人手足りなーい!

 数字的に物を考える時、母集団は無視できない。


 母集団。数字的に調査する際、その調査対象の元となる集合全てを指す。そしてその集合の中から観測したいものを標本という。ざっくりといえば、調査した数全部。分数で言えば、分母に当たる数だ。


 例えば『1から10までの数字の中から素数を探す』という場合、標本は『1、3、5、7』であり、母集団は『1、2、3、4、5、6、7、8、9、10』となる。


 母集団が増えれば、当然観測できる標本も増える。例えば『今日訪れた客の中で問題を起こしたクローン』という観測をしたい場合、客数が多ければそれだけ問題を起こす客も増えてくるという事だ。


「天蓋の人、粗暴すぎるわ……」


 トモエは今日起きた問題を確認し、机の上に突っ伏した。


『店外で喧嘩したクローン数:14名』


『店内で喧嘩したクローン数:45名』


 ざっくり分ければこの二種類だ。食い逃げなどの金銭トラブルは皆無である。クローンは『NNチップ』を通した事前支払い形式なので、味データを買う前に逃げるという事はできない。


 なお会計は全てツバメが管理していた。『俺のNNチップなんだけどなぁ』とコジローはぼやいていたが、ぼやくと言うよりは自分よりトモエを手伝っている相棒に嫉妬している感じだった。


 今日一日の客数が418名。10時間経営なので、1時間で40名相手にしたことになる。50名のバイオノイドでなら、休憩を入れながらで不可能ではない数字だ。開店から二週間。売上含め、好調なのは間違いない。


 ただし想定外のトラブルが多すぎる。15%弱のトラブル率は天蓋ではまだ少ない方だが、それでも母集団が多ければ標本数も多くなる。


 店に入れず行列で待っている間に、順番を抜かそうとサイバー武器で暴れるクローン。クレジットを使って順番を取引しようとするクローン。路上で脱ぎだし、色気で順番を交換するクローン。店外のトラブルはまだ大人しい方だが、それでもバイオノイドに押さえられるものではない。


 店内のトラブルはその比じゃない。トモエの味データを展開して興奮したのか、味データの秘密を店員を掴んで聞こうとしたり、隣の客が使った味データは何だと暴力的な交渉を行ったり実際に殴り合ったり、執事服着たバイオノイドに性癖を刺激されたのかおさわりして店の外に連れ出そうとしたり。後は――


「ワシは市民ランク3だぞ! バイオノイド如きが口答えするな!」


「タワーに住む市民ランク2が味データを独占したいと言っています。よこせ」


 地位を盾にして大きく出るクローン。店内でトモエの味データを知り、その価値を独占しようと露骨に圧力をかけてくるのだ。これはさすがにバイオノイドでは抵抗できないので、トモエが対応することになる。とはいえ、やることはただ一言告げるだ。


「そう言ったお話はビルオーナーの方にお願いします」

「オーナー……Pe-00402530……だと!? ふん! 今日の所はこれで勘弁してやる!」

「むむ。それは仕方ありませんね。お互い良き商売をしましょうとお伝えください」


 ニコサンの名前を出すと、何故か手を引っ込める。どんな影響力あるんだよ、ニコサン。ともあれ市民ランクを盾にする相手はこれでどうにかなるが、物理で暴れたりエロ攻撃しようとする相手は口では止まらない。


「おー。トモエ……お疲れさまだぞ……」


 ガチャリと扉を開けて入ってくるネネネ。いつも元気いっぱいなネネネだが、もう限界とばかりに疲弊していた。


 然もありなん、物理的なトラブルにはネネネが対応していた。シッポワイヤーこと『アルシュー』とバイオ義肢『デンコウセッカ』でトラブルがある場所に疾走し、義肢から生えた炭素刃でトラブルを一刀両断していたのだ。


 強い相手がいたわけではないが、とにかく数が多い。客が多ければトラブル数も増え、その分ネネネも走り回ることになる。しかもトラブルがいつ起きるか分からないので、ネネネの休憩は途切れることもある。


「お疲れ、ネネネちゃん。大丈夫?」

「アタイは大丈夫だぞー。明日も頑張るぞー」


 用心棒として活躍するネネネだが、明らかにいつもの元気が消失していた。トモエの方も似たようなものだ。机に突っ伏した状態でスマホを弄り、メールやらメッセージやらの処理をしている。


『今日の売り上げも上々ね! この調子で明日も頑張ってね♡』


 ニコサンの激励に苛立ちを感じ、いけないいけないと頬を叩く。ニコサンに悪意はない。むしろ50名のバイオノイドを救おうと手を差し伸べてくれたのだ。むしろ売上げがいいのは喜ぶべきだ。喜ぶべきなのだが……。


「人手足りなーい! 働くってこんなに大変だったのね!」


 売上を始めとした計算はツバメが担ってくれるし、経営はニコサンがアドバイスしてくれる。トモエの立場はどちらかというとバイトリーダーだ。現場を回すために指示し、トラブルに対応するために動き回る。


 なので『まあ出来そうかな』と思ってはいたけど、実際に働けば想像しなかったトラブルが起きるのはどの時代でもある話。でも、だからって……。


「店の中で銃を取り出して脅してきたり、服脱いで従業員誘惑するとか、普通想像できるかー!」


 2020年代の日本を生きたトモエからすれば、信じられないことだ。西暦時代でも日本より治安が悪い国があることは知っているけど、それでもここまで酷くはないはずだ。


 一応言うと、こういったトラブルを想像できなかったのはトモエだけだ。


「なあ。俺もなんか手伝おうか? 変な客とが暴れるだろうし」


 事前にコジローはそう言ってくれた。その時は冗談と思って受け流していたが、まさかここまで頻発するとは。『暴れるかもしれない』ではなく『暴れるだろうし』とほぼ起きるだろう言い方をしたことにあの時気付いていたら。


