脳内に味データがあるの?

 五感データ。


 言葉通り、五感を刺激するデータである。脳内の『NNチップ』で展開されて五感に作用する。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。VR空間はこれを使って展開される。


(そう言えばコジローも私にオレステハゲの画像データを送ろうとしたっけ?)


 相手の許可があればデータの転送は可能だ。今ネネネが辛味で悶えているように、脳で展開された五感データはクローンの身体を刺激する。舌から感じた味ではなく、ダイレクトに脳を刺激する感覚。


「カルチャーショックすぎて、いまだに受け入れがたいんだけど」


 正直、トモエは未だにその感覚について行けない。五感は全て電子刺激で代替できる。その技術自体はすごいとは思う。フルダイブVRな世界はそういう事なのだと分かっていても、感覚的に拒絶するところはあった。


「ショックショック! この舌に広がる感覚はまさにショックだね。知ってるかい? 辛味っていうのは痛みなんだよ。かつてはスコヴィルっていう痛みの単位があったらしくてね。それをスプレーにして武器にしたっていう話だ。

 そんな痛みを常用した西暦時代の人間はさぞ苦行を好んだんだろうね。苦難上等修行万歳。一芸に没頭する様はまさに針の穴に糸を通すが如く集中力。ところでなんで針に穴が開いてるんだろうね? 針に穴をあけるのもたいしたもんだけど!」


 笑いながら支離滅裂な事を言うムサシ。また電子酒を入れたのか、頭の揺れ度合いが増していた。


「味データってそのスコヴィル値をスマホか何かで設定するってこと? 専用アプリのシークバーとか弄って」


 言った後でスマホはないよね、と思うトモエ。創作とかやったことがないので支離滅裂な事を聞いている自覚はあった。


「しーくばー? どうやって味アプリを作ってるのか興味ある? まあ散々味見させられてるからねぇ。興味津々心身ともに健康一番。一番二番の三番街。害ある者は排しても新たな害がまた現れる。あららあららと毎日大変だ!

 基本的には既存の味データの改良だねぇ。味データを足したり引いたりかけたり割ったり。いろいろ混ぜこぜして作り直すのさぁ」


 けらけらと笑いながらムサシが答える。辛味のショックから立ち直ったのか、ネネネが言葉を継いだ。


「じっちゃんもそんなこと言ってた! VR世界で自分の脳内にある味データをまとめて、美味しい感覚を探るんだって! でもじっちゃんの味データは不味かったけどな!」

「脳内に味データがあるの?」

「うん! 脳は一度感じた感覚はけして忘れないんだって言ってた! 思い出せないだけで、データとして引っ張り出すことはできるって! 見てデータを思い出し、体が勝手に反応するとかあるらしいぞ!」


 ネネネの言葉にトモエは思い当たることがあった。


 条件反射。梅干を食べたことがある人間は、梅干を見るだけで唾が出る。見るだけで脳がそれに備えるという事は、自覚できない所で梅干しの味を覚えているという事だ。


(という事は、私の脳内にもそう言った味のデータは残っているわけだから……)


 この世界に来る前の食べた物を思い出してみる。コンビニで食べたスイーツ。学食のうどん。毎日のご飯。……うん、なんとなく味の記憶もある。きっと脳内にははっきりと残っているのだろう。


「でも『NNチップ』? それがないと脳内のデータをどうにかできないのよね」


 はぁ、とため息をつくトモエ。ムサシやネネネのように味データを脳内で再現するには、そのデータで脳を刺激する端末が必要になる。そもそもそのデータ自体が自分自身で触れられないのだから仕方ない。


「バイオノイドの辛いところだねぇ。ライブセンスがあれば脳内にあるデータをどうにかできるんだけど」

「……そうなの?」

「? 味見役ってそういうことをするんだろう? クローンが作った味データを受け取って、悪いところをライブセンスで修正してデータを返す。そのために人間に近い形のバイオノイドを買ったんだと思うけど。

 ああ、その辺を知らされてないとか酷い話だねぇ。一方的に五感データを与えてその反応を楽しむ悪辣クローン! 可愛そうにねぇ。酷いことされたんだろ? VR空間で視覚を閉ざされて触覚を倍増されて熱くて太い――」

「や! そんなことはないですから! コジローはそんなことしないし!」


 コジローの名誉のために否定するトモエ。やっぱりVR空間はエロエロな事をするのに使うのが一般的なのか。顔を赤らめて手を振った。


「『ルルイエおでん第七版』を無理やり食わされる感覚を……あれ、違う?」

「違う……違うから……」


 その後で勘違いに気づき、顔を覆って蹲るトモエ。ナナコのせいだ。絶対ナナコのせいだ。責任転嫁するぐらいは許してほしい。


「酷いなコジロー! アタイが叱ってやるから安心しろ!」

「うん。ありがとう。私が悪いだけだから気にしないで」


 ネネネに慰められて何とか復活するトモエ。誤解を生んだらゴメンねコジロー。心の中で謝罪する。


「でもライブセンスがあれば私でも味データを再現できるってことだよね?」

「そうだぞ! トモエも面白い味データ持ってるのか?」

「うん。すごく甘いパフェとかジュースとか」

「ぱふぇ? じゅーす?」


 トモエの言葉に首をかしげるネネネ。天蓋にはない味……味覚データなのだろう。西暦時代の食べ物は天蓋には伝わっていないようだ。


(そっか。食事は全部キューブで済ませるからそういうのはないんだよね。そもそも甘味も味データで済ませるわけだし)


(誰もパフェを知らないのに、パフェ味を再現したら……?

 あれ? これって異世界転生系ありがちの『現在の文化をその世界に持ってくる』ってやつじゃない?)


