えと、その……お、おっぱい揉む?

 電子酒は脳内を酩酊状態にするようにする電子データである。


 理性を司る大脳皮質が活動を制限され、本能や感情部分である大脳辺縁系の活動が活発化する。これにより理性で抑え込めることが難しくなり、ただ思うままに行動するようになる。これが酔いの脳内状態だ。


 アルコールなどでこの状態になる場合、酔うまでのアルコール量には個人差がある。アルコール分解能力の違いだ。いわゆる酒の強い弱いである。


 体内に入ったアルコールはアセトアルデヒドに分解され、血管を通して呼気や尿や汗などに排出される。しかし分解および排出されずに脳に循環した場合、神経細胞を通して『酔う』状態になる。


 分解能力の個人差はアルコールデヒドロゲナーゼアルコール脱水素酵素アルデヒドデヒドロゲナーゼアセトアルデヒド脱水素酵素の塩基配列の違いなどが要因と言われている――閑話休題。


 電子酒はただの電子データでアルコールによる神経刺激はない。あくまで大脳皮質の活動を制限するようにしているだけだ。その気があればすぐに解除できるし、二日酔いもない。


 過剰な酩酊状態に陥り前後不覚になった際、『NNチップ』からの警告が生じる。ただ『NNチップ』はクローンのサポートが目的であり、クローンの行動を制限はしない。最終判断はクローンに任せられる。


<酩酊状態です。これ以上の電子酒の使用はお勧めできません>

「おっけーおっけー。じゃあ次行ってみようか!」


 が、理性が抑えられて本能と感情が表に出た状態でそんな警告に従えるはずもない。よほどのことがあれば酩酊状態を解除するが、理性が薄い状態では快楽には抗えないものである。


 結論を言えば、酔っ払いは理性が薄くなって感情的になっているという事だ。


「飲みねえ飲みねえ! クレジットはお姉さんが持つからね! いくらでもダウンロードしなさいな! 今日は愉しい電子酒が飲めそうだ。飲めや歌えや今宵は天国! 明日は地獄でも気にするな! 今が良ければそれでよしってね!」

<長期的な計画を練るのも悪くはないが、今を楽しむこともよし。その刹那的な思考を吾輩は否定はせぬぞ。時には何もかも忘れるのもいいものだ。事、素晴らしき出会いの後はな>

「違いない。いい出会いに乾杯ってな!」


 ムサシ、カメハメハ、コジローの宴は続く。普通のクローンは仕事中の時間帯だ。真面目なクローンからすれば眉を顰める行為である。だが咎める者はいない。少なくともコジローは市民ランク2である若旦那からの仕事の最中なのだ。


「うんうん。この時間にこれだけ騒がしいのは久しぶりだねぇ。普通はお仕事だもんね。お姉さんはいつもこの時間は寂しく一人酒。悲しいなあ悲しいなあ」

「そりゃ真面目なクローンはこの時間は仕事だからな。むしろアンタはいつも飲んでて大丈夫なのか? クレジットもそうだけど」

「あらあらぁ? お姉さんに興味津々? んふふー。お姉さんの事がもっと知りたいの? もー、しょうがないなー」

「うわうざってぇ」


 顔を赤らめながら問いかけるコジロー。午前中から酒を飲むだの、この前は店のお代を全部持つだの、コジローの財布事情だと信じられない。素性を探るわけではないが、疑問に思うのも仕方のない事だ。


「こう見えてもお姉さんはクレジットを沢山持っているので大丈夫。さっきも言ってた武芸でお金を稼ぐってやつさ。まあまっとうな大会ばかりじゃないけどね! ちょいと『KBケビISHIイシ』にバレたらお縄食らいそうなこともしてるけど!」

