揺れる想い。苦しい呼吸。乙女の葛藤

『そう! 味覚データを使ったビジネスをするのね! いいと思うわ!』


 スマホのスピーカーから聞こえてくるニコサンの声。トモエはその声に拳を握った。天蓋の常識に鑑みても、味覚データの売買は問題はなさそうだ。


「あの、それで相談なんだけど……ライブセンスを貸してほしいの。私の脳の中にある味覚? それをデータ化する……でいいのかな? とにかくそういうことをしたいんで」


 トモエ自身、本当にそれができるか分からないという顔だ。然もありなん。トモエからすれば自分の脳内にある者がデータとして形になるなど想像の出来事だ。妄想した絵が形になるとか夢の技術である。ましてや味覚ならなおのことだ。


『いいわよいいわよぉ! むしろ融資の物資に加えてあげたいぐらい! 正直、ワタシには使い道のないものだもの! トモエちゃんの役に立つならいくらでも使ってちょうだい!』


『NNチップ』を用いれば脳を直接刺激することでライブセンスと同じことができる。フルダイブVRの先駆けとなった機械は、クローンならだれもが持っている機器の劣化版でしかない。


「あはは……。ありがとうございます」


 とはいえ、ニコサンの趣味は西暦時代の物を集めることだ。ライブセンスもそれに含まれる。なのにそれを手放してくれるというのはすごい事だ。どれぐらいの金額なのかとか考えて、首を振った。それだけニコサンはトモエに期待しているのだ。


「すぐに……とは言えないけど、借りは返します」

『ふふふ。それはあくまで目標の一つでいいのよ。トモエちゃんがやらないといけないのは、ついてきてくれるバイオノイド達を世話できるだけのクレジットを稼ぐこと。先ずはそこからね』

「まあ、それは……そうですよね」


 今トモエを始めとした50体ほどのバイオノイド。これを食べさせていくにはクレジットを稼ぐ必要がある。ビルの賃貸料も安くはない。ニコサンは言葉に出さないが、結果を出さなければ切り捨てられるだろう。


「まさかバイトとかそういうのを無視して、いきなり経営主になるなんて思いもしなかったなぁ……」

『何事も経験よ。失敗してもやり直しがきく段階で引き返せば何とかなるわ』


 さすがに遥か未来世界に来て騒動に巻き込まれる経験はないだろうわよ、と心の中でため息をつくトモエ。その事はもう受け入れたので、ため息は心の中だけで済んだ。正直、落ち込んだり寂しくなる余裕もない。


『それにしても味覚データとはね。意外だったわ』

「意外? ニコサンはどんなのを予想していたの?」

『西暦時代の経験を映像化してエンタメ化したら面白いと思ったわ。何かあったらどこからともなく音楽が流れていきなりみんなで踊りだして、そこから事件を解決したって話じゃない。面白い文化だと思うわぁ!』

「……まあその、インド映画は確かに面白いと思います」


 西暦の映画を何も知らない人が見たらこうなるのかぁ。説明するのも面倒なので、誤解を抱かせたままにした。


『あとはトモエちゃんの恋の経験とかも見たいわね。西暦時代の恋愛っていろいろ焦れ焦れするって聞いたわ。ストレートに言うんじゃなくて、ワビサビ? そんなあえて待つ恋愛。ワタシもしてみたいわぁ!』

「わびさびって言うか、確かにいきなり好きとか言う恋愛はなかったかな。って言うか私もそこまで恋愛経験ないって言うか……」

『うふふ、今のトモエちゃんはコジローちゃん好き好き一直線だもんね』

「……っ!? そ、それよりも、ニコサンは西暦の文化を出すことは予測していたのね?」


 いきなり心の奥底を暴かれて、強引に話を変えるトモエ。気まずそうに隣で話を聞いているネネネの方を見る。


「アタイもコジローの事が好きだぞ!」


 ストレートに好意を言うネネネ。仲間仲間とばかりに笑顔を向けられ、自分が少し恥ずかしくなるトモエ。天蓋だとこれが普通なの? そんなことを考える。一夫一妻。自分だけを好きになってほしい。その考えは異端なのかもしれない。


(……そうなのかも。そもそも、私は異物で、クローンはクローンと結ばれるのが、普通で……だめだめ。ネガティブになってる余裕なんてないない)


 うつになりかける思考を無理やり振り払うトモエ。今足を止めたらそのままふさぎ込みそうだ。頬を叩いて気分を切り替える。


『ええ。今の天蓋にはない需要をトモエちゃんは持っている。だからワタシは出資するのよ。トモエちゃんが持っているデータは誰も持っていない。いわばオリジナル。出資する価値は十分よ』

「それにしてもお金をかけすぎたんじゃないの? 私のデータ? それってこの世界から見たら古臭い物だよ。すぐにコピーされてしまうと思うけど」

『それでもオリジナルの価値は絶対よ。派生品ができればできるほど、元祖のブランドは歴史に残るの。

 ああん! 私のIDじゃなくトモエちゃんの名前を残せればいいにぃ!』


 トモエが売るデータの著作権はニコサンが持つことになった。天蓋ではクローンIDをデータ元として権利が発生する。クローンIDを持たないバイオノイドは権利を持てないのだ。


「まあそれは天蓋がそういう場所だから仕方ないというか」

『でもトモエちゃんの事はどこかに残すわ! 商品名にトモエってつけるとかどう? トモエソテー味にトモエ三点盛りにトモエウェルダンとか!?』

「私がいろいろ焼かれたり盛られたりしてるっぽいからイヤかな……」


 ニコサンの気づかいは嬉しいけど、だからと言って名前をそういうふうに使うのは困った。しかもデータなんで永遠に残る。デジタルタトゥーとしてはまだマシな方なんだろうけど。