「……いや。あの格好をコジローに見られたら、死ぬ」


 萌え萌えネコネコメイドの自分を好きな人に見られる。そのシーンを想像してトモエは顔を赤くした。どんな反応するだろうか。むしろ何の反応もなかったらそれはそれでショックなんだけど。あの野郎ならありうる。ともあれ今更コジローに頼る案はなしだ。


「とにかく、トラブルに対応できる人員が少ないのが問題なのよね。現状ネネネちゃん一人だけだから、負担が多すぎるわ」


 ネネネのスペックに不満があるわけではない。むしろ逆で、ネネネ並の戦闘スペックを持つクローンはそうそういない。人ごみを飛び越えて縦横無尽に三次元を移動し、迅速にトラブルに対応する。適任と言ってもいい。


 それでも手が回らないのだ。とにかく数が多すぎる。


「ナナコは助けてくれる気はないみたいだし……。あのエロ警官め」


 ナナコは2日に1度ぐらい来てくれるけど、その度にトモエの格好を見て大笑いするのである。


「うはははははは! トモエ、そういう商売するなら許可必要っすよ!」

「ちがうから! ウェイトレスさんのおさわり禁止! ここは味データを売って、くつろぐ場所なの!」

「マジっすかー。その格好を見るだけで触れちゃ駄目とかどんなプレイっすか」


 などとからかいはするが、ナナコは定期的にトモエの監視と警護を行っているのである。トモエ周りでいろいろ動いているのを感じ、『KBケビISHIイシ』はナナコを再配置したのだ。トモエが気付いていないだけで、実は変装してほぼ毎日通っている。


(めんどくせーっすねぇ。でも表立って拉致……保護すると他組織を刺激するし。この距離を維持しつつ監視と警護とかなんなんすか。毎日並んで店に通えとか……まあ、味データは想像以上にすごいんでいいっすけど)


 トモエを物理的に狙おうとする者はいないが、何せこの客数だ。全部を把握できるわけではない。正直、効率は良くない。でも動いている相手の情報が分からない以上、大きく動くのも危険なのだ。


 ナナコの仕事はトモエが知る由もない。ニコサンあたりはわかってて放置していそうだが。


「やっぱり誰か雇うしかないのかなぁ……? でもこんな物騒なことを頼める人って……コジロー以外にはいないし」


 強い人の知り合い、を脳内検索した際に真っ先に出た相手を弾くトモエ。うん、コジローに笑われたらもう立ち直れそうにない。笑いはしないだろうけど、デリカシーのない事は言いかねない。っていうか言う。言われたら乙女の沽券にかかわる。


「用心棒のアルバイトってどこで募集するんだろ? そう言う組織とかあるのかな?」

<各企業には専門職がいます。企業に属していればそのサービスを受けられます。このビルは『ネメシス』の支配地にありますので、お勧めは『重装機械兵ホプリテス』『英雄船団アルゴナウタイ』『螺旋蛇の医者連盟アスクレピオス』などでしょう>


 トモエの問いに答えるツバメ。それに露骨に嫌な顔をするトモエ。


「『重装機械兵ホプリテス』って……この前助けに来なかった警察でしょ? そんなの信用できるの?」

<契約金を払えば応じてくれます。クレジットは――>

「みかじめ料じゃないの。分かっていたけど」


 ツバメの説明を遮るトモエ。バイオノイドは天蓋では社会的地位が低い。それを守るなら金を払え。差別もいい所だが、それが天蓋なのだから仕方ない。


「っていうか何で医者なの?」

<何かあった際、迅速に治療してくれますので>

「……治安だけじゃなく医者さえもお金次第とはおそれいったわ。何とかの誓いは遥か過去ってことなのね」


 ヒポクラテスの誓いの事だろうか。ともあれお金があれば安全も医療倫理さえ買えるのだ。分かってはいたけど、天蓋のモラルと西暦のモラルを比べちゃいけない。


 とはいえ、このままではいけないのは事実だ。ムカつくけど頼るしかない。そう考えていたトモエの耳に、軽快な電子音とツバメの声が届く。


<メッセージが届きました。IDはIZー00210634です>

「えと……ムサシお姉さん?」


 脳裏に浮かぶのは酔っ払ったムサシの姿だ。二刀流の剣士。コジローが好きという恋敵。そのおっぱいでコジローを誘惑する酔っ払いお姉さん。……とはいえその1点を除けば、ムサシに悪感情は抱けないでいた。


 ムサシからメッセージが来るのは初めてだ。そういえばあの事件の後に店に来るとか来ないとか言ってた気がする。『店ではお酒禁止!』というとすごく悲しい顔してたけど。


<やほー。トモエちゃん、そろそろお姉さんを雇いたいとか思ってない? そんな未来が見えたんだけど>

「どんな未来よ、それ?」

<えーと、お姉さんに店のトラブルを解決してほしいって頼む未来? お礼は味データでって感じの未来だけど>


 未来が見えるムサシ。遠い未来はランダムで見れるらしいが、そんな未来を見てトモエにメッセージを送ったようだ。確かに渡りに船だし、支払いがクレジットじゃなくていいのは大きい。そして何より、実力はコジローと並ぶときた。


(むしろ、未来が見えるとかいってるんだから事前に動けてすごくない? あれ? もしかして最適解じゃない?)


 トモエは思わぬ助け舟にうなずいていた。人手不足という事も含めて、断る理由なんて何一つない。


 ――もっとも、ムサシが見た時点でそうなる未来は確定しているのだけど。

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