<ほほう。詳しく聞こうか?>

「やだなぁ、機械化至上主義メカ・スプレマシーはお硬くて。お姉さんのおっぱいみたいに柔らかくて暖かく包み込まないと。

 あ、おっぱい揉む?」

「揉まない。って言うかそこの旦那は『カプ・クイアルア』だぜ。治安組織のお仕事だから硬くて当然だろう」


 なぜかこっちに胸を突き出すムサシにあっさり返すコジロー。溶けかかった理性が本能に負けかけたけど、ギリギリ耐えた。いつものやり取りがなければアウトだった。


「むぅ。そっちのお兄さんは相変わらずだなぁ……相変わらずなんだっけ? っていうかお兄さん初見だっけ? お姉さん、人の名前は結構覚えるんだけどなぁ」

「初めて初めて。アンタみたいな酔っ払いは初めてだぜ」


 このやり取りも慣れたものだとコジローは頷く。3分前までの会話など酒の熱に流れて消える。会話に意味がないのが酔っ払いだ。


「そうかそうか。ところでお兄さんのフォトンブレード捌きはすごかったねぇ。それにブシドー? 昔々の教えを知ってるとかたいしたもんだよ。もしかして時空転移者タイムトリッパーかな?」

「なんだよそれ。どっかのJKか? 俺は古典ラノベで知った知識を実践してるだけだよ」

<吾輩も興味があるな。西暦時代の伝承を元に肉体を鍛え上げし戦士。機械体の機能美も素晴らしいが、鍛錬を重ねた肉体もまた美しい。ふ、次に戦うときには新たな腕を換装して挑むとしよう>

「換装式かよ、その腕」


 カメハメハの言葉にうめくコジロー。次に出会った時は6本腕とかになっているんじゃないだろうか。笑いながら6本腕で攻めてくるカメハメハを想像して背筋に悪寒が走るコジロー。


「ビビることはないよお兄さん。お兄さんの鍛えた剣術は基礎ができている。如何なる状況でもその基礎を忘れない限りは対応できるものさ。お姉さんもゾクゾクしたもんね。久しぶりに本気でやり合いたいって思ったもんさ」

「ああそうかい。っていうか俺とやり合ったの覚えてるのか?」

「お互い殺すつもりじゃなかっただろうけど、お姉さんの魂に刻まれてるよ! 幾星霜幾世代幾世界を超えても忘れることのできない一瞬! 刹那に感じる攻防の中で感じた震えるような刺激! かぁ、どんな電子酒でも感じられなかった本能の発露だったね!

 あ、おっぱい揉む?」

「揉まない」


 頬に手を当てて歓喜するように叫ぶムサシ。その後でいつものやり取り。


<矛盾指摘。会話の内容からIZー00210634はNe-00339546の事を強く記憶しています。先ほどの会話と齟齬があります>

「酔っ払いの会話だからな。真面目に考察するのも面倒だ」


 脳内に響くツバメの指摘に言葉なく返すコジロー。同じことはコジローも思っていたが、指摘しても適当にはぐらかされるだけだ。ダウンロードした電子酒を展開し、更に脳を麻痺させる。


「強いで言えばアンタも『カプ・クイアルア』の旦那もたいしたもんだろうが。機械による戦闘ルーチンの形成をベースにした戦闘。しかも単純なルーチン任せじゃなく、状況に応じて動けるようにカスタマイズされてるし」


 フォトンブレードを交えた感覚を思い出しながら喋るコジロー。


「旦那の方は機械腕による多彩な格闘技術。近距離中距離に対応しつつ、遠距離からの射撃には腕からの噴射で一気に距離を詰める戦い方だ。隙がない上にフォトンシールドの張り方を含めた防御も並じゃねぇ。相手の位置さえ補足できているならスナイパーの狙撃でも対応できるんじゃないか?