『そう? 残念ね。じゃあ他の方法を考えましょ。

 ライブセンスは明日にでも届くように送っておくわ』

「え、いいよ。今から取りに行くし。その方が早いし宅配便にお金払わなくていいでしょ」

『タクハイビン? そんなたいした手間でもクレジットでもないわよ。それぐらいこちらで支払うから気にしなくていいわ』

「そういうわけにはいかないわ。節約できるなら節約しなくちゃ。

 それにニコサンの顔も見たいしね。それじゃダメ?」

『きゃあああああああああ! そんなこと言われたら断れないじゃない! ワタシもトモエちゃんに会いたいわ! そういう事なら待ってるから!』

「うん。じゃあ今から行くからね」


 そう言って通話を切るトモエ。話の終了を察して、ネネネも椅子から立ち上がる。


「出かけるのか、トモエ!」

「そうね。ニコサンのビルに行って、ライブセンスをもらってくるの」

「よし。アタイもついて行くぞ! 守ってやる!」


 胸を叩くネネネ。ニコサンに頼まれた『護衛』の役を務めているのだ。トモエもそれは理解している。


「そうね、よろしく。そこまで危険なことはないと思うけど」


 トモエもその気持ちを無下にするつもりはない。いきなり街中で襲われることはないだろうけど、それでも銃の携帯が常識的な街で無防備に安全を歌うほど平和な考えはしていない。


(コジローも危険な道に行かなければまず安全、って言ってたし。町中でトラブルに巻き込まれるなんて余程の事よね)


 そのコジローが危険なストリートで完全機械化フルボーグと戦っていたことなど思いもしないトモエであった。


 ネネネを伴って『安全な』道を歩くトモエ。空を飛ぶ飛行車両に驚くころはもうなく、様々な種類のバイオノイドやドローンに目を輝かせながらも歩みは止めない。思えば天蓋の街にも慣れたものだと自分のことながら感心するトモエ。


「見ろよ、このジョカの『カンショウバクヤ』! 黒と白のサイバーアームだぜ!」

「いやいや、俺の『アイラーヴァダ』のパワーこそ至高だぜ!」

「おおっと待ちな! 高性能光学迷彩の『ハデスヘルム』! 最新バージョンの迷彩は『ヘラ』でも見つけられないって話だ。これでいろんなところを覗き放題だ!」


 街中の話題は最新のサイバー義肢が中心だ。この辺りはさすがサイバー世界だなとトモエも感心する。ファッション感覚で肉体を機械に入れ替える。男子が好みそうなメカメカフォルムもあれば、女性用のキュートでセクシーな義肢もある。


「やっぱ機械に体を変えるのが当たり前なんだよね。コジローが変なだけで」


 トモエが知る限り、サイバー改造していないクローンはコジローだけだ。ナナコは見た目は人間だけど骨格や肌色まで変化させる変装スキンを内蔵しているし、ニコサンは言うに及ばず脳以外はすべて機械だ。


 隣を歩くネネネも見た目は普通に見えるが四肢と臀部が機械である。しかも体内には傷を癒す治癒ユニットまであるという。ドラゴンとの戦いでは高所から叩き落されたのに、すぐに回復したほどだ。


「そうだぞ。みんな改造してるんだ。バイオノイドは大変だな。『NNチップ』がないからサイバー制御ができなくて」


 すべてのサイバー機器は脳内の『NNチップ』からの信号で動いている。脳の命令を『NNチップ』が受け取り、各サイバー部位に命令を出しているという流れだ。なので『NNチップ』がないバイオノイドはサイバー手術をしても、その部位を動かすことができないのである。


「うん。今のところ改造したいとか思わないからいいかな。ピアス型のヤツとかはほしいとは思うけどね」


 手を振ってネネネのセリフに応えるトモエ。西暦の価値観的に、腕や足が機械になるのは受け入れがたい。ファッションとしてカワイイと思うサイバー機器はあっても、やっぱり肉体そのものを削ってというのは無理がある。


「そっか! 何かあったらアタイに言うんだぞ! じっちゃんがつけてくれた『デンコウセッカ』でみんなを守るから!」


 善意100%の笑顔で自分の胸を叩くネネネ。何かあれば言葉通り駆けつけると言わんがばかりの自信だ。


「うん。ありがとう」


 ネネネの笑顔に答えるトモエ。事実、頼りにはしている。あのビルの中で唯一のクローンで、高い戦闘力を持っていて、しかもそこに悪意はない。信用するに値するのは間違いない。


 ない、というのはわかって入るけど――


「コジローの代わりにアタイが頑張るから! 何せコジローはアタイの弟分だからな!」


 ネネネがトモエたちを守ってくれるのはニコサンにやとわれたからという事もあるが、それはあくまで形式上だ。そのモチベーションにコジローとの関係があるのは間違いない。


「ネネネちゃんはコジローの事が好きなんだね」

「おう! 大好きだ!」


 満面の笑みで応えるネネネ。トモエはその笑顔に含まれた感情に気づかないフリはできない。自分と同じ感情。危機を救われ、感謝する気持ち。そこから生まれたほのかな熱。心臓の鼓動を跳ね上げる確かな想い。


(私は……どうしたいのかな……?)


 揺れる想い。苦しい呼吸。乙女の葛藤。


 それがトモエの心の中で渦巻いている――

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