことはないだろう」
「それでも今いる全員どうにかしたところで、すぐにお代わりが来るんだろ?」
「無論だ。『ジョカ』が諦めない限りは、この緊張状態が続くだろうな」
個人的な戦闘力で圧倒しても、企業には潤沢な物量がある。どれだけバケツが大きく高級でも、海の水を全て掬って移すのは現実的じゃない。
「話ってのは俺に諦めて手を引けってことか? 企業同士のけん制に口出しするなってか?」
「数日前までならそのつもりだった。下手な介入は『ジョカ』を刺激する。今のバランスを崩すような行為は控えてもらうつもりだった」
「だった?」
過去形になっていることを問い返すコジロー。『働きバチ』は一瞬額に指を置き、気分を落ち着かせるためにコップを口に運んだ。
「IZー00210634を知っているな」
「あの酔っ払い姉ちゃんか?」
いきなりの話題転換に眉を顰めるコジロー。ムサシのIDだ。断定口調で言うあたり、いろいろ情報は筒抜けなのだろう。むしろ企業のために全てを捧げた
とはいえ『働きバチ』はムサシと同じ企業の『ネメシス』製クローンだ。企業に精通しているなら、ムサシの事情を知っていてもおかしくはない。
「そうだ。過日カシハラトモエを襲った『デウスエクスマキナ』における暴動事件の渦中にいて、Ne-00339546とフォトンブレードで斬り合って特注の腕を斬られ、更には胸を揉んで押し倒した女性型クローンだ」
「……その情報、必要か?」
「勘違いがあっては困るからな」
「一部誤情報だ。情報源に注意しとけ」
情報源はナナコだろう。間違ってはいないが悪意を感じる。胸を揉んだ経緯とか結果とかを面白おかしく伝えたに違いない。後で問い詰めるか。
「腕斬ったのと胸揉んだ賠償をしろってか? あいにくとそんなクレジットなんかないぞ」
「それは規則部の仕事だ。代理請求の指示が来れば取り立てる。クレジットがなければ、強制労働および各種細胞の売買だ。なお予想金額は精神的慰謝料を含め――」
「やめろ。言葉通り骨の髄まで吸い尽くされても支払えそうにないのはわかってるから。というかあの姉ちゃんが何だって言うんだ?」
聞きたくない話から離れるように話を戻すコジロー。骨髄さえも売買対象の天蓋医療。クローンの体は無駄なく再利用されるのであった。
「IZー00210634がカシハラトモエの店に雇われた」
『働きバチ』は変わらぬ口調で告げる。それ自体はコジローが知っていることだ。だからどうしたんだよ、と問いかけようとする前に『働きバチ』は額に手を当てて沈痛な表情を浮かべた。
「『イザナミ』の
バランスは大きく崩れて、一触即発状態だ」
どうやら状況は色々待ったなしのようだ。
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