 トモエの時代では無料で漫画配布されていた物語。その中に今とは異なる世界に行く人間の話がある。コジローが古典ラノベと呼んでいる物語だ。その中にはこの世界にはない文化を持ち込み、財を成す話がある。


 そういった話は大抵元の世界より文明が劣っており、小道具一つでかなり驚かれる。トモエから見れば天蓋の文明は遥かに進んでいるためその発想はなかった。むしろ『NNチップ』等を得てその恩恵にあずかりたいぐらいだ。


 だが、需要と供給と言う意味ではトモエの持つ価値観は遥かに高い。天蓋にない知識。天蓋にない価値観。そして天蓋にないデータ。天蓋と言う企業都市国家の中では高いレアリティを持つ情報。


(ニコサンもスマホを珍しがってたよね。あれはニコサンが昔の物を集めているからだけど、こっちの世界……天蓋でも通用するものがあれば売れる?)


 そこまで考えた後で、疑問が浮かんだ。


「脳内にあるデータってコピーできるのよね? それって著作権とかどうなるの?」


 トモエが知る漫画では著作権なんてない時代や世界のモノばかりだ。だけど未来世界はそうもいかないだろう。企業と呼ばれる存在が支配している以上、」違法コピーの販売に対する対策はあるはずだ。


「うん? 作った人間の権利ってこと? もちろんクローンIDに帰属するよ。作品や販売者のIDがプロパティにつくからね」

「……私、クローンIDないんだけど」

「そりゃそうさ。バイオノイドにデータ販売権はないよ」


 差別だー、と叫びそうになって喉元で抑える。天蓋においては常識的な事なのだろう。


「むむむぅ。なんかモヤモヤする!」


 ネネネも不満げに頬を膨らませていた。本来の人格はバイオノイドの地位向上を求めていた。今のネネネも根底にそれは残っているのだろう。ムサシは何故不満なのかを疑問に思いながらも言葉を続ける。


「基本的にバイオノイドが作ったものはマスターが権利を有するのさ。店で売るならそのビルディングのオーナーが持つんだよ。片方のIDで売るか、共同IDになるか、割り振りはクローン同士の話し合いだねぇ」


 指二本立てて説明するムサシ。ぴーすぴーす、ではなくバイオノイドのマスターと建物のオーナーの二者という事だ。


(つまり私の場合だと、バイオノイドのマスターはコジローでビルのオーナーはニコサン。販売の権利はコジローの名前IDかニコサンの名前ID


(コンビニで例えれば、コラボ商品みたいなもの? コンビニの名前が入っているけど、商品名は別にある。売るのはそのコンビニだけで、商品もそのコラボキャンペーンで売って名前も売れる)


(で、私の立場は商品を作る工場みたいなもの? コンビニ限定フィギュアとかだったらその原型師とか? クリアファイルならイラストレーター? でもバイオノイドって立場低そうだから……いやいやそれはともかく!)


 自分の世界……時代? それに照らし合わせて考えて、形を作っていくトモエ。いろいろ許可は必要だろうけど、いけるかもしれない。


 PiPiPiPiPi――!


 洗濯機のアラームだ。血まみれだったムサシの服の洗濯が終わったようだ。それを聞いてムサシは立ち上がった。


「おおっと、洗濯終わったようだねぇ。それじゃあお姉さんはここいらでお暇しようか。ブブヅケの味データダウンロードするよ。ところでブブって何だろうね? ヅケもよくわからないけど、電子酒によく合うんだよこれが!」


 それって帰れってことだよね。そう思ったけどトモエは口を紡ぐ。うかつに答えると変に疑われるのはちょっと前に学んだ。酔ってるから大丈夫だろうけど。


「ありがとう酔っ払いのお姉さん」

「へっへっへ。どうもどうも。お姉さんの名前は二天のムサシっていうのさ。よければ覚えておいてほしいねぇ」

「うん。ムサシさんありがとう。そう言えば聞きたかったんだけど。

 コジローって知ってる? IDが……Ne-00339546……だっけ?」


 名前を聞いてずっと聞きたかったことを口にするトモエ。ムサシだからコジローと知り合いでもおかしくないよね。そんな自分でも元の時代と同一視しすぎだと思う疑問。そんな偶然あるはずないと思いつつ聞いてみる。


「んん……。覚えがないねぇ。お姉さん記憶力には自信があるんだけど」


 真剣に悩んだ後にムサシはそう言った。心の底から覚えてないという声だ。まあさすがにそうよね、と受け流すトモエ。


「だよねぇ。ゴメンね、変な事を聞いて」

「いやいやいやぁ、人の縁は奇妙なモンさ。過去に今に未来、並行世界に異時間軸、広い目線で見れば何処かで袖触れ合った可能性も無きにしも非ず。無いかも非ず。あるあるないないいろいろあらぁ。

 今日の出会いが運命を変える。明日の未来を壊すか作るか。そんなの誰にもわかりゃしない。だから人は電子酒に身を任せるのさぁ。酔い酔い酔って宵の月に乾杯ってね! それじゃ、ダイスの目が良ければまた会おう。ミセイネンちゃん!」


 酔っているのかわけのわからないことを言いながらふらふらと歩きだすムサシ。名前ちゃんと名乗ったのになぁ、と思いながらトモエはムサシを見送った。


「……よし。先ずはニコサンに確認ね。その後でライブセンスを借りて、味データがどんなものかを確認しないと!」


 さっきまでの迷いはもうない。走る道が見えたトモエは、元気よく拳をあげる。


「お? どうしたトモエ。今日はお休みじゃなかったのか?」

「予定変更よ。いろいろ手伝って、ネネネちゃん!」

「おお? 分かったぞ!」


 そしてトモエはネネネを伴って動き出す。

 

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