 敵陣に飛び込み一気に暴徒を鎮圧する。それに特化した突撃系って所か? 状況に応じて腕を付け替え、様々な戦場に対応する感じかね」

<――ほほう。あの一戦だけでそこまで見切るか。さすがは吾輩が戦友ライバルと認めた男ぉ! よし、飲め! 今日はもう任務を忘れよう! この酒は格別だぁぁぁぁ!>


 コジローの感想に涙を流し――カメラアイからレンズ洗浄用の液体が流れている。そういう機能のようだ――叫ぶカメハメハ。さっきまではムサシを探るような発言もあったので『カプ・クイアルア』の任務中だったのだろう。


「アンタの二刀流ブレードは古典ラノベにあった三つの先ってやつだな。相手が動くのに合わせて攻める『後の先』。攻めるぞと言葉や行動で誘導する『先』。そして事の起こりを察してその先に攻める『先々の先』。戦闘ルーチンやサイバーレッグのオートバランスによる重心維持はそのサポートでしかねぇ。

 酔って前後不覚でいい加減でその場かぎりに見えていざフォトンブレードで斬り合う瞬間には恐ろしいぐらいに読みあいを始め、攻撃そのものが次の攻撃の誘導になってたりする。選択肢が狭まっていく恐ろしさだぜ」


 ムサシの方を見ながら戦った感想を告げるコジロー。ちゃらんぽらんに見えて攻める時は鋭い理性と読み。剣術における『三つの先』を忠実に守った攻めの剣術だ。相手が何かする前に勝負を決める智謀の剣術。


「…………おう。あ……うん……」


 言われたムサシは言葉通りの酔狂な口調が途絶え、忘我していた。そんなことを言われるなんて思わなかった。そんな顔だ。告げる言葉を失い、ぽかんと口を開けている。頬が熱いのか手で押さえ、紅潮した頭をぐらぐらさせた挙句、


「えと、その……お、おっぱい揉む?」

「揉まない」


 言葉に詰まっていつものやり取りをするムサシとコジロー。


「いや違うんだよ? お姉さんと戦った相手にそんなこと言われるとは思ってなくて。いつもなら『お前と戦うと面白くない』とか『なんだよそのデタラメ』とか『選択させないとか卑怯すぎる』とか罵られることが当たり前だったからねえ。

 ……その、そういう意味……じゃないよね? あ、でも恐ろしいとか言ってたからそういう意味、かな?」

「いやまあ確かに追い詰められて恐ろしくはあったけどな。でも戦闘なんてそんなもんだぜ。選択肢が狭まろうがそれで手がなくなるならそいつの修行不足だ。そいつを相手にぶつけるとかブシドー的になってないのさ。

 アンタとの戦いはブシドーを培ういい経験にはなったぜ。それは確かだ」


 忌憚ないコジローの言葉。ムサシはそれを聞いて目の部分に手を当てる。目からあふれる激情を制御しようとしながら、今の感情を保存するように笑みを浮かべていた。


「ふ、ふふ、ふへへへへへ。嬉しいねぇ、お姉さんの事をそういうふうに思ってくれたなんて。ホント、今日のお酒はいい感じでお姉さんの涙腺に響くよ! うんうん、心残りがあるならさっき戦えなかったことだね! あ、今から一戦どうだい!?」

「いやだよ。店の中で暴れるとそれこそ旦那にお縄だぞ」

<ふはははははは。吾輩も滾っているからな。店を出てからならいいのではないか? 『ペレ』であれば許可を取れば街中での私闘ができる区域もあるぞ。『ネメシス』にはないのか?>

「ねえよ。『ペレ』物騒だな!」

「もうお姉さんは嬉しくてたまらないね! お兄さんの名前は覚えたよ! ……あれ? 覚えてなかったっけ? お兄さんどっちだっけ?」

「クソぅ、自分より厄介な奴がいると満足に酔えねぇなちくしょう!」


 グタグタな酔っ払い同士の会話。そこに意味なんてあるはずがない。このままグダグダと続いていく。


 ――酩酊状態のコジローもそう思い、ムサシがなぜここまで感涙したのかを深く考える余裕はなかった。

 

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